Soul Cry

水無月ナツキ

第一部 始まりへの道筋

プロローグ

 静寂に包まれた月夜の晩、コンクリートの道の上を一人の青年が走っていた。

 雨が降った後の道は濡れていて、所々にできた薄い窪みに水溜りあった。青年の靴底が水溜りを叩き、微かな水音と小さな水飛沫があがる。


「ちくしょう! なんだってこんなことに!」


 悪態をつきながら必死に地面を蹴る。とにかく前へ進むことだけを彼は考えていた。そうすれば逃げきれると、そう信じていた。だが、その考えは甘かったのかもしれない。


「そりゃあお前が悪魔だからだ」


 青年に応えるように、彼の目の前から声がした。そこにはよれよれのスーツを着た男が立っていた。慌てたように青年は足を止める。


「テメエッ! どうしてここに!」


 青年の言葉には答えず、男は口に咥えた煙草に火を着けた。


「一時は面倒臭えことになったと思ったが、お前が単純馬鹿で助かったぜ」

「何だとッ」

「吠えるな、悪魔野郎。低級悪魔ってのはこれだからうぜえんだ」


 面倒臭そうに煙を吐き出し、顔を顰める男。


「……馬鹿にしやがって!」


 青年は吠えるように言葉を吐き出すと、勢い良く右腕を振った。すると突然、スーツの男の前に炎の壁が立ち上がった。その瞬間に青年はくるりと反対を向き、再び走りだした。


「またそれかよ、面倒臭え」


 そう言いつつ、男は青年を追いかけようとはしない。炎の壁に阻まれているからと言うには、男の顔には焦りの表情はない。むしろ余裕さえ感じられた。男は右手に嵌めていたナックルダスターメリケンサックを外すと、それをポケットの中へしまった。


「しくじるなよ、明日香」


 男は青年の向かう先の暗闇を見据え、そこへ向かって声をかけた。応じるように人影が動く。

 その影は少女のものだった。学校の制服を身に纏い、その手には黒塗りの鞘に収まる日本刀があった。

 夜風にポニーテールの髪を靡かせながら立つ少女と、必死の表情で駆ける青年が視線を重ねた。


「ガキか」


 小さく呟くと、青年は足に入れる力を強くした。そして右手を前に出し、その掌の上に火球を出現させた。


「どけぇ! クソガキィ!」


 そのまま少女へと突撃していく。同時に掌の炎が渦を巻く。そして青年が少女に炎を押し付けるように掌を伸ばす。

 炎が少女に触れるその間際、少女が刀を引き抜いた。居合斬りの要領で飛び出した刀は、確かに青年の身体を斬り裂いた。けれど、青年は傷を負うどころか血飛沫さえ上げることはなかった。

 代わりに掌の炎が消え、青年の身体から人型の青い煙のようなモノが飛び出す。煙は刀の軌道に添って真二つに斬り裂かれていた。


『テ、テメエ……ソイツは……』


 ノイズが混じったような声で、煙は言葉を吐き出す。

「もちろん、聖具ですよ。悪魔相手なんですから」

 当然という口振りで話す少女は、チンと音を立てながら刀を収めた。


『ち、くしょおおおおおおおお』


 叫びながら、青い煙は四散して消えた。後には意識を失った青年だけが残された。


「終わったか」


 呑気に煙草を吹かしながら、男は少女のもとへやって来る。そして気を失った青年を肩に担ぐ。


「……煙草に火を着ける暇があったなら、篝さんがやればよかったじゃないですか」


 不満気な瞳で、少女は男を見据える。


「バッカお前、部下に譲ってやったんだろうが」

「単純に面倒臭かっただけですよね? それなのに良い上司みたいに言って……。だいたい部下のこと想うんだったら、未成年の私を夜まで働かせないでください。法律違反ですよ」

「お前が勝手について来たんだろうが。それを証明すればいい」

「どうですかね。監督不行届で捕まるんじゃないですかね」

「……マジ?」

「さあ?」


 そこでくるりと背を向けると、少女は歩き出した。


「心配しなくても訴えないから大丈夫ですよ」

「それ本当だよな?」


 言い合いながら二人は闇夜に消えていった。

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