灯篭に鎖す、星の別称 10

 暗闇に差し伸べられた男のてのひらが、舞うように動かされる。そのてのひら、指先へ。するりと降りてくるように、零れてくるように、それでいて、立ち上って行くように。とうめいなひかりと、火の粉のような淡い輝きが、見えた。

 輝きはひとつ、視線を導くように上へ上へとのぼって行く。それを追いかけて顔をあげ、ソキは息を吸い込んだ。そこに、空が、あった。円天井の内部に、色硝子で空が描かれている。

 時計回りに紫黒から濃淡を変え、じわりじわりと瑠璃を抱いて白磁に染まり、やがて蘇芳を孕んではまた深く、黒く青くゆらめく夜に、色彩がぐるりと巡って行く。一日の、時のめぐり。それを留め、描かれた空。ひらかれた世界。

 言葉が耳の奥でわん、と反響し、一粒、涙が零れ落ちて行く。

 深く、深く、澄んだ夜に。外では星が瞬いているのだろう。色硝子を透かして降り注ぐ光は、祝福のように場をやさしく照らし出していた。その輝きこそ星のようで、うつくしい灯篭に燈された火のようだと思う。

 怨嗟の声を焼きつくす炎。利用され、迫害され、全てが終わった後にさえ排斥された魔術師たちの、呪いの意思を清め蘇らせる火だ。その火の熱。懐へ抱き、守ろうとする意思の名を、ソキは知っていた。

 先程も、それに確かに触れていた。息を吸い込む。ひかりを抱くように、両腕を伸ばして円天井を見上げた。

「……愛してくれて、いるですね」

 目覚めたばかりの、予知魔術師の声だった。確かな結果を導く囁きが、降り注ぐ意思を読み解いていく。

「世界中の、ひかりが……ソキたちを、愛してくれているんですね」

「……魔術師が生きるのに、この世界はまだ厳しいよ」

 やさしい世界はいつか訪れるかもしれないし、そんな日は来ないのかも知れない。俺には分からないよ、努力は諦めずに重ねるけれど。告げながら、ようやく歩み寄ったソキに微笑み、星降の国王は言った。

「それでも、魔術師として目覚めた希望を……どうか、心の中へ宿して、生きて欲しい」

「……はい」

「入学おめでとう。……俺は、ここで、ずっとお前たちのことを待ってたよ」

 魔術師として、そのたまごとして目を覚ましてしまうずっと前から。ずっと会いたくて、ずっと、会えると信じて。この場所から見守っていたよ。そう囁く星降の国王に、メーシャがやや目を見開いた。

 ずっと、と零れる言葉に、王は頷く。伸ばされた手は優しく、メーシャの涙を拭って行った。頬を包んで、引き寄せられる。歯を噛んで嗚咽を堪えるメーシャの顔を覗きこみながら、星降の国王は静かな声で言った。

「……お前がなにもかも断ち切って、そうして全て守ろうとした時も。俺はお前のことを知っていたよ、メーシャ」

「っ……!」

「名前は知らなかった。どんな顔をしてるのかも、どこに住んでなにをしているのかも。年齢も性別も、なにもかも、知らなかったし俺には分からなかった。でも……でも、いつかここで、お前に会えるのを、俺はちゃんと分かってたよ。迎えには行けないけど。ここで待つことしかできないけれど。確かにここへ辿りついて、こうして会えることを、俺はずっと知っていたよ」

 メーシャの手が震えながら伸ばされ、王の腕をすがるように掴んだ。宥めるような微笑みを浮かべたまま、穏やかな声がついに、それを告げる。

「お前の孤独に祝福を」

 魔力の滲む囁きは、祝福の魔法そのものだった。親愛によって恵みを与え、救済に満ちた力を分け与えて行く。囁きに魔力が溶け、触れられた箇所、吸い込む吐息から全身へ広がって行く。

 飲みこむ、あたたかな水のように。全身の隅々にまで、奥深くにまで広がって、染み込んで、溶け込んでいく。もたらされるのは、送られるのは、比類なき祝福と無条件の愛情だった。陽が昇るのと同じこと。

 風が吹き、火が燃え、水が流れ、地が花を芽吹かせ。繰り返し、繰り返し、夜が星を輝かせるのと、ただ同じ。めぐる愛情。その愛こそが、祝福。

「メーシャ」

 声もなく。涙を零すメーシャの頬を両手で包み、撫でながら、星明りのような声で王が笑う。

「昼の陽の中では木漏れ日になり、夕闇の中では虹色の輝きに、夜の藍の中では星のように煌き、火のように揺らめき、あたたかな、力強い、導きのひかりにお前はなるだろう。輝けるもの。誰かはそれを希望と呼ぶかも知れない。勇気や、意志。祈りと、そう名をつける者もあるだろう。お前は恐れながら進むけど、迷うことはない。足を進める方向を、己が進むべき、進みたいと心が願う方向を、お前は知っている筈だよ。疲れに、怖さに、立ち止まってしまった時は目を閉じて考えてみればいい。瞼の裏側にひかりがある。お前のひかりだよ。そして、お前を愛おしく思う者たちのひかりだ。お前が大事に想い、お前を大事に想う者たちのひかりだ。……そして、いつかお前は知るだろう。失ってしまったものなど、なにひとつないこと。全部、全部、お前の所へ戻ってくるよ。大丈夫。……だぁいじょうぶだよ、メーシャ。さあ、手を貸してくれな」

 この言葉と、これで入学の儀式はお終い。囁いて、王はメーシャの手の甲にそっと唇を押し当てた。右手にも、左手にも、一度ずつ。右手だけはくるりとひっくりかえし、てのひらにも祝福が落とされる。

 吐息を肌に掠めさせてから離れ、王はメーシャの肩をぽんと叩き、近くの長椅子に座らせてから離れる。すこし、考える間があったのち、てのひらが誘うように空へ出された。

「じゃ、次はロゼア。おいで」

「……はい」

 ややぎこちなく、緊張した面持ちでロゼアが一歩前へと踏み出す。そのまま手招かれるのにふらりと、足を進めて王の前に立ち、ロゼアは困惑したように眉を寄せた。

「あの」

「んー?」

「メーシャに言ってたみたいなこと。……もっと分かりやすくとか、お願いできませんか」

 ロゼアが視線を流した先、メーシャは告げられた言葉について考え込んでいるようだった。目を伏せ真剣な表情になりながら、ようやく落ち着いてきた呼吸を繰り返し、涙の止まった目元を指で拭っている。

 ロゼアの求めに、王はうん、と困ったように首を傾げる。そうしてやりたいのはやまやまなんだけどさ、と言いながら、国王はロゼアの腕に指先を触れさせた。

「俺の意思は関係ないんだよ、太陽のつるぎ。……俺の意識、記憶、経験、思考、感情。そういうのは、俺のいう言葉には関係ない。俺の意識は確かにここにあるけど、言葉は俺が紡ぐものだけど、なんて言ったらいいかな……お前に告げる言葉に、俺という個は介入しないし関係がないから、俺がどうしてやることもできないんだよね。一番素直に言うと、それは無理だから諦めてな。それで、意味は自分で考えて欲しい。分かんないトコがあったら、俺も後で一緒に考えてやるから。相談にも乗るから、気軽に俺に会いにおいで。……ロゼア、お前の虚無に祝福を」

 指先だけ。人差し指と、中指。二本の指でだけ触れられた腕から、祝祭の楽音を奏でるような、華やかでうるさい程に意識を揺らす魔力が、ロゼアの中に流れ込んでくる。目は閉じていて良いよ、と王は笑った。

「強すぎる光はお前の目を焼き、暗闇へ閉じ込めるだろう。その中では眠りを促す声と、目覚めを泣き叫び乞い願う声が響き続けている。どちらを選ぶかでお前という剣の主が入れ替わる。お前の意思はそこに介在しない。お前は鞘を盗られて壊されてしまった。抜き身であることの恐ろしさを、けれどお前はもう知ってしまったね。……お前の生まれ持った鞘はもう存在しないけれど、それを蘇らせることは出来る。それは今度こそ、失われることも奪われることもない。太陽のつるぎ。お前もまた、ひかりだ。夜に輝くひかりではなく、暗闇を引き裂いて行く強い閃光だよ。恐怖は常にお前に寄り添い、歩む足を奪おうとするだろう。でも、お前は前へ行く。一歩でも歩けば、希望がお前の手を引き、風が背を押すだろう。その先で手を伸ばせば、失われぬ鞘が腕の中でよみがえる。決めるのはお前だ。諦めるな。……枯れた井戸の水も、そうすれば戻るよ。お前の水は今も満ちている。それに目隠しされているだけだね……ロゼア、目を閉じたままでいて」

 瞼に、そっと温もりが触れて離れて行く。もう開けてもいいよ、と告げながら、王はロゼアの胸元に身を寄せた。服の上から、心臓の真上に祝福を送る。考えながら唇に指先を押し当てた王が、ちゅ、と音を立てて指先を振った。

 口付けを投げたのはロゼアの脚の下あたり。戸惑うロゼアに、はいおしまい、と朗らかに言って、国王は背伸びをしてわしゃわしゃと頭を撫でてくる。

「いいこ、いいこ。頑張るんだぞ」

「……あの、こどもあつかい、やめてもらえませんか」

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