2日目

 鍵を開けたのは、妖精による呪いである。

『アタシの前に、封じられているものがあってはならない!』

 という意思ある言葉は魔法を弾き返す処置もなにもされていないただの鍵をあっけなく開け、喜ぶソキを部屋の囚われ人から解放した。

 妖精はその様子に、卵であろうと魔術師のはしくれが、これくらいのことも知らないで、と思ったのだが、よくよく考えればソキは案内妖精の視認すら正しくできていない状態だった。

 つまり、たった今、ソキは魔術師としての能力が発現したばかりなのである。知識もないだろう。その状態で、開放されるべき神聖だけが少女の体に押し留まっている。危ない、と妖精はひとりごちた。

 魔術師の卵とも、魔法使い候補生とも呼ばれる学園入学予定者が、一人で旅をしなければいけない理由はその辺りになる。彼らの能力は個人差があるものの、正しい言葉と知識によって、全く制御がされていない状況だ。

 それはあと一滴で零れ落ちる杯に満ちた水に似て、いつ何時も暴走の危険を孕んでいる。爆弾よりずっと性質が悪く、危険な存在でしかないのだ。すくなくともアレは、爆発しようとさせなければ安全なものである。

 だから、妖精は、ねえアンタ、とソキを振り返って告げようとしたのだ。

 けれども。間の抜けた愛らしい驚きの声と共に。

「きゃぅっ」

 びたんっ、と派手な音が無人の廊下に響きわたった。妖精は、ソキの顔があるべき位置からすぅーっと下に視線を下げて行き、ほとほと、理解ができないという表情で腕組みをした。

『アンタ、なにやってんの?』

「……ソキ、ちょっと、転びやすい、ですよ」

『どんくさっ』

 したたかに打ちつけた鼻の頭と額を両手でさすさすと撫でながら、ソキはしょんぼりとした様子で座りこんでいる。

「……でも、ソキ、丈夫ですから、怪我してない、ですよ」

 そう言われてよく見れば、音が派手なだけで、ソキの顔には傷ひとつない。赤みも引いている。手足がまっすぐに伸びた、まさしくそのまま倒れた状態であるから、言うように丈夫な作りであるのかも知れない。

 それにしても、人間の体は本能的に、手足が前へ出て衝撃を多少緩和しようとする生き物である筈なのだが。恐ろしいことに、ソキの運動神経は、その防衛本能と連動していないらしい。

 むっくり立ち上がった姿は、なるほど、なぜか、立ち上がり慣れている雰囲気を漂わせていた。

「お待たせしましたです」

『……うん』

「はやく、ご挨拶して、ソキ、旅に出るですよ」

 絶縁状を叩きつけて、二度と私に関わるなと言ってから出発する、と感じられるのは気のせいなのだろうか。ほやほやふんわかした口調の、どちらかと言わずとも頭の回転が鈍そうな少女がそんなことを考えるかしらと妖精は首を傾げ、まあいいわと溜息をついた。

 ふぅん、と気のない返事だけをする。屋敷の主というものは、だいたい豪華な方へ、奥の方へと行けば会えるものである。ソキも特にどこにいるとは言わなかったから、妖精はその法則に従って、再びすいと空を泳いだのだが。

 びたんっ、と音がした。十秒も経過しないうちだった。振り返る。

『……嘘ぉ』

 ふたたび、ソキがすっころんでいた。見事なまでのころびっぷりだった。痛みにだろうか。ふるふるふると体を震わせ、ソキはぎゅ、と手を握って言い放つ。

「そ、ソキは、ひとりで、立てますよ……!」

『ああうん……それはすごい、わね……?』

 褒めた訳ではない。そのつもりもないのだが、茫然とした妖精の口から出たのは、そんな言葉だった。ソキは、もぞもそと鈍い動きで体を起こし、よろけながら立ち上がる。それだけの動きで、ぜいぜいと、息をしていた。

 極めついて体力がないらしい。けれども、前を見る瞳の強さは、決して揺らがなかった。足が踏み出される。歩く、歩く。そして。

「きゃあっ」

 びたんっ、と音がした。

『……ちょっと』

「……はい」

『アンタ、なに。もしかして、一人で歩けないの……?』

 それはそれはものすごく恐ろしい事実を目の当たりにして、妖精は、五十メートルもない距離で三回も転んだ少女に、ごく真剣な声で問いかけた。

 それなのに、なぜか全く怪我をしていないソキは、ううん、と考え込む様子で首を傾げる。

「いいえ。ソキは、歩ける、ですよ……?」

『じゃあ、呪いでもかかってんの? ……その形跡はないけど』

 じろじろ、特に腰の下から足先までを重点的に見つめて確認して、妖精はうんざりと眉を寄せた。

『それとも、遊んでんの? ふざけてんの?』

「ソキは、まじめに、歩いてますよ」

『冗談言わないでよ……あの鍵の部屋、もしかして、アンタを閉じ込めてたっていうか』

 単純に怪我防止の意味合いも強かったのではないか、と妖精は思った。陽あたりが良いわりに薄暗い空気の漂った部屋は、確かに人間の気持ち悪い感情が少女のことを閉じ込めていたが、それはそれとして、床には毛足の長いふかふかとした絨毯がしきつめられていた。

 クッションもそこかしこに置かれ、部屋の空気は廊下と比べ、温められていたのだ。それはそれとして、よわい十三の少女を将来的な嫁として屋敷に留め置くという行為が純粋に気持ち悪いので、妖精としては印象の回復はないのだが。

「よい、しょ……」

 妖精が考えている間も、ソキはよろよろふらふらと立ち上がり、手をぎゅぅと握って気を取り直していた。

「行きます」

『……うん』

 二十秒後。びたんっ、と音がしたのをもう振り返らず、妖精はひどく遠い目をして豪奢な天井を見つめていた。これはもしかして、もしかしなくとも、とてもとても大変な相手をあてがわれたのではないか、と思わずにはいられない。

 ぜーはー、ぜーはー、ものすごく体力を消耗した気配がするが、見もせず、妖精は先を急ぐ。割り振られた役目は『星降の国』までの案内で、それ以上でも以下でもないのだ。びたんっ、と音がする。立ち上がる、歩く。その繰り返し。

 それでも、一度も、待って、とは言われなかった。




 屋敷の主は、意外なことに、妖精の目から見ても好青年だった。ソキとはすこしばかり年が離れすぎているように思えるが、それでも、二十五にはなっていないだろう。

 部屋から出てきたソキを大慌てで出迎え、ふっかふかのソファに腰を下ろさせ、温かな飲み物を手渡す表情は純粋な心配に満ちていて、ありていに言い表すのであれば、性的な仕草は感じ取れるものではなかった。

 家が決めた結婚であることは確かで、ソキの意思などなかったに違いない。青年も、本意であったかは疑わしい。

 それでも、もしかしたら結婚までの二年を、温かで静かな愛情を育む時間として、青年が欲していたのであれば。ソキの言葉は、あまりにも無情だった。

「ソキ、魔術師のたまごなので、学園に行きます」

 だからあなたとは結婚しません、と。その意思が感じられる言葉を、すぱーんっ、と効果音がつきそうな潔さで言ったソキは、すこしだけ肩の力が抜けた様子でふぅ、と息を吐きだした。

「お世話になりましたです」

 あとこちらが証拠になります、とばかり、ソキは入学証明書を青年に向けて差し出した。ぶ厚いハガキのような白いカードには、星降の国、国王の直筆でいくつかの言葉が書かれている。

 紙の表面には時折、虹色の光が現れ、消えていく。とびきり強い魔力の込められた、魔法具の一種だった。持ち主を定められ、いかなる呪いも、火も、この証明書には通用しない。

 無理に奪おうと、必ずソキの手元に戻ってくる。青年がソキからカードを受け取ると、それは空気にかき消えるように存在を消し、数秒後。

 ソキの手の上に、ふたたび現れた。

「……本物」

「はい。そうです」

「このことを、君の父上は……?」

 ご存知なのかと問う言葉に、ソキは知らないと思います、と首を傾げ、困ったように妖精を仰ぎ見た。

「リボンちゃん。お父さまには?」

『なんでアタシがそんなめんどくさいことしないといけないの? アンタが親元にいれば、言っただろうけど。……ああ、あと、分かってるだろうけど、アタシの声はそれには聞こえてないからね? アンタ、ちゃんと説明しなさいよ? 言ってない、って』

 妖精の姿が見えるのも、声が聞こえるのも、魔術師として生まれた者だけだ。ソキはこくりと頷き、リボンちゃんが言うには、とのんびりとした、緊張感のない声でそれを復唱した。

「言ってないです」

「……君の傍に、妖精がいるんだね」

「はい。リボンちゃんって呼んでるですよ」

 そう、と吐息と共に呟き、青年はひどく残念そうに笑った。

「君が、その歳に似合いの相手に引き合わされるより早く、と思っていたのだけれど。……残念だ」

「でも、恋人さん、いるですよね?」

 きょとりとしたソキの問いかけに、青年の微笑みがゆるく深まった。

「……なんで?」

 あ、コイツ、アウトだ、とごく冷静に妖精は判断した。ソキは問われたことに対して不思議そうに瞬きをする。

「胸元の、黄色いリボンのメイドさん。短い、黒髪の、お姉さんが、ソキと一回も、目を合わせてくれないですよ」

「それだけ?」

「他に、なにか必要です?」

 青年は苦笑いをして、肩をすくめた。

「やはり、残念だ。……さて、国境までは送ろう。馬車の準備をするから、ここで待っておいで」

「ソキ、大丈夫です。自分で行けますよ」

 控えていた執事に指示を出しながら、青年は柔らかな笑みでソキを振り返った。ものすごく、駄目な子を見る表情だった。

「ここまで来るのに、何回転んだ?」

「……で、でも、でも。一人で、行かないと、いけないですよ。ね? リボンちゃん。ね?」

 一人旅。そして、見送りや供の者、なし。これが基本的な魔術師の卵が星降の国へ辿りつくまでのルールであり、原則だった。それは知っているけれど、と青年は見えぬだろうに、ソキが問いかけたあたりの空間を探るように見つめた。

「彼女には、魔術師の卵として旅路を行く義務があるだろうが、それと同時に、破談の理由を父親に告げる義務がある。通り道とはいえ、彼女には大変な旅だろう。なにより、本来は彼女の母国で受け取る筈だった許可証だ。元の場所に戻るまでくらいは、私は彼女の保護者でもないのだし、単に同じ方向へ向かうだけだと思えばいい。許可されて良いと思うが、どうだろうか」

「ソキ、いいです。ひとりで、行きます」

 青年は、ソキの要求を聞き入れる気がないようだった。黙って、と柔らかな声の響きで求められ、ソキはきゅぅと唇を噛む。そうねぇ、と妖精は思案した。

『国境までなら。送ってもらって構わないと思うわ。はい、通訳』

「……リボンちゃん、だめって言いました」

 青年は、へぇ、そう、と笑って、ソキのことを眺めている。ちょっと面白くなってきた、というような表情だった。そうです、と真剣に、ソキは繰り返した。

「ソキ、ひとりで行きます」

『ちょっと、アンタなに言って……大丈夫よ! ペナルティにはならない。送ってもらいなさいよ!』

「どうも、許可されているような気がするのだけれど?」

 にこにこ笑う青年に、ソキはかたくなだった。首を横に振り、必死な様子で繰り返す。

「だめなんですよ。だめなんです」

『アンタの方が駄目よ、この馬鹿っ! アタシが良いって言ってんのよ! 案内妖精の言うことよ?』

 馬車の準備が整いました、と告げに来た執事を手のふりで下がらせて、青年はソキの前にしゃがみ込んだ。

「駄目?」

「……め、です」

「それとも、嫌? ……親父は、絶対に、ついて来させないよ。それでも?」

 びくり、と強く、ソキの体が震えた。はくはく、血の気を失った唇が、動く。

『親父? ……アンタの父親が、なんなのよ。ちょっと……ちょっと、なに?』

「君には、本当に申し訳ないことをした。君が不安なら、私も一緒には行かない。ここで、親父が君を追わないように、見張っていよう。必ず。約束するよ。……だから、送らせてくれないかな。君を、ひとりで行かせるのは、あんまり不安だよ」

「……いや」

 ようやく、しぼりだした声は震えていた。

「ソキ、いや。いやです。いや、いや……!」

「うん。うん……そうだね、ごめんね」

「ひとりでいけます。ソキ、ひとりが、いいです……! みんな、きらい、いや……!」

 体中を強張らせた、全身全霊の拒絶だった。むずがる声にうん、と頷きながら、青年は妖精がいるであろう方向に視線を向ける。

「君も、あの部屋を見ただろう? ……あの部屋はね、私が用意したのではないんだよ。鍵だけは、なんとか、私が持っている。マスターキーだ。私は、私なりに、彼女を守るつもりだった」

『……それって』

「こうなった以上、彼女を留め置く理由は私には無いよ。……一刻も早く、遠くへお行き」

 ごめんね、と囁かれた言葉には、ソキはこくりと頷いた。けれども、かたくなに、繰り返す。

「……ひとりで、いくですよ」

「うん。うん、君の気持ちは分かる。でもね、君、すぐ転ぶし……走っても、私の普通歩きくらいの速度で、やっぱり転ぶし、馬に乗れないし、馬車はゆっくりじゃないと体調を崩すだろう? どうやって行くつもりなのかな? 言ってごらん?」

「ソキ、転んでも諦めませんよ」

 きっぱりとした宣言だった。苦笑する青年とは裏腹に、妖精はくらりとした眩暈を感じて黙りこむ。普通に歩いてすっ転び、走っても一般人の徒歩くらいの速度にしかならずにすっ転び、馬にも乗れず、とすると砂漠ではラクダにも乗れないだろう。

 さらに、通常速度の馬車で体調を崩すということは、すなわち、乗合馬車での移動イコール体調不良に直結する、ということだ。加えて、普通に歩くだけでも息切れを起こす体力のなさであるということは、屋敷内の移動でも十分に分かっていた。

『……ねえ、国境まで送ってもらいなさいよ。それで、家に連絡しておいて、砂漠の国に入ったら迎えを寄こしてもらいなさい。いいわ。うん、いい。全然いい。仕方ない。案内妖精として許可する』

 そこからは、また手段を考えよう。その為にも案内妖精はいるのだ。安全に、星降の国まで入学予定者を連れていく為に。危険は避けなければいけない。それなのに。

「ソキ、だいじょうぶですよ」

 ぷうぅ、と頬を膨らませて、舌ったらずにソキは主張した。

「いっしょうけんめい、歩きますです」

「うーん……」

『アンタねぇ……いい加減にしなさいよ? アンタには、ムリ。夏至の日までに到着しないといけないのよ? 普通に行けば十分間に合うけど、アンタ、どう考えても絶対ムリ』

 いじっぱりだねぇ、と笑う青年は、あくまでソキに対して優しい態度を崩さなかった。てのひらがぽん、と頭に触れ、さらりと髪を撫でて行く。

「じゃあ、首都までなら? これから旅をするにしても、まさか、その格好のまま行く訳じゃないだろう? 準備を整えなくてはいけないよ。服も、靴も、道具も必要だ。怪我も、病気にだって備えなければいけない。この屋敷で、それは難しいだろう。……君のものは、なにひとつ残せなかった。そのリボンくらいだね。君が国から持ってきて、そのまま、手元に残せたのは」

「……首都までだって、ソキは歩けますよ」

「そうだね、歩けるね。首都からは、君がその足で行くんだ」

 なにも歩くのが駄目って言ってるわけじゃないんだよ、と青年はソキに語りかけた。

「でも、そのまま、なんの準備もないまま行くのは私だってできない。……首都まで、だ。首都まで。そこで、お別れしよう。首都から国境までは……なるべくゆっくりした日数の乗合馬車を選んで、行くんだよ」

「……ぜったい」

「絶対、親父はこの家から出さない。君が、国境を通ったと知らせが来るまでは、どこへも行かさない。……私はこの場所に残ろう。さあ、もう行くといい。馬車はなるべくゆっくり走らせよう。体調が悪くなったら、ちゃんと御者に言いなさい。分かったね? ……お別れだ。どうか、元気で」

 そっと微笑んだ青年はソキを軽く抱くことすらせず、立ち上がる為に手を繋いだだけで、少女を執事へと引き渡した。馬車に乗せるまで必ず手を繋いで、ゆっくり歩いて差し上げるように、と厳命し、青年は見えない妖精にも微笑みかける。

「妖精は呪いが得意だって聞いたことがある」

『そうね。事実よ』

「……言い含めたけれど、彼女になにかあれば、御者を呪って構わない」

 ちいさな声で早口に告げられた言葉は、ソキに聞かせたいものではなかったのだろう。青年の視線の先で、ソキはゆっくりと一礼し、執事に手を引かれて歩いて行った。

 案内妖精は無言で、その後を追う。返事はしなかった。言っても聞こえないからだ。それが現実になるなど、思ってもみなかった。




 首都までは距離がある。移動の速度もあげられないから、昼過ぎに出た馬車が首都に到着するのは、明日の早朝とのことだった。妖精にしてみれば随分ゆっくりと進む速度でもソキには大変らしく、陽が姿を隠すまでの短い時間で、すでに二回、休憩を申し出ていた。

 そのたび、不満そうな、気味の悪そうな視線をソキに向け、押し黙って馬を止める御者の態度が、妖精にはひどく気になった。青年の言葉のせいではなく、目つきがどこかおかしい。怯えるような、恐れるような。それでいて憎しみすら思わせる。

 妖精がおかしい、と思っている以上に、ソキもそれに気が付いているようだった。全身にみなぎらせた緊張が、元々ない体力を、さらに削って行く。夕焼けが消え、あたりがすっかり夜になった頃、馬車に揺られながらソキの意識は途絶えた。

 体力がつきて、起きていられなくなったのだ。妖精は仕方なく、横たわって眠るソキの、胸の上あたりに座りこんでいた。ゴトゴト、揺れが激しい。山道だからだ。起きていたら確実に酔っていただろうから、まあ、眠っていてよかったのかも知れない。

 このまま朝まで昏睡でもしていればいい、と妖精が思った時だった。突然、激しく馬車が走りだす。妖精がとっさに、ソキの服を握り締めてひっつくのと、施錠されていなかった扉が開き、揺れに抗えない少女の体が外に投げ出されたのは同時のことだった。

「や……!」

 目覚めたソキが手を伸ばすも遅く、ぽぉんと投げ出された体は地面の上に叩きつけられる。馬車の動線上に体が入らなかったのは、本当に幸いなことだった。

 少女が投げ出されたのに気がつかない訳もないだろうに、馬車はそのまま走り去ってしまう。そして、待っても、待っても、戻ってくる気配が感じられなかった。

『……呪われろっ!』

 怒りのままに全力で吐き捨て、妖精は動かないソキの顔を見た。顔色が、ひどく悪い。元から、体力がつきて眠っていたのだ。突然のことで、受身も取れなかったに違いない。

 準備期間があって予告されていたとしても、きっとソキは受け身なんて取れないのだが。

『ちょっと……アンタ、立てる? 怪我は? ……どこが痛いの?』

「……だいじょぶ、です」

 動けもしないのにそう言って、ソキはきゅぅ、と眉を寄せた。

「リボンちゃん」

『なに』

「ソキ、なんとなく、わかってたですよ。あのひと、魔術師、きらいなんです。……寝ちゃ、だめだった、ですよ。……もうすこし、したら、ソキ、立てます。怪我、しませんでした。言ったでしょう? ソキ、丈夫なんです……」

 丈夫にしても、限度がある。そんな訳ないでしょう、と怒鳴ろうとして、妖精は気がついた。ソキの体を、恒常的な魔力が包みこんでいる。目を凝らしてよく観察しなければ分からない程の、弱く、それでいて強い、しなやかな魔力だった。

『……これ、アンタ、自分で?』

「これ? ……これって、なんですか?」

 分からないです、と言って、ソキは目を閉じてしまった。目を開けているのも辛いらしい。辛そうに呻きながら、それでも、もう身を起こそうとしている。

「ソキ、だいじょうぶです。ひとりで立てますよ……」

 それは、回復魔法や守護の祝福とも違うものだった。強いて言うのなら、呪いに近い発動の仕方をするものだ。『奇跡的』に、ソキは馬車から投げ出されても怪我をしなかった。その理由を少女は、己が丈夫だから、と信じている。

 そんな筈がない。これは魔術だった。妖精は、息を吸い込む。こんな風にでたらめな、まるでなんでもできるかのような力の使い方をできる魔術師を、どう呼ぶか、妖精は知っている。

 予知魔術師。己の吐く言葉を、結果として予知にしてしまう、結果型の奇跡を呼び起こす者。

「……ふにゅ」

 痛みが引いたのだろう。体を起こして、ソキはすっくと立ち上がる。

「お待たせしましたですよ、リボンちゃん。ね? ソキ、丈夫なんです」

 行きましょう、とソキは笑った。

「今から歩けば、お昼くらいには、きっと首都です」

『……そうね』

 ふらふら歩きだし、三歩も行かないで、ソキはびたんっ、と倒れ伏す。さすがに、ちょっと落ち込んだのだろう。ふぇ、と半泣きの呟きを落としつつ、ソキはよろよろと立ち上がった。

「ソキ、諦めないです……」

『そうね。アンタ、根性はあるわよね』

 ただし、注意力と学習能力が無い。すこぶるない。ふらふらふら、と歩き、またびたんっ、と転んだのを見かねて、妖精はふよふよと、倒れる少女の顔の近くまで飛んで行った。

『ねえ、ちょっと休んだら?』

「……でも」

『というか、寝なさい。さもないと、アンタ、転ぶんじゃなくて行き倒れるわ』

 ちょっと目を閉じるだけでもいいから、と言い聞かせられて、ソキはしぶしぶ、目を閉じて息を吸い込んだ。




 ソキの旅日記:二日目

 起きたらお昼でした。びっくりでした。ソキ、急いで歩いたですよ。

 でも、また夜になったので、リボンちゃんに歩いたら駄目って言われました。

 明日の朝、首都につくと思います。

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