只今マイクのテスト中

阿井上夫

一回目

「えー、テス、テス、只今マイクのテスト中」

 コンサート会場に彼の声が響き亘る。

「前席、良好ですか?」

 最前列にいたスタッフの手が挙がる。

「二階席はどうですか?」

 二階の最前列で垂れ幕の調整をしていたスタッフの手が挙がる。

「最後尾はどうですか?」

 最後尾の壁際で照明の準備をしていたスタッフの手が挙がる。

「オールOKですね」

 テストを終えた彼はマイクの前から立ち去ろうとした。

 すると、最前列に陣取っていたプロデューサーから声がかかった。

「そのまま音響のテストをするから歌ってくれ」

「えっ、俺がですか?」

「そう」

 プロデューサーにとってはただの気紛れに過ぎなかった。

 周りにいたスタッフも、いつものことと苦笑していた。

 何より彼にとっては想定外のことである。

 しかし、乗りの良いスタッフによって前奏が大音量で流されたため、彼は仕方なくマイクを取った。


 彼らはこの時点で知らなかった。


 まさかこの後、彼の歌声に魅了されたスタッフが暴走を始め、

 バンドの連中までがその勢いに合流し、

 照明係が汗だくでステージを照らし、

 受付が客を入れて、

 彼が全三十曲を歌い上げるまで、その熱狂が続くことを。


「それではいきまーす」

 伝説の扉が今、開かれる。

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