第二章 子従として出来ること

#25:早い朝のお勤め

 十一月初めの早朝。霊峰・トゥクルスヘッジに近いこの地域では、既に突き刺すような木枯らしが吹いている。

 裏口から外へ出たシュテラは、あまりの寒さに自らを抱くようにして両腕をさすった。真っ向から射す眩い朝日も大して温かみが感じられず、今はただ、迷惑そうに目を細めるしかない。


「シュー、おはようございます」


 相変わらず季節感のないメイド服のカサンドラが、箒を手にしたまま平然とした態度で挨拶してきた。


「おはよう、カサンドラ。さ、寒くないの?」

「ええ。慣れておりますので。それより、シューの方が寒さを感じるということに驚きましたが」


 カサンドラはシュテラの出身地を知ってはいなかったが、山間の方で生まれ育った話は聞いていた。


「あー、うん。ここよりずっと寒いけど、日が昇ればそこまで寒くなかったもの。わたしが早朝に慣れてないせいだと思う」

「ああ、左様ですか。お勤め、頑張ってくださいね。温かいお食事をご用意いたしますので」

「うん、ありがとう!」


 育ち盛りの食いしん坊はそれだけで寒さを忘れられる。シュテラはそのまま厩舎へ赴いた。


「さあ、お目覚めの時間だよ、エフィリオ」


 ペイジとしてのシュテラの勤めその一は、騎乗に用いる雷獣や馬の世話をすることだ。

 獣の朝は早い。人が起きるその前に、餌と飲み水を替え、ブラシで毛並みを整える。これは単なる世話ではなく、獣たちと触れ合うことで信頼を得る目的でもある。特に雷獣は頭が良く、世話をした人間のことを決して忘れない。無論、サイラスも世話を忘れているわけではなく、週に何度かは自らこの勤めを果たしている。何より、自分が乗る獣なのだ。自分で世話をしなければ主人と認められるわけがない。

 また、ペイジは主人の代わりに雷獣を厩舎へ連れて行く役目もある。一般的には騎士団長でしか背に乗ることは許されていないという認識だが、それは任務として雷獣を扱う場合の決まり事での話だ。厩舎へ連れて行く場合、稀にペイジが背に乗ることもあり、これは許可うんぬんではなく、雷獣が許すかどうかの話になる。そういうわけで、実際のところは騎士団長とペイジが雷獣に乗れる、ということになるのだ。


 シュテラは、飼い葉と新鮮な生肉の塊を丸ごと餌樽に入れ、井戸から冷たい水をバケツに入れて運び込んだ。エフィリオがガツガツと食べる間に厩舎の掃除やブラッシングを済ませる。それだけで寒さなど忘れ、むしろ汗ばむぐらいになった。

 同じように馬の厩舎でも作業を終えると、今度は館の中に戻り、武具が納められている武器庫へ向かう。

 お勤めその二は武具の手入れである。鉄絡みのものはまだ任されておらず、破れたチュニックやマントの修繕と洗濯ぐらいである。最近はようやく慣れてきたものの、汗と錆の臭いがこびりついた武具に触れるのはどうも苦手であった。それに──


「いたっ!」


 針で刺してしまった指を嘗める。……が、様々なものに触れていたせいで変な味がしたので、直ぐにペッペッと吐き出した。

 これまでは何事も力任せだったので、細かい作業についても大の苦手だった。このような仕事が与えられているのは、シュテラにレディとしての教養と共に、力のさじ加減を覚えてもらうためでもあった。


 小一時間ほどしてその作業が終わると、今度は第三の勤めである剣の素振りが始まる。怪力のシュテラに剣を振ることはさほど難しいことではないのだが、この目的はどちらかと言えば、正確なコントロールを掴むためにあった。

 実際に戦で用いられる鉄の剣を、上下左右斜めとあらゆる方向から振り、藁で出来た案山子の胸元に当たる部分をひたすら狙い打つ。それを何百回と繰り返し、頭、腕、足……と狙いを変えていく。毎朝この繰り返しだ。

 しかし、いくら力自慢であれ、体力には限界があった。これまでに訓練をしたことがなかったせいか、本人ですら自覚しなかったのだが、シュテラの怪力は瞬発力によるもので、持久力は子供以上大人未満というところで、それほど高くなかったのだ。なので、訓練が終わると、食堂へ向かう足はまるで千鳥足だ。


「おーい、シュー!」


 ふと誰かに呼ばれて振り返ると、何か白いものが目に飛び込んできた。


「わっ!?」


 軽いデジャビュを覚えながら慌てて右手で掴むと、とれたての鶏卵がそこにあった。


「おー! やるようになったじゃん」


 顔を上げると、こっちは鶏や鴨の世話をしていたマリアーナの姿。


「マリィ、前にも投げたよね?」

「あの時は握りつぶして酷いことになってたな」


 マリアーナはそう言って悪戯っぽく笑った。

 確か修練開始したばかりの時だ、とシュテラは苦い顔で笑う。そうならずに済んだのは、毎日の修練の成果が出始めている、ということか。


「今日はベーコンエッグが出来るな。カサンドラに作ってもらおうぜ」

「うん。そのつもり。……あーあ、お腹すいたぁ」

「いっつもそれだなあ、お前」

「育ち盛りなんですー! 何ならマリィの分まで食べちゃうぞ?」


 がおー、と歯を見せて威嚇するシュテラに、マリアーナは鶏卵の入った籠を大事そうに抱えて逃げ出す。


「おー、怖い怖い。大食らいのモンスターに襲われるー!」

「まてー!」



   §



 そんな子供たちの他愛のないやり取りが窓の外で行われていることも知らず、サイラスは書斎で一人、羊皮紙に目を通していた。今朝、馬で届いたばかりの報せである。


(そろそろ動き出す頃か……)


 それはカルツヴェルンの動向を報せる定期報告だった。

 約八カ月ほど前。シュテラが生まれ育った村を巻き添えにしたあの戦で、カルツヴェルンは戦力の増強を図るため、一時的に北へ撤退した。

 何世代も続いている、長い長い戦いだ。絶対的君主の下、決して怯まない、狂人とも言える女戦士の軍勢。その腕力は男性である騎士にも劣らず、斧を振るえば軽々と首をすっ飛ばすことも出来る。おまけに、後ろで控える魔術師たちは弓矢の代わりに火の玉の雨を降らせてくる。機械兵器の技術では魔法に劣らぬアルドレアでさえも、爆風を喰らえばあっと言う間に兵士は絶命してしまう。

 アルカストルでも最新兵器の開発には余念がないが、次の最新兵器が完成するまでにまだ数年はかかり、城郭都市を更に堅固にするためにもあと五年以上はかかる見込みだと言われている。その頃には相手も新しい魔術を開発しているだろう。それでは間に合わないのだ。


 サイラスは窓の外を見下ろした。ふざけ合い、笑いあっている二人の娘を眺めながら、どうしたものか、と深い溜め息だけが口をついて出る。


(ここにいれば何も恐れる心配はない。だが、シュテラはどう思うだろう。賢いあの子のことだ。私がこの場からいなくなれば、戦だと悟られるに違いない)


 また、深い溜め息をついた。サイラスは書簡を引き出しにしまい、誰にも見られないよう、きちんと鍵をかけた。


(騎士になることを許したのは、あの子の今後のためを思ってのことだ。しかし、同時に女性として生きられる権利をも奪っているのも事実だ。こればかりは何度も思案したが、未だに解決出来ておらぬ。私は、結果的にあの子の未来を奪ってしまっているのではないか……?)


 シュテラの怪力は既に街中で噂になっている。その拡散を食い止めることは出来ないだろうし、噂が城にまで及んだら、きっとサイラスが事情を問われるだろう。今は一部の頼りある城の者達によって隠蔽されているからいいものの、いったい何者で、どういう所以で養子にしたのか、と問われれば答えようがない。言うまでもなく、彼女は敵国の娘なのだ。シュテラが事実を知れば敵となる可能性が高く、その力は今でこそ小さなものだが、いずれ国を脅かす程に成長するだろう。

 だから、バレるより先にシュテラを正騎士に育てる必要がある。姑息な方法だが、国が一旦騎士であることを認めてしまえば、後から言い逃れは出来ない。神の名に誓って任命する聖なる儀式を取り消すことは神への冒涜なのだから。 


「あなた、お食事が出来ましたよ」


 扉越しに聞こえたオリビアの呼びかけに、サイラスは何食わぬ笑顔で振り返った。


「ああ。直ぐに行こう」

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