大丸呉服店

「……あんさんは、花街の女子おなごはん言うわけでは、あらしまへんのか」


「あ、はい。そうです。只の町娘、のつもりです…」


「只の町娘がみぶろ…やなくて、壬生浪士組はんとお近づきにならはるなんて、聞いたことないさかい…」


「そうや、うちのお嬢はんなんぞ、隊士はんが列を成して歩いたはるのを遠巻きに見るのがやっとや、言うてましてな。まさかこないな別嬪はんを連れてきはったなんて知ったら、なぁ…」


「……風の頼りで粗相をした大坂女郎の首やら髪を切り落とした、なんて噂がありまして……ひょっとして、あんさんがそうなんどすか…?」



 大丸呉服店へ入店し早四半刻経つが、気付けば自分だけが手代と呼ばれる男性二名に囲まれ、瑣末さまつな会話を繰り広げていた。


「…いや、違いますよ…多分…。噂はあくまで噂ですしね……」



 やたらと女の素性を知りたがり、浮世離れした見た目の不思議に始まって、生まれから家柄、浪士組と懇意にしている経緯などを事細かに聞いてくる。


 店の奥に消えた例の隊士たちは現れる気配も無く、この厄介な状況をどう打破しようかと思案にあぐねていた刹那、壁に貼られた浮世絵に目を奪われ。



「……あ!あの絵はどなたの作品なんですか?」


 甲冑を纏う武者絵なのだが、武士の持つ黒盾に弾が当たり赤い光が放射能上に放たれているという斬新な構図であった。


 更紗は徐に立ち上がり、壁際にゆっくりと近づいていくが、一人の手代が何やら嬉しそうに口を開いていき。



「流石、お客はん気づかれましたか。あれは、歌川国芳の作品でもう京では手に入らへん代物どす」


「やっぱり!こんなとこで歌川国芳が見られるなんて……近くで見てもいいですか?」


「へぇ、じっくり見ておくれやす。甲越勇将伝いう作品の一つで、本庄越前守…」



 手代の自慢げなウンチクを右から左へ聞き流しながら、更紗は飛び付くようにギリギリまで近づいて凝視していく。



 過去に浮世絵を模写した経験はあるが、国芳特有の斬新で奇想天外なデザインや確実なデッサン力に心を奪われ、何度か展覧会まで足を運んでいた。


 まさかこんな場所でお目にかかれるとは夢にも思わず感無量で、手代が客に呼ばれ傍を離れたのを見計らって、壁へ指先を伸ばしていき。



「…おい、何やってんだ」


 呆れたような低い声を掛けられ、肩をびくりと震わせた更紗は、振り返った先に立つ美丈夫がわざと目を細め、自分を睨みつけていたことを知る。



「……すみません。浮世絵を鑑賞してました」


「おめえ一人で来てんじゃねぇんだよ。たく…」



 絵を触ろうとした事を咎められるのかと引き攣った笑顔を返すことしかできなかったが、土方は自分の腕を雑に掴み、店の奥へ進んで行く。



「……え、ちょっと何ですか…?」


「遠慮はすんじゃねぇぞ」


「……遠慮って、何を遠慮する…」



 男の意味深な発言に首を傾げるが、上座で鉄扇を仰ぐ芹沢と目が合ってしまった更紗は途端に言葉を飲み込み、その背に隠れるよう身を縮こめる。


 自分を見てニコリと微笑む近藤の横で番頭が反物を幾つも広げていたため、この先に続く未来がほんの少しだけ、想像できたような昂りを感じ。



「あの女に一式、見繕ってやれ」


「へ、へえ。生地は如何いたしましょうか……絹やったらお値が張りますさかい、木綿や麻など…」


「ほう、我らに絹は不相応というのか。面白い」


「芹沢先生…!お気を悪うせんといて下さい。お頼もうします!今、絹の値が上がっておりまして、皆さまに木綿をお勧めしておるんどす…」


「庶民がどうかなど、儂にとってはびょうたる道理よ。なぁ、佐伯」


「如何にも。京の大店として、浪士組の格に合う品物を見繕えばいいだけのことですなぁ」



 獲物を狩る獰猛な眼差しを浴びせられていた番頭は、畳に擦り付けていた頭を持ち上げると、色とりどりの反物の間を縫うようにして駆けてゆく。


「へ、へえ……ほんなら店一番の絹を……!」



 どうやら自分に着物を買ってくれるようだが、嬉しいという感情が沸き上がるよりも先に、胸に影を落とす暗雲が立ち込めていく。


(……何で私のために…?ていうか、お金ないじゃん。支払いどうすんの……)



 節約を強いられる毎日の中、金銭面で苦労している壬生浪士組に先立つものがないのは、卵すら口に出来ない食事内容から見ても周知の事実である。


 ましてや、反物から選んで仕立てれば幾ら掛かるかも想像できず、妙な冷や汗が手の平に浮かぶが、目先に座る近藤が薄黄色の反物を自分へ差し出してくれて。



「芹沢先生が御提案下さってね。御代の話は付いているから、更紗は好きな反物を仕立てて貰いなさい」


「……いや…私、今あるもので十分満足してるので…」


「そうは言っても、古着は身丈が足りんだろう。何、一張羅をこさえておいて困ることはないぞ」


「……でも…」


「今後も浪士組に身を置きたくば……筆頭局長の儂に恥を搔かさぬよう雌伏しふくするのが筋とは思わんか、近藤」


「そうですな。仰せの通りにございます」


「近藤や、お前が儂を笑うか」


「面目ない。辛辣な言葉にも先生の優しさが滲んでおりますゆえ」



 微笑んでいるのか苦笑っているのか区別のつかない近藤の笑みは、不穏な空気を和ませる不思議な魔力を持っていた。


 高慢な態度を見せる芹沢さえ心持ち穏やかな表情を浮かべるため、更紗も少しずつ歩み寄りを見せるように、その場に座り込み。


「……綺麗な生地ですね」



 部屋の端から端へ虹を掛けるように広げられる反物を見やれば、更紗は何故、今回に限り自分を買い物へ同行させたのか、その意味を理解する。


 女の命とも言える髪を切ってしまった罪悪に対する落とし前、芹沢鴨なりの筋の通し方なのだと、少しだけ見直していた。



「お客はんは可憐どすから花の咲いた薄桃色など、如何どすか?」


 番頭が物腰柔らかに小花柄の薄ピンクの反物を勧めてくるが、余りに可愛らしい柄で何だかしっくりこない。


 本当に仕立てて貰えるなら、自分に合った色味が欲しく、また今持っているものと上手く合わせられるように、着まわし重視の無難の柄を探してしまうが。


「……何柄だろう。いいかもしれない」



 ふと、目に留まった紺地の反物は、光の反射によって青にも紫にも変化する、独特の深い味わいを出していた。


 星型にも水の結晶にも見える多角形が繰り返されている模様は、満天の星をイメージさせてくれるような、青地に白の糸を放射線状に這わせて作られていた。


 鏡台の前で肩から布を垂らしてみた更紗は、案外、悪くないのではないかと自然と口の端が持ち上がっていて。



「私、これにします」


「麻の葉模様どすか。お客はんやったら、もっと華やかな色合いでも似合う思いますよ」


「いえ、基本の色は落ち着いた方が使い易いので。その代わり、帯は肌馴染みの良い感じの白っぽい色はありませんか?」


「へぇ……それならいいものがございます」



 番頭はいつ激昂するか分からない芹沢の様子を伺いつつ、飾り棚から一本の帯を取り出し、足下へと置いてくれる。


 その帯は肌色に近い淡い色味をしており、綺麗な鞠の絵が色彩豊かにピンポイントで描かれていて。



「わぁ、素敵ですね。でも…この帯高いんじゃ…?」


「別嬪はんにそないな顔されたら、お断りできまへんやろ。特別に頂く御代でええどす」


「本当ですか?!嬉しい。ありがとうございます」


「後は、帯締めどすなぁ…はて、何色がええやろか…」



 番頭は鞠柄の帯を反物に合わせながら首を傾げるが、更紗の中ではこの着物と帯に合う差し色は一つしかないと踏んでいた。


「帯締めは赤でお願いします。色味は濃い色じゃなくて朱色の方で」



 へぇ、と番頭は言われた通り朱色の帯締めを持ってくるが、畳の上で反物と帯に合わせると、一つ感嘆の溜息を零して手拍子を打つ。



「お客はんの合わせは素晴らしいどすなぁ。まるで国貞の描く着物みたいどす」


「小物に差し色を入れて外すのが好きなので。この組み合わせでお願いします」


「なかなか粋に着こなすじゃないか。私の着物も更紗に選んで貰いたいよ」



 満足そうに笑みを溢す近藤を見やった更紗は、照れたように首を横に振る。


「とんでもないです。昔、少し絵の手習いを受けていたので、それに従って合う色を選んだだけですから」



 誰に対しても人当たり良く接する近藤は、やはり太陽のような暖かさを部屋に注いでくれていた。


 それに感化されるように、仏頂面であった土方も落ち着いた表情を浮かべ、芹沢に至っては鉄扇を懐へとしまい込んでいき。


「…ならば、碧目。この隊旗に合う色を選んでみろ」



 懐から一枚の和紙を取り出し、畳へ放り投げるため、更紗は躊躇いがちに手を伸ばし、丁寧に広げていく。


 そこには、枠の中央に誠の一文字、下部には羽織と同じ段だら模様が入っている隊旗のデッサンが墨で描かれていた。


「……これって…」



 更紗はこの旗を、タイムスリップ直前の屯所のしっかりと目撃していた。


 新撰組の象徴とも言える長方形の旗は、鮮やかな赤地に誠の一文字と山形模様が白く染め抜かれているのを知っていた。


 この場において、まさかの緑色なんて提案してみれば、彼らの武士道を覆す旗が出来るのだろうかと頬が緩むが、実行する勇気は持ち合わせておらず。


 ニヤけそうになる口元をキュッと引き締めると、真っ直ぐにその紙を見据えた。



「…赤の布地に誠と段だら模様を白く染め抜くのはどうですか?赤色は情熱的で闘争心を盛り上げる効果があります。白は潔白や純真など良い印象を持たれやすいので、誠の心を表すには良い色だと思います」


「よかろう、存外悪くはない所見だ。浅葱を口にした梅よりは利口か」



 目尻に深い皺を寄せて小さく笑う芹沢は、いつぞやの不動明王の如く怒り孕んだ姿が嘘のように、酸いも甘いも嚙み分けた男の渋みを魅せてくれる。


 そんな段違いの貫禄を持つ侍から穏やかな眼差しを向けられてしまえば、女の内にある反骨精神は鳴りを潜め、乙女のような淑やかさを醸し出してしまい。


「……芹沢先生、お着物を買って下さり、ありがとうございます。大切にします」



 採寸を終えた更紗は芹沢へ三つ指をついて礼を伝えると、何気なく近くに並べてあった色とりどりの簪へ指先を伸ばしていた。


「……細工が綺麗。似合うかなぁ…」



 帯締めと同じ朱色の簪がとても可愛く無意識に髪に挿す真似をするも、思い出したかのように急いで元へと戻し。


(……短いのはしょうがないけど。せめて、お母さんのような黒髪だったらな。)



 顎の長さしかない癖のある栗毛では、何年もかけて髪を伸ばしたところでお世辞にも似合うとは言い難い。


 苦笑を零しつつ視線を外せば、色鮮やかな別の簪を手に取った手代が、自分の前へそれを差し出した。



「挿してみはったら宜しおす。これは京の町娘の間で流行りの簪なんどす」


「あ、いえ、結構です。髪もこんなじゃ挿せないし……似合わないですしね。やっぱり、糸みたいに真っすぐな、綺麗な黒髪じゃないと」




 澱んでいた蒸し暑く重い空気も、夕暮れ迫る時刻になれば鴨川に落ちる橋の影と共に幾らか落ち着いたものに変わっていた。


 絹糸を垂らしたように美しく流れる水は緩やかで、川底に敷き詰められた丸石を子どもが手づかみ、岸から小舟の漕ぎ出す中央へ投げ入れていた。


 更紗の知る現代の鴨川とは異なり、豊かな水流を利用し人を乗せた舟の往来が見られ、人間の生活の場としての活力がみなぎっている。


 そんな見慣れぬ風景の中にも川沿いに咲く花や緑を見つけては、忘れかけていた故郷の面影を感じ、足が根を張るように動けないでいた。 


 けれども、鴨川を見たいと我が儘を言った自分にいつまでも付き合わせるわけにはいかないと、更紗は恐る恐る隣に佇む土方を見やり。



「…あの、土方さんは高島屋に行って下さいね。芹沢先生も近藤先生も待ってるんだし……私は一人で帰れますから」


「おめえを独りにすると、また厄介事を引き起こすだろうに」


「…そうですね……すみません…」



 気を使ってかけた言葉も一刀両断、前科が有り余る自分が口にする事ではなかったと、気配を消すように赤い唇を結ぶ。


 視線を伏せて日の暮れる鴨川へ一つ溜息を落とすと、土方は被せるようにふぅ、と息を吐き、低い声を響かせる。


「別に怒っちゃいねぇよ。折角だ、少し歩くか」



 踵を返す下駄の音が鼓膜を揺らすため、女はそちらへ顔を向けるが、自分に流し目を寄越す色男の背では一つに束ねた豊かな黒髪が風で揺れ動いており。


「えっ?…祇園の方に行くんですか…?!」



 土方は声掛けに反応する間もなく、四条大橋の中央へと歩みを進めていく。


 願ってもないチャンスを得た更紗は、ドキドキと打ち始めた鼓動を信じ、慣れない高下駄で地面を蹴り出していた。


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