#04:最初のあいさつ - 2

 昼になり、外をうろついていた少女は、昼食だからとオリビアに呼び出された。少女は相変わらず警戒してはいたものの、ひとまず指示には従った。

 正面玄関から屋敷に戻ると、侍女が直ぐに正面にある焦げ茶色の両扉を開いてくれた。

 思わず口を開けてしまうほど広い、石造りの食堂である。目の前には真っ直ぐに伸びる真っ白な長テーブルがあり、その上には、ろうそくを灯した燭台がこれまた真っ直ぐ同じ間隔に並び、そのすき間を埋めるようにご馳走がびっしりと置かれている。

 そして、ずっと向こうの奥の席には背の高い紳士、その両脇には少女よりも少し年上の少年と少女が、互いに向き合うように前を向いて座っていた。


「さあ、入って」


 オリビアに促されて少女が恐る恐る足を踏み入れると、カツン、と小さな靴音が部屋中に響いた。

 正面の紳士、サイラスがにこやかに言った。


「おはよう、海色の瞳を持つお嬢さん。元気になって何よりだ。きみはマリアーナのとなりに座るといい。オリビアはエドワードのとなりにしよう」


 向かって右奥の席に座っている、活発そうな年上の女の子が手を振って招いた。彼女がマリアーナという名前らしい。

 まだ名無しの少女は、言われた通りにマリアーナの隣の席まで歩き、侍女が引いた椅子に座った。

 彼女が座るのを見届けてから、マリアーナは手を差し出した。


「あたしはマリアーナ。マリィって呼んでくれ」


 少女は何も言わず、握手だけをし、目を逸らした。

 名前を名乗ってくれるとばかり期待していたマリアーナは、ぽかんと口を開けたまま固まってしまった。


「うそだろ? 名前ってのは、名乗ったら名乗り返すものだぜ?」


 男のような口調で信じられない、と訴えるマリアーナに、サイラスは苦笑する。


「まぁ、自己紹介は後にしようか。きっとお腹を空かせているに違いない。エドもそれでいいな?」

「うん」


 少女の正面に座る少年が小さく応える。

 少女は鼻を小さくフンと鳴らした。マリアーナとは違って、やせ細った弱々しい少年だ。確か、騎士の家系だと言っていたのに、男の子の方が弱そうだなんて。


「では、神に祈りを捧げて食事をしよう」


 各々が胸元で手を組み、何やらぶつぶつと唱え始めた。

 確かに今、祈り、と言った気がする。

 少女はそれとなく真似をした。神様には言いたいことがあるのだ。


(神様、おねがいします。お母さんに会わせてください)


 少女の頭の中は、失った母親のことでいっぱいだった。オリビアは死んだと言っていたが、この目で確かめるまでは信じられないことだ。


 祈りが済むと、みな、黙々と食べ始めた。

 正面のエドワードが見えなくなるぐらい大きな、脂たっぷりのローストチキン。

 静かな湖のようにつやつやとしたとうもろこしのポタージュ。

 色鮮やかな葉もののサラダ。

 やわらかくて香ばしくて、いくらでも食べられるパン。


 ……だけど、いくらお腹が空いたとはいえ、少女は自ら手を伸ばし、食べる気分になれなかった。


「ほら、食べなよ」


 うつむいていると、マリアーナがパンを差し出した。


「うちのパンはうまいんだぜ。侍女のカサンドラが毎朝ていねいに焼いてくれるからな」


 目の前に差し出されているパンをしげしげと眺めているうちに、少女は意思とは無関係に手を伸ばしかける。


 ──すると、頭の中に一つの思い出が浮かんだ。


 大好きなお母さんがミトンを付けてオーブンから取り出した、カチカチのパン。どうしても焼き立てを食べたくて手に取ると、あまりの熱さに取りこぼしそうになり、手の中でパンを踊らせ、二人で笑いあった――


 途端、胸がきゅっと締めつけられる気分になった。たまらなくなって、少女は無意識にパンを手で叩いてしまった。


「あっ! なにしやがる!」


 マリアーナが反射的に少女の頬を強く叩き、部屋中に鋭い音が鳴り響いた。

 パンは遥か向こうの石畳を静かに転がっていき、カサンドラがそれを、さりげなく拾い上げた。


「…………ッ!!」


 少女は椅子を蹴飛ばしながら立ち上がり、食堂から出ていった。


 マリアーナはそれを呆然と見届けている。頬を叩いたとはいえ、何故このようなことになったのか、理解も出来ずに。


「まあ、お前は悪くない」


 サイラスはマリアーナの手を握り、安心させようとするが。


「……でも、あっちは傷ついたでしょうね」


 横から冷やかに付け加えるオリビアの言葉に、サイラスは柄にもなくバツの悪そうな顔をした。


「今、あの子の心は、とても弱っているわ。できるだけ、そっとしておいてあげましょう」

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