第20話 天草の攻撃開始

 三人は、いったん三階のフロアで目を凝らした。

 オボロには見えなくても、二人なら闇は見通せるはずである。

 残念ながら、このフロアにはサクラはいない。


 また階段を駆け上がっていく。

 屋上に続く踊り場で、シミョウが立ち止まった。


「大王さま、このいやーな感じは、なんでございますでしょ」


 エンマの眼光が鋭くなった。


「これはもしかしたら、天草あまくさの野郎がなにか仕掛けやがったのかもしれねえなあ」


 人間であるオボロでさえ、うすら寒い冷気を感じ始めている。

 シミョウは油断なく階段を上がっていく。それに続いた。

 出入り口用である壁の空洞から、屋上に出る。

 すると十メートルほど先で、ジンタが低いうなり声をあげているのが目に入った。


 そして、オボロは思わず息を呑み込んだ。


 ビル群に挟まれた一角であったはずなのに、目の前は真っ暗な空間であり、巨大な緑色の満月が輝いているばかりなのだ。


「こ、これは」


 オボロの横でエンマがつぶやく。


「やはりな。天草が勝手に、空間をねじ曲げちまってるようだぜ。

 あの満月を見ろよ。あんな禍々まがまがしい色の月なんて、地獄でも見ねえや」


「大王さま、いかがいたしましょう」


 シミョウはたすき掛けのバッグから、赤いロープを取り出す。


「シミョウ、そいつでは無理だ。さっきみたいに瞬間に灰にされるだけよ」


 オボロはそんなことよりも、サクラが心配であった。


「サクラちゃん、どこだっ」


 オボロはよろよろと屋上を歩き出した。本来コワイはずのジンタのすぐ近くまで歩む。

 こんな場所から早く逃げ出したいと思うが、サクラを放っていくわけにはいかない。

 えにしを持った以上、簡単にあきらめるわけにはいかない。


「みなさん、おそろいのようですね」


 月からにじみ出るように、天草が姿を現した。魔術師のように宙に浮いているのだ。


「あなた、人間なのによく私の仕掛けた迷宮から抜け出せましたね」


 天草は少年の顔立ちはしているものの、オボロよりもはるかに年上の、実際にはそうなのだが、落ち着いた貫禄のある話し方をしてきた。


「あんなチャチな迷路は、屁でもないさ。

 それより、サクラはどこだ? 化け物めッ」


 天草は左腕を、マントの下から伸ばした。

 すると、巨大な緑色の満月の一部が揺れ、天草と同じようにサクラの姿が現れる。

 しかし、眠らされているのか、頭部が前に倒れ、前髪で表情がわからない。

 ジンタが吠える。


「サクラーッ、大丈夫かぁっ!」


 オボロは叫んだ。


「死んじゃあいませんよ、まだね。実験を終えるまでは生かせておかないとね。

 まあ、実験が終えるということは、それは死を意味するのですが」


 天草は面白そうに声を上げて笑った。

 エンマがオボロの後ろに立つ。


「天草よう、そろそろお終いにしようぜい。

 こんなバカげたことを実験なんて言って、ヒトの命を奪い、さらに神さえも愚弄ぐろうしようてえのかい。

 そいつは許すわけには、いかねえなあ」


閻魔大王えんまだいおう、あなたにはわかるまい。常夜とこよに追放された悲しみも苦しみも。

 だからね、実験の結果次第では、地獄で責苦を受けている亡者たちをすべてこの世に解き放っても面白いかなと考えているのですよ。

 阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図を、この世に描いてみるのも一興」


 天草の言葉に、シミョウが怒鳴る。


「なーにを調子こいてのたまっているのでしょうか、この怪人は! 大王さまのお裁き通り、常夜で彷徨っていらっしゃいな」


 シミョウは手に持ったロープを勢いよく放った。

 天草は、フンと鼻を鳴らして左腕を振った。

 赤いロープは宙で緑色の炎を上げ、灰と化す。

 シミョウは眉間にしわを寄せ、悔しげに天草をにらんだ。

 オボロは額に汗を浮かべ、エンマを見る。


「どうするのさ、大王っ。

 このままじゃあ、あの化け物にこの世は滅茶苦茶にされちまうよっ」


「そうはいくかい、オボロよ。

 ここで引き下がったとあっちゃあ、泣く子も黙る閻魔大王の名に恥じるってえもんだ」


「おおっ、じゃあもしかして、とっておきの秘密兵器でもあるのかい?」


 オボロはバッグを盾のように構えながら、安堵してエンマに訊く。


「んなものは、ねえよ。あるのは、

 いくぜ! シミョウ、オボロ!」


 エンマは叫ぶなり、拳を握って走り出す。長い脚でコンクリートを蹴り、長い髪が舞う。

 唖然とするオボロ。


 天草は無表情のまま、左腕を振った。

 背後に輝く月を取り巻く大気が歪み、ゴウッという音とともに一陣の風が吹いた。

 走るエンマはその風に行く手を阻まれ、あっけなくコンクリートの上に転がってしまったのであった。


「アイタタッ」


 風にもてあそばれ、二転三転するエンマ。

 オボロはあまりにも非力なエンマを、遠い目つきでサングラスの下から見やった。

 オボロの立つ位置まで転がって来たエンマは、片膝をつきながら態勢を整える。


「天草の、なかなかやりおるわ」


 片手で額に垂れた茶髪をかきあげた。真っ白な歯をのぞかせてニヤリと笑う。


「ほ、本当にアンタは地獄をべているのか?

 なんか、すっごく弱っちく感じるのは、私だけなのだろうか」


「フッ、オボロよ。痛いところをついてくれるじゃあねえか」


「大王さまっ!」


 シミョウが叫びながら駆け寄る。

 サクラをかたわらに浮かび上がらせたまま、天草は言った。


「常夜に吹く風は、とても冷たいのだよ。決して明けることのない夜。そんな世界には、風が吹きすさぶだけじゃあないのだ」


 天草の右手が振られる。

 緑色の月が明滅し、バリバリッという轟音とともに目もくらむような光の矢が放たれた。

 落雷であった。


「あぶないっ!」


 エンマとシミョウは左側に転がる。

 オボロはとっさに右側に転がろうとしたのだが、目の前で吠えていたジンタはすくんだように動かない。このままでは直撃を受けてしまう。犬がコワイだとか苦手だという意識がはじけ飛んだ。サクラの唯一の友人なのだ。


 無意識のうちにジンタを拾い上げ、かばうように懐に押し抱いていていた。コンクリートの上を一転する。無我夢中であった。

 ジンタの立っていた場所に、稲妻が炸裂する。

 コンクリートの破片が四方に飛んだ。

 間一髪のところであった。


 さらに天草は右手を振り、幾筋もの稲妻を走らせる。

 絨毯爆撃じゅうたんばくげきさながらに、ビルの屋上はいかずちの矢が飛び交った。


 オボロは大嫌いな犬を抱いていることすら忘れ、雷撃を避けるように転がる。

 コンクリートの破片、粉じんが巻き上げられ、さながら戦場のような状況だ。

 かむったハットを片手で押さえ、低い姿勢のままオボロはエンマたちの姿を探した。


「うふふふ。あえて稲妻が直撃しないように、配慮しています。雷で黒焦げにしてしまったら、亡者の口に合いませんでしょう? むしろ血のしたたる生肉のほうが好みのようですからねえ」


 右手を止め、天草はぞろりと怖いことを口にする。

 オボロはジンタを抱いたまま、這うようにしてエンマたちの場所へ近づいた。

 エンマとシミョウも片膝立ちで、天草を見上げている。

 這い寄ってくるオボロの姿を視界にとらえ、エンマはちらりと振り返った。


「おう、オボロに霊獣れいじゅうよ。どうやら無事らしいな」


 オボロは荒い息をつきながら、エンマに問う。


「このままじゃ、らちがあかないよ。何か手立てはないのかい!」


 シミョウは、オボロに抱かれおとなしくしているジンタを指さした。


「あなた、お犬嫌いではございませんでしたの?」


 オボロはちらりとジンタに視線を落とす。オボロはビクンと身体を震わせた。

 霊獣とはいえ、柔らかなぬくもりが腕の中に伝わってくる。


「サクラがかわいがっている相棒だ。サクラが目覚めた時に、いつものようにそばにいなかったら、悲しむだろ。

 それにこのジンタは犬の姿してるけど、アンタたちのいう神の使い犬っていう存在なんだろ?

 友人の友人だと思えば、なんてことないさ」


 ジンタはピョンとオボロの胸元から跳んだ。その黒い目は、もう大丈夫、と言っているようだ。

 天草の雷撃が止み、徐々に煙がひいていく。

 コンクリートの屋上に、緑色の光がふりそそがれる。


「あっ、思い出したぜ!」


 エンマは口元に笑みを浮かべた。


「あの妖しい緑色の月よ。あれが天草に力を注いでいるのは間違いねえけどな。

 前に五道転輪王ごどうてんりんおうが当番で、この世界に視察に訪れた時だ」


 オボロとシミョウが首肯する。


「その時もこの天草と同じように緑色の月に力を借りて、悪さをしようと企んだ常夜とこよの住人がいたらしいぜ。

 そいつの名は、ド忘れしちまったけどな」


「その時は、どうやって対処したんだい?」


 オボロの問いかけに、エンマは答えた。


「あの緑色の満月を、消したのよ」


「消す?」


 オボロは裏返った声を上げる。


「おうよ。五道転輪王、またの名を阿弥陀如来あみだにょらいって言うけど、やっこさんは『慈悲の光』を自在に操れるからな。

 そいつが悪さをする前に如来の光で緑色の満月を覆って、力を発揮できなくしたらしい。

 でもって上手くさとしてよ、常夜へ帰らせたってことだった。

 悪い奴を説き伏せるのは、阿弥陀の十八番おはこだからな」


「じゃあ、大王さんも、その慈悲の光を早く照らしてくれよ」


 オボロは思わずエンマの両腕をつかんだ。


つづく

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