#14:大人の対応

 みるみるうちにウッドエンド家の屋敷が、畑が、いつもの街が遠ざかっていく。

 シュテラは大人の誰よりも高い視点で街を見下ろしていた。普段見られない赤い屋根や煙突、田園の風景までもが、彼女の内側の半分にある好奇心を満たしていった。

 しかし、もう半分は義父のことで焦ってもいた。一刻も早く城下町へ向かい、ケイネスに会わなければと。そう何度も己に言い聞かせて。


「寒くありませんか?」


 シュテラがぶるっと体を震わせたので、エーラが心配した。夏場とはいえ、夕暮れ時の上空は少しばかり冷え込む。

 シュテラは「平気です」と答え、マントを握りしめるように体に巻き付けた。

 正面には沈み行く夕陽、右手にはこの高度でも見上げるほどにそびえ立つ霊峰・トゥクルスヘッジがある。

 かつて生まれ故郷に住んでいた時にシュテラが見上げていた山々は、雪を被り、エフィリオの体毛のように白く輝くものであったと記憶していたが、今は木々が青々と茂っていて、まるで別物だった。


(やっぱり、あの大きな山は、わたしの故郷むらにあったのと違う山だったのね)


 もちろんそれは大きな勘違いなのだが、幸か不幸か、この勘違いこそがシュテラの運命を救い続けているということだけは違いなかった。


「エーラさん、あの山の向こうには何があるの?」


 その無邪気な問いの答えが何を意味しているのか、エーラには分かっていた。彼女はサイラスから、シュテラの素性を直々に聞かされていたからである。

 エーラは霊峰を眺めながら少し考え、そしてこう答えた。


「それは誰にも分かりません。何せ、アレだけ高い山なのですから、越えることは出来ないのです」

「エフィリオでも?」

「……それはどうでしょう。もしあの山々を越えるのでしたら、エフィリオはもっと高く飛ばなくてはならないでしょうね」

「じゃあ、難しいわね。とても寒いもの」


 子供らしい発想に救われた、とエーラは思った。

 もし山を越えられたら──その可能性を知ってしまったら、この子は行動しようとするだろうか。

 そうだとしても、エフィリオはとても賢く、ずっとサイラスと行動を共にしてきた。山越えがどういう意味か分かっているはずだ。


「もう日が沈みました。明日は早いですし、今日はあの宿場町で休みましょう」


 エーラは群青色の地平の向こうで沈みきった夕陽を見て、さりげなく話題をすり替えた。


「分かったわ。……エフィリオ、あっちに下りてくれる?」


 軽く頭を撫でると、エフィリオは頭を下に傾け、ゆっくりと降下していった。

 浮き上がるような独特の感覚に怖くなったシュテラは、ぎゅっとエフィリオの首もとにしがみついて顔を埋める。

 ほどなくして、エフィリオは背中の二人に衝撃を与えないよう、ふわりと静かに土の上に降り立った。


「もう、落っことされるかと思ったじゃない!」


 背中の小さな主人が軽く叱ると、エフィリオは傷ついたらしく、しゅんと頭をうなだれた。それを見たエーラは、我慢できずにクスリと笑った。雷獣がここまで大人しく言うことを聞くところを見たことがなかったのだ。


「シュテラ、あの宿に行きましょう。確か、雷獣も泊められる厩舎があったはずです」


 エーラがシュテラの背後から指差したのは、石造りの二つの建物だった。

 壁自体はまぁまぁ地味ではあるものの、窓ガラスから零れる琥珀色の蝋の明かりが踊るように揺れていて美しい。

 建物同士を繋ぐアーチの下を潜り抜けた先に厩舎があった。宿の者だろう、看板と同じ紋をエプロンに着けた老婦人が、丁寧に案内してくれた。


「サイラス様の騎士団のお遣いでございましょう? よくぞいらっしゃいました」


 老婦人はシュテラと目が合うと少しばかり驚いた顔をしたが、直ぐににっこりと微笑んだ。


「あらまぁ、可愛らしいお嬢さんですわねぇ。立派なマントまでお着けになって」


 シュテラはマントを褒められていい気分になり、エフィリオの背から下りて恭しく礼をした。


「わたし、サイラス騎士団の……」

「私はサイラス騎士団の遣いの者です。一晩泊まらせて戴けますか?」


 遮るように前に出たエーラに、シュテラはムスッと顔を膨らませた。


「それはもちろん構いませんが、今日はちょっと荒っぽいお客様がおいでです。そちらのお嬢さんにはその……とても危険ではないかと」


 老婦人が声を落として囁くと、エーラの顔は険しくなった。


「武装は?」

「いいえ、ごろつきのようです。でも、旅用の身なりをしていたので、武器を隠し持っててもおかしくはありません」

「重装備でなければ大丈夫です。私一人で護れます」


 エーラは腰のナイフを引き抜いて老婦人に見せた。


「それは結構なことですがね、出来れば血は出さないで下さいよ?」

「善処します」


 老婦人が頷くのを見て、エーラは行こう、とシュテラの手を取った。

 シュテラは不機嫌そうにエーラを見上げる。


「なんでわたしが名乗るのを邪魔したの?」

「どこでも名乗ればいいというものではありませんよ、シュテラ」

「どうして?」

「あなたはサイラス殿から何か注意されてはいませんか?」

「……それは……」


 直ぐに思い当たる。目立つな、と普段から言われていた。街の人間はさておき、余所の人間に名乗らないようにと。

 そして、生まれ持つ怪力を見せてはいけないとも注意されていた。目立ちたがりのシュテラにとっては窮屈で仕方のないことだったが。


「何でお義父様は、あんなにもわたしを縛ろうとするのかしら?」


 厩舎を出たところで、シュテラは不満そうに尖った口を開いた。

 エーラは少しだけ微笑みを携え、シュテラを見下ろす。


「あなたを想ってのことですよ、シュテラ。その力は余所の人間にとってはとても珍しいものです。悪い者を近寄らせないためにも、あなたは出来るだけ普通の街娘として振る舞った方がいい。そのマントも、ここにいる間は鞄に仕舞いましょう」


 折角のプレゼントのマントを仕舞うと聞いて、シュテラは尚更不機嫌になった。


「それじゃあ、逆に狙われるじゃない」

「私がいます。あなたまでマントを着けるより、私だけの方が好都合です」

「分からないわ!」


 とうとう怒鳴りだしたシュテラに、エーラは眉に皺を寄せた。


「お願いです。どうか言うことを聞いて下さい」

「イヤよ! これは私のお遣いなのよ!? お義母様はあなたを寄越したけど、わたしは一人で来るつもりだったの!」


 エーラは少しばかり声を荒らげた。


「シュテラ。これは遊びではありません。大事な人の命が掛かっているのですよ!?」

「ええ、そうよ! でも、これとそれとは全然違うわ!」


 エーラは首を振った。

 どうしたものだろう。エフィリオに乗れるほどの大人びた娘だと思っていたが、蓋を開けてみれば年相応のわがままを兼ね備えているではないか。


「いいですか、シュテラ」


 エーラは膝をつき、なだめるように話しかけた。


「身分が理解できる城の人間ならともかく、このような郊外ではサイラス騎士団の紋を知らない余所者も大勢いるのです。そうなっては、『子供が身に着ける』マントの意味は全くありません。逆に大きな金の刺繍紋は目立ち、滑稽に映ってしまうか、どこかの金持ちのお嬢様とでも思われ、身代金目当てに誘拐を企てるでしょう」


 功を成したのか、シュテラははっとして縮こまった。

 エーラは怖がらせるつもりはなかったのだが、危険を冒すよりかは──と苦い薬を飲ませたのである。


「……分かったわ。マントは仕舞う。これでいいんでしょう?」

「ええ。賢い判断です。私は着けたままにしますが、それはただの大人の女性ではないことを知らしめるためです」

「ああ、子供っていっつもバカにされるのね……」


 ついには足元の土をつま先で蹴りはじめるシュテラに、エーラは苦笑した。


「気持ちは分かりますが、あなたを羨ましいと思う者だっているのですよ。若いことを決して恥じないように」



   §



 宿の入り口は、建物が二つあるにも関わらず、大人一人が入れる程度の小さな木製の扉だった。

 先導したエーラが戸を開けると、外にまで洩れていた談笑が一層激しくなる。食い散らかされたテーブル、倒された椅子、小さな骨つき肉を齧り、ビールをあおる男たち──

 ここは確かに宿屋ではあるが、一階は酒場を兼業している。普段からそういった場所に縁のなかったシュテラにとっては面白く新鮮な光景に映っていた。

 エーラは興味深々で見回すシュテラの腕を引き、宿の主人がいるカウンターへ向かった。

 そして、テーブルの呼び鈴が聞こえるように、拳で二度叩きつける。あまりにも乱暴なので、シュテラは目を疑った。

 奥でジョッキに並々とビールを注いでいた老主人は、僅かに零しながらカウンターに座る客人の前にどん、と差し出した。代わりに銅貨が何枚かテーブルに叩くように置かれると、主人はそれをさりげなく回収していく。

 エーラがもう一度拳を振るった。老主人はようやく曲がった腰を叩きながら振り返る。


「二人部屋だ。一晩泊まらせてくれ」


 エーラはそう言って銀貨一枚と銅貨五枚をテーブルに乗せた。いつもの敬語でもなく、先程とは打って変わり、力強い声を発している。

 老主人は目を細めながら硬貨を握りしめると、もう片方の手で胸元にぶら下げた眼鏡をかけ、横から首を伸ばしてエーラのマントを確認した。エーラはマントが見えるように横を向いた。


「何か見覚えがある紋だと思ったら、あんた、サイラスんとこの騎士か。……そのお嬢ちゃんは?」

「同僚の娘だ。夏休みに叔母の家へ送り届けていたので、これから護衛も兼ねて帰すところなのだ」


 ペラペラと出まかせが出るので、シュテラは目を丸くした。


「そいつはご苦労なこって。部屋なら別館の二階を使いな。ここじゃやかましくて寝られんだろう」


 主人は奥の棚から鍵を取り、エーラに投げつけた。


「配慮に感謝する」


 エーラは鍵を片手で受け止めながら踵を返した。

 呆気に取られていたシュテラは早歩きでエーラと歩幅を合わせ、横からじっと顔を見上げ続ける。


「どうかしましたか?」

「今の、ちょっとカッコ良かった。大人の対応だよね」


 エーラは苦笑交じりに微笑んだ。


「それはどうも」


 いたいけな娘には、あまり見習って欲しくない部分だった。

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