第6話

 その翌日から、犬は突然思いついたように国許に帰って行ってしまった。口では東京は暑すぎるから避暑がてらになんて言っていたが、それが本心でないことは明らかだった。携帯電話の向こうで別れを告げられると、最後に犬はこう続けた。


「あのレクサス、好きに乗ってくれよ。鍵は今日宅急便でお前の家に届くと思う」


 僕はレクサスなんてどうでもよかったが、何となく犬ともう二度と合えないような気がしていたので、聞きたいことを聞いておくことにした。爪楊枝で奥歯に挟まったものを取る感じで。


「王の携帯電話、あれはお前がやったんだろう?」


 気まずい沈黙が生まれた。

 僕は本気で電話を切ってしまおうかと思ったが、辛抱強く待った。


「やっぱりお前にはバレてたか」

「何であんなことをした?」

「分からないんだ。ただ、俺は本当にちっぽけな人間なんだ。あの携帯電話を手に取ると、何故か俺は直ぐに電源を切ってしまった。そこからはもう深い奈落もそこに転落していくみたいだったよ。携帯電話をポケットの中に入れて、王が犯人探しをしている最中びくびくしながらあいつを気遣ったりして、本当に惨めだったよ。帰り道に何度も地面に投げつけてバラバラにしてから捨てたよ」


 自暴自棄なったような声の色をしていた。キーの狂ったギターを弾き鳴らしているみたないな。


「子供の頃、近所の猫を殺したことがあるんだ。怪我をして動けなくなった猫を何度も地面に叩きつけた。王にはお前から謝っておいてくれないか」

「馬鹿言うな、自分で謝れ。じゃなきゃ一生後悔しながら墓場まで持っていけ。僕は墓場まで持っていく」

「お前は本当に優しいよ。でも、それ以上に厳しすぎるよ。じゃあな」


 その言葉を最後に電話は切れた。僕達をかろうじて繋ぎ止めていたボロボロの糸か縄も切れてしまったみたいに。僕は急にどこかに放り投げられたような感覚を味わった。そして何かが一つ終わってしまったことを、僕はしっかりと理解していた。


 僕はあの時別れを言いそびれてしまったことを今でも後悔している。その時に言っておくべき言葉を言えなかったことを。


 インターホンの音が鳴ると、レクサスのスタイリッシュな鍵が慇懃な配達員によって届けられた。

 何だかその鍵は遺骨のように見えた。

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