#11:グリュプス - 4

 眼前の視界が開けた。薄暗かった森に薄い黄金色の日が射し込んでいる。

 森を抜けたのだ。先頭を進んでいたマシューの老馬が立ち止まると、後方の騎士達も一馬身ほど後方で立ち止まった。

 そこは立ち入る者が少ないのだろう。道という道はなく、マシューの案内がなければ方向感覚を見失って迷ってしまうところだ。前方には大きく開けた崖があり、縁の近くまで馬を歩ませたライアットが首を延ばすと、大鷲おおわしが数羽、弧を描いて飛び回っていた。底にはびっしりと草木が生い茂り、遠目では何があるのか判断が付かない。

 サイラスも、エフィリオから飛び下りて崖の中を確かめた。


「今年の巣はどっちだ?」


 尋ねると、マシューは崖の左側を指差した。


「こっちの古巣ですな。後の三つはコウモリたちの巣窟になっております」


 崖の岸壁には複数の大きな巣穴がある。グリュプスが故意に空けたわけではなく、遥か昔、火山の噴火があった際に自然に出来た洞穴だ。

 マシューの長年の調べによれば、巣穴は毎年、別のものに入れ替わるということが判明している。昨年の巣穴には昨年のグリュプスの臭いが微かに残っているからだ。だから、森を熟知したマシューの案内と、彼が長期間張り込んで調べた巣穴の位置を知る必要がある。グリュプス狩りにマシューが必要なのにはそういった理由があったからだった。


「先程のは子供の餌を探しに行っていたオスでした。メスはオスの声を聞いているでしょうから、巣穴の中で子供を守るべく警戒して待ち構えているはずです」


 マシューの詳しい説明を聴き、サイラスは頭を振った。


「やれやれ。害を及ぼすとは言え、子を守る親を殺すのは気が引けるな」


 そんなサイラスの肩にライアットの手が置かれる。


「なら俺がやろうか? 独身の強みというものを見せてやるぜ」

「馬鹿を言うな。確かに子を三人抱えてはいるが、むしろ彼らを……街の大勢の家族を守るために、私は戦わねばならぬのだ」


 サイラスはエフィリオに取り付けた鞍のカバンから、長く束ねた太いより縄を取り出した。


「分かっていると思うが、毎年恒例のおさらいだ。まずはマシューがこの縄に松明を巻き付けて巣穴に投げ込み、煙でグリュプスをいぶり出す。崖から飛び出たところを、私の合図で弓隊が火矢で一斉に射撃する。後は地上で応戦だ」

「オスのヤツが森の中にいたのは幸いと言うべきだな。愛の育みの最中だったら二倍の怒りを買ってたところだぞ」


 サイラスは苦笑した。結論からすれば上手く倒せたとはいえ、子供達のやんちゃで大惨事を招いた可能性もあったのだ。素直には喜べない。


「まぁ、何はともあれ、アイツを始末しないことには子供達の問題に取りかかることは出来ないわけだ」

「言われなくても分かっている。……総員、準備をせよ」


 弓隊はたっぷりと油の入った矢筒から矢を取り出した。鏑矢かぶらやの穴には獣脂を染み込ませた布が詰め込まれている。

 マシューは縄を取り付けた松明に火を点け、しばらく燃やした後、革袋の中に突っ込ませた。革袋の中から黒い煙が溢れだしたのを確認すると、それをぐるぐると回してから遠くに投げた。松明は振り子の要領で崖の岸壁に弧を描いて飛んでいき、見事洞穴の中へと放り込まれた。


「さすが爺さんだ!」


 ライアットは感嘆しながら戦斧を構えた。

 サイラスがさっと右手を上げると、弓隊は一斉に矢に火を点け、弓を引き絞った。実に統率された動きである。


「来るぞ!!」


 大砲が発射されたかのように、巨大な塊が勢いよく洞穴から飛び出した。

 塊は巨大な翼を広げ、頭を振って上昇を始める。サイラスは素早く右手を振り下ろした。


「放て!!」


 赤い放物線がいくつも空中を飛び交い、無数の雨となって次々と崖に降り注ぐ。ギャア、と悲鳴を上げたグリュプスが顔を出した頃には、既に燃える脂に皮膚を焼かれ、翼を焦がしていた。

 続いて、クロスボウに持ち替えた弓隊が一斉に真っ直ぐ矢を放つ。真っ直ぐにしか撃てなくとも勢いのあるボルトは容赦なくグリュプスの肉に食い込み、鮮やかだった羽や毛皮を赤黒く、醜いモノへと変えていった。


 だが、それでもグリュプスは怯まなかった。翼を激しくはためかせ、突風を生み出したのだ。


「しまった!! 木の陰に隠れろ!! 吹き飛ばされるぞ!!」


 指示は間に合わず、軽装だった弓兵の何名かは後方へ吹き飛ばされ、ある者は木の幹に頭をぶつけて首をへし折られ、ある者は胴を強打して肋骨あばらぼねを折った。


「くそっ! 何て威力だ!!」


 ライアットは重装備と大きな戦斧のお陰で吹き飛ばされずに済み、サイラスは地面に突き刺した剣のお陰で助かった。

 しかし、そうして凌いでいる間に攻撃の手が緩んだため、グリュプスは直ぐに反撃に転じた。

 あろうことか、一番崖に近いマシューを狙って。


「危ない!!」


 サイラスは直ぐに飛び出し、マシューを右肩からの体当たりで突き飛ばした。

 だが、左手に持つ盾は右側から襲いかかるグリュプスにかざす間もなく、グリュプスの太い麻痺爪がサイラスの右肩を容赦なく貫いた。


「サイラス──ッ!!」


 ライアットの背に戦慄が走る。知らぬ間に斧を構え、独りでに走り出していた。だが、斧を振るう頃にはグリュプスはサイラスを持ち上げ、宙に浮いていた。


「サイラス様! 今お助けします!!」


 そこへ、無事だった弓隊の一人が落ち着き払った姿勢でクロスボウを放った。激しく上下する標的にも関わらず、ボルトはサイラスを掴んでいた爪に当たり、弾かれた。


「何だと……!?」


 その瞬間を目の当たりにしたライアットが驚愕した。確か新人の弓使いだったはずだ──と思い出すが、そこまでの凄腕がいるとは聞き及んではいなかった。


 間髪入れず放たれた二発目もまた同じ爪に当たり、今度は爪を砕くに至った。

 腕に刺さっていたのが一本だけだったため、サイラスの体は支えを失って宙に投げ出された。ライアットがすかさず斧を捨てて駆け寄り、滑り込んで受け止める。

 グリュプスは不利と感じたのか、悔しそうに一声吠えてから山の方角へ飛び去っていった。直ぐに何発か追撃の矢が放たれたものの、残念ながら届くまでには至らなかった。


 マシューは力なく膝をつき、乾いたしわだらけの頬を涙で濡らした。


「あぁ、サイラス様! この老いぼれが足を引っ張ってしまったばかりに!! 死んでも申し訳が立ちませぬ!」


 ライアットは脱力している老人を無理矢理立たせた。


「懺悔はサイラスが動けるようになってからいくらでも聞こう! それより爺さん、早く解毒薬を飲ませてやってくれ!」

「は、はい! 只今!」

「それと……お前」


 ライアットはグリュプスからサイラスを開放した凄腕の弓使いを呼んだ。

 弓使いはライアットの前で片膝を付いた。フードで顔は見えない。


「見覚えがないな。新人のようだが……一体何者だ? 顔を見せろ!」


 弓使いは躊躇ちゅうちょなくフードを取り、顔を上げた。さらりとした見事な銀の髪が背中にかかる。


「……女、だったのか……!?」


 歳は二十歳前後と見える。無駄のない、端整な顔立ちだ。ただ、白兎のような真っ赤な瞳だけが、ライアットにとっては異質なモノに感じられた。


「エーラ・ポイントと申します。とある事情があり、こちらに所属するよう遣わされました」


 ライアットは記憶を辿ったが、そのような人物に心当たりはなかった。


「事情とは何だ?」

「……今はまだ、私の口からは話せません。それよりも、サイラス様の容体が悪化する前に手当てをなさった方がよろしいかと」


 その意見にライアットは渋々了解を得た。素性の知れぬ怪しい人物ではあるが、おおよその見当はついている。口調から察するに事情は後で話すようだし、今はサイラスを救う方が先決だ。


「分かった。直ぐに屋敷へ向かう! お前も力を貸してくれ!」

「承知いたしました」

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