第14話 恐怖の鬼ごっこ

 少年、天草四郎時貞あまくさしろう ときさだは小馬鹿にしたような含み笑いを浮かべた。


「さすがですね、閻魔大王えんまだいおう。よく私のことを覚えていてくれました。

 最終判決をあなたからくだされた時は、正直言って驚きましたよ。

 私は『島原しまばらの乱』において、神のため、農民のために命を掛けて戦ったのです。

 結局、松平信綱まつだいら のぶつなによって斬首しょけいされましたけど。

 何故私の魂を、常夜とこよ彷徨さまよわせるのですか?」


「あまりにも、強すぎたからだ」


 エンマは苦しげに言う。そんな顔を、オボロは初めて見た。


「人間の姿はしていたが、あまりにも強烈な力を持った、からだ、天草よう。

 何百年かに一人、人間の世界に異質な存在が誕生する。神や、私のような菩薩ぼさつでさえ扱いに躊躇ちゅうちょしてしまう異人がな」


 オボロは少年、天草の顔相を観た時に、エンマの言う通りの読みをしていた。 


(天草四郎。わずか十六歳にして、三万七千人もの農民を率いて時の政権の弾圧に立ち向かったとされる。目の前に立つ少年が、その天草四郎本人であるなら、うなずける)


「異人ですか、なるほど。

 そういえば、常夜では面白い方にお会いしました。あの方はまさしく異人ですからねえ。清盛きよもり公はご存知でしょうか」


「た、平清盛たいらの きよもりだってえっ!

 オボロは叫びながら、スーツを引っ張っているサクラに気がついた。


「ねえ、あの緑のおにいさん、もう一度わたしと遊んでくれないかなあ」


 緊迫感のないサクラの顔に、オボロは苦笑する。


「ちょ、ちょっと待っていてね、サクラちゃん。いま大事なお話の途中だから」


「はーい」


 少し口を尖らせて、サクラは黙った。


「天草よ、このまま常夜にもどるがいい。この世もあの世も、おまえを受け入れるには器が小さすぎるのだ」


「はい、そのようですね。静かに常夜で過ごしますよ。

 とでも言うとお思いか、閻魔大王!

 私は飽きあきしているのですよ、何もせず彷徨うことに。

 だから、色々と思考してきたことを実験してみようと思っています。

 地獄から脱走させた亡者にヒトを喰らわせたら、いったいどうなるのか、とかね。

 先ほども申しましたが、神仏を生贄として奉げたら何が生まれると思いますか?

 今宵、緑の月が私に力を貸してくれる。常夜の住人である私にね。

 さあ、一緒に楽しみましょう」


 シミョウの身体が、ずいっと前へ出た。


「エーイッ、ごちゃごちゃと男のクセにおしゃべりですこと!

 私が亡者ともども、地獄へお連れいたしますわ」


 その手には、バッグから取り出した新たな革ロープが握られていた。

 シュンッと宙を舞い、天草の身体にマントの上から絡みつく。

 拳を握り、ガッツポーズを取ったシミョウの顔が歪んだ。


「まさかっ、地獄の番犬ケルベロスの革で編まれた拘束具が」


 天草を捕縛すべく放たれたロープは、いったんはマントごとくるくると巻きついたが、直後に緑色の炎をあげて消滅してしまったのである。


「無駄ですよ、そんなことをしても」


 サクラは飛びあがって手を叩いた。


「すっごーい! 緑のおにいさん、何か不思議なおまじないを使うんだねえ」


 かたわらのジンタは、能天気なご主人の言葉に、クーンと苦渋の鼻を鳴らす。


「キーッ、こうなったら」


 悔しげに瞳を燃え上がらせて、シミョウはいきなり走り出した。


「ま、待てっ、シミョウ!」


 エンマはあわてて手を伸ばしたが、シミョウの動きのほうが速かった。

 十メートルの距離を瞬時に縮め、肘をあげたまま突っ込んだのだ。

 お得意のウエスタンラリアットが炸裂すると思われたとき、天草は軽く手を上げた。

 シミョウの肘を勢いともどもてのひらで受け、そのまま後方へ投げ飛ばす。

 ヒヤーッと叫び声を上げながらシミョウは奥の闇に消え、ビターンとコンクリートにぶち当たる音が響いてきた。


「シミョウ!」


 エンマが大声で叫ぶ。

 オボロは金網を引き裂き、コンクリートの壁を素手でたやすく破壊するあの超怪力を軽く受け流した少年の力に、背筋を凍らせた。


「エ、エンマさんよ、どうするのさ、これ。

 アンタも大王さんなら、何か超能力とか持っているのだろう?

 火炎攻撃や、電撃でも何でもいいから地獄のパワーを発揮してくれよ」


 エンマは正面をギラリと睨みながら、オボロに言った。


「私は超能力など、持ってはいないぞ

 なんだ? その火炎攻撃とかって。

 大王である私をナメテいるのかい、オボロよ。そんな子供じみたこと言って」


「エッ? だって地獄の王さまの一人なんだろ」


「うむ。閻魔大王とは、いかにも私のことだ」


「じゃあ、何とか事態を収拾してくれよ、いや、してくださいよ」


「それは無理な相談だぜよ、オボロ」


 エンマのくだけた言葉に、オボロは顔を向けた。


「菩薩に攻撃する力なんて、与えられちゃあいねえんだよ。

 だから、おまえをこの世で活動する時の補佐として選んだんだぜ。

 それくらい察しろよな、まったく」


「察しろって、言われても」


 ガックリと頭を垂れるオボロ。

 天草はマントの下で、両腕を広げた。


「さあ、産土神うぶすながみ。今度はこの私もいっしょに追いかけて差し上げます。

 実験を再開いたしましょう」


 サクラは名前を呼ばれ、嬉しそうに手を振った。


「それなら、またわたしがオニさんになって逃げるのね。

 今度はこの子もいっしょに仲間に入れてあげてくれると、嬉しいな」


 ジンタは驚いたように、サクラに向かって吠える。


「大丈夫よ。わたしといっしょに捕まらないように逃げるの。

 わかった?」


 わかっていないご主人に、さかんに吠えて警告を促すのであるが、すでにサクラは駆け出そうと構えていた。


「サクラちゃん、だめだ!」


 オボロの叫び声と同時に、天草の身体がこちらに走ってきた。

 サクラはジンタの紐を引き、勢いよくピューンと駆け出す。

 ところが、隣にいたエンマも同じように走りだしたではないか。

 サクラは破壊された壁のところでおもむろに迂回し、弧を描いてビルの内部に走っていく。

 その後方を、エンマもついていった。どうやらオニごっこはこのビル内限定でのお遊びである、とサクラは決めているようであった。


「エッ、エエッ?」


 一人残されたオボロ。

 目の前で、天草が立ち止まった。

 オボロに微笑むと、しゃがみ込んだ。

 芋虫状態で転がされていた亡者の上から白い手をかざす。

 赤い革ロープはたちどころに緑色の炎を上げ、燃え上がった。

 オボロはすくんだように動けない。

 真黒に炭化したロープの塊が、バサッとはねのけられた。身震いしながら、灰の中から赤黒いむき出しの肉塊が立ち上がる。

 亡者がいましめから、解き放たれたのだ。

 腐肉のこびりついた、しゃれこうべ。眼窩がんかから充血した眼球がオボロを見上げる。


 卒倒しそうになりながらも、オボロは歯を食いしばった。

 本当は霊や悪魔が恐ろしくて、エクソシトの修行を諦めたけど。

 稀代きたいの天才占術師である私は、オカルトの一線を乗り越えている! はずだ。と思う。

 この世で犬以外に、私が恐怖するものはないのだ。

 こんな亡者など、私がはらってやる。


 持ってきたバッグには十字架も入れてあったはずだと、手を動かそうとするが、意に反してまったく動いてくれない。あまりの恐怖で、身体が硬直してしまっているのであった。


「ふーん、人間ですか、あなたは。

 すでにヒトでは実験済みなので、興味ありません」


 天草は吸い込まれそうな切れ長の目でオボロを眺めると、きびすを返した。

 亡者は黄色い歯をカタカタと震わせ、ふいに横を向き、腐臭をまき散らしながらビルの中へ走りだす。

 亡者と霊魂は、神と菩薩を追いかけはじめたのであった。


 途中、天草は立ち止まってオボロに一瞥いちべつをくれると、マントから片手を出して、頭上で一回転させた。

 オボロは何か攻撃でもされるのかとドキリとしたが、とくに異変はなく、天草はきびすを返すと闇の中へ走り去っていった。


 ポツリ、とまたしてもとり残されたオボロ。


「いったい私は、どうすれば良いのであろうか」


 オボロはもう一度自分自身を占おうとして、頭を振る。


「そんな、悠長なことをやっている暇はない!

 二人を追いかけないと、万が一あの天草ってえ化け物が勝っちゃったら、まずいっ」


 震える脚に力をこめて、オボロはゆっくりとではあるが早足で歩きはじめた。


つづく

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