第8話 美少女絵師さまが、おれを悪しざまに罵る

 高近あさりの家は、俺の住むアパートと学校の間にある。学校を出るときに「ちょっと話があるから、これから行く」とメッセージを送ったら、ドアの鍵は開けておくので夕飯と飲み物を買くるように返事がきた。


 こうして食事を差し入れるのはもう何度目だろう、コンビニで一〇〇〇mlのジャスミン茶を買ってから、牛丼チェーンで牛丼並盛りと期間限定というビーフストロガノフ丼ふたつを無駄のない経路で調達。言われていたとおり鍵のかかっていないドアを開けて、「アマゾンの方から来ましたー」と声をかけてから玄関にあがる。階段にまであふれた本や雑誌を足で退けつつ二階に向かうと、カチカチとマウスをクリックする音が聞こえる。


 思えば、この家に入るのは去年の冬コミの手伝いをしてから約三ヶ月ぶりだ。廊下にまで大量の本と通販の段ボール箱と紙パックのお茶とゴミ袋が散乱している中、あさりがいるらしい「仕事部屋」に向かう。いちおうノックするが、いつも返事はないのでさっさと入って、作業机の前まで移動する。

「もう春だから、ゴミは週1で捨てるようにしたほうがいいぞ」


 声をかけてからしばらくして、普通に買えば10万円以上するアーロンチェアに座ったボサボサヘアの少女は、高級ヘッドフォンを外しながらようやくこちらを振り向いた。「よう」と挨拶するおれに、あさりは口の前に左手を持っていきひとつ大きなあくびを返してきた。額には冷却シート、目元には度の強いメガネ越しに濃いくまがハッキリ見える。ちなみに服装は上下とも中学のジャージだ。教室でも見かけなかったし、また学校サボって絵を描いてたな……。


「話って何? 今わりと忙しいんだよね。あ、あとお茶とご飯。いくらだった?」

 部屋を片付けろという諫言は聞こえなかったことにしたいらしい。そのヘッドフォン開放型だし、そんな大きな音は出してないだろというツッコミを胸に閉まって、おれは買ってきたばかりのビニール袋を差し出した。


「牛丼と期間限定のビーフストロガノフ丼があるから、好きな方をどうぞ」

「じゃあ、ビーフかな」

 どっちも牛だよ、と思って見ていると、あさりはビーフストロガノフ丼を取り出していた。そうそう、「」なんて名前のわりに、こってりしたものが好きなんだよな。


「3つも入ってるけど、あんたもここで食べていくの? それならリビングに行くけど」

「いや、おれは自分の家で食べる。600円な」

 といって、400円渡して1000円札を受け取ろうとした。

「もうひとつは、あたしの夜食じゃないの? 計算合わなくない?」

「おれの家でお腹を空かせて待っているやつがいるから、残念だがお前にやるわけにはいかないんだ」

「ついに抱き枕と食事するようになったの? 誕生日にケーキ買うくらいなら見逃すけど、さすがに引くわー」

 まあ、枕なんだけど、枕じゃないというか。間違ってはいないけど、正しくはないというか。


「じゃあ、お母さんがこっちに来てるとか? 一昨年あんたのお父さんが転勤するのについていってから会ってないから、来るなら挨拶したいんだけど」

「いや、こむこむにそっくりの女子高生というか。木叢ちゃんが、家で待ってるはずで……」

「はぁ!? ちょっとあんた出合い系にでも手を出したの!? よりによってこむこむ似って、妙なリアルさあるわー。しかも、木叢って自分で名乗ってるなんて、メンヘラ臭半端ない。どこで道を間違えたんだか知らないけど、変な事件とかに巻き込まれたらあんたのお母さんから『本当にどうしようもない子だけど、面倒見てあげてね』って頼まれてるあたしの顔がつぶれるなあ」


 夜食だと思ったものがなくなった悲しみと、幼馴染が金でリアルJKを買った疑惑がまざって、すごい目つきで睨まれた。やめてくれ、お前つり目だしクマがすごいから本気で怖いんだよ。

「相手には、さっさと電話でもメールでもして帰ってもらって」

 いきなり激昂しだしたあさりをなだめながら、今朝の出来事について説明する。なかなか理解してもらえなかったし、正気を疑われもしたが、食事が冷めるから先に食えという言葉でどうにか落ち着いてくれた。


 二段になっているビーフストロガノフ丼の蓋を開けると、たちまちデミグラスソースの香りが部屋を満たした。あさりは白ご飯のうえにビーフストロガノフをかけると、「おっ、いいねえ……」と言いながらプラスチックのスプーンいっぱいに乗せたご飯を頬張る。

 この機を逃さず、身の潔白を改めて説明した。あさりも現実的な空腹を処理するほうが優先順位は高かったらしく、了承というニュアンスの生返事が返ってきた。


 あさりは空腹でないと頭が回らないので仕事が一段落するまでは何も食べないというのだが、食べることは嫌いではない。よっぽど変なものでなければ、一口食べるごとに「いいねえ……」と嬉しそうに頬を緩ませる癖がある。うちの親は「いまどき珍しく美味そうに飯を食べる子だ」なんて感心していたが、あさりの両親には「気色悪いからやめろ」ときつく言われていたらしい。正直、おれから見ても本当に気色悪い。クチャラーでないのがせめてもの救いか。


  あさりが食べているる間、部屋の中に散らばっているゴミやらダンボールやらをまとめてやった。これで機嫌もよくなるだろう。

「うん、ごちそうさま。だけど、ビーフストロガノフ丼はそんなにオススメできないかな。スパイスのないビーフカレーって感じ。まあ、たまにはこういうのも悪くないし、私は嫌いじゃないけど」

 そう、実はこいつの「いいねえ……」にはとくに料理を褒める意味はない。体に糖分が回るのを喜んでいるだけなのかもしれない。

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