第15話 シミョウ、復活
コンクリートを打っただけのビル内は、建築資材がかたまって置かれている場所以外はがらんどうであった。
窓の外側には足場が組まれ、防音幕が張られている。一階以外には電球に光は灯されていないが、周囲のビルの明かりが差し込んできていた。
「あっはははーっ」
誰もいないはずの建設途中のビル内で、少女の笑い声が響き渡る。
なんだか
「えらく上機嫌じゃあねえの、神さまよう」
エンマは後ろについて走りながら、サクラに問う。
「だってえ、追いかけっこなんて本当にしばらくぶりなのよ。
ずっと前はお爺さんのお婆さん、そのまたお婆さんが子供の頃に、住んでいた土地の中だけで追いかけっこしたのよ。
わたしやジンタの姿に気づいてくれる人は、ほとんどいなかったのだけど」
「ほう。ではそのお婆さんは、いわゆる霊能力を持った子供だったてえことだな」
「なにか、わかんなーい。でも楽しかったわ」
疲れを知らぬ二人と一匹は、全速力で走っている。
サクラは、先に階段を発見した。
「今度は上に行くのよ。いい?」
「神さまの言う通りにするぜ」
エンマはウインクを送る。
ジンタは仕方なさそうに、鼻を鳴らした。
「さあ、いくわよー」
サクラはぐんと加速する。セーラー服のリボンが舞った。
エンマは面白そうに口元に笑みを浮かべ、同じく速度を上げる。
脚の短いジンタは、それでも懸命に走ってついていく。
階段前でサクラは振り返った。
「あー、オニさんが登場したよ! 緑のおにいさんもいっしょだ。
さあ、負けないわよー」
亡者はサクラたちの姿を確認すると、咆哮するように顔を上げた。
「ちっ、
エンマは紫色のメッシュをいれた髪を、片手でかきあげた。
~~♡♡~~
オボロはサングラスをはずすことなく、腰の引けた姿勢でゆっくりと走っていく。
一階の奥には、角材やパイプが積まれ、その上から青いビニールシートが乗せられている。
「こっちだったよね、あの
光の届かないビルの奥は、洞窟のようだ。
等間隔に立っているコンクリートの柱を片手で探りながら、オボロはシミョウを捜す。
建物の所在地が裏手であり、夜の喧騒はほとんど聞こえてこない。たまに緊急車両のサイレンが遠くで鳴っているなと認識できる程度である。
焦りがオボロの意識をそらし、ガツンとむこうずねを思いっきり資材にぶつけてしまった。
「クウゥーッ」
オボロは脳天を直撃する激痛に、しゃがみこんだ。相当、痛い。
どこに持って行けばいいのかわからない怒りを、歯をくいしばって我慢する。
「ったく、どうして私がこんな目にあわなきゃならない。
本当なら今頃はコーヒーでも飲みながら、書物をゆっくり読んでいる時間なのに」
タロットカードで「運命の輪」の逆位置を引いた。それがオボロに災難を呼んだのか、それともあらかじめ定められた運命であったのかはわからない。
言えることは、占いは間違いなく当たっていたということである。今のところ。
オボロのサングラスに、白い脚が写った。
「こんなところで寝ていたのか」
ビニールシートの山の奥に、シミョウの気絶している姿を発見したのである。
シミョウはうつ伏せで倒れている。伸ばされた腕には赤いバッグのショルダーストラップが握られていた。
オボロはむこうずねの痛みをこらえつつ、シミョウのかたわらにしゃがむ。
「おい、おい、シミョウさん」
下手に身体をさわって、目を覚ましたとたん、凶器の指先でサングラスを突き破られてはたまらない。
オボロはなるべくシミョウに近寄らないようにしながら、声をかける。
「困ったな。まあ地獄の書記官だって言っていたから、死んじゃあいまい」
オボロは足元に転がる、細い鉄筋を持ち上げた。
五十センチほどの長さがある棒で、シミョウの肩のあたりをつつく。
「おーい、大丈夫かあ? アンタの主人が一大事なんだよー。起きてくれないかなあ」
黒いメイド服の上から、何度もつつくが反応しない。
オボロは自宅マンションで気絶した時に、シミョウが顔面にビンタを喰らわしてくれたことを思い出した。あれは、痛かった。
むこうずねの痛みと相まって、オボロの心に悪気の火が灯る。
優しくつついていた鉄筋を、四十五度の角度に振り上げた。
(これは起こして差し上げようという気遣いであり、決して意趣返しではない)
そう思いながら、指先に力が入る。
ビュンッ、と細い棒が空気を裂いた。
バシッ、とその鉄筋がシミョウの背中を直撃すると思いきや、ガシッ、と手のひらで受け止められた。
「あらっ?」
シミョウは顔を伏せたまま、打ちこまれる瞬間に手のひらで鉄の棒を握ったのだ。
ゆっくりと顔が上を向いて、オボロと視線が合った。
ゴゴゴッと音を立てるように、シミョウはゆっくりと上半身を起こしていく。
「えーっと」
オボロは、背中に流れる一筋の汗を感じた。持っていた鉄筋を放す。
シミョウは目じりのやや下がり気味の目でオボロを見つめたまま、両手で鉄筋をつかんだ。
ぐぎぎぎっ、と嫌な音を立てながら鋼鉄が曲げられていく。みるみるうちに棒状から球体に変貌していくさまを、オボロはしっかりと確認した。
ミニスカートであるにもかかわらずシミョウは胡坐をかき、そしてボール状の鉄の塊を、ひょいと後ろに投げ捨てた。重たい音が響き渡る。
この間、シミョウはオボロから一切目をそらしていない。オボロは蛇に睨まれた蛙であった。
「なにをそんなに見つめていらっしゃるのかしら、オボロさま」
「い、いや」
シミョウは自分の坐ったスタイルにハッと気づき、あわてて短いスカートで
「まさか、あなた。私が気を失っているのを、これ幸いとばかりに」
キッとまなじりを上げる。
「お、おい、私はそんなつもりじゃ」
「これでまた、
気絶する少女にみだらな行為をしようとした、と。
なんという
「勝手に性犯罪者にしないでよ! 私はアンタが心配で捜しにきてあげたのに」
シミョウはバッグを持ち、立ち上がった。
「言い訳は結構ですわ。あとで閻魔帳をチェックいたしますから。
それよりも、痴漢の占い師さん」
オボロはうんざりしながら、立った。もう何も返す言葉が見つからない。
「痴漢ではないが、なんでしょうか」
「先ほどの怪人は、どこへ行ったのですか? わが主もいずこへ?」
オボロは思い出し、あわててシミョウの腕をつかんだ。
「ま、まあ! この上さらに、みだらな行為の続きをなさるおつもりですか」
「ち、違うっ。早く追いかけないと大変なんだ。
天草とかいう化け物が亡者のロープを焼き切って、エンマとサクラを追いかけているんだ」
「それを早くおっしゃいな! 行きますわよ!」
シミョウは逆にオボロの腕をグワッとつかむと、いきなり走りだした。
「あ、危ないっ、そんなにあわてたら危ないからっ」
オボロの身体は宙を跳ぶように、シミョウに引っ張られていった。
つづく
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