「チィッ、遅かったか!?」

 

 レティーシア達が歪みの前に到着したのとほぼ同時、不安定だった揺らぎが規則的な揺れを示し、向こうの景色こそ見えないものの、完全な安定状態と言える所まできてしまっていた。


「干渉は……む? 妙だな。この揺らぎ、魔法的な力によって生成されておらぬぞ」

「そんな筈は! こんな大規模な空間の歪みが自然発生などと、あり得るはずがありません!」


 レティーシアが捜査系の魔術で歪みを調べると、魔術や魔法に付き纏う魔力の残滓、術の痕跡の一切が見つからず、思わず眉根を顰めれば、声に出ていたのかエレノアがあり得ないと喚く。

 この世界の科学技術はレティーシアの世界と大差はない。彼の世界からすれば中世ヨーロッパ時代が精々、魔法の恩恵でようやく一部技術が彼の世界の二十一世紀レベルに比肩するというレベルだろう。

 レティーシアの世界だって科学技術じゃこの世界より数十年程度先、魔術を利用した一部技術のみが同じく二十一世紀レベルに比肩するのみだ。


「可能性の話しに過ぎぬ。現に魔力の痕跡はなく、術の行使も見受けられぬのだ。わらわをも欺く隠遁技術があれば不可能ではなかろうが、な」


 言外にその可能性はないと、そう裏を含んだ言葉にエレノアは一体どこからそこまでの自信が来るのか不思議に思い、アリシアはさも当然だと言わんばかりの顔をしている。

 事実、実力以前の話として、魔術的要素の場合、アリシアレベルまで達していれば術の隠蔽は不可能に近い。技術云々ではなく、その精査の方法がエイドスにまで及ぶからだ。

 概念たるエイドスは例え改変したとしても、痕跡が残る。これは不変であり、誤魔化しが決して効かない。

 それこそイデアにでも干渉すれば話しは別であろうが、そんな事が可能ならわざわざ空間を渡る必要すらないだろう。

 森羅万象、あらゆる概念を含めたオリジナルを改変できるなら、それは既にラプラスの魔すら越えている。なんといってもラプラスの魔と違い観測だけではなく、遍くすべてを干渉改変できるのだから。

 ゆえに、空間をわざわざ渡ってくること自体が、相手の術者レベルを此方に教えてくれる。それを考慮してなお、痕跡がないとレティーシアは言う。

 それはつまり、魔術的要素を排した、何か別の技術によってこの歪みが成立している証拠であった。


 

 実はアリシアですらその事実にはかなり困惑していたのだが、レティーシアには大体の当たりがついていた。それは彼がもたらした知識のお陰である。

 脳、というのは思い出せなくてもしっかり知識を蓄えているものだ。彼に扱え切れないそんな眠った知識も、レティーシアに掛かれば十分有効以上の結果を生み出す。

 つまり、この歪みが彼の世界より数歩進んだ科学技術によるものではないか、とレティーシアは考えていた。

 再度レティーシアが囁くように言葉を紡ぎ、干渉を試みるも、やはり構成が術ではないせいか上手くいかない。

 これが魔術的なら式の構成、術の逆算によって干渉し無力化も出来るのだが、レティーシアの及び知らぬ技術で出来ているせいで下手に手が出せなかった。

 それこそ無理やりに閉じれば何が起こるか予想が出来ない。別次元の扉が開き、ブラックホールでも呼び寄せてはそれこそこの世界のEND一直線である。



「ふむ」

「レティーシア様如何でしょうか?」

「これは完全に安定化した後、相手が何者か知らぬが、その干渉が終わった後に処理するしかあるまいな」


 一通り精査を終わらせたレティーシアに、アリシアが隣に移動して小声で訊ねる。帰ってきた内容にそうですか、とだけ返し一歩下がってしまうが、その表情に僅かな影が窺えた。

 エレノアもどうやら己では役に立たないと理解しているらしく、グラディウスを構えたまま静かに魔力を漲らせて臨戦態勢を維持している。

 レティーシアも一見自然体に見えるのだがその実、片手には原罪を携え、もう片方の手は何時でも状況に対応した装備を物質化出来るように構えている。

 アリシアも表情は真剣であり、決して今の状況を楽観視してはいない。そして緊張に場が包まれること数分――――


「完全に安定するぞっ――――……あっぐぅぁ!?」

「レティーシア様ッ!?」

「な、何が!?」


 空間が完全に安定した瞬間、何か音速を越えた物体が歪みを越えてくる。刹那、一陣の突風と共にレティーシアの右脇腹が“消えた”。いや、“消し飛ばされた”と表現した方が妥当である。

 恐ろしく早く殺傷性の高い何かが歪みの向こう側から打ち込まれ、レティーシアの脇腹をごっそり削り取っていった。

 レティーシアの後方数百メートルの草原はまるでモーゼの十戒のように、何かが通り抜けた跡が残っている。

 赤黒い肉片やピンク色の臓物、瞬間的熱量により焦げた表面からただよう何とも言えない不快な匂い。即座に痛覚はシャットアウトされても感じる、肉体の欠損による寒々しい感覚に眉が自然と歪む。

 

「……げほっ…ごほッ。や、やりおってくれたわ!」

「れ、レティーシア様! 今すぐ治癒の魔法を掛けますので!」

「構わぬ、この程度の損傷一分も掛からずに復元する! それよりエレノア、そなたは急いで学園に戻り報告してこい。内容は予想以上に厄介な奴が現れた、実力の指標で現すならオーバーSクラスだと伝えろ!」


 口元から真っ赤な鮮血を吐き出しながら復元を始めた傷に目をやる。

 そこは瞬く間に供給された魔力を糧に、新たな細胞を生み出し、まるで高速再生でもするように傷口が塞がりあっと言う間に治癒していく。

 一分も掛かっていない。時間にして三十秒足らずで服装以外の復元を終えたレティーシアが、素早くアリシアに目配せする。

 アリシアが頷いたのと同時、三人の姿がブレ、歪みから数百メートル地点に一瞬で移動、いや、転移した。

 取り敢えず、ある程度の距離を取ったことにレティーシアが安堵する。

 先程の一撃が何かは不明だが、正直かなりの脅威であった。吸血鬼、それも肉体的スペックとしても最高であるはずの始祖であるレティーシアですら、その一撃を目視することが出来なかったのだ。

 あれが頭部にでも命中していれば、エレノアに不味い事態を見られたことだろう。思考中枢が破壊された場合、上級以上の吸血鬼は、再生とは別に時間の限定的巻き戻しによる復元が行われる。


 イデアに記録された情報からの再生だとは判明しているが、その原理までは不明の謎の現象だ。可能ならあまり頼りたくないことでもある。 

 もっとも、かなり魔力を消費するうえ、真祖と始祖以外は再生速度が遅く隙だらけになるのだが……

 エレノアの記憶に未だ干渉していないせいで、こちらの吸血鬼がそれを可能なのか不明なのだ。ゆえに、下手にそのような場を見られ怪しまれるのはレティーシアとしては本意ではない。

 記憶を改竄できるとしても、である。


「ハッキリ言うぞエレノア。先程の一撃は妾とて回避できるか分からぬ」


 嘘である。回避は出来ないが、防ぐ術なら幾つも存在する。

 あれだけの速度なのだ、ホーミング性能や湾曲といった芸当が出来るとはレティーシアには思えなかった。

 正面から来る、という事実さえ分かっていれば防ぐ為のカードは数多く存在する。例えそうでなくとも、周囲に歪曲空間を発生させれば当たる心配はなかった。


「アリシアと妾は再生能力が高いからよいが、お主は混血であろう? 心臓はどうか知らぬが、頭部を破壊されれば恐らく終いであろう。妾達がこの場を受け持つゆえ、そなたは急いで戻るがよい。途中までは妾が転移の魔術で距離を稼いでやるゆえ、よいな?」

「し、しかし! 貴女様を置いていくなど、吸血鬼として……いいえ、騎士として失格で御座います! どうか、どうか私もご一緒に戦わせて下さいッ!」


 淡々と最良の一手を伝える。無論誰にとってなのかは一目瞭然であるが。エレノアがそれを聞き、信じられない! という剣幕で懇願するが、それは騎士としてというより個人的なもののように見えた。

 幸い混乱による為か、転移の術と言う異常にエレノアは気づいていない。このまま押し込むのは得策だと即座に判断する。


「ならぬ。ハッキリ言おう、そなたでは無様に犬死するだけであろうて。そんなものは騎士でもなんでもないわ。そなたが真に騎士を謳うなら、主人の命をまっとうしてみせよ!」


 息つく暇もなくあっさりとエレノアの懇願は跳ね除けられた。

 それも正論で、だ。確かに騎士とは主人を守る存在だが、それは盲目的に守るのとイコールではない。

 主人の剣となり盾となり、時には主人に逆らってでも道を正す存在。それこそが騎士であり、エレノアは己が幼き頃よりそう教育されてきた。

 もっとも吸血鬼の戒律により、それらは非常に厳しいと言えるのだが。

 正式ではないものの、およそ主人と仰ぐなら最高とも呼べる人物が自分に行けと、お前にはやるべきことがあると言っている。


 エレノアとて理解しているのだ。自分では恐らく役に立たない。レティーシアの隣に立つアリシアにすらきっと及ばない自分では、言われたとおり犬死にが精々であると。

 理解わかっている。それでも感情が叫ぶのだ、この人物と共に肩を並べてみたいと。

 騎士として、武人として、吸血鬼として、そしてエレノア・フランソワ・ウィンチェスターという個人として、この人物の魅せるだろう“戦い”を見てみたいと。

 本来ならこのような行動、重罪に問われてもなんら可笑しくない。そんな力強い瞳にレティーシアは思わず笑みを零す。

 弱者であれ、強者であれ、一等図抜けた芯を持つ者は等しき賞賛されるべきだ。

 

「ふっ……良い目をしておる。だが、ここは妾に従っておくがよい」


 まるで心を見透かしたかのような言葉に、エレノアの心胆が凍りつく。自分の思いが気づかれたのか、と。

 そして懇願の為に下げていた頭をそっと上げて、今度は心に何か暖かな物が流れ込むのが分かった。

 横顔であったが、前を強く見詰めるレティーシアの姿。その瞳の輝きにまるで槌で頭部を殴られたような衝撃が走り、同時に自分は他の有象無象の吸血鬼とは天と地程の差があるくらいに、恵まれているのだと理解した。

 何故なら、己はこんなにも凛々しく美しい同胞とこの瞬間、確かに共にあるのだと改めて思い知ったのだから。それ程までに、今のレティーシアが浮かべる自信の笑みは魅力に溢れている。

 エレノアが深呼吸をする。己がこうして無様な姿を晒している間にも、何時歪みから敵が出てくるか分からないのだ。今の自分は枷にしかならないと、再認識する。

 それなら鍛え続けるだけの話。練磨し続け、何時かその高みにまで追いつくのだとこのとき決意した。再度深呼吸をし、今は私情を捨て去り、騎士としての己であれと暗示をかける。

 そして膝を上げ、立ち上がり、正面からレティーシアを見詰め、出すべき台詞を丹田に力を入れ吐いく!


「先程の言葉、お許し下さい。これよりエレノア・フランソワ・ウィンチェスター、帰投の任に着き、同時に必ずや承った言葉届けてみせますことを誓います!」

「その言葉、確かに聞き届けたぞ?」

「ハッ!」


 レティーシアには何がエレノアの心を動かしたのか知る由ことではない。

 しかし、その瞳が先程より一層輝いているのを見、こっちの世界の吸血鬼も悪くないではないかと内心で思う。時間が惜しいと、小さく小声で詠唱を唱える。


「転移の魔術を発動する。場所はここより数百キロ北の地点、樹海の入り口付近に出るはずゆえ、迷うでないぞ」


 瞬間、真紅の魔術陣がエレノアの足元に浮かび上がり、一瞬輝きを強めたときには既にその場にエレノアは存在していなかった。


「アリシアよ待たせたな」

「いえ、私はレティーシア様のお考えに従うまでです。それに、あの半吸血鬼ダンピールを帰したのは正しい判断かと、僭越ながら私も愚考致します」

「うむ。まぁ言ったことは何も嘘ではない。ただ、結局はすべて妾の為である。という注釈が最後に付くのだがな」


 そう言って笑う。吸血鬼の異常に発達した鋭い犬歯をむき出しにして、哄笑する。エレノアに言った言葉に嘘はない、ああ言ったのに間違いはない。

 だが、真実でもなかった。一撃を受け、その損傷具合から、どうやら今まさに現れようとしている相手は楽しめそうだと瞬時に理解した。

 同時に、実力を抑えたままでは面倒な相手だということも……それならば話しは簡単だ。エレノアを戻せばいい。

 本来の任務を餌に、エレノアの尊ぶ騎士道とやらをちょっと仄めかしてやれば、何を思ったのか、呆気なくこちらの思うように誘導されたではないか。

 改めて言うが、レティーシアは善人などではない。大別するならまさしく神をも恐れぬ大悪人であろう。

 彼にしても当初こそ自己の保存の為、意識を二分化したものの、最近ではどういう訳か違和感もなく、そういう思考に共感できてしまっていた。


「ほれ、どうやら団体様のお出ましであるようだぞ」


 吸血鬼としての超視力が歪みから今まさに出現しようとしている、人型の複数からなる人影を捉えた。


「プッテホトラと一戦交えてからこうも早くに、新たな戦を味わえるとは思わななんだぞ!」


 喉から漏れ出るような笑いと共に身体を地面ギリギリに沈める。

 先手必勝! レティーシアが片手に二メートル程もある巨大な大剣を召喚し、爆発的な脚力で、まるで一筋の箒星のように歪みへと吶喊していく。

 その速度、エレノアと共に居た時とはまるで次元が違う。亜音速、まさしく選ばれた者だけが見ることが適う高速の世界であった。

 今ここに、少数からなる“戦争”の火蓋は確かに切られた―――― 



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