19日目

 目の前で今日の仕事の打ち合わせをしている魔術師たちを、ソキは困惑した顔で眺めやった。今日一日、安静にしていること。魔法を使うなど言語道断。無断で使用したらお前の兄に居場所をばらす。

 目を覚ましてぼんやりしている間に、矢継ぎ早に告げられた言葉に頷いた結果、寝台の上からも降りられなくなってしまったのだが、動いてはいけないと言われるのは慣れていたし、苦でもない。

 動き回れと言われるより、ずっと楽だった。けれど。

「……なんでお勉強なんですか?」

 なんのお勉強をさせられるかということに関しては、授業の用意を着々と進めているのが王宮魔術師である時点で、聞かなくとも分かることだ。はい、これ使っていいからね、と手渡された筆記具を膝の上にのせながら、ソキはまだだるさを残す体を持て余しつつ、控えめに問いかけた。

 なんでって言われても、と不思議そうに振り返ったのは、白魔術師の男だった。冷えた花の香のようにかぐわしく響く声が、そっとソキに語り聞かせる。

「勉強っていうか。陛下が、ソキが予知魔術師だって言ったら、じゃあ学園のこと教えとけって言うから?」

 ご命令だから諦めてね、と言って穏やかに笑う白魔術師の男と、もう一人、占星術師の女性を残して、魔術師たちはぞろぞろと部屋を出て行ってしまった。打ち合わせが終わったので、仕事へ行くらしい。

 急遽二人がソキの傍についていることになったので、穴埋めをどうするかを決めていたのだ。じゃあ頑張って、と言われて扉を閉じられてしまったので、ソキは改めて困惑しつつ、二人のことを眺めやった。どちらも、ちょっとした事情で、顔見知りの相手である。

 名前も知っているから、遠慮はあれど、聞くことはためらわなかった。

「場所は、ここじゃないとダメですか? ここ陛下の……」

「だめ」

 遠くから声が飛んで来て、とまどうソキの言葉をさえぎった。三人がそろって振り返った先は、魔術師たちが出て行った扉とは逆の方向にある、開け放たれた扉だった。そこから空間が繋がり、さらに部屋になっている。

 その広々とした部屋の窓の近くにクッションを積み上げ、身を沈めるように、一人の男が座っていた。手には書類を持っており、傍らにも山のように紙束や本が積んである。何回見ても巣っぽい、と呟いた白魔術師の男の声に反応したように、冷たく細められた黄金の瞳が持ちあがった。

「俺の見える範囲から離れることは許可しない。すくなくとも、今日一日は。……で? フィオーレ。今お前なんつった」

「すみません失言でした」

「よろしい、許す。……いいから、ソキはそこで、話を聞いてること。一通り終わったら、俺からちょっと言うことがあるから。言うっつーか、聞くっつーか。お前が予知魔でさえなければなー、別になんもしないで旅立たせてもよかったんだけどなー……」

 よりにもよって予知魔術師とか、と遠い目をして起きてから幾度となく聞かされた嘆きを繰り返されて、ソキはちょっと困ったように眉を寄せた。そんなことを言われても、ソキだって望んでそうなった訳ではないのだ。

 しかし、国王の仮眠室を半ば無理矢理であっても提供されている時点で、ソキは不満を口にすることができない。勉強しますです、とやや拗ねた風に呟けば、フィオーレはほっと胸を撫で下ろした。

 部屋の隅に移動し、床の上に腰を下ろす。白魔術師は、ソキが体調を悪化させてしまった時のそなえ。見守り役であるらしい。

「じゃ、ラティ。よろしく」

「分かりました。さて、ソキちゃん。……改めまして、お久しぶりでした。行き倒れているのを見た時は、どうしようかと思いましたが……まさか、私たちの後輩になるだなんて、あの時は思ってもみませんでしたね」

「ソキもです」

 こちらこそ、助けてくれてありがとうございました。ぺこりと頭を下げるソキに、占星術師の女性はにっこりと笑う。

「運んだのは私ですが、治療をしたのはフィオーレで、場所を提供してくださったのは陛下です。そちらにもお礼を言ってあげてね」

「……夜中にフルスイングで叩き起こされるから、なにかと思った」

 まだ痛い気がする、と呟いて、青年のてのひらが頭のあたりを撫でている。眉を寄せる姿に鼻を鳴らして笑い、ラティは腰に手をあて、同僚の姿を睨みつけた。

「杖で殴る前に、ふつーにやさしーく起こしてあげたわよ? 起きないのが悪い」

「だからって杖フルスイングとかマジ意味分からない」

「フィオーレさん、ソキのつらいの、治してくれて、ありがとうございましたです。……陛下も、お部屋、ありがとうございます」

 笑顔で睨みあう二人に口を挟んでお礼を言い、ソキは隣室に向かっても礼儀正しく語りかけた。本来ならば傍に寄って告げなければならないが、寝台から足を出すな、と言われているので仕方がないだろう。

 王からひらひらと手を振って視線を向けられると、ソキはそっと微笑みを浮かべる。その様子を、なんとなく面白くない顔つきで、妖精が少女の頭の上から見下ろしていた。

 起きてからずっと口数が少なく、それでいてソキから離れようとしない妖精は、ほわほわとした雰囲気を漂わせる少女ソキの額をぺちぺちと叩く。

「や、やっ……なんですか、リボンちゃん。叩いちゃいやですよ……?」

『アンタ、ああいうのが好みなの?』

「……はい?」

 妖精の発言と同時、言い争っていたラティとフィオーレがぴたりと口を噤む。勢いよく振り返って見つめられてしまうのに恥ずかしくなりながら、ソキは頭の上から飛び立ち、目の高さまで降りてきた妖精のことを見つめた。

 言葉にならないソキを目つき悪く見つめ返しながら、妖精は、だから、と言って隣室で政務に励む、砂漠の国の国王陛下を指差した。

『ああいう男が、好きなの?』

「な……な、なん、なんでですかっ。なんでですかっ!」

 真っ赤な顔で、ひっくりかえった声で言われても、逆になんでとしか言いようがない。なんとも言えない顔で沈黙する妖精に、ぶはっ、と耐えきれなくなったらしい魔術師二人分の笑い声が、盛大に届けられた。

 しゃがみ込み、床をばしばし叩きながら笑っている二人に、妖精の声が聞こえない国王からは訝しげな視線が向けられている。すい、と動いた視線がソキに説明を求めたが、とてもではないが言える状態ではなかった。

 真っ赤になった顔に両手をあて、ちいさくなるので精一杯である。

「……なんの話してんの?」

 それ絶対学園と関係ないだろう、と柔らかくたしなめる言葉に、ソキはそろそろと視線をあげて隣室の男を見た。ん、なに、と嬉しげに微笑んでくれる国王に、ぶわりと全身の体温が上がる気がして、ふるふると首を振る。

 妖精からの視線が、その態度でなにを言うのかお前は、と言わんばかりの冷たいものになった。

『へぇ……アンタの好み、ああいうのなんだ』

「お、お勉強します! ソキ、お勉強しますですよ! ラティさんもフィオーレさんも、笑わないでくださいっ……!」

「ソキが困ってるだろ。起きろ馬鹿共」

 らちがあかない、と悟ったのだろう。呆れた様子で戻ってきた国王が、床に倒れて笑い続けている王宮魔術師たちを、爪先で嫌そうに突っついた。発作的な笑いを繰り返しながら身を起こしたフィオーレの前にしゃがみこみ、男はそれで、と首を傾げる。

「なんの話してたんだ? 俺は、学園について教えておけとは言ったけど、遊べとは言ってない筈だな?」

「え、えー……や、その、ソキちゃんの案内妖精ちゃんが、ソキちゃんの」

 そこで一度こみ上げる笑いに言葉を切ってから、フィオーレは真っ赤になって耳を塞いでいるソキを眺め、言い放った。

「男の好みが、陛下なのかっていう……質問を……ぶはっ」

「ああ、なんだ」

 再び笑いだしたフィオーレからソキへ向き直り、男は身を屈めて笑った。

「じゃあ、あと七年くらいしたら愛妾になりにおいで」

 柔らかな声で告げた男は、動けないソキの額にそっと口付けて離れ、隣室へと戻って行った。勉強しろよー、と遠くから声がかけられる。額に両手を押し当てて動けなくなってしまったソキに、ラティが恐る恐る、声をかける。

「い、生きてる……?」

「……リボンちゃんに、誤解の無いよう、言っておきます」

 ぷるぷると恥ずかしさに震えながら、ソキの視線が恨めしげに案内妖精を見やった。

「ちょっと似てるので、どきどきしちゃうだけです」

「ねー、似てますよねー。肌の色とかちょっとバサってした髪質とか、低めで甘い声の感じとか、身長とか体つきとか。ロゼアくん、あと十五年くらいしたらあんな感じになりそうですよねー」

「い、いいからお勉強しますですよっ……!」

 いたたまれない様子でクッションをぎゅぅと抱きしめているソキに、妖精はしみじみと頷いた。

『じゃあ、さほど間違ってないじゃない。ああいう男が好きなんでしょ? ……へえぇ』

「よし、じゃあ陛下が睨んでるからそろそろはじめることにしましょう。妖精ちゃんも、あんまりからかわないでくださいね。えーっと……ソキちゃんがこれから入学する学園なんだけど、具体的にどういう所かっていう説明をしますね」

 まあ魔術師の学校だと思ってもらって大きな間違いはないんだけど、とラティは言った。

「勉強をしに行く所じゃないんです。勉強をさせられに、行かされる所なんです。強制的で、選択権が存在しないんですね。勉強も、学園に行くと分かりますが、必須とされている強制のものと、選択できる任意の授業があります。これは単に優先順位をつけて、高いものを強制にしてしまっただけで、選択制のものを学ばなくても良い、という訳ではありません。後回しにしてもいい、というだけ。……強制の、優先順位が高いものは、魔術師としての心構え、魔力についてや、魔術師が歴史にどうかかわってきたかなんかを教えますが……結局、この世界、このシステムの中で魔術師として生きて行くのに知っていて欲しい、ということを教えられます。だから、学園という場所は……システムも構成も基本的には学校なんですが、そうですね……」

 どう言ったら分かりやすいかな、と首を傾げて、女性は言葉を選び出した。

「卒業条件から逆算すると一番理解に近いかも知れませんね……入学は強制ですが、学園の卒業にはいくつかの条件がついています。一、能力の制御が十分であること。二、卒業試験に合格すること。三、十五歳以上であること。四、就職先が決まっていること。本当はもう一つありますが、これはまあ個人差なので置いておいて。この、四つめ。就職先が決まっていないと学園から出してもらえない訳ですが、現在、魔術師の就職先として用意されているのは王宮魔術師と、学園の常駐教師。例外としてなないろ小路で開業するとか、星降の城下町で一般求人で採用される、とかありますが……」

「まずないな。城下町で普通に働いてる魔術師だって、今三人? 四人くらいだし、開業も制限がすさまじいから……ああ、とにかく、入学したら卒業するまでは学園の生徒であることは間違いないんだけど、卒業した後の選択肢が存在しないんだよな。言っちゃうと。王宮魔術師として外に出るか、学園の教師として留まるか。生徒の召喚は強制的に行われる。逃れることは許されていない。集められた後は、教育を施される。そして、許可された者だけが外に出られる。……俺たちがなに言いたいか分かる?」

「……自由がない、ですか?」

 うんまあだいたいそんな感じ、とフィオーレは頷き、ラティも考えた末、口を開いた。

「自由はね、でも、無い訳ではないんですよ。あるんです。あるんですが、ただ、未来に対する自由意思の反映が、存在してないだけなんです。……一応、いちおう、名目上は、フリーランスっていうんでしたっけ? 学園にも国家にも所属しないで、自由に動き回る魔術師もいますよ、みたいなことには……なってるんですが……幻獣と契約してこっちの世界から離れてるひととかをそう言ってるだけであって、こちらの世界で自由に動き回れる魔術師は、存在していません。存在を、許されていないからです。魔術師に、本当の意味での自由は与えられません。学園に入学した瞬間から、その身柄は学園と、国家と、世界のもので、個人のものではなくなります。もちろん、それに気がついて、嫌がって、逃亡する魔術師も中にはいますが……」

 長台詞に疲れたような息を吐き出すラティに変わって、フィオーレがあとを引き継いだ。

「入学許可証が個人の手元に届けられた時点で、その家族には各国家から保護や保証の名目である程度のお金が支払われることになってる。定期的に。卒業してからも、それは変わらずに、本人の死亡まで続けられる。これがどういうことかっていうと、身柄を抑えてるってことなんだよね。人質にしてんの。で、本人が許されない形で学園とかから逃亡した場合、縁者が真っ先に人質にされんの。もちろん、血縁が居ない人もいるだろうから、その場合はまたちょっと違うんだけど……まあ、そんな感じで一応、自首的な感じで戻ってくるのを待つ。期間は一カ月。一カ月を超すと、各国の王宮魔術師と、刑罰係が動くことになってる。逃亡は許されないし、一般的な生活に戻ることも許されない。でも、まあ、それだけだよ。未来と身体的な自由が消えるだけで、あとは普通」

「誰だっけ、制限されるのが好きなドМ向きの環境ですよねって目を輝かせてたの」

「エノーラじゃね? 白雪の王宮魔術師」

 あいつ変態だからなぁ、としみじみと顔を合わせて頷きあい、二人はとりあえずそんな感じなんだけど、と黙って聞いているソキに感想を求めた。ソキは告げられた言葉を考え込みながらも、そうですか、と頷いた。

「ソキが、ソキのものだったことの方がすくないので、ソキは別に気になりませんです。……他の人は、未来が無くなってしまうのかも知れませんですが、ソキは、はじめて……はじめて、未来のことを考えましたですよ。だから、十分、自由です」

 自分で決めていいっていうだけで嬉しいです、と言ったソキに、ラティはその場にしゃがみこみ、深々と息を吐きだした。安堵したようであり、脱力したようだった。

「じゃあ、大丈夫でしょうね……学園に行くと、その齟齬で荒れるひとが多いんですよ。数年すると諦めるというか、慣れるのでだいたい落ちつくのですけれど」

「俺も一回ちょっと荒れた。……こんくらいかな? 陛下ー、説明したけどー」

「今行く」

 なにか指示を出す声のあと、衣擦れが空気を震わせた。足音が近づいてくるのに、ソキは振り向いて男の訪れを待つ。やや疲れた様子で現れた国王は、ソキの顔を見て嬉しそうに笑った。

「……身柄の自由がないのは、慣れてるか」

「はい」

「よし、じゃあ……ラティ、フィオーレ、もういい。下がれ」

 説明しろってしたことは終わってるな、と確認する男に、二人は苦笑しながらも頷き、素直に廊下へと続く扉へ歩んで行く。その途中で手を伸ばしたラティが、ひょいとばかりに案内妖精を摘みあげた。

 あ、と声をあげるソキにぱちりとウインクして、ラティはじたばた暴れる妖精を摘んだまま、廊下へと出て行った。

「終わった頃に返してあげるから」

「ソキ、体調悪くなったらすぐ呼んで」

 激怒して暴言を吐きまくる妖精を気にした風もなく、二人はぱたりと扉を閉じていなくなってしまった。足音が立ち去るのを待たずにさて、と呟いてソキの隣に座り、男は少女の目を覗き込むようにして見る。

「ソキ」

「はい」

 見つめ返してくる少女の首に、男は手を伸ばして触れる。

「……予知魔術師は、暗黙の了解を満たせない場合、生涯学園から出ることを許されない。もしくは、出身国の王宮魔術師として外に出され、幽閉に近い生活を強要される。……歴史的に見て、予知魔術師は予測不可能な兵器にされる可能性が高いからだ」

「暗黙の了解って、なんですか」

「二つある」

 学園に行けば同じことを教わると思うが、と男は淡々とそれを言った。

「自分を守りきれる者と、自分を確実に殺せる者を見つけ出すことだ」




 ソキの旅日記 十九日目

 (なにか書こうとして、消した痕がある)

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