相撲最強説の誕生

アブライモヴィッチ

第1話 尻

 少年が相撲の強さを周囲の人間に盛んに吹聴ふいちょうし始めたのは、彼が小学4年の時である。これは祖父母に連れられ観に行った地方巡業がキッカケだった。


 ただ彼の方から連れて行ってくれと家族に頼んだわけではなかった。それどころか巡業を観に行く以前、少年は相撲になどこれっぽっちの関心も持っていなかった。そもそも少年は外で体を動かすことすらあまりやりたがらないたちの、今風のふざけた子供だった。


 少年の日々の興味と言えば、それはもっぱらゲームで、没頭し過ぎて母親に外で遊ぶよう叱られると、彼は渋々街路に飛び出し、路傍ろぼうの犬のうんこを棒に突き刺しては他人の家に投げ入れるなどの遊びに興じていた。


 多少内気なところがあったとは言え、彼は至って普通の少年だった。テレビで流れる相撲を前にしても、その取り組みなどにはちっとも関心は見せず、なぜあんなに何度も塩を撒くのか、塩がもったいないではないかと、まことに純な少年らしい疑問を抱き、また自分は相撲なんかよりアニメが見たいのだと不平を垂れた。もっとも相撲のことを嫌っていたわけではない。この程度はどの子供にでも見られる普通の情景だろう。


 そんな調子だったので、初め祖父母から観に行くことを誘われた時も、彼本人は興味ないと言って受けようとはしなかった。それでも実際に出向くことになったのは、帰りにどこか外食に連れて行ってあげるとの条件を提示されたからである。


 地方巡業の会場になっていたのは町の体育館で、取り組みが始まる前には、力士とのふれあい企画が催された。当初は乗り気でなかったとは言え、実際にイベントごとにぎやかな雰囲気に触れるや、それだけで少年の心は浮き立った。


 しかし何と言っても、彼の高揚が極点に達するのは、力士の尻を間近で目にした時である。


――すげぇ。あんなデカいケツ見たことねぇ。かーちゃんの2倍以上あるじゃねーか。すげぇ。ケツすげぇ。多分俺の携帯ゲーム機あのケツの割れ目に挟んでギュッてされたら壊れるんじゃねーかな。ってか腕とかだって折れちゃうでしょ、あのケツに挟んだら。ケツやべぇ。すげぇ。力士すげぇ・・・


 ひと目見るや、少年の心は力士の尻に魅惑された。そしてあれは硬いのか柔らかいのか、是非とも触ってみたいとの思いを募らせた。握手をしてもらえる機会を見つけたので、どさくさに紛れて触ってやろうとも考えた。が、いざ力士を前にすると、内気な彼は怖気づき、殴られたら死んでしまうので止めておこうと、触ることはしなかった。


 ふれあい企画が終わると、各力士の土俵入りや、少年力士たちとのエキシビジョンなどが始まった。巡業にはよくあることであるが――そしてある意味こうした巡業のはなでもあるが、巨体の力士たちは、わざと少年相手に負けてみせたり、土俵上で派手でコミカルな動きを交えてみせたりするのである。そうした光景に観衆たちは皆一様いちように沸き立ち、子供は「わざとでしょ? 今のわざとでしょ?」などといった声を発し、老人はこなれた口調で四股名しこなを叫んだりしていた。


 彼も同様の子供だったので、嘘くさいとの念が心にないわけではなかった。が、今の彼にとって、そんなことはどうでもよいことだった。彼の心を掻き立てていたのは、土俵上で収縮しながら勇躍ゆうやくする巨尻である。


――やっぱあの尻すげぇ。あんな体デカいのにあんな素早く動けるなんて、マジただごとじゃねーわ。やっぱ無駄にデカいわけじゃねーんだわ。すげぇ。マジ周りの奴らあのすごさ分かってんのかな。笑い事じゃねーって、これ。すげぇんだから。デカくて速いって他にねーだろ。筋肉つけたら俊敏性しゅんびんせい落ちるって常識、マジ何だったんだ。嘘じゃねーか。力士にくつがえされっちゃってんじゃん。マジそのことの意義、周りの奴ら分かってんのかね。これ日本のスポーツ界変えるような事態だよ。まあアホだから他の奴らは気づいてないだろうね。俺は違うけどね。俺は違いの分かる男だから。相撲は違うのよ。あれは本物ガチ。そりゃぁつえーわ、相撲は。最強なんじゃねぇの。だって他なんて力士に比べればゴボウみたいなもんでしょ。やべぇよ。相撲やべぇよ。絶対最強。相撲最強。スモー・イズ・ナンバーワン


 インドア型であったとは言え、彼もやはり少年である。強さは、それだけで魅力だった。理由など要らなかった。見てくれなどは関係なかった。

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