言葉を鎖す、夜の別称 10

 それでも、それだけだ。禁止されているわけではない。複雑で、めんどうくさいだけ。会おうと思えば会える。それなのに。

「……つふぃあが、わたしに……会ってくれることなんて、ない、のに……」

 なにを勘違いしてしまったんだろう、と零すリトリアの声がしんとした部屋に響いた。フィオーレは言葉をひとつひとつ受け止めるように、長椅子に座らせたリトリアの前にしゃがみこみ、その顔を覗き込んで頷いている。

 色を失った少女の手が震えながらもちあげられ、顔に押しつけられる。きゅぅと丸くなった背中が、さびしい、と訴えていた。

「ストルさん、も……きらい、って、わたしのこと、きらいって、いったの。……会いに来てくれること、なんて」

「……リトリア」

「だってふたりとも、わたしのこと……きらいって、うんざりする、って!」

 血を吐くような言葉だった。泣きながら、しゃくりあげながら告げるリトリアの背を、うん、と落ち着かせるようにフィオーレが撫でている。それを見つめながら、レディは思わず眉を寄せた。

 なんだろう。なにか違和感がある。ツフィアと、ストルが、そんなことを言うだろうか。彼らが学園にいた時のことを知っている者であるなら、誰もがなにかの間違いだろうと告げるだろう。

 それに、レディは先日ストルに問い正していた。リトリアのことをどう思うのか。レディの個人的な好き嫌いはともかくとして、ストルは感情に嘘はつかない男だ。その男がまっすぐにレディを、睨み、可愛い、と告げた。

 リトリアのことを、世界で一番可愛い、と。それは執着だ。恋慕の絡む独占欲に他ならない。レディはそう思った。それなのに。そんな風に言う男が、たとえ過去のことであろうと、そんな言葉を告げるのだろうか。

 たどたどしく、幼く言葉を繰り返しながら、リトリアの泣き声が空気を震わせた。

「……なら、どうして、会いにきてくれないの……? ……って、言ったのに。君の、ものだって、ストルさん……いったの、に……うそつき……やっぱり、嘘、だったんだ……!」

「リトリア、リトリア。……落ち着いて、な?」

「私が、そう、言わせちゃったの……! 私が、予知魔術師だから! 好きって! ……私が好きっていえば、好きになって、くれるもの。ツフィアも、ストルさん、も……好きって、わたしが……ふ、う……うえぇ……」

 ごめなさい、と花のような少女は言った。その瞳からぼろぼろと涙を零すさまは、風に花びらを散らされる藤を思わせた。藤の花、そのものを髪と、瞳の色彩として宿しているような存在だからだろう。

 その様はあまりに儚く、可憐に、レディの胸を打った。この少女に、心から好きだと、告げられて。こころ震わせない存在など、いるのだろうか。だからこそ、そこに、もし。

 本当に人を魅了する魔術が発動してしまっていたのであれば、あまりに哀れなことだった。レディはごく冷静に考えながら、息を吐いて目を閉じた。もし、あの二人が魅了されていたとして。

 もし、それに二人が気が付いたとして。それで傷つける言葉を吐いたのだと、したら。ストルがレディに告げた言葉、表情、声、なにもかもと。つじつまが合わない。

 だとすれば、なぜ。そんな言葉を告げられたのだろう。瞼を持ち上げたレディの目に、フィオーレに慰められるリトリアの姿が映った。

 泣きながら、ごめんなさいと告げながら、それでもリトリアは二人を好きでいることを諦めていない。好き、だと。無垢なまでに歌い上げる瞳のきらめき。名を告げる声の響き。かすれた声の震え。

 全身で。好きだと告げていた。今でも、ただ、好きなのだと。

「ストルさん……ツフィア……会いたいの。会いたいよ、ごめんなさい。……あいたい、あいたいの」

「……うん。うん、そうだな、会いたいな」

「さびしいよ……!」

 うわあぁあ、と声をあげて泣くリトリアを抱き寄せ、フィオーレは息を吐きながらぽんぽん、と背を撫でている。その視線が、ふとレディを見て微笑み。ぞく、とレディは背を震わせた。猛烈な違和感があった。

 ちがう。なにかがちがう、と叫んでいる。けれども、なにが違うのか分からない。なにかが食い違っている。なにかが、すれ違っている。なにかが、間違えさせられ、続けている。そういう違和感。

 そういう、得体の知れない気持ちの悪さ。ぐっと手を握るレディから視線を反らし、フィオーレはその手から、あたたかな魔力をリトリアへ流し込んだ。だいじょうぶだよ、とフィオーレは囁く。

「たとえ、あの二人が……キミのことを嫌いでも……いいこにしていれば、それ以上、嫌われることはないよ」

 泣き濡れたリトリアの瞳が持ちあがり、夢うつつに、フィオーレを眺めた。囁かれる声に震えながら、リトリアは頷く。

「はい」

 いいこにしています。大丈夫。そう告げ、涙を拭って、リトリアは長椅子から立ち上がった。フィオーレも、よし元気になったかな、と安心した笑顔で立ち上がり、お待たせ、とレディに声をかけてくる。

 レディは眉を寄せたまま、曖昧に頷いた。なんだろう、と思う。なにかを見落としている気が、するのだが。分からなかった。

 はぁ、と息を吐き出し、レディはえっと、と今更ひとみしりを発動してもじもじするリトリアの前まで歩み寄り、ひょい、としゃがみこんでその顔を覗き込む。おずおず、見つめ返す瞳に、思わず笑顔になった。

「……なきむしさん、終わり?」

「終わり、です……。レディさん、いじわる、しないで……?」

 上目づかいで、そんな可憐に響く声でそういうことを言うのはやめた方がいいと思うのよ特に男にというかストルとかにっ、と全力で胸中で叫び、レディはぎこちなく頷いた。

 いじわる、しないわ、と告げてやれば、リトリアはあからさまにほっとした表情で笑い、はにかむように視線を伏せる。ああ、守ってあげたいな、とレディは思った。できるだけ傍にいて、この子を守ってあげたい。

 このままだと、きっと、なにかあった時にこの子を殺すのは私の役目になるだろうけれど、それでも。その時まで。守ってあげたい、と思い、レディはリトリアに手を伸ばした。

 睫毛を濡らしていた涙の名残を、指先で拭う。リトリアは驚いたように目を見開き、それからふわっと頬を赤くして。やぁ、と恥ずかしがる声をあげて、頬に手を押し当てた。




 レディがフィオーレと連れだって楽音の国を訪れ、リトリアに面会を申し込んだのは仮決定されている予知魔術師の守り手と、殺害役の一件があったからである。

 各国の王たちの話では時間に猶予はあるとのことだったが、リトリアが来る前の楽音の王の口ぶりで、すでにほぼ決定済みであることが察せられた。

 それを覆すにはリトリア本人の強い否定と、元からの候補者であるストル、ツフィア両名のはきとした意志が必要不可欠だが、すくなくともその二名にレディはなにも期待していなかった。

 そもそも二人がリトリアの傍を離れなければ、こんなことにはなっていないのだ。あの二人とリトリアの間には、物理的にも精神的な意味でも距離がある。

 そしてレディが知る限り、ツフィアは望んでリトリアと距離を置いた筈だ。ストルに関しては興味がないので知らないが、王宮魔術師は申請さえすれば比較的自由に各国を行き来できる身の上だ。

 もちろん、多少なりとも理由は必要であるが、そんなもの、国から国へ届けられる書類を運ぶ役を引き受ければ十分事足りる。つまりは己の意思で会わないままでいるのだ。ストルも、ツフィアも。

 会いたい、と望まれ告げられていることなど、誰より知っているだろうに。結局、リトリアになんの為に顔を見に来たのかを告げぬまま帰る楽音の王宮、廊下に苛立った靴音を響かせながら、レディは唐突に立ち止まり、くるりと背後を振り返った。

「フィオーレ」

「なに?」

「あの子は知らないのね」

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