いつか、この手できっと
「いいか、よぉく聞け
グラスに残っていたビールを一息で飲み干すと、先輩は派手にツバをとばした。
空いたグラスにビールをそそぎながら、僕は酔った勢いでグチをこぼしたことを後悔していた。
「いいか、俺たち商社マンの仕事ってのはなぁ、いわば考古学者みたいなもんなの。この広ぉーい世界のどこかに眠っている、まだ誰も見つけてないお宝を、自分だからこそ見つけられた商品を、発掘すること。それが、
ええ、確かにその通りだと思いますよ。でもね先輩、僕が言いたかったのはそういうことじゃないんです。
先輩の熱い語りに大人しくうなずきながら、僕は心の中でそっとつぶやいた。
入社して5年。
それなりに仕事も慣れてきて、ふと気づいてしまったのだ。
僕は、誰かが作ったものを右から左へ動かしているだけで、自分では何も作り出していないという事実に。
それは、思いのほか大きなダメージだった。
いっそ仕事を辞めてしまおうかと思うくらいに。
「木にも、個性があるんですな。だから2つと同じものは作れんのです」
太い指先が器用に動き、パズルのピースがはまっていくようにして、様々な木片が組み合わさって模様を描いていく。
それはもう、見事としか言いようがい、職人の技だった。
営業先であるデパートで、
そこは初老の夫婦が営む小さな工房で、懐かしい木の匂いが漂っていた。
「世界に1つしかないものを、どこかで誰かが
いとおしそうに木目をなでる指には無数の傷跡。
僕は、何かを作り出す人を尊敬する。
職人と呼ばれる人たちに強く憧れる。
仕事柄、今まで何人もの職人さんたちと出会い、その度にこんな人になりたいと、かなわぬ夢を抱いてきた。
そして、同時に恥ずかしくなった。
何も作り出せない自分に。
趣味らしい趣味もなければ、手先も器用じゃない。
今さら、もう遅いのかもしれないけれど。
いつか、この手できっと。
そう思うのだ。
「おかえりなさーい」
パタパタとスリッパの音をたてて出迎えてくれた妻に、僕は精一杯の笑顔で帰宅する。仕事も、くだらない自己嫌悪も、家に持ち帰るべきじゃない。
「今日もおつかれさま」
カバンを持とうと差し出された妻の手が、僕の手に触れる。
チクリ、とかゆみにも似た小さな痛みが走って、反射的に手を引いた。
「あ、ごめんなさい。ちょうど、洗い物してたところだから」
彼女は、洗い物で荒れた手を恥ずかしそうに後ろに隠す。
ここにも作る手があった。
毎日の生活を作り出す手だ。
この手に支えられて、僕は生きている。
嬉しいはずなのに、僕はとどめを刺された気分で顔をうつむけた。
「あなたが外で頑張ってる分、私だって出来ることを頑張らないとね。もうすぐ生まれてくる、この子の為にも」
腕まくりして笑う妻のお腹は、かすかに膨らみはじめている。
「泣いて笑ってケンカして、でも笑顔の絶えない家族を作るんでしょ?」
かつて自分が言った言葉が、新鮮な響きを持って僕の耳に届く。
それは、幼くして両親と別れた僕の願い。
そして、何度も話し合って確認しあってきた、僕らの夢。
「どうしたの? ぼーっとして?」
「あ、いや、なんでもない」
暗いトンネルから、急に外へ飛び出したみたいに、目の前が急に明るくなった。
そんな家族を作りたい。
そうだ。
僕のこの手は、それを作る為にあるんだ。
痛いほど、自分の手を握り締める。
そしてもう1度、誓った。
――いつか、この手できっと。
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