あなたが赤い糸:20


 半年、一年。二年目の日々も同じようにして過ごす。平日は朝と夜、休みの日は課題を持ち込んで解きながら、ジェイドはシュニーの傍にいた。他の『花嫁』のように、花や服や甘味を望むでもなく、構って欲しいと口に出すことはなく。シュニーはじっと、ジェイドの背にくっついて待っているのが常だった。

 終わったよ、というとぱっと顔を輝かせて抱きついてくる。それからようやく、シュニーはあれこれ話し出すのだった。誰とどんなことをしたのか。なにが楽しかったのか。それは殆どが、ジェイドが『傍付き』としてシュニーに与える筈のことだった。『花嫁』として相応しく。育てて欲しいと、望まれたのに。

 努力ばかりが積み重なる鬱屈とした日々。それが終わりを迎えたのは、二年目の長期休暇の初日のことだった。寝泊りの為の一室を借りて荷物を置き、シュニーの元へ顔を出す。明日から二ヶ月は一緒だよ、と告げるジェイドを、シュニーはじっと見つめて目を潤ませた。どこか拗ねた顔つきだった。

 どうしたの、と問うと、シュニーはもうっ、と怒ってジェイドに抱きついた。

「どこか行っちゃだめ!」

「……うん? 一緒にいるってば」

「二ヶ月しても行っちゃだめ!」

 たぶんそれが、はじめての、シュニーが言った我侭だった。二年、ずっと我慢して。ようやく、言ってもいいのだと。甘えて、怒った、言葉だった。それで嫌われはしないのだと。もう、もうっ、とぎゅっと抱きつきながら怒るシュニーに、ジェイドは思わず声をあげて笑った。

 なんで笑うのおおっ、と怒るのさえ、愛しかった。




 年が明けると、ジェイドは十、シュニーは十二になった。針のむしろのような新年の挨拶巡りから解放され、ジェイドはよろよろとシュニーの膝に倒れ込んだ。『お屋敷』の中でジェイドが心安らぐのはシュニーの傍だけである。なんで挨拶に行っただけであれこれ嫌味を言われなければいけないのか。

 傍にいられなくて寂しい思いをさせているのなんて、指摘されずとも知っているし、『傍付き』としての知識や経験が圧倒的に欠けているのも自覚している。魔力を無理に封じられていて本当によかった、とジェイドはシュニーに抱きつきながら息を吐いた。苛立ちでうっかり呪いでもしたら、待っているのは独房とシュニーなしの日々である。

 耐えられない。

「……ジェイド? どうしたの? 甘えっこさん?」

「うん。……もうちょっとだけ甘えさせて」

「ジェイド可愛い……! ふふ! いいのよ。私、お姉さんだもの。たくさん甘えてね。ねっ」

 かわいいかわいいっ、とはしゃいだ声で頭を撫でられると、ようやく気持ちが落ち着いてくる。もそもそ体を起こせば残念がられたので、膝の上に頭を乗せてみる。やわらかい。室内の世話役たちからは、それだからたくさん怒られたり嫌味言われたりするんですよ、と呆れ半分のやさしい目を向けられたが、気が付かないふりをする。

 シュニーは大はしゃぎでジェイドを撫でたり抱きしめたりして、満足したのだろう。しびれないうちに、と身を起こしても、もう残念がる目は向けられなかった。

「ジェイド、どこへご挨拶に行っていたの? 今日は誰にいじめられたの?」

「……色んな所に挨拶に行って、どこでも誰にでもいじめられた」

 だからなんでそこで、そんなことないよって言えないんですかあぁあっ、と潜めた声で世話役に叫ばれ、ジェイドは目を固く閉じ、耳を両手で塞いだ。こういう受け答えが『傍付き』たちの反感を買っているらしいが、一々誤魔化すのも、嘘をつくのも不誠実だ、とジェイドは思う。

 とにかく『花嫁』に心配をかけるな、という方針らしいのだが。世話役たちのお小言がひと段落した所で、耳から手を外したジェイドが見たのは、寝台の上でぷんぷん怒りながらなにかを探すシュニーの姿だった。なに探してるの、と問えば、ちょうど見つけた所だったらしい。

 えらく自慢げな顔をして振り返ったシュニーの手には、うつくしい毬が持たれている。

「安心して、ジェイド。私が、えい! ってしておくからね!」

「……投げるの?」

「あのね。おなかをねらうの」

 自信満々、やる気に満ちているシュニーに、世話役たちは言葉もなく頭を抱えてしゃがみこんでいる。駄目って言ってるじゃないですか、と呻く世話役たちのお叱りを、シュニーは聞こえないふりで受け流した。だんだん当たるようになってきたんだからっ、と自慢いっぱいの言葉に、ジェイドは笑って寝台から立ち上がった。

「じゃあ、投げる練習でもしに行こうか。晴れてるから庭に行こう。見てあげる」

「まかせて……!」

 奨励すんなあぁあああっ、と『花嫁』の近くにある世話役にあるまじき怒号が、室内から流れて廊下まで響き渡る。そっくりな仕草でささっと両耳を手で押さえ、聞こえなかったことにしたふたりは。視線を交わし合って、くすくす、と笑った。




 シュニーとジェイドが出歩くと、『お屋敷』のそこかしこから悪夢めいた呻きが向けられる。ひっと息を飲み、ちょ、え、まっ、なん、えぇ、など言葉にならない声ばかりが響き、人々が次々と頭を抱えてしゃがみこむ光景は見慣れた者だ。誰か責任者呼んで来い、と声が響き、彼方へ走り去っていく足音も同様に。

 まあ今日はなにかと忙しそうだったから、到着まで一時間はかかるだろうな、と目算をつけて。ジェイドは手を繋ぎながら、よろよろ、一歩、一歩、ふらつきながらも、確かめるように歩いているシュニーの顔色を確認した。蒼褪めていたら抱き上げる。赤くなりすぎて、熱を出しそうなら同様に。

 咳をしていたら立ち止まる。休憩して落ち着かなければ、部屋に戻る。それはシュニーとジェイドがふたりで決めた約束である。無理をしない。我慢してまでは、しない。ジェイドが駄目だと思ったら、言うことを聞く。今日のシュニーは息切れをしているだけで、体調は落ち着いているように見えた。

 立ち止まって休憩しても咳き込むことはなく、荒れた呼吸もだんだんと落ち着いていく。

「……ジェイド」

「うん?」

「しゅに、あるくの、じょうず……なった、でしょう?」

 疲れていたり、恐らく、意識がそこまで届かない時。私、ではなく、己の名で囁いてくるシュニーに、ジェイドは心からの笑顔で頷いた。

「上手になってるよ。すごいな、シュニー。……ゆっくり行こうな」

 今日の目標は、とりあえず、小言を言う誰かに見つかる前に中庭へ辿りつくことである。手毬を投げるのは室内でもできなくはないからだ。はにかんだ笑みを浮かべて頷いたシュニーは、ジェイドの手を大切そうに繋ぎなおして、またゆっくりと一歩を踏み出した。

 歩く、という動作のやり方を。考えながら、確かめながら、シュニーは歩いていく。並んで歩きたい、という望みをかなえてやりたくて、ジェイドはいつも手を繋ぐ。ゆるく引いて、ゆっくり、隣に立って歩いていく。シュニーがそう言い足したのは、ジェイドが『学園』から戻ってすぐのことだった。

 追いかけたかったのだ、とすぐに分かった。離れていくジェイドを、シュニーは寝台の上で手を伸ばすことしかできなかった。歩くことは、『花嫁』の教育に含まれていないことをジェイドも知っている。だからこそ。追いかけていきたくて。どうしても立って、歩いていきたい、と思ったその気持ちに。もう、駄目だとは言えなかった。

 階段だけはジェイドが抱き上げて、ようやく、先に中庭が見えた頃だった。

「ああぁああ!」

 ふわふわの。蜂蜜めいた甘い声が、廊下の空気をやわやわと揺らす。

「しゆーちゃん!」

 はっとして振り返った、階段の踊り場に。一人の男と幼い『花嫁』がいた。『花嫁』は当然の顔をして男の上に抱き上げられており、なにやら興奮した様子でシュニーを見て、ちたちたぱたたと身動きをしている。落ち着かせる為に背を撫でながら、男はゆっくりと階段を下りてきた。

「シュニーさま、でしょう。ミード」

「らヴぇ? みぃは、ちゃぁんと! しゆーちゃん、て言ったでしょう? しゅーちゃ……んん……? しゅ、ゆー、ちゃ? ……しゆーちゃん!」

「ミード。遊び終わったら、今日は発音練習をしましょうね」

 その言葉は、『花嫁』にとってあまりに衝撃的であったらしい。みるみるうちに金色の瞳には涙が浮かび上がり、いやぁ、と弱々しい声で『花嫁』は『傍付き』に抱きついた。

「らヴぇがいじわるを言う……。みーどはちゃぁんと、しゆーちゃんをしゆーちゃんて言ったもの……」

「ミード。しゆー、じゃないでしょう? シュニーさま、ですよ。シュ、ニー」

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