あなたが赤い糸:103
月に一度、ソキの魔力が安定しているのかを確認する日。
いつものように城の一室にやってきた一行を出迎えたのは、疲弊しきった顔をする魔術師たちだった。あぁあああ癒し、可愛い、ちょっとにこっとして手を振ったりしてみてちょっとでいい、過剰摂取したら今たぶん泣く、とそれぞれに屍の様相で呻く魔術師たちに、ロゼアは隠すことなく嫌な顔をして『花嫁』を抱きなおし、ソキは目をぱちくりさせて不安がるより不思議がった。
「まじちしさんたち、どうしたの……? ソキに、手を振ってほしです? んしょ、んしょ」
「あぁ……寛大な御心にただ感謝します……!」
『えっなんなの怖い……引く……。い、いいのよ、ソキ、手を振るのは、もうやめておきましょう……? ね? ロゼアだってそう思っているわ……ね……?』
跪き両手を組んで祈りを捧げる魔術師たちに、妖精は心理的な距離を感じて震えあがった。なにがあったか知らないが、疲弊しているにも程があるだろう。今すぐにでも身を翻して歩き去りそうなロゼアを気にかけながら、妖精はそっとソキと魔術師たちの視線の間に入り込み、『花嫁』の奉仕的な仕草を止めさせた。はぁい、と機嫌よく返事をして、ソキはロゼアに抱きつきなおす。
ふにゃんふんやぁん、とふわふわほわっと鼻歌が響くので、どうも特別機嫌がいいらしい。ロゼアは深く息を吐いて、義務である、ということを己に言い聞かせ切った顔で、指定された椅子にソキを抱いたまま腰を下ろした。ただし、いつもの倍近くぴったりとソキを抱き寄せて固定していて、決して床に足をつけさせない、という決意に満ちている。
早く確認してください、と告げる言葉も珍しく苛立ちをあらわにしていて、ソキの上機嫌とは正反対だった。ぱちぱち瞬きをしたソキが、不思議そうな顔をしてロゼアに両腕を伸ばす。どうしたの、おなかがいたいの、と呟きながらロゼアの頭をくしゃくしゃに撫でまわすソキの魔力は、今日も完全に安定していた。日を増すごと、夜を過ぎるごとに、ソキの魔力は深くしっとりと凪いでいく。それを自覚しているのだろう。ソキは城へ向かう前に妖精をまっすぐに見つめ、もうすこしなの、と言った。
もうすこしで、完成するの、とソキは言う。それは妖精と出会った直後から、ソキが描いている水器を記した絵のことであり、己そのものとも言える魔力の安定のことでもあり、もっと他の、言い知れないなにかを表しているようでもあった。その、なにかが、不安で。なにが、と妖精は問いかけたが、ソキは困った顔をして眉を寄せ、言葉で表すことをしなかった。ただ、もうすこしなの、とソキは言う。
間に合わない可能性を前に不安がる、そういう顔と、声をしていた。なにに、と。その先を説明する言葉を持たされないままで。
「ねえ……ねえ、シークさんは? シークさん、なんでいないです?」
偶像崇拝の様相を呈してきた室内をきょろりと見回して、ソキがひとりの魔術師に問いかける。それでこの惨事はなんなんですか、と問うロゼアに、仕事がたくさんで終わらなくてこころが辛い、と説明していた魔術師の男は、和み緩んだ笑みで終わったら来るよ、と言った。王陛下の傍について、護衛をこなしている最中なのだという。
ふぅうん、と頷いたソキは、見るからに不満いっぱいに、頬をぷっくり膨らませた。
「いつ終わるです? いま? 終わった? もう来るぅ?」
「……ソキ?」
「ひみつのうちあわせをしないといけないんですぅ!」
んもおぉっ、とちたぱた怒るソキに、魔術師たちが秘密とは、という顔をして、そっとロゼアを伺った。ロゼアは微笑んでいた。機嫌よく微笑んでいる、ように見えた。もぅもぅぷぷぷですうううっ、と怒るソキを慰めるように抱き寄せて、背を撫でながらロゼアは囁く。心をときめかせる、甘くいとしげな声だった。
「ソキ。秘密の打ち合わせって、なに?」
シークとソキの約束がなんであれ、色事ではない、と魔術師たちもロゼアも理解はしている。幼女にちょっかいを出した云々の騒ぎの時に、言葉魔術師と予知魔術師の特殊な関係性が簡単に告げられていたからだ。ロゼアにもそれとなく説明はされ、一応の、納得はされない理解は得ていたのだが。それとこれとは別問題である。ロゼアに無断で秘密とは何事なのか。許されていいことではない。
頬を指で柔く撫でながら囁くロゼアに、ソキはきゃぁんやぁん、とくすぐったそうな声ではにかんで。よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに、えへんと胸を張って言い放った。
「あのねぇロゼアちゃん。これはぁ、つまりぃ、ひなんくんれんなの!」
「……うん?」
秘密とは、という顔で魔術師たちがそれぞれに首を傾げる。見守る妖精も額に手をあてて、秘密、という言葉の意味と今一度見つめ合って考え直した。ロゼアも、上手く消化できなかったのだろう。ふんぞりかえるソキを抱きなおしながら、『傍付き』が冷静な声で、その関連性を確認する。
「ソキ? 避難訓練の打ち合わせなの? 秘密で?」
「あのね。まじちしさんが来るかも知れないの。もしかしたらね、危ないなの。だからね、その前にね、ソキがちゃぁんとしておかないといけないの。だからね、ひなんくんれん? なの」
恐らく、シークが夢にてソキに告げた言葉は避難訓練ではない筈である。そうと解釈されたのを、まあいいか、で放置したに違いなかった。ソキの発言内容にやや心当たりがある顔をした魔術師たちが、あいつそういうトコあるよな、という顔で頷き合う。ふ、とロゼアの笑みが深くなった。
「……そうか」
ありがとうな、ソキ。説明できたな、偉いな、可愛いな偉いな、とロゼアは『花嫁』を心から褒め称えた。それから手早く、ソキに持っていた飴を与え、目を閉じて耳を塞いで三十数えようないい子だなかわいいかわいい、と言い聞かせて。ソキが不思議がりながらも、素直に言う通りにして、いーち、にー、さーん、ろーく、とやや不正しながら数え始めたのを確認してから。
『傍付き』は『花嫁』に向けた笑みをそのままに、手近にいた魔術師の一人の胸倉を掴み、無造作に引き寄せて言い放った。
「なにかご存知ですよね。言え」
「待って待って最近の若者怖すぎじゃないっ?」
「俺の『花嫁』に、俺に無断でなにを? 事と次第によっては『傍付き』として、これ以上の干渉と接触を禁じさせて頂きます。貴方たちは『魔術師』として成さねばならぬことがあるという。それを優先させよと御当主さまも、陛下も仰った。そうであるから従っています。ですが、このようなことをなさるのであれば……俺も、『傍付き』として、『花嫁』を守る義務がある」
にじゅに、にじゅ、うぅんもうにじゅきゅにしちゃうですぅ、と呟いて薄目を開けようとするソキの口に、ロゼアがぽんと手を当てる。片手では魔術師を締め上げたままである。妖精はすすす、とロゼアから距離を取って空に浮き上がった。ソキを助け出したいのはやまやまだったが、正直、どちらにも関わりたくないし、関わっていると思われたくない。
「ソキ、数を飛ばすのいけないだろ。……はい、もう一回、最初から」
「ええぇ……」
「いい子にできたら、今日のおやつはデーツにしような。好きなだけ食べていいよ」
いーちっ、と気合を入れた声でやりなおすソキには、余程魅力的な提案なのだろう。数を飛ばさずにやりなおし、十六まで数えて、へくちとくしゃみをしたら途中で分からなくなったらしく、鼻をすすってまた一から数えなおしている。妖精はロゼアが、こしょこしょと鼻の下あたりを指でくすぐっていたのを目撃していた。三十の達成は遠いに違いない。
そうさせている間に恐ろしいほど手早く魔術師から情報を聞き出し、ロゼアは眉を寄せて沈黙した。年末に、今は『学園』にいる魔術師がひとり、『お屋敷』を訪れることが決まっているのだという。ソキが言うのは、恐らくはその件だろう、と。後はシークでないと分からないし魔術師にも守秘義務があるからこれ以上は詳しく教えられない、と告げる魔術師を開放して、ロゼアはちょうど三十数え終わり、ぱっちりと目を開いたソキを、大切そうに抱きなおした。
「ロゼアちゃん? もういい? もういい?」
「うん、いいよ。よくできたな、ソキ。偉いな……」
「でっしょおお? でしょう? えへへん。……うゅ……?」
自慢げに褒められていたソキが、不意に困惑も露わな声で嫌そうな顔をする。その視線が向けられていた先を追って、妖精は思わず声をあげた。はきと対面したことはないが、遠目には見たことがあり、ジェイドの話で何度も会った相手だった。
『お屋敷の……御当主……?』
鍵がかかっていた筈の扉を背に、青年はゆったりと腕を組み、ロゼアのことを眺めていた。睨みつけている、とするには瞳に浮かぶ感情は凪いでいる。ぎょっとする室内全ての者たちに向かって、青年は扉からゆったりと背を離した。
「……『傍付き』の非礼をお詫び申し上げる。まだ若く、躾が行き届いていないのはこちらの未熟さ故だが、どうか許して欲しい」
「御当主様……なぜ、この場所に」
「お前が話しかけることを許可した覚えはないよ、ロゼア」
城では方々に礼儀を尽くせと命じておいた筈だが、と首を傾げながらゆるりと部屋を横断し、リディオは室内でただ一人、警戒も露わに唸っているソキのことを、穏やかな笑みで見返した。
「『傍付き』に情報を伏せる教育も受けただろうに、お前は本当に出来ないな、ソキ」
「うー、ううぅう……。な、なんでいるですかぁ……」
「仕事だ。陛下と話があった。……いや、話をしている、というのが正しいな」
ちょうどいいから見に来たのだと告げるリディオは、『花嫁』と同じく、相手に理解させにくい話し方をした。分からせようとしていないのでは、なく。それでも理解してしまえる相手が傍に居続ける弊害なのだろう。そうであるが故に、ソキには通じるものがあるらしく、『花嫁』は不満げな顔でぱちぱち瞬きをして、つつんっとくちびるを尖らせて言った。
「おサボりのお散歩です。いけないです。お戻りくださいです」
「休憩時間だ。もう戻る。……ロゼア」
「はい」
やや緊張しながら返事をするロゼアに、『花婿』はあまく微笑みかけた。
「お前も来い。話がある」
「……は、いえ、自分は」
「ソキの面倒はフォリオが見る。十五分か、二十分だ。預けて一緒に来い。……お前の礼を欠いた行動と関係があることだ」
恐らく、扉の向こうで声を聴いていたのだろう。コン、と一度扉が叩かれ、返事を待たずに側近の女がするりと体を滑り込ませてくる。強張った顔をするロゼアに歩み寄り、側近の女は静かな声で、行きなさい、と言った。ぎこちなく、首を横に振って、ロゼアが息をする。
「……戻ってからではいけませんか。せめて、メグミカをここへ」
「時間がない。二度言わせるな。……命令だ、ロゼア。来い。……ソキ、ロゼアがいない間に、避難訓練だかなんだかは済ませて置け。彼もすぐここへ来る」
「御存知なのですか」
低く。ぞっとするような感情を乗せたロゼアの問いに、当主は浮かぶ感情の薄い瞳を向けた。ただ、呼吸をするように。『花婿』はふわりと笑みを浮かべる。
「いいからおいで、ロゼア。これ以上は時間の無駄だ。来れば分かる」
「……ソキ、ソキ。ごめんな、行って来る。数を、六十数えて、それを十回した頃までには、戻ってくるよ」
「やぁああ……! いっぱい、いっぱいですうぅ……!」
そんなにたくさん数を数えられない、とごねるソキを宥めすかして、ロゼアは当主と共に部屋から出て行った。扉を閉じる寸前、振り返ったロゼアの目が、すい、と空に移動する。そこに居る妖精に。ソキのことを託すように。
「……すぐに戻るよ」
それは一瞬で、言葉も微笑みも、ソキに向けられたものでしかなかったのだが。視線が重なった、と感じたのは本当に気のせいなのだろうか。妖精は動揺に乱れる鼓動を感じながら、胸の上に両手をあて、深く震える息をした。ソキの魔術師としての完成は、恐らく、もうすぐそこにまで迫っている。
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