ごめんあそばせ召しませ執事?

神村律子

第1話 あ、あなたなんか、別に何とも思っていないんだから!

「パパはこれから出かけるが、もしかするとパパが戻る前に今度ウチで執事をしてもらう人が来るかも知れないから、その時はよろしく頼むよ」


 有栖川ありすがわ龍之介りゅうのすけ。日本で五本の指に入る大企業グループの総帥であり、政界をも動かす実力者でもあります。


 いつも眉間に皺を寄せている鋭い眼光の持ち主ですが、愛娘の前では完全に人が変わり、親バカ全開になります。身長はそれなりに高いのですが、体重がそれを上回っており、スーツのボタンが弾けそうです。そのため、


「もっと痩せないとパパの事、嫌いになっちゃうぞ」


と言われる毎日です。


「ええーっ、そんなの嫌だあ。面倒臭いよお」


 そう言って拗ねてみせる髪型はスウィートボブ、黒目がちの大きな瞳、口角の上がった口、小さい鼻の可愛らしい女の子。有栖川ありすがわ亜梨沙ありさ、高校二年生。このお話の主人公ヒロインです、多分(汗)。


「まあ、その人が来たら、メイド達に応対してもらえばいい。じゃあ、行って来るよ」


 龍之介は亜梨沙に頬を突き出します。奇麗に髭を剃った、歳の割にはつやつやした肌です。


 亜梨沙が幼い頃からの習慣です。所謂いわゆる「行ってらっしゃい」のキスをご所望なのです。


「もう、仕方ないなあ」


 亜梨沙は嫌そうな顔をしますが、本当は嫌ではありません。


 生まれてまもなく母親に死なれた亜梨沙にとって、龍之介は唯一の肉親だからです。


「行ってらっしゃい、パパ」


 亜梨沙は龍之介の頬にキスをしました。


「行って来るよ」


 龍之介はニコッとして、玄関の前に横付けされた黒塗りのリムジンに乗り込みます。


「行ってらっしゃいませ」


 メイド十人、庭師五人、コック三人、警備員二十人が龍之介を見送ります。


「私も学校に行かなくちゃね」


 亜梨沙は玄関の脇にあるウォークインクローゼットに行き、靴を学校指定の黒のローファーに履き替え、同じく学校指定のアップルグリーンの肩掛け鞄を手に持つと、玄関を出ました。


 亜梨沙が暮らしている邸は、東京都西世田谷区にあります。


 敷地面積は福岡ドーム約三個半分で、二十万㎡。迷子になりそうな広さです。

 

 邸の周囲は上部に高圧電流が流れる高さ五メートルの防弾壁で覆われており、広大な庭にはドーベルマンが十二頭放たれています。


 全ての犬に名前が付けられていて、亜梨沙の命令で動くように躾けられているので安心です。


 そんな広大な邸の庭の奇麗に敷き詰められた石畳の上を亜梨沙は元気良く駆けて行きます。


 亜梨沙ほどのお嬢様になると、一般的には車で送り迎えが当たり前ですが、亜梨沙はそれをよしとせず、毎日徒歩で通学しています。


「あーん、パパがキスをおねだりするから、遅刻しちゃいそう!」


 知らない人が聞いたら、キャバ嬢が常連の客と揉めたのかと思われるような事を言いながら、亜梨沙はようやく邸の門をくぐります。


 すぐに人のせいにするのは、亜梨沙の悪い癖です。


 邸の前を通っているのは国道246号線です。今は通勤時間なので、車の往来が非常に激しくなっています。


 門の正面には、有栖川家専用の半感応式の信号と横断歩道がありますが、亜梨沙はそこを渡る必要はありません。彼女は門を出ると舗道を左に曲がりました。


 亜梨沙が通学している天照てんしょう学園高等部は、亜梨沙の邸から徒歩で十五分程度のところにある幼稚舎から大学まである名門です。


 但し、亜梨沙の場合、玄関から門まで全力で走って五分はかかるので、学園に着くには二十分必要です。


「入学以来、無遅刻無欠席だったのに!」


 息を切らせ、赤チェックのプリーツスカートをひらめかせながら、亜梨沙は前方に見える礼拝堂のような尖塔が建つ学園を目指しました。


「え?」


 急いでいるはずなのに、亜梨沙は通りの反対側の舗道を歩いている黒のスーツを着た金髪の外国人に気がつきました。


(うわあ、すっごいイケメン!)


 思わず立ち止まってしまい、そのイケメンが歩いて行くのをジッと見てしまう亜梨沙です。


「いっけない!」


 今はそれどころではないのを思い出し、前を見てまた走ります。


(何考えてるのよ、私ってば!)


 亜梨沙は走って暑くなったので、着ていたターコイズブルーのブレザーのボタンを外し、ローズピンクのネクタイを緩めました。


「暑いよお」


 すでに季節は十月とは言え、まだまだ走れば暑くなるのです。


 これだけ必死に走っている亜梨沙ですが、悲しくなるくらい胸は揺れていません。


 彼女は小学生もびっくりの「貧乳」なのです。全体的に痩せ細っていて身長は155cmと小柄です。


 まあ、そのお陰か、走るのは速いようです。


「セーフ!」


 亜梨沙は何とか学園の正門が閉ざされる前に校庭に駆け込みました。


 正門を閉じる当番の先生が亜梨沙を睨みますが、亜梨沙は気にしません。


 その直後に予鈴が鳴ります。しかし、亜梨沙の戦いはまだ終わっていません。


「それ!」


 今度は生徒用の玄関に走ります。天照学園高等部は全館土足ですので、上履きに履き替える事はありません。


 亜梨沙は玄関に飛び込むと、自分の教室がある二階へ向かって階段を駆け上がります。


 多分、後ろからついて行けば、パンチラ大量祭かも知れません。


 でも、無遅刻無欠席が懸かっている亜梨沙にはそんな事を気にしている余裕はないのです。


「間に合ったあ!」


 亜梨沙は息を切らせて教室に飛び込みました。


 激しく脚を動かしたせいで、黒のニーハイソックスがだらしなく膝下まで下りてしまっています。


「間に合ったじゃありません、有栖川さん!」


 亜梨沙はギクッとして声がした方を見ました。


 教壇に腕組みをしてこちらを睨んでいるマッシュショートヘアでピンクのパンツスーツを着た若い女の先生が立っています。


 彼女は亜梨沙のクラスの担任で、英語担当の坂野上さかのうえ麻莉乃まりのです。


 165cmとどちらかというと長身で、隠れ巨乳と男子の間で評判ですが、本人は自分の事を太っていると思っています。


 そんなちょっぴり天然なところも人気があるようです。


「あ、麻莉乃先生!」


 亜梨沙はつい大声で叫んでしまいました。麻莉乃先生はムッとして、


「今まで無遅刻無欠席だった貴女が、今日はどうしたのですか?」


「いえ、あの……」


 まさか、パパにキスをせがまれた上に、通学途中に飛び切りのイケメンがいたので見入ってしまい、遅刻しそうになりましたとは言えません。


「お座りなさい。後でじっくり反省文を書いてもらいます」


 麻莉乃先生は厳しい表情で言いますが、少し垂れ気味の目のせいで、迫力に欠けてしまいます。


「はーい」


 亜梨沙はションボリして自分の席に着きました。


(パパとあのイケメンのせいだ……)


 亜梨沙の逆恨み機能が発動しました。


 


 そして、一時限目の授業が終わり、休み時間です。


「珍しいわね、亜梨沙が遅刻ギリギリなんて」


 顔周り・サイド・バックどこから見ても立体的なロングヘアの女子が席を立った亜梨沙に近づいて来て言いました。亜梨沙よりちょっとだけ背が高いです。


 彼女の名前は桜小路さくらこうじらん。亜梨沙同様大金持ちのお嬢様です。


 但し、亜梨沙と違ってこれでもかという巨乳で、シルバーホワイトのブラウスの第一ボタンが弾けそうです。しかもその上隠れ肉食系でもあります。


 狙った獲物は絶対逃がさない怪盗ルパン(初代)並みのハンターです。


 でも見た目は大人しめで、やや垂れ気味の目はいつも夜空の星のような光を宿してしており、鼻はギリシア彫刻のように高く唇は潤いがあって採れたてのサクランボのようです。


 しかも、どこから見てもオットリした雰囲気です。能ある鷹は爪を隠すのです。


 亜梨沙がヒラヒラのプリーツスカートなのに対し、蘭はブレザーと同じターコイズブルーのタイトスカートを履いています。


 そして、白のニーハイソックスを履いた脚は、亜梨沙の細過ぎて魅力のない脚と違い、男子達の注目の的です。


「まあ、そういう日もあるわよ」


 亜梨沙は理由を説明するのが面倒臭かったので、そう言って誤魔化しました。


 その亜梨沙の顔が次の瞬間引きつります。


「だあれだ?」


 後ろから亜梨沙のない胸を鷲掴み(できたのでしょうか?)した手。


「何するのよ!?」


 亜梨沙は電光石火の早業でその手を払い除け、振り向きざまに平手打ちを炸裂させます。


「おうおう、相変わらずいいビンタだねえ、有栖川」


 そう言って、叩かれた頬を撫でたのは、亜梨沙より15cmくらい身長の高い同じクラスの男子生徒である早乙女さおとめ小次郎こじろう。ソフトモヒカンで、やや出っ歯の愛嬌のある顔をしています。


 亜梨沙に殴られて嬉しそうにしているのは、彼が変態だからではなく、亜梨沙の事が好きだからです。


 でもそれを言えないガラスのハートの持ち主です。


 彼は亜梨沙のビンタを食らって乱れたセルリアンブルーのブレザーの襟を直し、スカイグレーのスラックスを引き上げて、


「これだけ毎日揉んであげてるのに、全然成長しないな、お前の乳」


とその感触を確かめるように指を動かします。


「そんな事、大きなお世話よ、バカ!」


 亜梨沙は顔を赤らめ、ムッとして言いました。でも小次郎はニヤッとして、


「今度は違う方法を試してみるよ」


「試すな!」


 亜梨沙が言い返した時には、小次郎は教室を出ていました。


「何だかんだ言って、貴方も早乙女君の事、好きなんじゃないの?」


 蘭がクスクス笑いながら言います。亜梨沙は蘭を睨みつけて、


「何でそうなるのよ!? 私はあいつの事なんか、小川のドジョウほども関心がないわ」


と言ってツンと顔を背けます。蘭は肩を竦め、


「だったらどうして、毎日胸を揉まれても、先生に言わないのよ? 彼の事が好きだからでしょ?」


「違うわよ! そこまでしたらあいつが可哀想だから、言わないだけよ! 同情よ、同情! 愛情とは似て非なるものよ!」


 亜梨沙は真っ赤な顔で必死になって捲くし立てます。


 彼女が小次郎に関心がないのは事実ですが、顔を赤らめているせいで説得力が微塵もありません。


「はいはい」


 蘭は呆れたように返事をすると、自分の席に戻ります。


「もう、蘭たら、面白がっちゃって……」


 亜梨沙はプリプリしたまま席に着きました。


 


 その頃、男子トイレの個室に籠もって項垂れている小次郎。


 大きい方をしている訳ではなく、反省中です。


(またやっちまった……)


 彼は、亜梨沙の気を引きたくて、彼女をかまっているのですが、今の方法では確実に嫌われていくだけだとわかっています。


 でも、亜梨沙に素直に自分の気持ちを打ち明けられない絵に描いたような小心者の小次郎は、セクハラ紛い(いや、セクハラそのもの?)の事しかできないのです。


「お前って、本当にバカだよな」


 その個室の前で、長身で肉体派の男子生徒が言いました。小次郎より更に10cmほど大きいです。


 彼の名前は、高司たかつかさ譲児じょうじ。日本とアメリカのハーフです。本当はブロンドヘアなのに、何故か黒く染め、きっちり七三に分けた上、黒縁眼鏡をかけているちょっと変わった男子です。


「ああ。本当にバカ……」


 ますます項垂れる小次郎です。


「まあ、俺もバカだけどね」


 そう言って苦笑いする譲児は蘭の事が好きで、毎日欠かす事なくアタックをし続けていますが、全く相手にされていません。


 二人は少し基本ベースが違うバカのようです。


 小次郎は告白して振られるのが怖いバカ、譲児は振られても全くこたえないバカ。


 この二人はいつかバカの決着をつける時が来るでしょう、多分。


 


 お昼休みになりました。


 亜梨沙は四階建ての学食で手早く昼食をすませ、麻莉乃先生に言われた反省文を原稿用紙三枚に書き、職員室に持って行きました。


 天照学園は校則は厳しくありませんが、生徒会が自主的に決めた規則があり、亜梨沙はその第六十七条の「登校時における精神的余裕の確保」に抵触したので、反省文を書く羽目になったのです。


(訳わかんないわ、その規則……)


 亜梨沙は溜息を吐きました。反省文を書かされた揚げ句、職員室で麻莉乃先生にお説教されたのです。


「私は、有栖川さんが憎くて言っているのではないのですよ」


 麻莉乃先生は目をウルウルさせてお説教しました。それを横目で見ている男の先生の顔が赤いのは決して熱があるせいではないでしょう。


「私の父が、厳しく指導してくれって言ったからですよね」


 亜梨沙はそう言いたかったのですが、グッと堪えました。そんな事を言えば、火に油どころか、○ちゃんねるに燃料投下くらい危うい事になるからです。 


「はい。すみません」


 亜梨沙は反省しているフリをして肩を落としてみせました。


 いくら演技でも、反省する理由がよくわからないので、亜梨沙はドッと疲れました。




 しばらくして、ようやく麻莉乃先生のお説教から解放された亜梨沙は教室に戻るために廊下を歩いていました。


「あれ?」


 美術室のドアが少しだけ開いています。


 まだお昼休みですが(天照学園高等部のお昼休みは一時間半です)、気の早い生徒が来ているのでしょうか?


 何気なく中を覗いた亜梨沙は心臓が止まりそうになりました。


「う、うん、うう」


 三年生の男女が美術品の横で激しくキスしていたのです。


 舌を絡ませ、唇をむさぼるように吸い合っています。クチュクチュと淫靡いんびな音が聞こえます。


 何故三年生とわかったかと言いますと、女子はネクタイの色が学年ごとに違うのです。


 三年生はマンダリンオレンジ、二年生はローズピンク、一年生はルビーレッドなのです。


 対する男子は、ネクタイは全学年同じですが、スラックスのベルトのバックルが違います。


 三年生は金、二年生は銀、一年生は銅なのです。


「ぷはあ」


 長いキスだったらしく、男子生徒は水中から顔を出したかのように口を開き、息を吸い込みました。


「うふん」


 女子生徒の方はトロンとした瞳で男子生徒を見つめています。


 二人の間には、よだれが窓からの光に照らされて、白い糸のように光っています。


(うわあ……)


 亜梨沙は自分がキスをしたような感覚に陥り、全身が熱くなりました。


 その時、ふと彼女は朝見かけたイケメンの外国人を思い出します。


(な、何考えてるのよ、私は!?)


 亜梨沙は自分と彼とのキスのイメージを頭から追い出し、廊下を走りました。


「どうしたの、亜梨沙? 顔が赤いわよ。熱でもあるの?」


 教室に戻ってもさっきの衝撃を忘れられない亜梨沙は顔を火照らせたままだったので、早速蘭に突っ込まれました。


「ね、ね、熱なんかないわよ!」


 亜梨沙は呂律が回らないほど動揺した状態で席に着きました。


「何があったんだろう?」


 それを自分の席からこっそり観察していた小次郎が、隣の席の譲児に尋ねます。


「気になるなら、自分で訊けば?」


 譲児は冷たく言い放ちました。項垂れる小次郎です。


「それができれば苦労しねえよ……」


 亜梨沙の胸は揉めるのに、そんな事も訊けない小次郎は正真正銘のバカです。


(が、学校の中でキスなんて、校則違反だよ……)


 忘れようとすればするほど、さっきのシーンが頭の中を占領して来る亜梨沙です。


 ちなみに亜梨沙はキス未体験です。あのキスは未体験の亜梨沙には刺激が強過ぎたかも知れません。


「なるほど。そういう事ね」


 蘭が愉快そうに亜梨沙の顔を覗き込みました。


「な、何?」

 

 亜梨沙はビクッとして蘭を見ます。蘭はクスッと笑い、


「貴女、職員室からの帰りに美術室を覗いたでしょ?」


と見事な推理を展開します。


「み、見てたの、蘭?」


 亜梨沙は声を落として尋ね返します。蘭は腕組みをして、


「違うわよ。有名なのよね、美術室のそれ」


「え?」


 亜梨沙はまた顔が真っ赤です。鮮明に思い出してしまっています。


「美術の先生がよく鍵を閉め忘れるのを知っていて、お昼休みや放課後に忍び込むカップルが多いそうよ」


 蘭は楽しそうに話します。


「でも、その、あの、えーと、あれって、校則違反よ」


 目が完全に泳いでいる亜梨沙です。蘭は亜梨沙をジッと見て、


「野暮な事言わないの、亜梨沙。愛は時と場所を選んでいては成り立たないの」


「ええ!?」


 キス未体験の亜梨沙にはすでに理解不能の世界に突入のようです。


「あれ? ひょっとして亜梨沙、キスした事ないの?」


 蘭が目を見開いて言いました。亜梨沙はまた顔を紅潮させて、


「な、ないわよ! 悪い?」


と蘭を睨みます。


「ないのか」


 聞き耳を立てていた小次郎が呟きます。


「良かったな、小次郎」


 その肩を優しく叩く譲児です。


「良かったんだかどうか微妙……」


 小次郎はまた項垂れます。傷つきやすいお年頃なのです。


(俺もまだだし……)


 小次郎は亜梨沙の可愛い唇をジッと見てしまいます。


「何よ、早乙女君?」


 亜梨沙がその視線に気づいて小次郎を睨みます。小次郎は引きつりながらもニヤリとして、


「キスもまだなのかよ、さすが貧乳王女だな」


 またそんな事を言ってしまい、心の中で血の涙を流す小次郎です。


「うるさいわね! キスと貧乳は関係ないでしょ!?」


 亜梨沙は立ち上がって怒ります。


「まあまあ、亜梨沙」


 蘭が彼女をなだめました。亜梨沙はプイと小次郎から顔を背けて椅子に座りました。


「お前のバカ、もう止めないな」


 さすがの譲児も呆れていました。


「ああ」


 小次郎は心の中ではすでに失血死しそうなほど血の涙が出ていました。


 するとそこへクラスの最終兵器とあだ名される女子生徒が現れました。


「あれれ、亜梨沙ちゃんと小次郎君は付き合ってるのにキスもした事ないの?」


「な、何言ってるのよ、彩乃あやのは! 私はあんな奴と付き合ってなんかいないわよ!」


 亜梨沙がその女子に猛烈な勢いで抗議します。


「あれえ、そうなんだっけ?」


 その女子の名は、桃之木もものき彩乃あやの。ユルフワのボブ、大きな瞳は常にウルウル気味で、多くの男子を勘違いさせますが、本人は全く同級生には興味なし。ジョニデ命です。身長は亜梨沙とほぼ同じくらいです。でも、胸は大きいみたいです。


 彼女の脳内では、亜梨沙と小次郎は付き合っていて蘭は譲児にメロメロだと確定しているらしいです。


 とんでもなく迷惑な天然娘です。


「……」


 彩乃の「亜梨沙ちゃんと付き合っているのにキスもした事ないの」発言で、小次郎は気絶してしまいました。


「しっかりしろ、小次郎!」


 譲児が慌てて支えます。


「何ふざけてるのよ、あいつら?」


 事情を知らない亜梨沙が、無情の一言を言い放ちました。


 気絶中の小次郎に聞こえなかったのは、不幸中の幸いでしょうか?


 


 そして。


 いろいろとあった一日も終わり、下校時間です。


「いいなあ、亜梨沙ちゃんは家が近くて」


 彩乃が門のところまで来た時に言います。


「近いせいで、遅刻しそうになっただけでお説教されたよ。あまりいい事ないんだよ」


 亜梨沙はうんざり顔で言います。また麻莉乃先生のお説教を思い出したようです。


「そう言えば」


 彩乃が周囲を見回して、


「小次郎君とは一緒に帰っていないの、亜梨沙ちゃん?」


とまたしても天然爆弾の無差別攻撃です。


「だから、何度言えばわかってくれるの、彩乃! 私とあいつは付き合ってなんかいないの!」


 亜梨沙は涙目で訴えます。しかし彩乃は、


「ああ、ごめんごめん。付き合ってるの、内緒にしてるのね」


とドンドン暴走です。


「何とかしてよ、この子……」


 亜梨沙は蘭に泣きつきます。蘭は肩を竦めて、


「無駄よ、亜梨沙。彩乃は自分の世界でいろいろな関係を構築しちゃってるんだから」


と彩乃を見ました。すると彩乃は蘭の視線に気づき、


「そう言えば、蘭ちゃんも譲児君と帰らないの?」


と尋ねました。


「ほらね」


 蘭が亜梨沙を見てまた肩を竦めます。亜梨沙は溜息を吐いて、


「スルーしかないのか、彩乃爆弾は……」


と言いました。


「じゃあねえ、スイートハニー」


 そんなところに、絶妙なタイミングで現れる小次郎と譲児のバカコンビです。


 譲児は無視する蘭をものともせず、投げキスをして立ち去ります。


 小次郎は彩乃の「付き合ってるのに」の話を思い出してしまったのか、いつものセクハラ攻撃をせずに亜梨沙から離れて行きます。


「あれれ、何だ、喧嘩でもしたの、二人共?」


 更に爆弾を投下して来る彩乃を無視して、亜梨沙と蘭は歩き出しました。


「ああん、置いてかないでよ、もう」


 目をウルウルさせながら、彩乃は亜梨沙と蘭を追いかけました。


 


「心臓に悪いな、桃之木の発言は」


 小次郎は胸を押さえてフラフラしながら歩いています。


「可愛いんだけど、ジョニデ大好きだから、太刀打ちできないんだよねえ」


 譲児は一度彩乃を狙った事がありましたが、見事に撃沈しました。


「お前、誰でもいいのかよ?」


 小次郎は軽蔑の眼差しで譲児を見ました。


「そんな事ないさ。今は蘭ちゃん一筋だよ」


 譲児はウィンクをして応じました。


 


 亜梨沙は、蘭達と邸の正門の前で別れました。


「あれ?」


 庭の方に目を向けると、朝見かけたイケメン外国人がメイドと庭を歩いています。


 心なしか、メイドの顔が火照っているように見えます。


「何であの人がいるの?」


 ドキドキして思わず立ち止まってしまう亜梨沙です。


 彼はメイドに何か説明されながら、庭を見ているようです。


「もしかして……」


 亜梨沙は、その外国人が父龍之介の言った執事なのではと思いました。


(でも、執事って、普通おじさんかおじいさんよね)


 亜梨沙の家には以前も執事が何人かいた事がありますが、全員老人でした。


「まさかね」


 亜梨沙は膨らみかけた妄想を振り払い、また庭を歩き出しました。


 すると、そのイケメン外国人が亜梨沙に気づき、メイドに何か言うと近づいて来ました。


「え?」


 それに気づいた亜梨沙は、何故か早足になり、玄関を目指します。


(やだ、何で私、急いでるのよ?)


 自分で自分がわからない亜梨沙です。


「失礼ですが、亜梨沙お嬢様ですか?」


 イケメンは声も素敵です。しかも、流暢な日本語です。


「は、はい」


 名前を呼ばれたのにそのまま進む訳にもいかず、亜梨沙は立ち止まってイケメンを見ます。


 イケメンは眩しいほどの笑みを浮かべ、亜梨沙にお辞儀をすると、


「私は、本日からこちらのお邸で執事をさせていただきます、トーマス・バトラーと申します。よろしくお願い致します」


と挨拶をしました。


 亜梨沙はトーマスのあまりにも優雅な立ち居振る舞いにポオッとなってしまい、反応できません。


 顔は熟れたトマトより赤くなっています。


「亜梨沙様?」


 トーマスは亜梨沙が瞬きもせずに自分を見ているので不思議に思い、声をかけました。


「は!」


 トーマスが心配そうに自分を見ている事に気づいた亜梨沙は、


「あ、貴方なんか、別に何とも思っていないんだから!」


と意味不明な事を言うと、ダッと駆け出しました。


「申し訳ありません、亜梨沙様」


 トーマスはもう一度優雅に頭を下げました。


 亜梨沙は自分の言動を恥じながら邸に駆け込みました。


(私ったら、何て事を言ったのよ!?)


 消えてなくなりたいくらい恥ずかしいと思う亜梨沙でした。

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