暁闇に星ふたつ:84


 たしかに、それは同一だ。妖精のものだ。それでいて、微妙な、差異とも呼べない違和感がある。鏡合わせの、重ねたわずかな歪みのように。なにかが異なっていた。同一であるのは間違いない。同じ土、同じ水、同じ陽で育った、ひとつの種から芽吹いた、おなじもの。そうであると、分かるのに。過去の、己の懐かしい思い出そのものに、触れている気持ちになる。

 妖精が形を成してからの年月は、そう長いものではない。これが例えば切り離し失われ忘れてしまった己の過去そのものだとしても、存在を変容させる程の時はまだ経過していない筈だった。妖精は花の化身。それが魔術師の、『武器』の形になることはない。それがもし、万一、可能だとしたら。存在そのものを変質させるだけの、呪いが成された結果だった。

 その呪いは。ひとりの魔法使いを風の魔力へと転じさせ、ひとりの魔術師の記憶を失わせ、ひとりの魔術師には絶望じみた執着を刻み込んだ。それは世界を繰り返し、書き換える対価として。希望を決して諦めなかった結果として。その呪いが。

「リボンちゃん?」

 やや拗ねた声にはっとして、妖精は視線をソキへと向けた。もう、なんでソキからちょっと離れた場所にいるですか、とむくれた顔で、ソキがちたぱたと妖精のことを手招いている。傍にいてくれることを疑いもしないで。ソキは妖精を恋しがる。妖精は苦笑して、魔力に用心しながらもソキの傍まで移動してやった。肩に腰かけて、頬を撫でる。

 一緒に行く。どこまでも行く。それが妖精とソキの約束で、誓いだった。

『まあ、使い方が分かってよかったわね。でも、さっきみたいなうかつな真似はしないのよ。返事は?』

「はぁーいー……?」

『なにがうかつなのか分かってないなら返事をするんじゃない……!』

 これは早晩、ふたりになる機会を作って、魔法陣についてを教え込む必要がありそうだった。教員にも説明を委ねるべきではない。それを知っているのなら問題はないが、知らないままなら、そのまま一生を終えた方が魔術師としても幸福だ。本が武器である以上、リトリアが知らないでいるとは思えなかったが、それとなく確認する必要があるだろう。

 確かな意味と組み合わさってこそ、知識は己を守るものとなる。




 そこを定位置と定めてしまったように、シディは天井の梁の影に身を置き、降りてくる素振りを見せなかった。あるいは至近距離に来たら確実に羽根を引っ張り倒すであろう妖精の不機嫌を感じ取ったのかも知れないが、ロゼアに声をかけることもなく、鉱石妖精の瞳はただまっすぐ、己の愛しい子の挙動を見つめている。そこには確かな、張り詰めた緊張があった。

 傍で見ていても、そう嫌なものは感じ取れないのだが。花妖精と鉱石妖精の意見には、やや食い違いがある。危機が迫った時にシディが優先するのがロゼア、妖精がそうするのがソキであるというのも、意見を一致させない理由のひとつなのかも知れなかった。きゃっきゃとはしゃぎながら硝子瓶に具現化した魔力をざらざらと封じ込めるソキを、半分引いた目で眺めながら、妖精は息を吐いて談話室を確認する。

 集まっていた生徒たちは三々五々、それぞれの作業へと戻っていた。穏やかな静寂が満ちる午後だった。ソキの手元には白い本と一緒にアスルが置かれていたが、一時の警戒と比べれば、それは単に習慣めいた行いようにも見える。ふ、と妖精は柔らかな息を吐く。砂漠に行った魔術師たちの調査が進み、実を結べば、ソキの感じた不穏なものへも届く筈だった。

 もうすこしの時だけが、そこへ辿りつかせてくれる。

「あ、いたいた! ソキちゃん、ロゼアくん。こんにちは!」

 談話室の入り口から小走りにやってきたのは、砂漠の王宮魔術師ラティである。ソキはまずその騎士めいた服装に目をぱちくりさせたのち、腰に帯びた長剣に、ロゼアにぴとりとくっつきなおした。

「……なにかあったです?」

「ラティさん。なにか?」

「え? えっと……あ、ごめん! もしかして、これ怖い? ご、ごめんね大丈夫! 抜かないし切らないし刺さないから……!」

 具体的に上げていくのを心底やめて欲しがる、迷惑そうな眼差しでロゼアがさっとソキの耳を塞いだ。ロゼアと意見の一致をみるという点に苦虫を噛んだ表情になりながら、妖精はソキとラティの顔の間にひらりと舞い降りた。腰に手を当てて、王宮魔術師を睨みつける。

『なぁに、アンタ。なんの用? やましいことがないならアタシにまず言ってみなさいって言ってるのよほらほらなんなのよ』

「えぇえええソキちゃんの難攻不落度があがってる……! え、えーっと、あの、ちょっと貢ぎ物を……貢ぎ物っていうか、貰って欲しいものがあるから持ってきたんだけど、あげてもいい? あ、ちゃんと陛下の許可は頂いてきたから、安心してね?」

『ろくでもない用事だった』

 アンタたち王宮魔術師までソキをよってたかって甘やかすからこういうことになるのよ分かってるの反省しなさいと舌打ちと共に一息で告げて、妖精はひらりと舞い上がり、ソキの頭の上に腹ばいで乗っかった。やぁん、とソキがむずがる声を出すが、ぽんぽんと頭を撫でてやると、すぐ落ち着いてしまった。

 ため息をつく妖精に代わり、ラティに問いかけたのはロゼアである。陛下から許可を頂いたと聞こえましたが、という言葉の裏にはまさか俺に無断でソキになにかを貢ぐなんてことなさいませんよね、という意思が隠れもなく滲んでいた為、ラティはささっと居住まいを正し、ソキの前に片膝をついて一礼する。完璧に騎士の仕草だった。

「こちらを」

「拝見します」

 ラティが布に包まれたそれを差し出したのはロゼアだった。当然とばかり受け取ったのもロゼアである。ソキは待っているのに飽きたのか、頭の上にぺたぺた手を押し当て、ねえねえリボンちゃんねえねえ、と話しかけてくる。いいから目の前のことに五分は集中しなさい、と頭の上から半ば叱っていると、きょろきょろ気を散らしたソキの視線が、ロゼアの手に向いた。

「ロゼアちゃん? それなぁに? ラティさん、ソキになにをくれたの?」

「……申し訳ありませんが、これはちょっと」

 ソキの視線に入らないようさっと布でくるみなおされたそれを、妖精はしっかり確認していた。

『剣よ。……と言っても、短剣とも呼べないようなちいさいものだけど。手紙の封切るのに使うくらいのものかしら? いいじゃないの、やったって。このド過保護が』

「リボンさん。ソキは刃物を扱ったことがありません」

 きっぱりとした物言いは、これからも扱わせる気がない、ということを示していた。確かに、ソキの手に刃物というのは、想像しただけでも危なっかしいばかりである。けれども、知らなければ危険を避けることさえできないのだ。妖精はぱっと飛び立ち、ロゼアの目の高さで、怒りの滲む睨みを向けた。

『これくらいのものなら、いいじゃないの。扱い方を教えるのも大事なことよ』

「ちいさくとも、刃物は刃物でしょう」

「わぁ……私これ、見たことある……。リトリアちゃんの教育方針で対立するストルとツフィアだ……」

 刺激してしまわないようにそろそろとロゼアから包みを受け取ったラティに、ソキの好奇心いっぱいの視線が向けられる。じー、じぃいーっと見つめられて、ラティは苦笑しながらそーっと囁く。

「……見るだけね?」

「はーい!」

 ロゼアがソキの腰をしっかりと抱いているので、離れてこっそり見せるのは不可能だった。ラティは持ち帰りかな、と内心息を吐きながらも布を取り、祝福の具現、細くしなやかな剣を、ソキの視界へと差し出した。わぁっ、と華やかな声があがる。うっとりとした眼差しに、ラティは思わず息を止めた。滑らかに輝く碧玉のうつくしさ。赤らんだ頬と、そわそわと組み替えられる指先の、いとけない愛らしさ。

 半ば操られるように、ラティはその剣をソキに差し出していた。

「……ほしい?」

「うん! ロゼアちゃん、ロゼアちゃん! ソキ、これ、欲しいです。ねえねえ、いいでしょう? いいでしょう? ロゼアちゃん、ソキ、これ、大事にするですねえねえ、ねえ、ねえ? ほら、ほら、見てくださいです。きらきらしてるですうぅ……! ラティさん、これ、なにに使うの? どうやって使うの? これをソキにくれるです? これ、ソキの? ねえねえロゼアちゃん? これ、ソキの?」

「……うん。ソキのだよ。ソキのだ……」

 なんてことをしてくれたんだ、と遠い世界を眺めたがるロゼアの眼差しが語っている。今にも勝訴、と訴えそうな顔つきで髪をかき上げ、妖精はソキの顔の横へと移動した。

『よかったわね、ソキ。慎重に大事になさい。慎重に。……そんなに気に入ったの?』

「うん! あのね、あの、これ、ラティさんの魔力です? きらきらしてるの! きらきらで、ふわふわで、きゃぁあんなの。しあわせがいっぱい詰まってるの。嬉しくってね、それでね、きゃあぁんなの! ラティさん、いいの? ソキにくれるの?」

 胸の中の幸せを、腕いっぱいに抱きしめて。それを差し出されているのだと。喜びにはしゃぎながら問うソキに、ラティは鼻をつんとさせながら、言葉なく頷いた。祝福だと、ソキは分かってくれているのだ。これがラティの祝福であるということを。祈り。尊いもの。喜び。胸に抱いた希望の形。幸せであれ、と祈る意思。その具現であるのだと。

 ソキの説明はつたなくとも、ただの剣でないことは分かったのだろう。ロゼアが詳細を問おうと、口を開いた瞬間だった。

「ロゼアクン」

 呼び声が、した。

「……ああ、ちょうどよかった。二人でいたんだね」

「あれ? フィオーレ」

「ラティまで。……ん、まあ、いいや。久しぶり、ロゼア。ちょっと用事があるんだけど」

 俺と一緒に来てくれないかな、と笑う。砂漠の白魔法使い、フィオーレが。談話室の入り口に立って、ロゼアのことを手招いていた。

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