あなたが赤い糸:03

 妖精とソキは、たくさんの話をした。『お屋敷』に留まることになったソキは、殆ど外出をしなかったから、その代わりのようにずっとなにかを話していた。例えば、魔術師のこと。この世界の歴史。魔術師がどうして世界を砕いたのか。『学園』での生活。休みの日に行くなないろ小道。妖精たちの花園。王宮魔術師たち。どういう風に星降まで旅をしていくのか。

 言葉はとりとめもなく、道筋もなかった。その時にふっとソキが疑問になったことを妖精は答え、ころころと話題は転がって行き、そして尽きることがなかった。話をするたび、好奇心にきらめくソキの瞳はうつくしく、愛らしかった。外の世界への想像を巡らせ、希望をいっぱい抱いて煌めいていた。あれこれと的外れな返事をされることすら楽しかった。

 ソキにしか分からない妖精との会話を、相変わらずロゼアは歓迎する様子がなかった。それでいて、積極的に止めることもしなかった。ソキがあまりに楽しそうに、一々ロゼアに報告するからだろう。あのねあのね、ろぜあちゃん。魔術師さんはね、おそとはね、こんなふうなの。それでね、ソキもね、きっとそういう風になるんですよ。でもね、帰ってくるの。帰ってくるんですよ。

 夏至の日を半月後に迎える頃になると、ロゼアはソキを膝に抱き上げ、あるいはその傍らに腰を下ろして、半分だけの会話を聞くようになった。妖精の言葉はその耳に届かないであろうに、時折、妙に分かった風に相槌が打たれるのが不思議で、くすぐったい気持ちにもなる。その頃になると時折、ソキは砂漠の王宮へ呼ばれるようになった。妖精と共に。

 当たり前の顔をしてロゼアはそこへついて行ったが、王宮魔術師や王に咎められても、がんとしてソキの傍を離れることがなかった。不安な様子を理解したのだろう。まあ、いいよ、あんまりここで話したことは覚えないようにしてな、とため息がひとつ。いつもそういう風に告げて、王宮魔術師たちはソキのことを調べた。その魔力を、安定を。そして魔術師としての適性を。

 通常ならば数時間で済む適性の検査が、数回に分かってじわじわと進められたのは、ソキ本人の集中と体力のせいだった。魔術師としてのそれを明らかにするのは、本当に大事なことだ、と繰り返し説かれても、ソキはそれを中々受け入れなかったのだ。なにか大事な秘密であるように。やです、教えたくないです、とくちびるを尖らせて。ロゼアにひっついて離れなかった日もあった。

 じゃあ、今日はひとつだけ。このひとつだけやったら、帰ってもいいよ。残りはまた今度ね。説得はゆっくりと繰り返され、それでいて、頷くまでは帰れもしない強制があった。ひとつ、ひとつ、もうひとつ。ソキのつたない歩みのように調査は進められ、とうとう、ソキの適性が明らかになったのは、夏至の日当日のことだった。

 予知魔術師、というのだという。判明した瞬間に頭を抱えて倒れ込んだ王宮魔術師たちと、うわぁ、と言ったきり声を発しない砂漠の王をきょときょと見比べて、ソキはちょこりと首を傾げ、青ざめた妖精に問いかけた。

「ねえねえ、妖精さん。よちまじちしさんは、つよぉーいの?」

『……予知魔術師ね、予知、魔術師。……そうね。そう、ね。ああ……そうね……』

 強いとか弱いとかそういう問題を突破した、災害並みの危険そのものである魔術師だ。当然、大騒ぎになった。今からやっぱり入学させないといけないのでは、手違いが手違いだったのでは、と騒ぐ王宮魔術師たちに、ロゼアは今にも『お屋敷』に駆け戻りそうな顔でソキを抱き上げたまま、周囲を睨みつけ。砂漠の王はしばらくの沈黙の後に呻き、確認するから待っていろ、とだけ言った。

 結果は、やはり招集が誤報であるのだという。ただし予知魔術師をそのままにしておくのはあまりの危険が伴う。よって案内妖精はひと月に一度、ソキに会いに行く義務を課せられた。その成長を観察し、異変あればすぐ知らせるようにと。砂漠の王宮魔術師たちにも日課としてそれが課せられ、だったら入学させてください、といくつもの悲鳴を響かせた。

 入学できない理由がある、と明かされたのはその時のことだった。希少中の希少適正である筈の予知魔術師が、今現在『学園』に在籍しているというのだ。思い出した顔で頭を抱えて叫び呻く王宮魔術師に、ソキは怯えた顔をしてロゼアにひっついた。曰く。ソキと違って魔力の状態が不安定であるので、いつなにが起こるか分からない為、二人を同時に同じ場所へ置くことができない。

 不幸中の幸いとして、ソキは魔力の安定が桁外れである。だからこそ、こちらの世界ですこし様子を見て欲しい。最低、あと三年。伸びたとしても、四年か、五年。ソキにはこちらの世界に居てもらわないとならないのだ、と。書面にて申し訳なく告げた星降の王は、ソキの魔術師適正や安定を得ることを知っていたかのよう、それを定められた予定、として通達した。

 五年経過すれば、ソキは成人となる十五である。ぽつりと呟いたソキがその事実になにを思っていたのか、妖精は知らない。けれども周囲の混乱をよそに、ソキはその通達をあっさりと受け入れた。長くても、十五になるまで。ソキはずぅっとロゼアちゃんといます。『旅行』には行かないです。魔術師だから、結婚もできなくなるです。それでもいいです。ロゼアちゃんと一緒にいます。

 砂漠の王は深いため息と共に、ソキの言葉に頷いた。『学園』に招かれない理由が純粋なる魔術師都合だと判明した以上は、ソキは被害者ですらある。魔力の安定や、その他の事情も踏まえて、必要であれば砂漠の王宮魔術師と共に過ごすこと。そうでなければ、その日まで。『お屋敷』にいて良い、と告げられた王の言葉に、ソキは大はしゃぎでロゼアに抱き着いた。

 どこにもいかない。あと五年は。誰かに嫁ぐことはない。この先もずっと。魔術師になっても、帰ってくる。これから先、いつか来る日。その後も、ずっと。たどたどしいソキの言葉に、ロゼアはふと気が緩んだように笑って、己の『花嫁』を抱きしめた。それを見届けて、妖精はいったん、花園へ帰ることにした。長くとも今日までの不在の予定で出てきたのだ。やりたいこともあった。

 ソキは当たり前のように不満の声をあげたが、月に一度は会う義務ができていた。また来月ね、と口にすれば寂しそうな顔をしてこくりと頷き、たくさんおとまりしてくださいね、たくさんですよ、と言って妖精を見送った。別れ際、こっそりと。あの絵がね、きっともうすこしで完成する気がしています。そうしたらまた、一緒に見てね。そう、妖精の耳に囁いて。

 一月を、妖精はいそがしく過ごした。まず星降の王の元へ飛び、真実を問いただし話を聞いた。ソキが予知魔術師であることは、早い段階で、王には分かっていることだったのだという。だからこそ『学園』にいるもう一人との危険を踏まえ、入学許可証は発行しても、その日までしまっておく予定であったのだと。それがなぜ妖精を呼び、迎えへ行かせることになったのかは。分からないのだと。

 正式な手順を踏めば、妖精は王に呼ばれて案内妖精の指名を受ける。必要なだけの説明を受け、準備を整え、迎えに旅立つのだ。妖精は確かに、その手順を踏んでいた。王から直に、案内妖精であると告げられて入学許可証を渡されていたのだ。それなのになぜ、という疑問はすぐに解消された。なんでもその日、熱で朦朧としていたのだという。

 妖精は頭を抱えて、そうですか、とだけ言った。それ以外はどんな言葉も出てこなかった。記憶を探れば確かに、その日の王はぼんやりしていた気がするが、そう頻繁に会う存在でもないし、妖精も緊張していたのだ。また、案内妖精の指名と情報の受け渡しはふたりきりで行われるものであるから、普段を知る者の目や疑問もそこに入ってくることはなかった。

 体調不良の時は安静にしていること、と言い聞かせて、妖精は『学園』へ飛んだ。件の予知魔術師に心当たりがあったせいだ。なにせ、その存在を『学園』まで導いた本人である。不安定だ、と言われてしまうのに納得するくらい。少女は安定していなかった。十三になった筈の少女は、もう『学園』に招かれて五年は経過しているであろうに、見て分かるほど精神も、魔力も安定していない。

 妖精が迎えに行った時、その少女はソキよりも幼かった。それなのに両親にばけものと罵られ、たったひとりで泣いていた。助ける者もなく。保護する者もなく。妖精はその手を引いて、すぐ王宮に助けを求めた。その時も大騒ぎになった、と妖精は思い出す。少女はなんでも、王の落胤か、それに近い存在であったらしい。

 一時は王宮に保護されていたのに、ある時、連れ去られてしまって行方が分からず終いになっていたのだと。星降の王は祈るように、妖精へ入学許可証を託した。見つけて、どうか、連れてきて、と願われたのは、そういう意味であったのだ。優しい願いがようやく届き、それでも、恐らく、手遅れだったのだ。幼子の心は、もうぐしゃぐしゃになっていた。

 自分より体の大きい者たち全てに怯えて、びくびくしながら毎日過ごしているのだという。一年経っても、二年が過ぎても。五年以上、時が流れても。そこに居ることは慣れた。それだけで、安心する場所を見つけ出せてはいない。救いになるかも知れないのは、今年入学した新入生のふたりが、そんな少女に興味を抱いている点だった。

 ふたりは代わる代わる少女に話しかけては、すこしづつ、交流を深めているのだという。それを確認して、妖精は『学園』を離れた。あの日助けた少女の行く末が気にならないことはなかったが、年若い青年と女性に連れられ、なにか話して、すこしだけ笑う横顔は、大丈夫だろうと思わせた。あと三年、長くて五年。それくらいかければ、きっと、あの存在も落ち着くだろう。

 日々は過ぎていく。ソキからの手紙で一月経過していたことを思い出し、妖精は慌てて砂漠へ飛んだ。王宮魔術師たちは口々に状態の安定を告げ、妖精もその目で確認し、ほっと胸を撫でおろす。おひるねの寝台でふたりきりになったとたん、声を潜め、ソキはみてみて、と妖精にスケッチブックを差し出した。そこに描いた魔術師の水器が、完成したのだと。

 もうすこしだけ調整したいですけど、でもこういう形なんですよ。誇らしげに告げたソキの描いた水器は、あいらしく、ちいさく、うつくしかった。来月に妖精さんが来る時には、今度こそもう終わっているです。だからね、あのね、ソキと一緒におまつりを見に行きませんか。ソキはもじもじしながら妖精を誘い、八月になるとね、と言った。

「おそとでね、星祭り、というのがね、あるです。妖精さんとご一緒したいなって思っているです……!」

 ねえ、ねえ、いいでしょう。おねがい、と。きらきら甘く輝いて見つめてくる瞳に、妖精は笑って頷いた。一月後。また、次に会いに来た時に。一緒に行きましょうね、と告げると、ソキはきゃぁっとしあわせそうに声をあげ、楽しみにしているです、と笑った。

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