東京ラブストーリー2016

@mouneruno

第1話 

 30歳を超えると、昔のような恋愛はしない。告白なんてしないし、まどろっこしい昼のデートもしない。挨拶はお酒の後だし、ややこしい話は全部セックスの後だ。永沢によると、「アリエスが『子供は小さな大人』と看破したように、『30代のセックスは大きな握手』」らしい。要は、セックスは食事、握手の延長にあるものであり、セックスはセックスとして特別なものではないそうだ。「相手を知るために食事をする。相手を知るために電話をする。それと同じように、相手を知るためにセックスをする。セックスは手段であって目的ではないんだよ」というのが永沢の主張だ。シラフの時に聞くと、腸捻転になりそうなセリフも恵比寿のバーで囁かれると色っぽいセリフに聞こえるらしい。永沢のこの決め台詞は彼に言わせると「8割はいけるね」。


セックスが食事の延長にあるものかどうかはわからないが、セックスは日常の対局にあるものではなく、日常の1つに包含されているものだ。故人が「死は生の対局にあるのではなく、生の一部にあるもの」といったように。30代を超えれば、セックスの希少性は下がり、そして、価値も下がる。それに反して、恋愛の価値は高まる。あの学生時代にしていたように恋に恋い焦がれるような恋愛。むず痒いようなあの日々。ポケベルに届く数字の羅列やセックスの仕方をホットドッグ・プレスで読み漁った日々やプレゼントは4°cかティファニーなのか悩んだ夜はもう戻ってこない。もちろん、今でもLINEの着信音に心が踊ることはある。でも、僕たちは、もうそのLINEのやり取りの往復の先にあるものを知ってしまった。「へえ。メキシカン好きなんだ。代官山に美味しいメキシカンの店あるんだけど行かない?」〜「まだ飲めるでしょ。中目黒の燻製バーってとこ行きたかったんだけど一緒にいってくれない?ビールも燻製なんだって」〜「俺、ゴムは絶対つける性格なんだよね」と一連の流れが見えてしまう。もちろん、LINEが途中で終わることもあるし、燻製バーに相手が惹かれないこともあるけれど、それでも、確率論の問題だけで、相手が誰かであるかは問わなければ、LINEのやり取りを10人としていれば、そのうちの何人かには「おはよう。コーヒー飲む?このネスプレッソのカプチーノ美味しいよ」という会話に繋がる。そういう意味で、あの頃のディズニーデートの先に何があったかわからなかった頃の純粋さはもう持てないし、何より、同じルーティンの繰り返しに、少し飽き飽きさえもする。でも、それでも、眼の前に勝てるギャンブル台があると賭けざるを得ないように、僕達はまた恋という名の遊戯にまた落ちていく。もはや、それは恋愛という名前を借りた何か、なのかもしれない。


そんな恋愛という名前のまんじゅうみたいなものに飽き飽きしていた僕は、ある日、マッサージに行っていた。マッサージといっても、普通のマッサージではない。少し色気のあるマッサージだ。ただし、風俗でもない。業界用語でいうグレーのマッサージだ。店によっては色気のあふれる施術が待っているし、あるいは「なんだこの店つまらねえ」と掲示板に書き込みたく何も起こらない店もある。要は、「どこまでしてくれる店」かわからないマッサージ店だ。その店の魅力は1つ。「何が起こるかわからない」ということだ。恋愛のように常に最後にセックスが待ち受けているとは限らない。そんなマッサージに僕は現代の恋愛を投射し通う。名前はアルファベット2文字の中目黒にあるお店で。深夜までやっているのが魅力だが、僕がその時に訪れたのは日曜日の夕方だった。週末も仕事で埋まり、仕方なく日曜の夜にお楽しみを入れることで活力をえていた。そのマッサージは、普通のマンションの一室で。約束の時間の5分前に電話をする。すると、「入っていいですよ」と許可を得て、部屋番号を教えてもらう。そして、インターホンを鳴らし店に入る。なんだかその秘密めいた淫靡なやり取りが、また現代の恋愛情緒をそそる。他の客とバッティングをさせないための、インターホンの前の電話が、昔の恋愛のまちあわせ電話のようにさえ思えてきて、僕はこのマンションにさえ疑似恋愛しているんじゃないか、とさえも自嘲する。大人になるとたまに自分を自嘲したくなることがあるのだ。

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