今はまだ、同じ速度で 05
永遠の別れのようだった。
談話室のいつものソファに座るソキの手を両手で包みこむようにして持ち、うるんだ目で切々と、ソキちゃん元気でねロゼアのいうことをよく聞くんだよ知らないひとに付いて行ったらだめだよというか声をかけてくるような輩は射程距離にはいったら一撃でアレするかロゼアを呼んでねもうすぐに、ほんとうにすぐに、ロゼアを。
ロゼアがいれば大丈夫だからねなにも問題ないからね、と告げるナリアンに、ソキはこくこくと頷いていた。
はぁいはぁいわかりましたわかってるですよ、ナリアンくんもしんぱいしょうですねぇー、とほわんほわんした声で笑うソキの声は八割九割聞き流している時のそれと全く同一であったが、目がしっかりとナリアンの瞳を覗き込んでいた。
言葉ではなく、意志を伝えてくる紫の瞳。それを名残惜しそうに見つめるソキは、やはりすこしだけ、寂しいのだろう。
ナリアンくんリボンちゃんと言うことが似てきたですねぇ、と笑いながら、てのひらを包みこむナリアンの、離れて行く指先に触れてきゅぅと握り、捕まえ、すこしだけ首を傾げる。
「ナリアンくん。ナリアンくんは、おやすみの間、どうしてるですか?」
何度も、何度も繰り返された問いだった。ついに長期休暇初日を迎えた談話室は、無事に試験を終えた高揚感と、解放された喜びに満ち満ちていて、すこしばかり騒がしい。
行きかう者たちはだいたいが旅装をしていて、なないろ小路や星降の城下で購入した土産物を手に、休暇中の移動手段として許可された各国の城や国境へ繋がる『扉』へ向かって行く。
のんびりと彼らを見守るのは数人、あるいは十数人だ。お土産買ってくるから、すこしでも良いから休み中に遊ぼう、など声をかけては出て行く者たちに、残る彼らは笑って手を振っている。残留組の中には、意外なことに寮長の姿もあった。
俺は寮長であるからしてこの場所から離れる訳にはいかないだろう光輝く世界の意志がうんたらかんたら、という所でソキは聞くのを止めていたので詳しくは知らないが、どうも男は入学してから一度も、帰省というものをしていないらしい。
様々な事情がある。残る者の数は多くないが、決して少なくもなかった。ソキが砂漠へ帰るのは、ロゼアが戻るからで、会いたい者が何人かいるからだった。けれどももし、ロゼアが行かなければ、ソキは会えないことを我慢して学園に留まっただろう。
長期休暇というものがありながら、ウィッシュが一度たりとて、屋敷に戻ることがなかったように。もうちょっとだけお話したいです、とばかり指を絡めて見つめてくるソキに、ナリアンはやわらかな笑みを浮かべ、立ち去ろうとする足から力を抜いてくれた。
腰を屈めてソキの顔を覗き込む姿勢のまま、ナリアンは幾度も幾度も繰り返し告げたその予定を、飽きることなく囁きかけてくれる。
『あんまり厳密に予定を決めてはいないけど、花舞にいるよ。家にも戻ると思う。掃除とか、整理とか、やりたいことがあるから。……ロリエス先生のお世話になるとも、思うよ。ちょうど良いから手伝えって、言われているから。だからソキちゃんとロゼアが、花舞に来たら、俺にも声をかけてよ。一緒におかいもの、しよう』
「はい。ソキ、楽しみにしてるですよ。ナリアンくん、ナリアンくん。絶対ですよ、ぜったい!」
『うん。絶対。約束だ。……ソキちゃんと、ロゼアが来るのを待ってるよ』
小指同士を絡めて、ゆるく揺すられる。なぁに、と目を瞬かせるソキに約束を破らないおまじないだよと囁いて、ナリアンは少女に両腕を伸ばした。名残惜しく、ぎゅぅと、ソキの体が抱きしめられる。言葉が、空気を、震わせた。
「ソキちゃん、ソキちゃん……良い旅を、素敵な休暇を。君の旅路が穏やかなものでありますように。風が、常に」
体が離され、ナリアンの手がソキの頬を撫でる。情欲の色はなく。ひたすら、ただひたすらあたたかな心配と、親愛のこもった、やさしい仕草で。触れた手が祈りと、祝福を、ソキに与えて行く。
「傍にありますよう。ソキちゃんと、ロゼアに、風が寄り添いますように」
「ありがとうございますですよ、ナリアンくん」
ナリアン、と談話室の出入り口から声がかかる。視線を向けるとそこには、ソキには見覚えのない青年が立っていた。はい、と返事を響かせるナリアンは、それが誰だか分かっているのだろう。
ロリエス先生が迎えをよこすと言っていたから、と囁きながら立ち上がり、ナリアンはもう一度、ソファに座るソキのことをじっと見た。まるで、ほんとうに、永遠の別れだとするような。ながく、せつない、視線だった。
ソキはくすくすと肩を震わせながら、ナリアンに囁く。心から。ナリアンくん。
「いってらっしゃい、ですよ。またね」
「……ああ。いってくるよ、ソキちゃん。またね」
ごめんね、ロゼアにも言っておいて。花舞で、待ってる。しっかりとした響きでそう告げ、ナリアンが足早に談話室を去っていく。その背が扉の先に消えてしまうまで見送り、ソキはざわざわざわ、空気を揺らす談話室をぐるりと見回した。
その中に、ユーニャの姿を見つけることはできなかった。休暇初日であるからまだ寮にいるとは思うのだが、早朝に発つ者もいると聞く。
馬車のお礼をもう一回言いたかったです、としょんぼりしながら彷徨うソキの視線が、ひとりの少女を見つけ出してぱぁあ、とあかるく輝いた。
「ハリアスちゃんー!」
ねえねえきてきてこっちきてハリアスちゃんソキとお話してくださいきゃあきゃあハリアスちゃんハリアスちゃんっ、ソキねえハリアスちゃんすきなんですよはりあすちゃんーっ、ときゃっきゃしきった声でおねだりされて、ハリアスは恥ずかしげに頬を染めながらも、話していた教員らしき女性に丁寧に頭を下げたのち、ソキの元へと小走りにやってきてくれた。
ハリアスにはもうすこし、学園でこなす役割が残っているらしい。帰省する者とは違い旅装に身を包んでおらず、すっきりとした動きやすい印象の白いシャツと黒のズボンに身を包み、髪もピンできちっとまとめてある。
図書委員はこれから数日かけて蔵書点検をしたのち、長期休暇に解放されるとのことだった。ハリアスには、わずらわしい作業ではないのだろう。穏やかな喜びに輝く瞳をして、おおはしゃぎするソキにどうしたの、と声をかけてくれた。
「ひとり?」
「ソキねえロゼアちゃん待ってるんですよ! それでね、これからね、かんこう、してかえるですよ!」
「それは楽しみね。……体調は、どう? まだ、ひとりで動いてはいけないの……?」
白魔術師であるハリアスは、パーティーの後から殊更体調を崩しぎみであったソキのことが心配でならいらしい。慎重に、魔力を探るように見つめられて、ソキはふわふわした笑顔でだいじょうぶなんですよー、と頷いた。
ソキがソファから動かないのは、単に、ロゼアにここで待ってて、と告げられたからである。人々がせわしなく動き回る寮内は、よっちよっち歩くソキには、すこしばかり危ないのだ。
ソキの言葉に、そして状態に、納得してくれたのだろう。ふわ、と笑みを深め、そう、と頷いて、ハリアスはソキの隣に腰をおろしてくれた。にっこにっことハリアスを見つめながら、ソキは不意にあっと声をあげた。
どうしたの、と視線を向けてくるハリアスに、ソキはえっとですね、と慌てた風に言い放った。
「ハリアスちゃん、この間はありがとうございました。なないろ小路の、おかいもの……」
「どういたしまして。手紙はもう、出したの?」
「はい。ハリアスちゃんのね、選んでくれた便箋ね、とってもとっても素敵だったですけど、あのきれいなインクで文字書いたらですね、もっともっと素敵になったです!」
長期休暇がはじまる、数日前のことだった。ソキはとある相手に手紙をしたためる為に、質の良い便箋と封筒、インク、できることならば普段使っているものよりもさらに書き味の良い万年筆を欲しがった。
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