#19:城の中の城 - 2

 一行は、アルカストルの少し手前にある宿場町で軽い朝食と休憩を済ませ、直ぐに飛行を再開した。丘陵地帯を越えた先、北に霊峰、南に砂漠を携えた平原の中央に、巨大な鈍色の箱のような塊がそびえ立っているのが見える。


「あれがアルカストルね。あんなに大きな壁で、人々は困らないのかしら?」

「どうしてそのような疑問を?」

「だって、外の景色が拝めないじゃない」


 なるほど、とエーラは笑った。


「覚えておいて下さい、シュテラ。アルカストルに住む者にとって、その景色は当たり前の光景なのです。中には、一生をあの城壁の中で暮らす者もいます」

「そうなんだ」


 籠の中の鳥のようだ、とシュテラは思った。それに、城壁の中に城があるというのに、街そのものがまるで城のようではないか。

 そう考えると、城の中の城にいる王様は、もっと窮屈なのではないだろうか。これではどちらが偉いのかよく分からない。


「あの入り口から入りますよ」


 シュテラの妄想が尽きないまま、エフィリオは今度は早めに高度を落とし、なるべく静かに城門の近くに降り立った。

 シュテラはエフィリオの首もとをわしわしと撫で、「今度はお上手ね」と褒めた。


 そのまま騎乗したまま突き進むと、城門の前に立つ見張りの兵士たちが一斉に驚いた顔をした。


「雷獣だと!?」


 驚いたのは雷獣というより、その背に乗った子供のほうである。

 待ってましたとばかりにシュテラはぴんと背筋を伸ばし、騎士流の挨拶で頭を下げた。

 一方、エーラは顔を伏せ、どういうわけか素顔が見えないようにしている。


「わたしたちはサイラス騎士団の遣いの者です。急ぎの用があって参りました」


 だが、兵士たちはその滑稽な組み合わせに笑うだけだ。


「子供が騎士団の遣いだなんて聴いたことがないぞ!」

「よく雷獣が許したなぁ」


 ムッとしたシュテラは、エフィリオから飛び下りて大股で兵士の前まで歩み、そこでクルリと背を向けた。


「この紋が分かりませんか!?」

「ぬ!? サイラス騎士団……!?」


 兵士たちは一瞬顔色を変えたが、辺境の騎士団が王都へ子供を遣わすという異例の事態に「どんな手の込んだ冗談か」ぐらいにしか考えられず、どうしたものかと首を傾げている。

 見かねたエーラがエフィリオから飛び下り、戸惑う兵士たちの前に歩み寄った。事態はそれだけで一変する。


「エ、エーラ殿!?」


 エーラは腕を組み、兵士たちを鷹のように鋭い眼差しで睨んだ。


「子供がそんなに珍しいのか? それとも、子供を遣いとして認めない法律でもあると言うのか?」

「い、いやその……そういうわけでは」

「言い訳はよろしい! さっさと門を開けよ!」

「ははっ! 今すぐに!」


 兵士たちは途端にばたばたと動き始めた。

 兵士から門の上の見張りに合図が飛び、門の向こう側へと伝達される。すると、門は独りでにギリギリカタカタと複雑な音を奏でながら重々しく両側に開いた。


「うわあ!」


 バカにされたのも忘れ、シュテラは感嘆した。地味な外見と裏腹に、街中はとても鮮やかな建物でいっぱいである。


「さ、行きますよ、シュテラ」


 いつもの優しい口調に戻ったエーラがシュテラの肩をやんわりと抱いた。

 二人は直ぐにエフィリオに乗り、まるで兵士たちに見せびらかすかのように蹄の足音を轟かせながら城門を悠々と潜っていく。

 シュテラはぽかんとする兵士たちを尻目に悪戯っぽく声を殺して笑った。


「いい気分ね!」

「まぁ、シュテラ。お行儀が悪いですよ」

「だって、失礼なのはあの人たちの方でしょ? 折角ちゃんとしたマントを着てきたっていうのに、この意味が分からないなんて!」


 ごもっともな意見だ、とエーラは思ったが、同時に傷ついた。

 人ごととはいえ、同じ王宮の人間として自分がダメだしされたのと何ら変わらないからだ。


「……まぁ、失礼なのは否定出来ませんね。全く、人を見かけで判断するのは下の下です」


 兵士にはあとで再教育が必要だな、とエーラは心の中で静かな炎を燃やした。


 戦が落ち着いてから半年。これまでの行き詰まった緊張が解き放たれたせいなのか、兵士たちは気が抜けてしまっている。

 だが、戦争は終わっていない。なのに、彼らはもう大丈夫だ、と思っているのだ。

 それがアルカストル……いや、アルドレア人全般に当てはまる、平和ボケで軽薄という気質である。


「すごいすごぉい!」


 一方のシュテラは、田舎にはない都会の華やかな風景に驚いている。エーラはシュテラが本来の目的を忘れているんじゃないかと半ば呆れた。

 街の中心を流れる運河の橋には、両脇の高欄から納涼効果もある小さな噴水が一定間隔で飛び出して虹を描いている。その向こう側にある鍛冶屋の屋根に飾られた大きなハンマーのオブジェは──どういう原理なのか、ひとりでに動いているではないか。


「一体誰がアレを動かしてるの!?」


 シュテラは慌ててエーラの袖をぐいぐい引っ張り、エフィリオが通りすぎる前にと答えを急かした。


「誰も動かしてはいませんよ。全て機械というカラクリで動いているのです」


 そしてエーラは、何も知らないシュテラにひとつひとつ説明した。


 まず、アルカストルを支えているこれらの技術は、北の鉱山から採取出来る不思議な力を持つ鉱石、「炎業石」のお陰であることを説明した。

 炎業石は、衝撃を加えるとその力の強さに応じて一定時間熱を放ち続けるという特別な鉱石である。アルカストルではそれを動力源に機械を制御しているのだ。


「じゃあ、機械というのがあれば何でもひとりでに動いてくれるのね?」

「そこまで万能ではありませんよ。まだ発明されたばかりの技術で、制御が思うようにいかないんです。せいぜい動かすか、動かさないか。その程度の単純なことにしか使用出来ませんから」


 燭台の替わりに街の明かりとして機能している機械式の街灯。

 噴水や鍛冶屋の動くハンマーのように一日中動き続けるオブジェ。

 重いものや人を高い所へ運んだり下ろしたりするという「動く床」。

 そして、四方にある城門の開閉制御──


 これらは炎業石の都合上、一定の力量を保ちながら動作するので、急に強めたり弱めたりすることが出来ないという。その代わり、燃料さえ尽きなければいつまでも動き続けるという利点がある。

 しかし、まだ七歳のシュテラには、このような複雑な説明を受けても、まったくのちんぷんかんぷんだった。だから、


「何かよく分からないけど、すごいコトなのね」


 ──と片づけてしまう。


「ここに住んでみたら、イヤでも分かるようになるでしょう。……ほら、城が見えてきましたよ、シュテラ」


 城と聞いてロマンチックな建物を思い浮かべていたシュテラだが、期待を籠めて顔を上げてみれば、たちまちその期待は裏切られる。

 外壁は銀色の金属板といくつもの砲台に覆われ、塔以上に煙突がいくつもそびえ立ち、もくもくと黒煙が立ち上っている。理想からだいぶかけ離れた城ではないか。


「お城って感じがしないよ……」

「昔はちゃんとしたお城だったんですが、今は仕方ありません。隣国との戦争に備えるための要塞でもありますから」


 戦争、と聞いてシュテラの胸がちくりと痛んだ。家族を引き裂いたあの戦は、やはりまだ続いているのだ。

 グリュプスだけでも大変な目に遭っているというのに、それよりももっと大きな戦いが目の前にあるなんて。


「わたし……騎士に憧れなきゃ良かったかな」

「戦うのが怖いからですか?」


 シュテラは少し迷ってから首を横に振った。


「ううん。戦うより、何もかもなくなっちゃう方が怖いの」

「……そうですね」


 騎士になるということは、戦では戦士として戦うということだ。それはつまり、自分の母を失った時のように、誰かの幸せを奪うことでもある。

 自分がそんな目に遭ったというのに、他人に同じような目に遭わせるのは、今のシュテラにとってはとても考えられないことだった。


「エーラさん。お義父様は本当に誇り高い騎士だと言える?」


 エーラは唸った。何と答えれば良いものか。

 シュテラはこう言いたいのだ──戦で人の命や幸せを奪うことが、果たして誇り高い騎士だと言えるのか──と。


「私は、サイラス殿のことを誇りに思います。騎士とはそもそも、自己犠牲の上に成り立つものです。誰かの為に己を捨てる。だから、他人からはむしろ汚れて見えることもあるでしょう」

「じこ、ぎせい……」


 シュテラはおまじないのようにその言葉を繰り返す。

 七歳の娘にはまだ早いだろうか──エーラは一瞬躊躇ったが、この際だから、と自分を納得させて話を続けた。


「おとぎ話のように純銀の鎧をまとったていのいい騎士だけが騎士とは言えません。むしろ、血で汚れ、土にまみれ、人に貶され……それでもなお、誰かの役に立とうと前に立ち、或いは、誰かの代わりに罪を被ることさえ厭わない。……それこそが、人々に愛されるべき理想の騎士なのです」


 ──汚れるのが騎士だって? 

 かけ離れた理想と現実との差に、シュテラは愕然となった。マリアーナにこのことを伝えたらがっかりするだろうか。


(がっかり……?)


 いや、そんなはずはない。そもそも、マリアーナはこの街の光景を何度か目の当たりにしたことがあるのだ。きっと、今のシュテラと同じことを考えていただろう。

 それなのに──そうだとしても、マリアーナは今でも父親サイラスのような騎士を目指そうとしている。

 では、マリアーナの目に映る騎士とは、いったいどのようなものなのか。

 後でもう一度話を聞こう──と、シュテラは胸の奥にしまうのだった。



「お帰りなさいませ、エーラ様」


 城門前の兵士は礼儀正しく礼をした。やはり王宮の兵士は格が違う。

 エーラは満足そうに小さく頷くと、エフィリオの背から飛び下りた。シュテラもそれに倣う。


「朝早くからこのような遠方に……一体、どうされましたか?」


 前に出て説明しようとするシュテラを手で制し、エーラが口早に説明をした。


「なんと、サイラス殿が!?」

「急ぎ、ケイネス殿にお伝え願いたい。今日の日没までには戻らなければ助からないのだ」

「承知いたしました! 直ぐにお連れします! ……お前は、お二方を近くの客室へご案内するのだ!」

「はっ!」


 と、使命を受けたもう一人の兵士が背筋を伸ばして敬礼した。


「さあ、こちらへ。そちらの雷獣は世話係が後で厩舎へ連れていきます」

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