やはり残すより残される人のほうが大変なのかの第11話
お見舞いの時に持っていく定番として、フルーツの盛り合わせがあるけど、やはりあれは間違いがない気がする。
私がもともとフルーツが好きだってのもあるけど、フルーツって酸味と甘みが良く出来ていて、体調が悪くてもサクサク食べられることも多い。
まあ、剥くのが大変なものがあるのが一番の欠点かなあ。
そういう意味では、最近はカットフルーツもあるし、いいよね。
いわゆるお菓子は体調によってはクドすぎたりすることもあるし、フルーツ最高〜だよな。
さて、今回の話。
死ぬ側と死なれる側はどちらが辛いのか?
まあ、私的に結論から言うと、死なれる側のほうが辛そうだなあ、と思ってしまう。
このあたりは死ぬ人の宗教観というか、どれくらい死を恐れているかで変わるから、千差万別ぽいのかなあ。
キリスト教徒なんかは天国へ行くか地獄へ行くかで、死後の状況が違いすぎたりするしね。
神道だと黄泉の世界に行くんだったかな?
仏教は輪廻転生するか、悟りを開くくらいになると涅槃に向かい、消失するってことらしい。
違ったらごめんなさい。
私はなんだかんだ言っても、自然科学者の端くれ?なんで、オッカムの剃刀ではないけど、あまりにも複雑な死後の世界は信じられないところがある。
死後からの観測はできないので、言ったもん勝ちの世界みたいだし。
やはり、脳が機能停止して、意識は消失するのではないかな?
まあ、消失が嫌といえば嫌だけど、仏教で言うならば究極の目的でもあるわけだしな〜。
眠りにつくのとどう違うんだ、という気もする。
むしろ、死の消失より、死ぬ前の苦しみのほうが嫌なので、そこらへんは医療技術にすごく期待してる。
緩和ケアと総称される技術が、死の間際に至るまでの苦痛や違和感をなるべく抑えてくれるんだそうな。
さて、残される側についてはというと……。
基本的に何年も何十年も思い出が残ってしまうので、苦しそうな気がするなあ。
人間には忘却という都合の良い機能が備わってるし、だんだん楽にはなってはいくんだろうけど。
さらに、人一人が死んでしまうと、遺産関連とか役所手続とか、葬儀、法事などなど行事は山盛り。
しばらくはバタバタしてるうちに日がすぎるかも。
こちらからすると、葬儀や法事なんてどうでもいいけど、これもまた残された人からすると、気を紛らす格好の用事ともいえるかなあ。
親戚が集まるというのも、気分転換になりそうだ。
昔と違って、親戚の数自体も減ってるし、付き合いも薄い気もするけど。
とはいえ、葬儀関連となれば従兄弟くらいまでは来るかもしれないし。
あんまりしんみりばかりでなく、賑やかにやってもらいたいものだね。
うちは高知県の血筋で、今は広島なんだけど、
高知は葬儀のあとはご馳走と酒を豪快に準備して、残された者で大騒ぎする文化。
広島は葬式弁当みたいなのはあるけど、しんみりする文化。
全国的には大騒ぎするほうが珍しいのかな?
どんちゃん騒ぎしてくれる方がいいなあと思うのは、高知の血のせいなのか?
結局、繰り返しになるけど、残す者より残される者の方が大変。
なんとかしてあげたいけど、こればかりはなあ……。
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