ひとりの。別々の夜。 38
ロゼアの人差し指と中指を、きゅむりと握る。くちびるを尖らせ、脚をふらふらさせながら、ソキは不満げにぱしぱし瞬きをした。
「ソキはとってもふかぁくはんせーしてるです……。はんせーしているですので、ごめんなさいをするのもやぶさかではないです……ラティさんは許してくれたです。フィオーレさんも、だから、きっと、許してくれるに違いないです。……んん、フィオーレさん、おててを貸してくださいです」
ロゼアの手を離して、ソキはフィオーレに向かって両手を差し出した。あ、わーい俺にもやってくれるの、と弾んだ声でフィオーレは右手を差し出してくる。その手を両手で包み込み、ソキは目をうるませてフィオーレを見つめた。
「フィオーレさん、ごめんなさい……。許してくれなくっちゃ嫌ですよ……」
「……ちょ……ろ、ろぜ、ろぜあ、ロゼアさん……! ちょあああああああこれぎゅってしたり!」
「ソキ。もういいだろ? 手を離そうな」
はぁーい、とほわほわした声で返事をして、ソキはぱっとばかりフィオーレから両手を離した。うわぁああああっ、と裏返った声で叫びながら、フィオーレがその場に蹲る。
耳をうっすら赤く染める白魔法使いをロゼアだけが部屋の隅にある綿埃を見つめる冷たい目で眺めていたが、ソキにことごとく沈められた砂漠の魔術師たちは、たいそうフィオーレに同情的だった。
分かる分かる、とソキに握られた手を胸元に引き寄せて息を吐きながら、歩み寄ったラティが爪先で青年の脇腹を蹴る。
「もうなんかすごい抱きしめたい気がするよね……。……あの、一日だけでも借りられたり」
「しません」
「お金なら払うからあぁあっ……! 分かった! 私もうほんとすごいよく分かった! 正直いままでなんで『花嫁』ちゃんとか『花婿』くんが、国外に旅行にお呼ばれしてものすごい貢物と一緒に帰ってくるのちょっと意味が分からないっていうか、ええぇええええ数日なのにこれいいの? こんなにいいの? ってくらいもらってくる理由というか意味が分かった……! お金払うから来てください……! 望むだけあげるからあぁあっ!」
ちくしょう国外の豪族に生まれたかったっ、金銭をよこせ山のようにだっ、とやや正気を取り戻せていない魔術師たちの叫びが室内にこだまするのに、その主たる王からは白んだ視線だけが向けられている。
「おい、ソキ。俺は全員に謝れとは言ったが、全員をおかしくしろとは言わなかったな?」
「えへん。ソキは気合いを入れてごめんなさいをしたです」
「よーしよーし俺は褒めてないからな……?」
腕組みをしてクッションの巣に背を預け、砂漠の王は深々と溜息をついた。ソキとロゼアが現れたのは、つい三十分も前のことだ。
とりあえず行き来できるようになったから前回の面談の後、具体的にどういう経緯で楽音預かりになり、そこからどうして無理に『学園』へ戻ったのかを説明ついでに顔を見せにこい、と言ったのは確かに砂漠の王そのひとであるのだが。
呼んだのはソキだけである。一人だけである。なぜロゼアもくっついてくるのか。なんでお前まで来たんだよ、と頭が痛そうに問いかけた王に対して、ロゼアはとても丁寧な響きでこう告げた。
『なにを仰っておいででしょうか、我らが砂漠の尊き王よ。ソキがまた一人で戻れなくなったらどうされるおつもりで?』
石畳を蠢く毒虫を見る目だった。ほんとコイツ分かってねぇなとでも言いたげな目だった。
ロゼアの師、チェチェリアを筆頭に、その時『学園』にいた王宮魔術師連名で、各国の王あてに出された文書を思い出さざるを得ない、乾き切った冷たい目だった。
『ロゼアが限界なのでしばらくはソキを与えて大人しくさせておいてください。大丈夫です、ソキさえ与えておけばロゼアは無害です。ソキさえ与えておけば。帰って来てくれて! ほんと! ありがとう! ほんと! もういいそれだけでいい後始末は私たちに任せなさいなんとかする』
『お願いですからなにか用事がある時は同行を認めてあげてください。ロゼアの』
『いいですか問題はソキちゃんがひとりで頑張れるか否かではありません。ロゼアくんです。ロゼアくんなのです。いいですか! 相手は太陽の黒魔術師ですよ! しかも未熟なんですよおおおおおおお追い詰め駄目絶対! こわい! やだぁあああこわいいいいい!』
お前たちはたったの四日五日でどんな恐怖体験をさせられてきたんだ、と王たちがそろってぬるい目をした陳述集、こと、ソキちゃんの単独行動をしばらくは控えめにしてあげてくださいお願いします嘆願書の内容は、どれもこれもがそんな叫びで満ちていた。
砂漠の王はソキを腕に抱きあげたまま、音もなく歩み寄りしゃがみこんだロゼアの気配に、いつの間にか閉じていた瞼を持ち上げ、鈍く視線を向けて睨みつける。
「なんだよ」
「陛下に、なんだよ、をされたです……。陛下? ソキはぁ、ちゃぁんと陛下にもごめんなさいができるんですよ?」
はい、おててを貸してくださいね、とにこにこ差し出されたソキの両手に指先を預けてやったのは、ちょっとした好奇心だった。
未だに部屋のあちこちに座りこみ、お金さえあればだの、陛下『砂漠の花嫁』一時間貸し出しとか『お屋敷』にお願いしてみてくださいだの、うわあぁああぎゅってしたいいい、だの呻く魔術師たちが受けた衝撃がどれくらいか、知ってみたかったのだった。
微妙に嫌そうな顔をしているロゼアの膝にちょこっと腰かけたまま、ソキは砂漠の王の手を大切そうに包み込んだ。やわやわとした指の、しっとりとした肌だった。
「陛下。ソキはとっても反省しているです」
「……おう」
あまい声が、体の芯をくすぐって行く。指先がすこしだけ、王の手を撫でた。
「陛下……?」
じぃ、と下から瞳が覗き込む。うるみ、不安げに揺れる、とろりとした色の。
「許してくれなくっちゃ……やです」
ねえ、ねえ。いいでしょう、とすこし拗ねて尖ったくちびるから、零れる声はほんのすこし艶やかに響いた。ねえ、と囁き、首が傾げられる。とうめいな首筋の肌を滑る髪は、金糸のように乾いていた。
「ソキ」
ぱし、と意識を叩き払うように。まっすぐ響く声が、王の意識を正気へ突き飛ばした。
「ソキ、ソキ。もういいよ」
「……陛下、ソキのごめんなさい、わかったぁ? ……分かったです?」
くちびるを尖らせ、頬をぷっと膨らませてロゼアに問いかけ。それから、砂漠の王に目を向けて、ソキはちょこりと首を傾げてみせた。その手はいつの間にか、王の指から離れている。それなのに。触れた感触が、肌に染み込むように残っていた。
これを。己のものとするならば。差し出せるものは全てと思わせる。己の咎なくその座から去った、『最優』の『砂漠の花嫁』。指を握りこむようにして、王は深く息を吐きだした。
「……分かった」
はー、と深く、長く、もう一度息を吐き出して。王は手をひらいてふらふらと振り、感触を何処へと逃しながら、立ち直る気配のない魔術師たちを見つめた。
「これはマズいな……」
「う、うぅ……。ロゼアくん……いくら払えばソキちゃんをおひざ抱っことかさせてくれるの……?」
「ソキ、ロゼアちゃん以外の抱っこは! ぜぇえったい! いや! です!」
ぺっかあぁあっ、とばかり輝く笑みで言い切られて、復活しかけていた魔術師の数名が、再び床に沈んだ。そして動かなくなった。溜息をつきながら指先をふり、砂漠の王は窓の外を眺める。溜息しかでなかった。
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