第2話 鋼鉄の突っ張り
この巡業観戦以後、彼の中では相撲ブームが巻き起こった。
とは言え、無邪気な少年のことなので、彼の相撲への熱意は技術的な探求や知識的な模索という形は取らなかった。表立って現れたのは、例えばパンツを尻に食い込ませて家の中を歩き回る、
中でも彼の行いで一番目立っていたのは、
――相手の
彼はこの動作を脳内でシュミレートしながら、日々
鍛錬とは言え、初めは自宅
さすがの彼も、人体相手の時は手加減を加えていた。これとて相手の迷惑を考慮してと言うより、自分の磨き上げられた張りをかましてしまうと相手の体を破壊してしまうとの
このような狂った日常が許される道理など、たとえそれが少年の場合であれ、ないのである。
たまたま妹相手に練習していた時、彼は誤って彼女の
「静かにやるから」
「家が壊れる。やるんなら外でやりなさい。でも他の人がいるとこでやるのはダメだからね」
「何で」
「邪魔になるでしょうが。それに当たったらどうする。警察に連れてかれるよ」
「じゃあ、もうする場所ないが」
「やりたかったら、そこの門の柱相手にでもやれば」
素直な彼は、母に言われた通り、
彼は怖気づき、初めはゆっくり、そっと、右の手のひらをぺちっと門柱に打ちつけた。そして手の平を確認した。特に血が出たりしていないのを見て安心すると、今度はもう少し強く手を張った。
そうこうするうちに段々加減も分かり始め、それからと言うもの、彼は黙々と独り門柱相手に鍛錬を積むようになっていった。決してやりやすい相手ではなかった。が、無言で受け止めてくれる門柱は、彼にとって頼もしい存在だった。かけがえのない友達のような気持ちすら、彼は抱いていたのである。
とは言え、このような奇行を、近隣住民が見逃してくれるはずはなかった。近所の人は母親に「息子さんあそこで何かやってるね」と、暗に彼の奇行のことを
彼からすればそんなことは知る
――このジャリジャリ相手にかまし続けていれば、そのうち俺の皮膚は分厚く、そして固くなるに違いない、そうなればもう俺は歩く凶器である。もしかするとまともな生活は送れなくなるかもしれない。しかし何を
このように苦難にもめげず、彼は勇んで門柱に突っ張りをかましていた。が、ひょんなことでこの振る舞いは途切れることになる。
同じように突っ張りの練習をしていた時のことである。そこに近所のばばあが近づいてきて、「相撲頑張ってるらしいね」と彼にお菓子を手渡した。挙動を止め、
それまで彼は決して他人から見られることを意識していなかった。何よりそれを
この
さらにほとんど時を同じくして、相撲への関心自体も一緒にしぼんでいった。彼の中からは相撲ブームも過ぎ去ったのである。
しかし相撲が彼の中に何も残さなかったわけではない。この経験は彼の心の中で相撲最強説として結晶していた。
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