第9話 抱き枕にぬくもりを求めるのは間違っているだろうか
あさりは空になったビーフストロガノフの容器をビニール袋で縛ってゴミ袋に入れながらこう続けた。
「でもさあ、あんたって幻覚に襲われるほど一人暮らしに参ってたの? あんなに抱き枕があったら、家族といるほうが居た堪れない気がするんだけど」
「抱き枕にぬくもりを求めるのは参っているからだって言われたら反論できないこともないかもしれないけど、抱き枕があるからおれは今けっこう幸せに暮らせてるんだよ。お前の抱き枕は中でもお気に入りだよ、感謝してる」
おれはすでに両手ではきかないくらい、あさりが描いた抱き枕カバーを買っている。
「それはどうも。抱き枕の使われ方は百も承知だけど、『お前の抱き枕』って言葉すっごくいやだからやめてくんない?」
そう言われて、あさりが抱き枕になったら……と想像してみた。いまはボサボサで単純に切るのが面倒なだけだが、肩くらいまでのセミロング。つり目でスレンダー体型だから、抱いても癒やされる感覚はあまりなさそうだ。身長は高いから、160cmの長さだと等身大にするのも難しいだろうな……。
「だまれ」
と、机の上に置いてあった空のお茶のパックを投げつけられた。
「話も終わったなら早く帰れ。気持ち悪い」
話……そうだ、部長から新入部員勧誘の協力を頼むように言われてたんだ。
「あー、無理。新作のデザインも難航してるし、幽霊部員でいいっていうから名前だけ貸したんだから。そうじゃないなら、抜けるよ」
「それなら仕方ないか。ところで、その新作ってブログに書いてあったオリジナルの第五弾だよな? どんなキャラかわかんないけど、絶対買うから早く抱かせろよ」
「ああ、それなんだけど、構図のラフ引いただけで今止まっちゃってるんだよね……。ビーフストロガノフ丼を食べながら、ロシア人っていうのも考えたんだけど、銀髪はもう描いちゃってるし、今回はちょっとイメージが違うんだよね」
そう言うあさりから、プリントアウトしたラフ絵を渡される。なんだよ、相談する気まんまんだったんじゃないか。
「この裏面、添い寝柄か? お前こういう面倒なポーズ手癖で書けるのはすごいけど、抱き枕絵だと無理な体勢に見えるんだよな。個人的にはあまり好ましくない。あと、裏が添い寝なら表は実用性重視でもっと露出させろ。分かってると思うけど頭の上に余白一〇センチは空けるのも必須な? ああ、前回の抱いて気付いたけど最近目のハイライトの入れ方に癖あるな、正面で向き合ってても目線が微妙に合わなかったぞ。見つめ合えないのは大減点だからそこは丁寧に」
「こっまか……そういう意見もありがたいけど、まだキャラデザインで迷ってて、決まってないの」
そんな状態で新作の告知なんて出すなよ……。
「自分にプレッシャーかけていくタイプなんでね。エロゲでも同人でも数本描いたから、スパン早すぎてちょいネタ切れでマンネリ感があって。プロとして同じような構図、同じようなキャラじゃ自分でも納得いかないし。だから、今回はお得意様の特権? 特別にあんたの好きなデザインのキャラ描いたげる、ってこと」
「おほ!?」
驚いて思わず変に高い声を出したら、「気持ち悪い」とふざけ半分に蹴られた。
美麗な美少女絵を得意で、「男より美少女を描くほうが楽しい」というあさりは、手早く確実な仕事をすることでメーカーからも信頼が厚く、現在はエロゲ仕事を中心にラノベの挿絵なども手がけている。もちろん、年齢はおれと同い年で、今年ようやく一八歳。だが、アダルト関連の仕事は高校入学前からはじめている。表ではもちろん、業界関係者にもなるべく性別年齢不詳の覆面作家で通しているらしい。
速筆ながら天才肌でこだわりの強いあさりは自分のイラストに関して、おれやアニ研メンバーに意見を聞くなんてことはほとんどなかった。抱き枕の仕事に手を出してからは、実際に使う人間の目線での意見を求められることはあったが、キャラデザインについて意見を求めてくるのはこれが初めてだ。
「ほ、ほんとにいいの? やっぱこの商売って最大公約数を攻めるべきというか、おれの嗜好に染まったキャラとかニッチどころじゃないよ? ネッ広とか日本はじまってるとか言われちゃうよ?」
「自分で思ってるほど特別じゃないから、あんたの勃つ女って」
「一七歳女子高生がそういうこと言う?」
「オタ好きするキャラなんて大体似通ってるでしょ。大丈夫、八木のこだわりはその枠の中でも何かしらのツボを押さえてるって、一応信頼してるから」
なんかいきなりデレはじめたぞ。下ネタ混じりに愛の告白なんてされたら照れるだろ。
「それで、どんなキャラ?」
あさりは、おれの目を正面から見つめて問うた。不測の事態に心拍数が上がっているのを感じる。真剣な表情だと目ヂカラがすごい。外出しないから肌は白いし、けっこう整った顔してるんだよな、こいつ。
「早く言ってよ。どんなキャラを抱きたいの? あたしが描いてあげる」
あさりに訪れた突然のデレ期に、なんと答えて良いのかわからない。言葉を反芻しながら。ビーフストロガノフの脂分でテラテラ光るあさりの唇に、視線が吸い寄せられていく。あ、ごはん粒ついてる。いや、そんなことより、抱き枕だ。3Dカスタム抱き枕という千載一遇のチャンスが巡ってきたのだ。何を迷う必要がある。
「あんたの嫁になるわけだから、もし結婚するとしたらどんな子がいいかって真剣に考えて希望を言いなよ」
「え、俺が結婚? 急に言われても心の準備が……」
以前、ゲームやアニメのキャラとの婚姻届を書くのが流行った時は自分もとびついた。しかし、三ヶ月ごとに新しい婚姻届を書くことに疑問を感じてからは、あまり現実とリンクさせるような考えをすることはなかったのだ。
「何をどれだけ準備しても、あんたは結婚なんてできないでしょうよ。あくまで仮定として考えろって言ってるの。じゃあ、決めやすいところから順番に考えていこうか。まず髪の色」
「緑」
あさりがまだ何か言おうとしていたが、おれは脳を経由しない条件反射のような勢いで即答していた。
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