第6話 あなたに落ちない女子なんていないんだから!

 有栖川ありすがわ亜梨沙ありさは大富豪である有栖川龍之介の一人娘で、高校二年生です。


 ちなみに亜梨沙はそれなりに美少女です。


 そんな亜梨沙の邸に新しく執事が来ました。


 その人の名はトーマス・バトラー。執事の本場である英国の出身です。


 金髪で碧眼。その上イケメンで、亜梨沙は完全に一目惚れしてしまいました。


 でも誰にも内緒にしています。


 


 チラッと見ただけで女性が虜になってしまうトーマス。


 亜梨沙は彼に惹かれながらも、その魔法のようなイケメン加減に引いています。


(でも素敵。トムとなら、絶対に幸せになれる)


 脳内で新婚生活を始めている亜梨沙です。


(でも、トムには恋人とかいないのかしら?)


 あれほどのイケメンですから、いない方が不思議です。


(もしいないとしたら、あちらの方?)


 亜梨沙はいけない妄想をしそうになり、


「絶対違う!」


と叫んでしまいました。


 ここまで惹かれた相手が、実は女性が好きではないとしたら、亜梨沙はどうかしてしまいそうです。


「何が絶対違うんだ、有栖川?」


 現代文の授業中でした。


 目の前には、筋肉質で体育会系の美津瑠木みつるぎ新之助しんのすけ先生が仁王立ちしています。


「あ、あの、すみませんでした!」


 亜梨沙は慌てて立ち上がり、頭を下げました。


「最近たるんでるぞ、有栖川」


 新之助先生は亜梨沙の背中をポンと叩きました。


「はい」


 亜梨沙はすっかりションボリして席に座りました。


 新之助先生にとって、憧れの人である坂野上さかのうえ麻莉乃まりの先生が夢中になっているトーマスは恋敵です(但し一方的な)。


 そして、そのトーマスのいる邸の住人である亜梨沙も、新之助先生から見ると敵なのです。


(有栖川が遅刻したから、あいつが学園に来て、麻莉乃先生と出会ってしまったんだ)


 さすが国語の先生です。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」を地でいっています。


(美津瑠木のヤロウ、俺の有栖川に気安く触りやがって!)


 その様子を横目で見ていたセクハラ大魔神の早乙女さおとめ小次郎こじろうが脳内激怒です。


 それより、亜梨沙は小次郎のものでもないと思われます。


(いつか勝負してやる)


 何故か、新之助先生と小次郎の思いはシンクロしていました。


 それぞれの相手は違っていましたが。


 


 現代文の授業が終わり、お昼休みです。


 トイレに行こうとして立ち上がった亜梨沙を小次郎が急襲しました。


「何落ち込んでるんだよ、有栖川」


 いきなり背中から抱きつく小次郎です。


「あんたこそ何してんのよ、出っ歯!」


 亜梨沙は小次郎の奥襟をムンズと掴むと、目にも止まらぬ早業で背負い投げをしました。


「ぐええ!」


 小次郎は床に叩きつけられ、悶絶しました。


「あらあ、小次郎君が亜梨沙ちゃんを心配してくれたのに、亜梨沙ちゃんたら酷い」


 ド天然娘の桃之木もものき彩乃あやのが悲しそうな顔で言います。


「どこが心配してるのよ、彩乃!? いきなり後ろから抱きついて来て、只の変態よ!」


 亜梨沙は烈火の如く怒り捲りです。


「だって、落ち込んでいる彼女を見たら、彼氏としては、後ろから抱きしめてあげたくなるでしょ?」


 彩乃ワールドが解放されました。亜梨沙は呆気に取られます。


「私だったら、ジョニデに後ろから抱きしめられたら、嬉しいけどなあ」


 彩乃の妄想は止め処がありません。


「付き合い切れないわ」


 亜梨沙は親友の桜小路さくらこうじらんを誘おうと思って彼女を見ますが、蘭は何かの本を夢中で読んでいます。


「仕方ない、一人で行くか」


 亜梨沙は溜息を吐いて教室を出ようとします。


「何だ、連れションしたかったのか、有栖川?」


 復活した小次郎が懲りずにまた絡みます。


「うるさい!」


 今度は鳩尾みぞおちに正拳が炸裂です。


「ぐええ……」


 小次郎は白目を剥いて後ろに倒れました。


「バカ、最低!」


 亜梨沙はプンスカしながら教室を出ました。


「今のは小次郎君が悪いわよ。女の子にそんな事を言ってはダメ」


 彩乃もムッとして倒れている小次郎に言いました。


 彩乃が怒るのを小次郎は初めて見た気がして、ドキッとしてしまいます。


(桃之木も可愛いな)


 気が多い小次郎です。


「バカだな、本当に」


 それを見て呟く小次郎の親友の高司たかつかさ譲児じょうじです。


「それにしても……」


 本を読んでいる蘭を心配そうに見る譲児です。


(蘭さん、何に夢中なんだろう?)


 譲児は蘭がトーマスを落とそうとしている事に気づいています。


 ですから、蘭の行動が気になっています。


(ならば俺も封印を解くしかないか)


 何かを決意した譲児です。


 


 トイレをすませた亜梨沙が教室に向かっていると、


「二年H組の有栖川亜梨沙さん、至急職員室まで来てください」


 麻莉乃先生の声が校内アナウンスで流れました。


「何だろう?」


 亜梨沙は嫌な予感がしました。


(美津瑠木先生が麻莉乃先生に言いつけたのね。あの先生、麻莉乃先生が好きだから……)


 まさか自分が新之助先生に逆恨みされているとは夢にも思わない亜梨沙です。




 亜梨沙は職員室に向かう途中で、例の美術室の前を通りました。


 先日、思わぬキスシーンを見てしまった事を思い出し、赤面する亜梨沙です。


(またドアが少しだけ開いてる……)


 すでに心臓は凄まじい速さでビートを刻んでいます。


「うん、うん」


 女性の甘ったるい声が聞こえます。


(見ちゃダメ!)


 そう思いながらも、つい隙間から中を覗いてしまいます。


(あああ!)


 亜梨沙は失神しそうでした。


 今回中にいたカップルは、前回亜梨沙が見たのと同じ三年生の男女です。


 男子は上半身裸、女子はブラだけになっていて、抱き合い、もつれ合うようにキスをしています。


 ディープなキスです。グシュグシュと唾の音がし、男子がそれに合わせて女子の胸をブラの上から揉んでいます。


「……」


 亜梨沙は壊れてしまいそうです。


 やがて男子はブラをずらし、直接乳房を揉み始めました。


「ああん……」


 女子が堪らなくなったのか、喘ぎ声をあげました。


「覗きはダメよ、二年生」


 後ろからいきなり声をかけられ、心臓が止まりそうになる亜梨沙です。


「あ、え、その……」


 慌てて振り返ると、そこに立っていたのは保健室の魔女と呼ばれている里見さとみ美玲みれい先生でした。


「さ、里見先生……」


 亜梨沙は覗きをしていたと思われた事と、里見先生に見つかった事でパニックになりかけていました。


 膝まである白衣の間から覗く短い赤の革製のスカートに黒のストッキングを履き、チェリーピンクの楕円形の眼鏡をかけ、栗色のロングヘアをポニーテールにしている里見先生は男子生徒の人気を麻莉乃先生と二分していると言われています。


 普段はボンヤリした感じなのも人気の秘密です。


「ここで見た事は誰にも言ってはダメよ、二年生」


 里見先生は眼鏡をクイッと上げると、スッと身を翻して去って行きました。


「……?」


 亜梨沙は里見先生の言った事の意味がわかりませんでした。


(頼まれてもこの中の出来事は誰にも言えないよ……)


 亜梨沙はハッとして、職員室へと走りました。


(早く行かないと、またあの隠れ巨乳にネチネチ言われるわ)


 亜梨沙は麻莉乃先生のムッとした顔を思い浮かべました。


 


 結局、お昼休みの大半を麻莉乃先生のお小言に費やしてしまった亜梨沙は、購買でアンパンと牛乳を買い、教室に戻りました。


「おう、有栖川、牛乳は毎日二本は飲んだ方が、貧乳のためになるらしいぞ」


 懲りない男の中の男である小次郎がからかいます。


「やかましい!」


 亜梨沙のエルボースマッシュが小次郎の鼻を直撃しました。


「ぶへえ!」


 小次郎は鼻血を噴きながら仰け反って倒れました。


(やっぱり、桃之木に乗り換えようかな?)


 鼻血に塗れながらバカな事を考えている小次郎です。


 


 その日の亜梨沙は、小次郎のセクハラと美術室の出来事を交互に思い出し、更に新之助先生と麻莉乃先生の事も交互に思い出しました。


「疲れた……」


 フラフラしながら、校庭を歩く亜梨沙です。


「大丈夫、亜梨沙?」


 本を読んでいた蘭が、あまりにも辛そうな亜梨沙を見かねて声をかけました。


「大丈夫。今日はいろいろあったから、ちょっと参っただけ」


 亜梨沙は苦笑いして蘭を見ました。


「参った参った、伊勢神宮、なんつってな」


 懲りない小次郎がそう言いながら亜梨沙達の横を通ります。


「きゃああ!」


 亜梨沙は小次郎にスカートを捲られました。


「おお!」


 周囲にいた男子達が目を見開きました。思わず携帯のカメラを向けるバカもいます。


「何するのよ!」


 亜梨沙の電光石火のビンタが小次郎を跳ね飛ばします。


「ぐへえ!」


 小次郎はフィギュアスケートの選手ばりに回転して地面に落ちました。


「今日はクマさんパンツか……」


 それでも亜梨沙のスカートの中を見逃さない小次郎でした。


「もう、信じられない!」


 亜梨沙は怒りMAX状態で歩き出し、前方に驚くべき人物を見つけてしまいます。


「お疲れ様です、お嬢様」


 何故かトーマスが亜梨沙専用の白のリムジンで校門の前に来ていました。


 周囲はすでに虜となった女子生徒で溢れ返っています。


「ト、トム……」


 自分の暴力的なところを見られてしまったと思い、亜梨沙は動揺します。


「わ、私、先に帰るね!」


 何故か蘭が逃げるように走り去りました。


「失礼、トーマス」


 蘭はトーマスと目を合わせないようにして、学園から出て行ってしまいました。


「お気をつけてお帰りください、桜小路様」


 トーマスは言いました。


「お呼び立てして、申し訳ありません、バトラーさん」


 そこへ隠れ巨乳、いえ、麻莉乃先生が現れました。


 麻莉乃先生もトーマスの目力めぢからの直撃を受けないように、微妙に視線を外して近づいて来ます。


(麻莉乃先生、また何か企んでるのね!)


 亜梨沙はキッとして麻莉乃先生を睨みます。


「いえ。旦那様は多忙ですので、私が代わりに参りました」


 トーマスは華麗にお辞儀をします。


「きゃああ!」


 それを見て多くの女子生徒が失神しました。


 スケベな男子達は、


「大丈夫か?」


と言って助けるフリをしてあちこち触っています。


 人間のクズです。


「あら、有栖川さんもいたのね。ちょうど良かったわ」


 麻莉乃先生はたった今亜梨沙の存在に気づいたような顔で言いました。


「お父様にお手紙を書きました。貴女の最近の授業態度が極めてよろしくない事を」


 麻莉乃先生のその言葉に蒼ざめる亜梨沙です。


(どうしてそれをトムの前で話すのよ!?)


 亜梨沙はパニックになりそうです。


「これがそのお手紙です。有栖川さんのお父様にお渡しください」


 麻莉乃先生はニコッとして封書を差し出します。


 その時もちろん、胸の谷間を見せ付けるのも忘れません。


かしこまりました、坂野上先生。確かにお預かり致します」


 トーマスは恭しくそれを受け取りました。


「では、ご機嫌よう」


 麻莉乃先生は勝ち誇ったような顔で背を向け、学園に戻って行きました。


「失礼致します」


 トーマスは会釈しました。そして、


「お嬢様、よろしければ、お車でお帰りください」


と亜梨沙を見て言いました。亜梨沙はギクッとして、


「え、ええ」


 トーマスは亜梨沙の暴力にも授業態度にも反応を示しません。


(私の事なんか、何とも思っていないのね)


 そう思えて来て、急に悲しくなる亜梨沙です。


 亜梨沙はトーマスに右手を取られ、後部座席に乗りましたが、ショックが大き過ぎてそれすら気づいていません。


 トーマスは亜梨沙を乗せると、運転席に戻ります。


 その時、校門の外から里見先生が入って来ました。


 亜梨沙は里見先生に気づきます。


(里見先生もトーマスの虜……)


 そう思い、また悲しくなる亜梨沙です。


「あら、どちらの執事さんですか?」


 ところが里見先生は真顔でトーマスに対しています。


(え? どういう事?)


 トーマスの無敵伝説が瓦解したのでしょうか?


「有栖川グループのお邸の執事を努めます、トーマス・バトラーと申します」


 トーマスは深々とお辞儀をします。


 それを見てまた多くの女子生徒達が気絶しました。


 でも、里見先生は何ともないようです。


「そうですか。私は里見美玲。この学園の保健担当です。どうぞよろしく」


 里見先生はニコッとして挨拶を返しました。


(えええ!?)


 信じられない光景をの当たりにした亜梨沙は唖然としました。


(どういう事なの!?)


 トーマスの「敗北」が信じられない亜梨沙です。


 別にトーマス自身は負けたとは思っていません。


 亜梨沙の妄想ジャッジです。


「こちらこそ、よろしくお願い致します」


 トーマスは会釈をし、運転席に乗り込みました。


「お嬢様、お車出します」


 トーマスは言いました。


「え、ええ」


 亜梨沙はうわの空で返事をします。


 そして、呆然としているうちに邸に到着しました。


「お嬢様、到着致しました」


 後部ドアを開き、トーマスが亜梨沙を外に連れ出します。


「あ、ええ……」


 亜梨沙はポカンとしたままでリムジンを降りました。


「お嬢様、どうなさいましたか?」


 トーマスは亜梨沙の様子がおかしいので、心配になって声をかけます。


 亜梨沙は目の前にトーマスの顔があるので、慌てて視線を逸らします。


 それでも顔が真っ赤になってしまうのがわかりました。


「あなたに落ちない女子なんていないんだから!」


 また訳のわからない事を言って駆け出す亜梨沙です。


「ありがとうございます、お嬢様」


 トーマスは駆けて行く亜梨沙に向かって深々とお辞儀をしました。


 それを見たメイド五人とそちらの世界の警備員が卒倒してしまいました。

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