#10:グリュプス - 3
テリーは微かな甲高い物音を背中に聞き、馬を停めた。
他の騎士達は馬蹄や雷獣の単調な足音で気付けずにいたが、テリーの馬のいななきでようやく異常を察知した。
「どうした?」
サイラスが手綱を引きながら尋ねた。
「後方で何か叫び声のようなものが聞こえました。グリュプスでしょうか」
サイラスはライアットに目配せした。小隊の列が道を塞いでいるせいで、サイラスが乗る雷獣は引き返せない。
ライアットは神妙な面持ちで頷くと、馬を反転させた。
「……確かに何者かの大きな気配を感じるな。それと……さっきから尾けている小さな気配が三つってところか」
サイラスは深い溜め息をつく。
「ライアット。どうしてあの子達がいると言わなかったのだ?」
ライアットはだるそうに諸手を挙げた。
「団長、社会見学ぐらい許してやったっていいじゃねえか。それに、ずっと見張ってたが、どうやら小屋の辺りで引き返すつもりだったみたいだぜ?」
サイラスはムッとした表情で右手を挙げた。
「ライアットを先頭に、全員、小屋まで引き返せ!」
「はっ!!」
騎士達は一斉に馬を反転させ、手綱を振るった。もうもうと立ち上る土埃を潜りながら、小隊は狭い森の小路を駆け抜けていく。
しんがりから一転して先頭に――それも尊敬するライアットの隣を走ることになったテリーは異様なほどに気分が高揚していた。
ライアットは馬を走らせながらテリーの横にぴったりと寄せた。
「おい、ひよっ子。たるんだ顔は引き締めておけ。これは訓練じゃねえぞ」
「は、はいっ!」
テリーは途端に背筋を伸ばした。
「戦闘が始まったらお前は子供達を逃がせ。それが済んだら弓達のサポートだ」
前線で戦えると思っていたテリーはがっくりと肩を下した。
「か、かしこまりました……」
§
無我夢中で逃げ回っていた子供達だったが、退路を塞がれたこともあって、幸いにも街に向かってグリュプスを連れていくような事態だけは自然と防げていた。
普段からやんちゃだったマリアーナやシュテラは倒木を軽々と飛び越えてグリュプスの攻撃を木の陰でやり過ごせるものの、エドワードだけは二人に付いていくだけで精一杯で、襲ってくれと言わんばかりの隙を見せている。当然ながら、グリュプスの狙いはエドワードに移っていた。
そのことに気付いたシュテラが、木の葉をまき散らしながら振り返りつつ滑るようにして立ち止まった。一拍遅れてマリアーナも立ち止まる。
次の瞬間、エドワードは折れた倒木に足を引っかけ、前のめりに宙へ投げ出されてた。木の葉の中で転がってうずくまり、起き上がる気配がない。
「エド! 大丈夫!?」
「あ、足を痛めた……っ!!」
「マジかよっ!?」
二人は急いでエドワードの
「わたしが食い止める!」
「あ、おい、シュー!」
マリアーナが制止する間もなく、シュテラは迅雷の如く駆け出していた。エドワードが足を引っ掛けた倒木の下に手を差し込み、ぐっと歯を食いしばる。
「おい、お前たち!!」
と、そこへ騎士団の小隊が到着した。彼らはまず倒れたエドワードに目を向けたが、直ぐにグリュプスと対峙しているシュテラに注目した。
「おいおい! あいつ、何をしでかすつもりだァ!?」
ライアットは素早く剣を抜き放った。頭から酒気が吹き飛び、顔に帯びていた熱も一瞬で青ざめる。
一歩踏み込もうとしたその時、シュテラが倒木を一気に担ぎ上げたのを見て直ぐに立ち止まった。
「な、なんて力だ……!」
その姿を初めて目の当たりにした一部の騎士達は、噂に違わぬ怪力に口を開け、呆然とする。
グリュプスは前脚を上げて体の重みでシュテラの頭上にのしかかってきた。
シュテラは持ち上げた倒木でそれを防ぎ、前脚が乗ったままの状態で踏ん張る。グリュプスの太い麻痺爪が幹に食い込み、細かい木屑がバリバリと弾け飛んだ。
「うぐぐぐ……っ!」
倒木に加えてグリュプスの巨体が加わったとなれば、さすがのシュテラにも難があった。腕や膝がブルブルと震えだしている。
「シュー!! 無理だ!! そいつを捨てて直ぐに逃げろ!!」
ライアットが声を張り上げた。
とはいえ、逃げようとしても逃げられる体勢ではない。シュテラは覚悟を決め、倒木をしっかりと掴んだまま前方へと駆けだした。
「ウオオオオオオオ──ッ!!」
シュテラが放った獣にも似た力強い咆哮が大気を震わせ、森中にこだました。
あまりの気迫に圧されたグリュプスは身を引こうとしたものの、爪が深く食い込んでいて直ぐに動けなかった。加えて、シュテラが走り出した勢いで倒木ごと後方へ追いやられているため、爪を抜くための力は完全に逃がされてしまっていた。
(ここだ──ッ!)
木が少なく開けた場所で、シュテラは大きく跳び上がった。一瞬軽くなった倒木を空中で素早く縦に持ち替え、グリュプスごとぐるりとひっくり返す。
シュテラはそのまま倒木に乗っかりながら肩や足で力を籠め、グリュプスと倒木をまとめて地面に叩きつけた!
「……今だ!! 続けぇえええッ!!」
好機を察したライアットが突撃命令を下した。前衛達が一斉に剣を抜き、雄叫びを発しながら馬を走らせる。
土煙を上げながら自分に向かって走ってくる騎馬の大群に、シュテラは畏怖のようなものを感じた。
突然、白い獣が小隊から外れ、側面から猛烈な速度で駆けてくるのが見えた。エフィリオだ。それに跨がっていたサイラスは、シュテラに向けて両腕を真っ直ぐに延ばした。
「シュー! こっちに跳べ!!」
シュテラは言われた通りにその場から大きく跳んだ。籠手に包まれたサイラスの太い両腕が、少女の小さな体をしっかりと受け止めてくれた。
「このお転婆娘め。後でお仕置きしてやる。無論、マリィとエドもだ!」
エフィリオが引き返したのを見計らって後衛の弓隊が次々に矢を放った。真っ直ぐ放たれた矢は左右に割れた前衛の中心を通ってグリュプスのむき出しの腹に次々と刺さった。
赤い鮮血が次々に花を咲かせていく。転がるように起き上がろうとしても倒木がつっかえて起き上がれなくなったグリュプスは、なおも隙だらけだ。
そこへ前衛のライアット達が接近し、一斉にグリュプスの胸や首に剣を突き立てた。
悲壮感漂う甲高い断末魔が長く放たれ──やがて掠れ、次第に聞こえなくなっていった。
「まったく、ヒヤヒヤしたぜ。準備もクソもあったもんじゃねえな」
ライアットは兜を脱ぎ、額の汗を拭った。
「それで、お姫様はどうしたもんかねえ」
マリアーナとエドワードの前に引き返していたサイラスは、エフィリオから飛び下りてシュテラを地面に下ろした。
シュテラはしゅんとうなだれ、養父の顔を伺っている。マリアーナやエドワードも、黙って頭を下げていた。
「前々から言おうと思っていたが、今日がその時だ。お前達……特にシューはお転婆が過ぎる! いくら怪力でも、使いどころを間違えれば殺されていたかもしれないんだぞ!!」
シュテラも、たまたま運に救われたのだと自覚していた。
あの倒木が無ければ──或いは、エドワードの替わりに自分が倒れていたら──間違いなく死んでいた。
「ごめんなさい……」
謝ったところでサイラスは顔色一つ変えなかった。
「シュー、それからマリィとエドもだ! 三人ともしばらくの間、外出を禁ずる!!」
シュテラははっと顔を上げた。
「処分はわたし一人にして下さい! 二人とも、わたしが誘ったからついてきちゃっただけなんです!!」
「それを止められなかった二人にも過ちがある! 鞭打ちが無かっただけマシと思え!!」
「…………はい」
三人はサイラスに顎で促され、二頭に分けて馬の背に乗せられた。
てっきり父親と一緒に帰るものだと思っていた子供達は、サイラスの厳しい顔を見て悟った。これから、もう一頭を倒しにいくのだろう──と。
なのに、余計な体力を使わせてしまったのだ。……子供達はそのことに猛省した。
「テリー!」
サイラスはテリーを呼んだ。
「三人を私の家へ。それから、無断で逃げ出したりしないよう、部屋に閉じ込めて見張っておけ!」
「しょ、承知しました!」
騎士団長から直々の命を受けたテリーは張り切って敬礼した。
一連のやり取りを見ていたライアットは、子供たちの前に馬を歩ませる。
「団長さんが怒った意味、部屋でよぉく考えておくんだな」
「ライアットさん……」
シュテラはもう泣きだしそうだった。潤んだ瞳で口をぎゅっと結び、それでも何とか泣きだすまいと堪えている。
ライアットはふっと気が抜けたような笑いを見せ、その頭をグシャグシャと掻き混ぜた。
「だがまぁ、最初にしちゃあ、戦闘は悪かなかったぞ、お嬢ちゃん。何年か鍛えれば、それだけ運に頼らずとも戦えるようになるはずだ」
「おい、ライアット……!?」
調子に乗らせる発言をするな、と慌てたサイラスだったが、ライアットはそれを手で制した。
「なあ、団長さんよ。褒める時は褒めてやらねぇと、活きのいい素質を全部摘み取ってしまいますぜ。もちろん、マリィの件もだ」
「それは全部、我が家の問題だ……! お前が口出ししていいものではない!」
ライアットは驚くシュテラの頭からそっと手を退けた。
「ならこうしましょうや。俺が子供達の師匠になる。弟子の不祥事は師の責任だ。……これで文句ねえだろう」
子供達は互いに顔を見合せ、サイラスは目を丸くして、まるで威厳を失くした顔で唖然とした。
「……お前の言っていることがどういうことか……分かっていような?」
ライアットは自信たっぷりに胸を張り、歯を見せた。
「ハッ! 当然! むしろ、
確かに一理ある、とサイラスは顎に手を当てて唸った。
シュテラの力は未知数だ。今後あのような怪力が──グリュプスと倒木をまとめて投げ飛ばせる程の力が──どのように成長していくか、期待でもあり、心配でもあった。
街中で彼女が見せている力は人々に期待を与える一方で迷惑と捉えるものもいた。要は、まだ本人にすら力の加減が出来ていないのだ。まずはその制御を身に付ける必要がある。
それに、シュテラはこの国の人間ではない。敵国の娘だ。将来自分の置かれた立場を知れば、もしかしたらこの国に牙を向けるかもしれない。そうならないためにも、正しい教養と訓練は必要なのではないか……?
「…………少し、預からせてくれ。今結論を出すには急過ぎる」
「そりゃあ構わねえが、もう七歳だ。なるべく早く決めるべきだろうな」
「ああ、分かっている」
サイラスは子供達とテリーに向き直った。……どこか疲れた顔で。
「……とにかく、お前達はもう帰るように。それと、テリー。オリビアには遅くなると伝えてくれ」
テリーは黙って頷き、二頭の馬の手綱を引いた。小隊は背を向けて森の奥へ戻っていく。
その姿を見ながら、子供達はただならぬ不安を感じていた。外出禁止令がどうとか、そんなことはどうでも良かった。
(お義父様とライアットさんの話……一体どういうことなんだろう……?)
シュテラの目に映るサイラスの後ろ姿は、まるで別人のように思える。初めて出会った時も、ここまで冷たい印象は感じられなかったぐらいだ。
自分は一体、何のために養子にされたのだろう──その疑問は、幼いシュテラがいくら考えたところで、まだ理解出来るはずがなかった。
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