抱枕奇譚~記憶に沈んだ幽かな恋とアニメの記憶を漁る、春の夜伽草子~

テリブル東京

キャラクター抱き枕に捧げた、おれの青春と欲望のピロートーク

マイフェイバリット緑髪ヒロインに憑依した女は、「かすか」と名乗った

第1話 化学繊維の女を抱いて

 人恋しさには慣れっこだと強がっても、春の間隙かんげきを縫った寒い夜にはふと孤独を味わう。

 騒がしい歌も聴き飽きてヘッドホンを座卓に置くと、深夜の静寂が耳に刺さった。

 パソコンの電源を切り、座椅子の横に敷いた万年床へ尻をずらして、掛け毛布をめくる。


 布団の上には、六畳間の冷えきった暗闇の中でなお可憐な微笑みを絶やさない絶世の美少女が、おれとの同衾どうきんを待ち望むかのように衣服をはだけたまま横たわっていた。室内灯の豆電球がわずかな橙色の光を落とし、少女の肌を妖しく照らしている。


 ――きめ細やかなその肌は、化学繊維で編まれていた。

 等身大のアニメキャラクターがプリントされた抱き枕カバーである。

 カバーに包まれた純白の物体は抱き枕の本体。おおよそ縦一六〇センチ・横五〇センチで、その柔らかくもしっかりとした抱き心地の元になる高級ポリエステルシリコン綿がたっぷりと、しかし装着されたカバーの絵柄が崩れることのないよう均等な厚みで詰まっている。

 グッズメーカーによる縫製や繊維について長年の研究と印刷技術の向上に、イラストレーターが追求した抱き枕絵に最適なキャラの寝姿が組み合わさり、今や斯界のキャラクタービジネスにおいても不動の地位を確立した、泣く子も黙る、あの抱き枕だ。


 先人達が受難に遭い、研鑽を重ね、その信念によって艱難辛苦を乗り越えた先に産み落とされた彼女達は、この世のものとも思えぬ美貌で永らえ、闇にうつろうこともない。

 実際、この世のものではないが彼女達は手で触れ、顔を埋め、股に挟み、抱き締めることができる。おれにとってはこの世のものより遥かに、あまりにも存在なのだ。


 おれは彼女達のいる時代に生まれることができた。

 なんて幸せ者なんだろう!


 南向きの窓に縁取られた春の夜空を仰ぎ、世界への感謝と諸物への祈りを心の中で静かに捧げて、おれは普段と同じような一日に、普段と同じように幸福なピリオドを打つ。

「おやすみ、エクリプス」

 肩まで伸びた艶やかなエメラルド色の頭髪と、同じく緑色に輝く丸い瞳が優しげな、「月蝕エクリプス」の名を持つ少女にそう囁き、その薄い唇に軽く触れるだけのキスをする。


 照れたようにピンク斜線を浮かべた頬に自らの頬を重ね、寄り添って眠りにつく。

 至高の甘美と安息に、おれの心は透きとおっていった――。



 身体を重ねあわせて、数分経ってからだろうか。

「うっ、うううっ、ううっ」

 おれはエクリプスの胸にすりすりすりすりと激しく顔を押し付け、ずもーっとひとつ大きく息を吸い込むと「うぐううう」中綿に癖がつくほど強く彼女を抱いて、「あがーっ」ごろんごろんと布団の上を転げ回り、「はーっ」落ち着いたところで彼女と再び見つめ合う。

 無限の大自然を思わせる緑色に吸い込まれそうになり、「むぢぅうううううう、っうう、ふうっ、むっ、むふっっ」

 たまらず顔面で突進して、あれば前歯も折れよとばかり熱いベーゼをぶつけまくった。


「ふうっ、ふ、ふう、っはあ……っは」

 ひと通り満足したので、顔を離し、抱擁を解き、布団の上に大の字で仰向けになる。ああ、とため息をついて、天井を見上げる。


 おれ、こんなんでいいのか……?

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