10万人の会社、1000人の会社、10人の会社

ひとりごと

第1章 10万人の会社

第1話 最初のモラトリアム就職

 私が10万人の会社に入ったのは、1995年4月。

 丁度、阪神大震災とオウム地下鉄サリン事件のあった直後だ。

 当時私は名古屋に住んでいたのでどっちの事件もどちらかというと他人事だったが。

 なんだか大変な年だったことだけは覚えている。


 10万人の会社になぜ入ったのか?

 これが今考えると、以外に感慨深い。

 実は最初私は、商社を中心に就職活動をしていた。

 大学の時に「どうも自分は話をするのが上手い(好き)らしい」となんとなく思っていた私は、就職ガイドブックを見るにつれ「自分は営業向きなのかなぁ」と勝手に思っていた。

 そこで、なんとなく商社志望ということになった。

 

 でも、一応子供の頃から好きだったコンピューター系にも興味があり、電機メーカーや通信会社も資料請求をした。

 正直なところを言うと、就職自体がしたくなかったというのが本当のところで、はがきを送った数は10社程度だったと記憶している。

 まじめに就職活動する気あるのかと、友人に散々怒られたのはよく覚えているから多分そのぐらいだったろう。

 まぁ、要は何を自分がやりたいのか分からない(できることなら決めたくない)典型的なモラトリアム大学生だったのだ。

 もちろん、その時には明らかに10万人の会社は第一志望グループではなかった。

 

 商社を中心に就職活動を進めるうちに、どうも旗色が悪いことが明らかになってきた。

 1995年といえば、就職氷河期と呼ばれていた時代だ(今考えると、あの頃はまだましだったのだが)。

 そんな簡単に商社の面接は通らなかった。

 さらに、自分は商社の中でも情報通信系の部門に入りたかったのだが、商社の配属はギャンブル性が強く、違う部門に配属されたらどうもそのまま一生行ってしまうようだった。

 おまけに商社は私が苦手な体育会系の集合体だった。

 そんなことも知らずに商社を志望していたのかと、今考えるとおかしな話だが。

 そんな中、久しぶりに出席したゼミのクラスに10万人の会社からOBの人が会社説明に来た。

 多分、カラーが合っていたのもあるだろうが。

 「うちの会社はいろんなグループ会社があるから、いろんな事業をやっているんだよ」

 この言葉に、モラトリアムに陥っていた私はスポンとはまってしまった。

 そっか、会社に入ってからやりたいことを考えれば良いんだと。

 大きな勘違いをしてしまったのである。


 まぁ、今思うとそんな私を採ってくれた10万人の会社に深い感謝の気持ちで一杯になる。

 特に面接をしてくれて、次のステップに進めてくれた4人のOBの方々には御礼の言葉も無い。

 あの時、あのままどこにも内定をもらえずに卒業していたら、どんな人生が待っていただろうか?

 まぁ、ちょっと興味が無いことも無いが、おそらく今の自分は無いのは明らかだ。



 ちなみに、10万人の会社の入社プロセスはいわゆるリクルーター制度だった。

 大学のOBの先輩に3回会って話をする過程で選考が進んでいく。

 10万人の会社にとっては、どの大学にも相当数のOBがいるから比較的楽にできてしまうのだろう。


 そして最終的には、人事面接、部長面接があって内定に至る。

 実は、私は内定をもらった後にまだ悩んでいた。

 証券会社と商社の面接プロセスがまだ残っていたのだ。

 ので人事部の課長さんにその旨説明して少し時間をもらった。

 先方はもちろん、かなり嫌がっていたが、一応は待ってもらった。

 まぁ、でも別にそれほど深く悩んでいたわけではなかったので腹が決まってからは話は早かった。

 証券会社と商社に電話を一本。

 それで終了だ。

 バブルの頃には内定をけった会社にコーヒーをかけられたなんて逸話もあるらしいが、就職氷河期には関係ない。

 先方にもいくらでも代わりの候補がいるのだ。


 そんなこんなで、私の社会人生活は10万人の会社で幕を開けることが決まった。

 前に書いた就職してからやりたいことを探せるという点に加えて、10万人の会社に決めた理由は他に3つぐらいだろうか。

・大学のサークルに尊敬していた一つ上の先輩が二人いたのだが、その二人ともその会社に入っていた。

 最初は後をつけてるみたいで、あえて避けてたのだが結局同じ会社に入るあたりがやはり同じカラーなのだろうか


・面接で会った人たちの話に興味が持てた。

 考えてみると、このリクルーター制度というのにはそれなりに意味があるようだ。社員が面接をすることで、自然とその会社のカラーにあった人が選考されるのだから。


・「ネットワークは世界を変える」と信じていた。

 これはなんとなく感覚的なものだが、面接で話せば話すほど、この感覚は強くなっていた。子供の頃も国境の無い世界とかを夢見ていたぐらいだから、ネットワークでつながる未来というのには強い興味を持っていたのだ。


 ちなみに、この決定に悩んでいた後輩が私に言った言葉が「鶏口牛後」だ。(実は恥ずかしながらその当時私はそのことわざの意味を知らなかった)

 商社のような猛者の集まるところより、比較的普通の人が多そうな10万人の会社でトップを目指せという意味だったのだが。

 まぁ、今考えると笑えてしまう。

 10万人の会社だって当然猛者の集まりだったのだから。



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