幕間:ロゼアちゃんといっしょ 前


 赤くはれぼったい瞼をのたのた動かして、ソキはぶううううっと頬を膨らませた。

「やぁあああげほっ! ろぜあちゃやぁああめぇっ……けふ。けふ、けふ。けふんっ。……や、ぁ、うーっ」

「ソキ」

 ソキの外出用の靴を箱にいれ、それをロゼアしか手の届かない棚の上にことんと置いて、青年が振り返る。寝台の上で両手を口にあて、けふけふこふんと咳を繰り返すソキに、小走りに寄り、すぐさま両腕が伸ばされた。

 ひょい、とばかり抱きあげられ、ぎゅっと抱きしめられて背が撫でられる。ソキ、ソキ、と幾度も呼ばれてゆらゆらと体を揺らされても、ソキの癇癪は収まらなかった。ばしばしとロゼアの腕を叩いて、やんやん、と抗議する。

「めぅちゃ、けふっ。の、くつ……! ソキの、ソキのぉっ……!」

「うん。そうだな、ソキのだな。元気になったら外へ行こうな、ソキ」

「……ふやあぁあぅ……ロゼアちゃんいじわるぅ……! ……けふふ」

 ばしばし叩いたあたりをよいしょよいしょと撫でながら、ソキはうるうるの目でロゼアをみあげ、くちびるを尖らせた。

「ロゼアちゃん?」

「うん。どうしたんだ? ソキ」

「けふ、こふ……けふふん。うゆぅ……ロゼアちゃん、だっこ」

 膝の上、改めて両腕を持ち上げてだっこしてぎゅってしてっ、と求めてくるソキに、ロゼアは心からほっとしたように、ほわりとした笑みを浮かべて頷いた。腰と背にぐるりと回された腕が、ソキの体をロゼアにぴたりとくっつける。

 ソキ、そき、と耳元で囁かれる声がくすぐったくて、ソキはふにゃふにゃとした声できゃぁーっと笑う。

「ろぜあちゃぁーっ……! んっ……け、ふ。こふっ……? ……うぅ?」

 ところで。なんで朝から治まらないのか、ソキにはちっとも分からないのである。

 だいたい、昨日はストルの所でろぜあちゃんナシの可能性に打ちひしがれ切って寝落ちしていた筈なのに、気が付いたら夜で、ロゼアの腕の中でぎゅぅされていたのだった。

 あんまり眠たくて、ソキはまたすぐに眠ってしまったのだけれど。ぎゅっと抱きしめる腕が離れることは、なかった。んんー、とむずがってのたのた瞬きをして、ソキはけふん、とするくちびるに指先を押し当てた。

「ロゼアちゃん。ソキ、お咳がで……こふ。でる、です」

「うん。……うん、ソキ。ソキ」

 ロゼアの指先が、はれぼったいソキの瞼をそっと撫でて行く。ソキはなんだか重たく痛む頭をふらふらと動かしながら、やあぁぅ、とくちびるを尖らせてむずがった。ソキはちゃんと昨日も、泣くのをがまんした筈なのだ。

 いっしょうけんめい、がまんしたはず、なのだ。まさか眠っている間に、体をぎゅうぎゅうにまるくしてろぜあちゃんろぜあちゃぁ、と泣いて泣いて一晩泣いて、朝方になってようやく落ち着いただなんてことを、ソキが自覚している訳もない。

 真夜中に一度だけ目が覚めたのは、普段より強く抱き寄せたロゼアの腕に、意識がほんのわずか違和を感じたからで。

 でもそれも、疲れ切ってくたくたで、また眠ってはえくえくと泣き続けたソキには、もう思い至れない、ほんの些細なことだった。一晩。泣き続けたソキの瞼は、のたのた、まばたきするのもおっくうで。

 痛いような、熱っぽいような、かゆいような気持ちで、ソキはくしくしくし、としきりに目をこすった。

「やうー、ソキ、おきる。おきるぅ……!」

「ソキ、ソキ。こすったらだめだ。痛いか? ちょっと冷やそうな。目薬しような、ソキ」

「ロゼアちゃん、これからじゅぎょ、です。ソキちゃんとおきるぅ……! けふ、けふっ……こふ、げふっ」

 両手を口に押し当てて、何度も、何度も咳き込んで。背中を丸めてぜいぜい、と息をしながら、ソキはロゼアの腕の中でくてん、と脱力した。寝たのに。眠ったのに、体中がみしみしして、痛くて、熱くて、気持ち悪い。

「ふぁ……ああぁあああん……」

 幼く。あまりに幼く泣き声を響かせたソキに、ロゼアが全身を緊張させたのすら分からないまま。ソキはちたぱた腕と足を動かして、ロゼアの腕の中で泣いた。

「あぁぅ、えぅ……ええぇん。ちぁ、ちがぁう、もん……! そき、そきちがぁう……! ソキちゃんとできるぅ。ちゃぁんとぉ、できるですぅー……! ふつうの、ふつう、の……」

 おんなのこみたいに。ロゼアのことを好きで好きで、ロゼアも、好きになってくれるかもしれない。ふつうの、おんなのこみたいに。ロゼアに告白できる、おんなのこみたいに。ソキだってちゃんと。でも。

「けふ。……っ、けふ、けふけふっ、こふ、う、うー……えぅー……」

 全身の痛みが。絡みつく熱が。引きつり、乾き切った喉が。『花嫁』として整えられ終わった、完成されてしまった、弱く甘く脆いばかりの体が。許されないよと告げるように。ソキにそれを上手にさせてはくれないのだ。

 くにゃり、力なくロゼアの腕の中に身を預けて、ソキはぐずぐずと鼻をすすりあげた。

「ろぜあちゃ、ろぜあちゃん……ごめんなさいです。ごめんなさいです……」

「ソキ、そき。謝ることないだろ。どうしたんだよ……」

「ソキ、がんばってるです。ほんとですよ、ほんと……こふ。けふ、けふぅっ……!」

 でも。なんにも、ちょっとも、うまく行かない。普通にすることも、ロゼアをしあわせにしたいことも、ロゼアを離さなきゃいけないことも、普通のおんなのこみたいにすることも。魔術師のたまごとしての勉強もそうだった。

 座学には中々参加できないままだし、実技授業も行われないままだ。もう長期休暇が終わって、『学園』が再開して、一週間もたっているのに。

 ソキはまず体力をすこし戻そうな、あと休み前くらいにはまた歩けるようになろうな、と保健医に溜息をつかれてしまったので、ちょろちょろと校内を散歩しては、ロゼアを迎えにいったり、図書館で本を読むくらいしかできないでいる。

 ロゼアを探したい一心で、ほんのちょっと、魔力の具現化が長い時間できるようになったが、それくらいだった。

 自分で読み進める本とは違い、板書きと口頭で進められていく座学の授業の情報量に体力が付いて行かず、試しに顔を出した三十分で、ソキは熱を出した。その熱が引いて体が回復して、昨日またようやく、ちゃんと出歩けるようになったのに。

 ロゼアはソキの靴を手の届かない場所にしまってしまった。あの靴じゃないと、ソキはすぐ足が痛くなって、たくさん歩けないのに。ぐずりながら、ソキは弱々しく息を吸い込んだ。

 体中がみしみしして、きもちわるくて、頭が痛くて、かなしくて。あたまのなかがぐるぐるする。いっぱい眠って、たくさんあるいて、はやく元気になって、もっともっと頑張って。ふつうを。ソキは。がんばるから。だから。

「……ろぜあちゃぁん」

「ソキ? ……ソキ、そーき、なに? どうしたの」

「ソキを、おいてか、ない、で……そきが、ソキがまだいるですのに、どっかいくのやです……やあぁ」

 まだ。

「ソキの、だもん……」

「うん」

「ろぜあちゃん、ソキのだもん……!」

 まだ。ほかのだれともしあわせにならないで。もうちょっとで、ソキはほんとうに、ちゃんと、ふつうに、それを、がんばるから。置いて行かないで。どこにもいかないで。

 けふけふ、咳き込みながら泣きぐずるソキを、ロゼアはうん、と囁いて抱きしめてくれた。ぽん、と撫でる手が眠りを促したので。ソキはだるくて痛い体をロゼアに預け切ったまま、とろとろと熱にとかされるように瞼をおろし。

 ころん、と指先から意識を夢へ落っことした。

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