2:チェチェリア


 ちたぱたふよふよ、空中を漂うようにえっちらおっちら進んで行く赤い柘榴石の蝶を追いかけて、ソキは廊下を歩いて行く。

 ろ、ぜ、あ、ちゃーん。ど、こ、で、す、かー、とふあふあした声で上機嫌に歌いながら、進んで行くソキの足元はおぼつかない。

 ロリエスの講師室を出てからすでに三回ほど転んでいるし、今日はそれでなくとも談話室からお出かけしている為に、ちょっぴり疲れ気味なのだ。やぁんやぁんとむずがりながら、ソキはてちて、て、ち、てち、と蝶だけをみて廊下を行く。

 透き通る鉱石の蝶はソキの風の魔力、その具現である。魔力漏れではない。ソキはロゼアの元へ辿りつく為、意図して出したものだった。

 どうもソキが具現化させる属性持ちの魔力は、全自動でロゼア追尾機能がついているらしい、とその担当教員が首を傾げて告げた為である。

 いつのことだったか。ソキの実技授業の最中、ぽむぽむ音を立てては現れ消えて行く魔力の具現化が、なんとなく方向性と一定の規則を保って何処へと流れていることに、ウィッシュが気が付いたのだった。

 風が織る柘榴石の蝶も、水が紡ぐ翡翠石の小鳥も、火が宿る黒曜石の蝶も、地が成す黄玉石の、ちいさなハリネズミも。どれもなんとなく、どこかへもちゃもちゃ行こうとするので。

 辿ってみような、と担当教員に促されるまま泳がせた結果、赤い蝶も小鳥も、ロゼアを見つけ出してぴとっとばかりにくっつき、役目を終えたかのようにするりと空気に溶け消えた。

 未だに実験中であるのだが、いまのところ、ソキの魔力の具現化は必ずロゼアの元まで導いてくれるのである。

 ソキは地図が読めないせいで、道順もうまく覚えることができない。入学して数ヶ月が経過するが、『学園』内でも迷ってばかりなので、この特性はとても役立っているのだった。

 不安定でうまく発動できない魔力の安定の助けにもなるとのことで、ソキの担当教員からは日常的に、ちょっとなら魔術を使ってもいいよ、という許可を得ているので、蝶を出すのをためらう理由はひとつもなかった。

 つかれちゃったですぅー、と言いたげにソキの髪に飾りのようにとまり、へちょっとする蝶と一緒に廊下の端にしゃがみこむ。ソキもつかれちゃったですぅー、とぜいぜい息を繰り返しながら見回す場所は、いつも以上に見覚えのない一角だ。

 どうも今日のロゼアは、いつも使用している訓練室とは、また別の場所で授業をしていたらしい。

 いつもの部屋の扉にはぺたりと整備中の紙が掲示されており、その隣にはどこそこにいる、と簡単な地図が描かれたチェチェリアからソキに向けられたお知らせも一緒にくっついていた。

 ちいさく折りたたんだその紙を取り出し、広げて、じーっと見つめ、ソキはぷーっと頬をふくらませて首を傾げる。

「いまどこぉ……? です……? あかちょーちょちゃん、分かるです?」

 風の属性を宿す赤い鉱石の蝶は『あかちょーちょちゃん』で、火の属性が宿る黒曜石の蝶は『くろちょーちょちゃん』である。

 一度に二羽以上ぽむぽむ現れれば区別する為にまた名前があるのだが、一羽だけが具現した時、ソキはそういう風に呼んでいる。ソキの髪からふわりと離れた鉱石の蝶はふよよよよ、と空を漂い、地図の上で困ったように彷徨った。分からないらしい。

 んー、うーん、と右にくてん、左にくてん、と首を傾げて考え、しばし。ソキはすっくと立ち上がり、きゅぅ、と手をにぎりこぶしにした。

「ソキ、ロゼアちゃんとこ帰るですぅー! ……あっ、まちがえちゃったです。ろぜあちゃん、お迎えなんですよ?」

 ねぇー、と首を傾げたソキの眼前で、ねー、とばかり蝶がふよふよちたぱた羽根を動かしていた。




 やぁんやぁあんろぜあちゃんいたぁーっ、とばかりふよんふよんと漂っていた柘榴石の蝶が、ぱきりと音を立てて崩れさる。それは形を成していたものが砂に変わるような、ざらりとした崩れ方だった。

 ソキはととと、とふらつきながらもその部屋の前で足を止め、すこしだけ空いていた扉の間から、そっとそぉっと中を覗き込んだ。室内運動場を思わせる平坦な部屋の、中央より僅かに奥。

 扉に背を向ける形で座りこむロゼアと、その前に立っているチェチェリアがそこにいた。きゃあぁあろぜあちゃんいたぁーっ、とほわほわした声ではしゃぎ、ソキはん、と向けられたチェチェリアの視線に、大慌てでしぃー、ですよっ、と言った。

「チェチェリアせんせ、しー! ないしょ、なぁいしょ、です。こんにちはなんですよ。入っていいです? しぃー。しー、ですよぉ……?」

「うん……?」

 含み笑いをしたチェチェリアは、なぜか扉の方を向こうとしないロゼアに視線を落とし、訳知り顔でゆっくりと頷いた。

 ふあふあ響くソキの声がチェチェリアまで届いているということは、当然、ロゼアにも聞こえているということなのだが、その事実にソキはいまひとつ気が付いていない。

 いいよ、入っておいで、と許可を受けてぱぁっと顔を輝かせ、ソキはててちてちっ、と慌てた足取りでロゼアへと歩み寄る。ロゼアは床に直に座りこみ、なにか道具を片付けているように見えた。

 その背に、どんっ、とぶつかるように抱きつき、きゃああぁあっ、とソキははしゃいだ声で笑う。

「ろぜあちゃんろぜあちゃぁーっ! ソキがぁ、おむかえにー、きたんですよーぉっ!」

「ソキ」

「びっくりしたぁ? びっくりしたですー? ねえね、ロゼアちゃん、おどろいたですー?」

 うん、とロゼアは嬉しそうに微笑んで頷き、肩にすりすり懐いてくるソキの頭に、頬をぺたりとくっつけた。

「ソキ、ソキ。いつもと場所違うのに、来られたんだな。すごいな」

「えへん。ソキ、あかちょーちょちゃん、と一緒に、がんばったです。ロゼアちゃん、もう終わったです? チェチェリアせんせい、ロゼアちゃん、授業おわったです? ロゼアちゃんかえして? ……あっ、まちがえちゃったです。ロゼアちゃん、もう帰ってもいいです?」

 くて、と首を傾げながら問いかけるソキに、チェチェリアはふるふると笑いを堪えたのち、終わったよ、と囁いてくれた。

 実技授業が終わったロゼアをお迎えに来るソキ、というのは、それが始まってからほぼ毎回見られるものであるので、チェチェリアの対応も慣れたそれである。

 はじめこそ、よくロゼアの実技授業の部屋が分からなくなり、ソキはよく校内で迷子に陥っていたのだが、魔力を具現化し、それを一定時間維持できるようになってからはそれもなくなっている。

 ソキも魔術師として成長はしているのだった。長期休暇が終わってから体調が安定せず、魔力もざわめいていることが多いので、まだ実技授業はされていないだけで。己の魔力、というのをある程度使いこなせるようにはなっているのだ。

「それでね、それでね、ロゼアちゃん。あかちょーちょちゃんはね、ふあふあふあーってするんですけどね、くろちょーちょちゃんはね、きゃあきゃあろぜあちゃん! ってなるです。くろちょーちょちゃんね、火の魔力ですからぁ、ロゼアちゃんすきすきなんですよ? でもね、でもね、ロゼアちゃんがぁ、いちばーんすきなのはソキですよ。ソキですよー? いいですかぁ? ソキですよ?」

「うん。俺も好きだよ、ソキ」

「……ソキ?」

 きゃあきゃあろぜあちゃん、とぴたっとくっついて甘えているソキを手招いて呼ぶ。

 ロゼアに片づけを終わらせたら帰っていい、と告げながら、チェチェリアは不思議そうにてちてち歩いてくるソキの前にしゃがみこみ、そっと響かない声で問いかけた。

「ソキ。私にだけ内緒で教えてくれないか?」

「なぁいしょ? です?」

 さっきロゼアに内緒にしただろう、と微笑むチェチェリアに、ソキがううぅん、と思い悩んだ末、いいですよー、とこくりと頷いた。チェチェリアは微笑んで頷き、てきぱきと片づけを終えるロゼアをちら、と見てから唇を開いた。

「長期休暇の間に、恋人になったんだろう? ロゼアの」

「ちぁうです……ち、が、ぁう、です。ソキはロゼアちゃんすきすきなんですけどぉ、ロゼアちゃん、ちがうですので、ソキろぜあちゃんのこいびとさんじゃないんですよぉ……。なんでですか?」

 もしかしてロゼアちゃんがこいびとさんできたとかゆったですかろぜあちゃんそきよりそのこのほうがすきなんですかやあぁああうっ、と瞬く間に涙目でぐずりそうになるソキの手を握り、チェチェリアは静かな仕草で首を横に振った。

「分かった……いいか? ソキ。私はロゼアの担当教員としての責任がある」

「うぅ? ……せきにん、です?」

「ああ、そうだ。だから、もしもの時は私に相談してくれて構わない。浮気されただとか」

 でもそもそもソキはろぜあちゃんとおつきあいしてないですぅ、と心の底からガッカリしてしょんぼりするソキの髪を撫で、チェチェリアは立ち上がった。隣室に、道具を置いてくると走り出して行くロゼアの背をソキと一緒に見送りながら、ふと声をひそめて問いかける。

「恋人にしてほしい、と言わないのか?」

「……ソキ、ろぜあちゃんに……ロゼアちゃんが、ソキを恋人さんにしたい、て言ってくれないかなぁって思ってるです。わがままです。わがままいけないです……だからソキ我慢してるです」

「それはわがままとは呼ばないよ、ソキ」

 大丈夫。そのうちロゼアはちゃんと言ってくれるだろうから、と微笑むチェチェリアに、ソキは複雑そうな顔つきで唇を尖らせて。常のようにすねたり、怒ったりすることはなく、はぁい、とだけ言った。

 チェチェリアはソキにとって、なんとなく、母親のような、年の離れた姉のようなひとなので。怒って冷たくあしらったりが出来ないのである。ロゼアの帰りを待ちながら、ソキはチェチェリアと手を繋いで、ちらりと顔を仰ぎ見た。

「ねえねえ、ちぇちぇりあせんせ?」

「うん?」

「せんせいはー、どやって、キムルさんとお付き合いしたんです? ソキ、ちょっぴり興味があるです」

 チェチェリアはふふふ、とうつくしく微笑み、死んだ目でふっと遠くをみた。

「いいか、ソキ。……聞かないでいる方がしあわせでいられることもある」

「……チェチェリア先生、もしかして、キムルさんのことやなんです? やだったら、ソキ、キムルさんにめってするです。ソキ、いっぱい、いっぱい、キムルさんのこと怒ってあげるんですよ! ソキ、怒るの頑張れるです」

 きゅぅ、と繋いだ手に力をこめてくるソキに、チェチェリアは嬉しそうに笑って。いいや、とくすぐったそうに笑って告げた。その話は、また今度しような、と笑ってくれるチェチェリアに、ソキはこくりと頷いた。

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