第14話 あなたは私だけの執事なんだから!
有栖川亜梨沙は大富豪である有栖川龍之介の一人娘で、高校二年生です。
ちなみに亜梨沙はそれなりに美少女です。でも胸が小さいのを気にしています。
小さいどころか、
ですが、男子達の多くは亜梨沙と付き合いたいと密かに願っています。
そんな亜梨沙の邸に新しく執事が来ました。
その人の名はトーマス・バトラー。執事の本場である英国の出身です。
金髪で碧眼。その上イケメンで、亜梨沙は完全に一目惚れしてしまいました。
でも誰にも言えずにいます。
ところが、親友の桜小路蘭には見抜かれてしまいました。
でも、亜梨沙はそれに気づいていません。
時間は少し遡ります。
もう少しで三年男子の餌食になるところだった蘭を無事助け出した高司譲児は、蘭を気遣うように支えながら、廊下を歩きました。
「もう大丈夫よ、譲児君」
蘭は顔を赤らめて譲児から離れました。
「あ、ごめん、蘭さん。調子に乗ったかな?」
少しでも長く蘭に触れていたいと思う譲児は、自分の
「そうじゃなくて、もう大丈夫だから……」
蘭も譲児の紳士過ぎる接し方に思わず赤面したのです。
いつもの蘭ではありません。
(これが本当に人を好きになるという事なのかしら?)
蘭は横目で譲児を見ます。
蘭は、トーマスを初めて見た時、今度こそ本気で好きになれる人だと思いました。
でも、譲児に優しくされて、それが揺らいでいます。
(違うわ、この気持ちは。助けてもらったから、譲児君に感謝しているだけよ。私が好きなのは、トム)
亜梨沙と譲児が知ったら、揃って血の涙を流しそうな蘭の結論です。
(でも、それだけなら、どうしてキスして、映画にまで誘ったのよ、蘭?)
自問自答してしまいます。
「蘭さん、どうしたの?」
不意に立ち止まってしまった自分を譲児が気遣うように見ているので、ハッとする蘭です。
「ごめん、譲児君。私、ボンヤリしてた。今日は本当にありがとう。映画、何がいいか、考えといてね」
蘭は微笑んで言うと、廊下を駆けて行きました。
「蘭さん……」
譲児は蘭を追いかけたかったのですが、それ以上に気になる事があったので、方向転換しました。
(里見先生、一体どういうつもりだ?)
譲児は、美術室に戻ります。
蹴破ったドアから中を覗くと、三年男子はまだ気を失ったままです。
しかも、下半身は丸出しなので、もの凄く間抜けな姿です。
譲児も、他人のそんな部分を見る趣味はないので、男子が脱ぎ捨てたトランクスとスラックスをかけ、目出し帽を取ると、男子の前にしゃがみ、頬を軽く叩きました。
「あ……」
男子は、目の前に譲児がいるので、また殴られると思ったのか、
「ひいい!」
と妙な声を出して、両手で顔を庇いました。
「もう殴らないよ。どうしてこんな事をしたのか、話してくれ」
譲児は上級生にタメ口を平気で利くような礼儀知らずな人間ではありませんが、外道には礼儀は必要ないだろうと思って、敬語を使わない事にしました。
「そ、それは……」
男子は目を泳がせています。譲児はグイッとネクタイを引き上げて、
「話せ。このまま警察に行ってもいいんだぞ」
と威嚇します。途端に男子は顔色が悪くなりました。
「言う、言うから、それだけは勘弁してくれよ、頼む」
男子は譲児にすがりついて懇願します。
「それが人にモノを頼む時の態度か? お前、自分の立場、わかってるのか?」
更に威嚇する譲児です。男子は顔色がなくなりました。
「ご、ごめんなさい、許してください。言いますから、言いますから!」
涙と鼻水を流して、男子は譲児に言いました。譲児はフッと笑って、
「じゃあ、洗いざらい話してくれ」
「はい……」
男子はすっかりしょぼくれて、経緯を話しました。
「やっぱり、里見先生が黒幕か。でもどうして里見先生の言う事を聞くんだ?」
譲児はそれが一番不思議だったので、男子に尋ねました。すると男子は、
「俺、本屋で万引きしているのを里見先生に見られて……」
男子はそれを切っ掛けにして、里見先生の下僕になったようです。
下僕と言っても、里見先生が連れて来る女子生徒とエッチをしたり、里見先生の好みの女子を世話したりする程度だったので、自ら進んで従っていたそうです。
「女子を世話? どういう事だ?」
蘭の事を純情可憐だと思っている譲児も、実は文科省に表彰されそうなくらいの純朴少年です。
里見先生が、男ではなく、女性を好きだという事を理解するのに時間がかかりました。
「そんな事って……」
理解不能な世界に困惑する譲児です。
「この前だって、里見先生は、麻莉乃先生を眠らせて、
男子の言葉に、譲児は唖然としました。
「そんな事をして、どうして里見先生はここを辞めさせられないんだ?」
譲児にはわけがわかりません。
「麻莉乃先生は誰にも言っていないらしいです。里見先生も、それは意外だったみたいで……」
譲児は、里見先生だけでなく、麻莉乃先生の事も理解不能になりそうです。
「桜小路さんの事も、良家のお嬢様だから、世間体を気にして絶対に訴えられない。だから大丈夫って、里見先生は言ってました」
その話を聞き、譲児は呆れ果て、里見先生を絶対に許さないと決めました。
麻莉乃先生との事は、互いが大人で、それぞれの判断があっての事でしょうが、蘭の場合は、そういう事にはできないと思ったのです。
「お前は今日は取り敢えず帰れ。明日、一緒に生徒指導の先生に会いに行ってもらう」
譲児は立ち上がり、男子を睨みつけて言いました。
「は、はい!」
男子はトランクスを慌てて履くと、スラックスを持ったままで美術室から飛び出して行きました。
(里見先生はまだ保健室にいるだろうか?)
譲児は美術室を出て、保健室に向かいました。
その里見先生は、保健室でまた麻莉乃先生の画像をウットリして眺めていました。
(麻莉乃先生……)
またしてもいけないところに右手が伸びていく里見先生です。
「は!」
里見先生の妄想タイムは、ドアをノックする音で中断しました。
(あいつ?)
里見先生は、蘭を襲った三年男子が戻って来たと思ったようです。
「どうぞ、開いてるわよ」
里見先生は振り返らずに応えました。
「失礼します」
そう言って入って来たのは譲児です。里見先生は聞き慣れない声に驚き、振り返りました。
「貴方、誰?」
里見先生は譲児を知っていますが、金髪の譲児は知りません。
「高司譲児です、先生」
譲児は無表情に答えます。里見先生はギクッとしました。
(こいつは確か、桜小路に気がある男だったはず……。何だ?)
里見先生はニュータイプなのでしょうか? 瞬時に譲児が自分にとって危険人物であると悟ります。
「何かしら、高司君?」
里見先生は作り笑顔で立ち上がり、譲児を見ます。しかも、意図的に胸の谷間を強調し、スカートの裾をやや上げて。
(こいつも所詮はエロ男子。私のこの身体にイチコロ。もちろん、触らせたりしないけどね)
里見先生はそんな事は全く表情に出さず、譲児の答えを待ちました。
「美術室で、クラスメートの桜小路さんが、三年の外道に襲われました」
譲児はあくまで冷静に話します。里見先生は色仕掛けに目もくれない譲児にイラつきました。
(やっぱりそれか。という事は……?)
里見先生は次に譲児が何を言うのか予測します。
(こいつがここに来たという事は、あの間抜けが喋ったって事よね)
作り笑顔の里見先生に譲児がツカツカと近づきます。
「その外道は、貴女の指示で桜小路さんを襲ったと言いました。どういう事ですか?」
里見先生は譲児の反応が思った通りだったので、もう少しで大笑いしそうになりました。
「その三年生も随分ねえ。どうして私がそんな事をさせる必要があるの、高司君? そいつの作り話を真に受けたの?」
里見先生はニヤリとしました。しかし、譲児も怯みません。
「そいつは、貴女に万引きするのを見られて、貴女の下僕になったとも言っていました」
「ふーん。面白い話ね。その子、ちょっとおかしいんじゃない?」
それでも全く動じない里見先生です。すると譲児は、
「わかりました。貴女に言っても解決しないのなら、坂野上先生に相談してみます」
と別の手段で攻撃しました。すると里見先生は見るも無残なほど狼狽しました。
右手で
「ど、どうして坂野上先生に相談するのよ!? 意味がわからないわ!」
里見先生は動揺を隠そうと怒鳴りました。でも、唇が震え、指先が震え、膝がガクガクしています。
「だったら、本当の事を話してください。それ以外、僕を止める方法はありませんよ」
譲児は
「わかったわよ……」
里見先生は遂に降伏し、ドサッと椅子に座りました。
コーヒーショップの前で見かけた謎の美女が、トーマスの妹のキャサリンだと知り、意味不明の事を言って応接間を飛び出した亜梨沙は、また自分の部屋に籠もっていました。
(恥ずかしい……。穴を掘ってでも入りたい……)
亜梨沙はベッドに突っ伏しています。
その時、ドアがノックされました。亜梨沙はビクッとして顔を上げます。
「誰?」
彼女はまた泣いていました。そのせいで顔はグチャグチャです。
「キャサリンです、お嬢様」
亜梨沙はその声を聞いてベッドから飛び起きました。そして顔をティッシュで拭います。
(謝らなくちゃ。彼女に凄く失礼な態度をとったから)
亜梨沙はドアに駆け寄り、開きました。するとそこには、メイド服を着たキャサリンが微笑んで立っていました。
私服のスカートスーツの時に比べて、メイド服姿のキャサリンは、更に奇麗で気品に溢れて見えました。
長い金髪をツインテールにしており、一部マニアが悶絶しそうです。
またショックを受ける亜梨沙です。
(トムにはこんなに奇麗な妹さんがいるから、奇麗な女性を見ても全然動じないのかな?)
「あ、ごめんなさい、どうぞ、入って」
亜梨沙はキャサリンが微笑んだままで自分を見ているのに気づき、慌てて言いました。
「失礼致します」
キャサリンはお辞儀をして亜梨沙の部屋に入り、ドアを閉めました。
「かけて、キャサリンさん」
亜梨沙は部屋の中央にあるソファを示しました。するとキャサリンは、
「このままで結構です。お嬢様はおかけになってください」
「そ、そう」
亜梨沙はキャサリンの微笑みに気圧されながら、一人でソファに座ります。
「それから、私の事はケイトとお呼びください、お嬢様」
キャサリンはニコッとして軽くお辞儀をしました。
「はい」
亜梨沙は緊張して来ている自分に気づきました。
(さすがトムの妹さんだ……。何だかドキドキする)
キャサリンは亜梨沙に近づき、
「至らない事も多いかと存じますが、お嬢様専属のメイドとして務めさせていただきますので、よろしくお願い致します」
今度は深々と頭を下げるキャサリンです。亜梨沙はハッとして立ち上がり、
「こちらこそ、よろしくお願いします。それから、さっきはごめんなさい、いきなり部屋を飛び出してしまって」
と頭を下げました。キャサリンはまたニコッとして、
「お気になさらずに。執事やメイドは、お仕えする方のプライベートには立ち入りませんので」
その言葉にホッとする亜梨沙ですが、
(という事は、トムも全然私の事なんか……)
また泣きそうになります。そんな亜梨沙の感情の起伏を知ってか知らずか、キャサリンは、
「お嬢様は勉強がお嫌いだと旦那様から伺いました。その辺りも含めて、尽力致します」
「え?」
ギクッとする亜梨沙です。
(ケイトが家庭教師も兼ねるの?)
以前から、父の龍之介は亜梨沙に家庭教師をつけたがっていましたが、亜梨沙が拒否していたのです。
(できればトムがいい……)
一瞬そう思った亜梨沙ですが、トムが間近で亜梨沙の勉強を見ているのを妄想するだけで失神しそうなので、無理だと諦めます。
「兄は日本の教育システムに精通しておりますから、勉強に関しては兄の方が適任かと思ったのですが、兄は女性に対する気遣いが足りないところがありますので、私が引き受けさせていただきました」
キャサリンは亜梨沙を見て言いました。
(場合によっては、トムが家庭教師役だったんだ……)
そうなって欲しかったのですが、そうならなくて良かったとホッとする亜梨沙です。
(トムって、女性に対する気遣いが足りないの?)
トーマスと出会ってから何ヶ月かが経ちましたが、亜梨沙はそんな風に思った事はありません。
(むしろ、女性には誰にでも優し過ぎると思うんだけど?)
キャサリンの指摘に納得しかねる亜梨沙です。
「では、早速始めさせていただきますね」
キャサリンは微笑んだままですが、亜梨沙は何故かドキッとしました。
スパルタの予感がしたのです。
亜梨沙の予感は的中しました。
キャサリンは、スパルタ市民も裸足で逃げ出すほどの熱血指導で、亜梨沙はヘロヘロです。
「お嬢様は決して勉強が苦手という訳ではないのです。只、お嫌いなだけ。ですから、好きになっていただければ大丈夫ですよ」
指導が終了すると、キャサリンは天使のような笑顔になり、亜梨沙に紅茶を淹れてくれました。
「はい」
倒れそうなくらい疲れている亜梨沙は、目も虚ろで返事をしました。
「では、お休みなさいませ、お嬢様」
キャサリンは深々とお辞儀をして退室しました。途端にグテーッとソファに横になる亜梨沙です。
(こんな事が毎日続いたら、死んでしまう……)
心の底からそう思う亜梨沙です。
(もう寝よう)
亜梨沙は部屋を出て自分専用のバスルームに行きました。
出すものを出し、お風呂でさっぱりした亜梨沙は、鼻歌を歌いながら部屋に戻りました。
「い!」
思わず奇声を上げてしまう亜梨沙です。廊下の向こうからトーマスが歩いて来たからです。
「お嬢様、ケイトが失礼な事を致しませんでしたでしょうか?」
トーマスは歯をキラッとさせる必殺技(あくまで亜梨沙視点)を放って尋ねます。
「そ、そんな事ないわよ」
亜梨沙は湯上がりの自分を見られたのと応接間での失態を思い出して、上せたように赤くなりました。
「ケイトがお嬢様専属になると、私はお嬢様とお話しする機会が減ってしまうので、寂しいです」
トーマスは本当に寂しそうな顔で言いました。亜梨沙は気絶しそうです。
(な、何、今の? どういう意味?)
いいように解釈しようと思う自分と、気のせいだと
「あなたは私だけの執事なんだから!」
破れかぶれのようにそう言って、また逃げるように駆け出す亜梨沙です。
「ありがとうございます、お嬢様」
トーマスがいつもより深く長く頭を下げたのを知らない亜梨沙です。
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