砂漠の国

12日目

 国境を越え、砂漠の国に入ると、もっとも変貌するのが光の質と風だ。太陽光は肌を刺すような強さでじりじりと表面をあぶり、熱気を帯びた風は力強く、地上の近くを通り過ぎていく。

 国境のすぐ近くに広がる街は、まだ緑の気配が色濃く、光と風、地平線の彼方まで広がっている砂漠を無視してしまえば、街並みは、そう白雪の国と違う風にも思えなかった。道行く者は旅装に身を包む者が多かったから、なおさら妖精にはそう思えた。それでも、ソキの足取りは嬉しげにふわふわとしている。

 国境を超える前に約束した通りに、ソキはこの街で一泊してから次のオアシスへ移動を開始する。砦で泊まった分、当初の予定より一日多く食ってしまっているが、すでに遅れ気味の旅路だ。

 不幸中の幸いとして夏至の日まではまだ一月以上残っているので、ソキの貧弱な移動速度から目を反らして考えれば、まあ、大丈夫だろう。足元を見て歩きなさいよ、と小言を言われるのに頷きながらも、ソキはきらきらと嬉しげに輝く瞳で辺りを見回し、歩きまわることを止めなかった。

「リボンちゃん、リボンちゃん」

 そうしながらソキは、今までにない熱心さで妖精を見つめ、呼んだ。

「リボンちゃんのお砂糖、買いましたですよ」

 見てみて、とばかり両手に乗せてちいさな瓶を差し出され、妖精はこくりと頷いてやった。

『そうね。買ったわね』

「はい。……あ、ひよけ、陽避けも買わないとですよ……!」

 あ、あっ、と慌てた声をあげて市場へとまた戻って行くソキの後をついて行ってやりながら、妖精はふぅと息を吐いた。だから、宿を出る時に、必要なものを書きだして把握しておけ、と言ったのに。ソキはでも、と眉を寄せて、はやく街を歩きたいからいいです、と言って部屋を出てしまったのだ。

 ソキは、ちっとも妖精の言うことを聞かない。けれども、ただ聞かないのではなくて、そこに理由があることもなんとなく分かってきた。ソキは時折、人混みで立ち止まり、そっと周囲に視線を走らせては目をすがめている。

 誰かを探しているのだ。ずっと、もしかしたら、妖精があの閉ざされた部屋に迎えに来て、自由になった瞬間から。

「……リボンちゃん」

 なんだか心細い声で呼ばれてしまったので、妖精は慌てて、ソキの目の高さまで降りてやった。昨日の夜から、なんだか知らないが、ソキは妖精がすぐ近くにいないと落ち着かない様子で探したり、呼んだりしてくる。

 一般人に妖精は見えないから、買いものをしている時に会話をして変な目で見られないように、と離れていたのだが。あまりよろしくなかったらしい。どこかへ行ったりしないわよ、と怒りたい気持ちを我慢して、妖精はつん、と腕組みをしながらソキを見た。

『なによ。……買えたの?』

「はい! 砂漠を移動していく時は、リボンちゃんはこの中に入ってくださいね!」

 にこにこ笑ってソキが差しだして来たのは、肩ひものついた編み籠で、中には布が引かれていた。大きさは、ちょうど、中に妖精が入ってくつろげるくらいのものだ。籠には布で作られたふたもついていて、それを締めてしまえば日差しが避けられるだろう。

 あ、これもあるから大丈夫ですよ、とソキが編み籠の中にころりと入れたのは、王宮魔術師が制作し、市販されている魔術具のひとつだった。見かけはちいさな石ころのようにしか見えないが、一定期間、冷気を発し続けるしくみになっている。

 これでリボンちゃんは涼しいですよ、と満足げに笑うソキに、妖精は思わず首を傾げた。

『陽避け買うって言ってなかった?』

「はい。リボンちゃんの陽避けですね?」

 案内妖精と入学予定者は、揃って仲良く不思議そうに首を傾げ、しばしの間見つめあった。ややあって、ソキが、確認するように呟いた。

「……ソキは、マントのフードを被るですから、大丈夫なんですよ?」

 ソキの着ている魔術師のローブは、王宮魔術師が使っていたお古だが、やたらと機能が充実していた。寒い場所ではほんのりと温かく、体温を逃さないようにしてくれるし、熱い場所では心地よい涼しさで、体調の悪化を防いでくれる。

 フードを被れば日差しも避けられ、水に関しては、同じく祝福を受けた水筒があるので全く問題がない。進むべき方角を示してくれる地図もある。旅を続けるにあたってソキが必要とするものは食糧くらいで、それは市場で真っ先に補充されていた。

 それなのに、それからも、ソキはちょこまかと市場を歩きまわっては、あれが足りない、これが欲しい、と細々とした買い物を続けている。編み籠と、その中に敷くやわらかな布。

 角砂糖に、ちいさなちいさな器は妖精が水を飲む為のものだろう。塩はソキにも必要なものだろうが、買っていたのはほぼ全て、妖精に必要だ、とソキが思ったものばかりだ。

「リボンちゃんは、角砂糖しか食べないですか?」

『……食べられない訳じゃないけど、あんまり必要がないっていうか』

 食事は趣味の領域だから、アンタたちみたいには食べないわ、と言った妖精に、ソキは黙りこんでしまった。その目は彷徨うことなく、妖精を見つめている。言葉を、と妖精はようやく、少女のことをすこし理解した。

 言葉を考えているのだ。言っていいのか、言わない方がいいのか。聞かなければ本当に、分からないことなのか。きゅぅ、とわずかに眉が寄る。こわごわと、唇が開かれた。

「でも、角砂糖は、食べなきゃだめ、ですよね?」

『アレと一緒にされたくはないけど、ヤギだって草くらいしか食べないじゃない』

 同じようなものだと思いなさい、と告げた妖精に、ソキはすこしだけ口元を綻ばせ、安心したように笑った。

「お砂糖が、ごはんなんですね」

『そうよ』

「……リボンちゃん、ずっと浮いてて疲れないですか?」

 ひとつの疑問が解決すると、ひとつ、また別の問いを向けてくる。それがまたどれもひどく幼い問いで、出会ったばかりならばともかくとして、十二日も経過した今になって向けられてくることが無性に可笑しい。

『疲れないわよ』

「……そうなんですか」

 でも疲れたら言ってくださいね、と言ったソキは、また道を行きかう人々を見つめている。じっと息をつめて、誰かを探していた。迷子のこどもみたいだ、と妖精は思う。伸ばされる手を、ひたすらに待っている。

「リボンちゃん」

 唐突に、ソキは妖精のことを呼んだ。不安げに揺れながら向けられる瞳は、返事をして欲しいわけではないのだろう。そこにいることを、必死に確認していた。

「ねえ、リボンちゃん」

 そっと、指先が伸ばされる。ちいさな両手で触れてやりながら、妖精はなに、と言ってやった。くしゃりと、ひどく心細いありさまで、ソキの目がゆがむ。

「リボンちゃん、ソキの、案内妖精さんですよね?」

 コイツは今更なにを言っているんだ、という怒りで、妖精は眩暈を覚えて黙りこむ。十二日も一緒にいて、なにも会話をしなかった訳でもないのに。罵倒しようとして睨みつけて、妖精は口を閉ざして黙りこんでいる、ソキの表情に気がついた。

 己のことを語る時、ソキはその顔に感情を浮かばせないことが多かった。澄んだ碧色の瞳はただ宝石のようにうつくしくあるばかりで、言葉に伴う筈の感情は置き去りにされていることが多かった。それなのに、今ソキは、不安げな顔ですがりつくような目をしている。

 全てを拒絶して遠くへ置くことで保っていたソキの心が、すぐ傍にあった。昨夜聞いた、女性の言葉がよみがえる。一度、扉を叩いたら急かさずに。待ってやること。妖精の目の前には、見えない扉があった。鍵をかけて沈黙するばかりだった。

 いま、とびらのむこうから、ようやく、声がかえってくる。

『……そうよ!』

 反射的に、声の大きさで怯えさせやしなかったかと思うが、大丈夫だったようだ。ソキは花が綻ぶよう、光をくすぐったがるよう、しあわせそうに微笑した。

「はい」

『アタシが……アタシが、アンタと、旅をするのよ。アタシ、アンタの為に来たの。一緒に行くのよ。旅をするの。ここから、ずっとずっと、遠くまで……一緒に、行くのよ』

 はじめまして、と言ってしまいたいくらい、嬉しかった。よろしくね、と妖精は告げる。ソキは、はい、と頷いて、笑った。




 ソキの旅日記 十二日目

 砂漠の国に戻りましたです。

 リボンちゃんと一緒に、お家に帰ります。

 もうすこしですよ。

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