レティーシアが学長室に入ったあと、後ろからエレノアがレティーシアの前に進み、部屋の真ん中より奥、執務用の机に座した一人の老人へと言葉を発した。


「学園長。一年Sクラス所属、レティーシア・ヴェルクマイスターをお連れ致しました」

「ご苦労であった。さてはて、生徒レティーシアとは、中々縁があるようじゃな」



 何やら羽ペンで書類に何事かを書き込んでいた学園長が顔を上げ首下まで伸びた、見事な白色の顎鬚を撫でながら、レティーシアにやや茶目っ気を含んだ声音で訪ねてくる。

 表情だけ見れば好々爺といったところであろう。

 エレノアは既に学園長と面識があることを軽く驚いている。

 普通ならまず顔を合わせる事の無い立場なのだから、無理のない反応だろう。

 


「ふん、貴様の表情は読みにくいからな。無駄な問答をするつもりはないぞ、手短に用件だけ話せ。どうせ何か頼み事であろう?」


 

 レティーシアの無礼とも、尊大とも言える態度にしかし、学園長はふぉっふぉっふぉっと笑って寛容な態度を示す。

 見た目は七十歳程の老人であるのだが、背筋はピンと張られ、溢れ出る生気は見た目に反して若々しい。

 誰が知ろうか。この老人、これでもとうに一世紀以上生きているのだと……

 人間族でありながら、深い知識と魔法により見た目と裏腹な寿命を獲得しているのだ。

 その深い魔法への知識と、冒険者で培った手腕は偉人と称してなんら誇張はない。

 以前話し会った時も、中々に老獪で油断ならない人物だとレティーシアは思ったものである。



「ふぉふぉふぉっ。まぁ二人とも立ちっぱなしでは疲れるであろう。隣が休憩室になっておるでな、そちらに移動しようではないか」



 そう言って二人を先導する形で学園長が隣室に入り、二人を招き入れる。

 そこは中央の上下にソファーが置かれ、真ん中にテーブルが置かれた商談などにも使えそうな部屋であった。

 恐らくはそういった意味合いも含まれた部屋なのであろう。

 壁には絵画ばかりかあちらこちらの地図が張られており、ここだけで大陸の詳細が分かりそうだ。

 他にもよく見れば中々レベルの高い魔道具も置かれており、この部屋の使用頻度だけではない、学園長の力の程を窺えることだろう。

 先に対面のソファーに座り込み、そのまま二人にも座るよう指示し口を開く。



「さて。それでは彼女の希望どおり、用件を述べるとしようかのぉ」

「今回二人を呼んだのは学園でも屈指の実力を持つであろう君達、その両名に対してとある依頼を受けて欲しくての。既にエレノア君には引き受けてもらうことになっておるのじゃが、今回の依頼はとある筋からのものであって、失敗は許されぬ。当初はエレノア君の相方に教師陣を動員する予定であったのじゃが、ふと生徒レティーシアのことを思い出しての。幸い生徒レティーシアは長期休暇を学園で過ごしておる。アルイッドの件からもわしより実力も高いと判明しておるしの、丁度よいと考えた訳じゃよ」



 そこでいったん区切ると、タクトのような小さな杖を取り出し小言で何事かを囁いた。

 すると、部屋に置かれた巻物が一つ勝手にテーブルに転がり込み、するすると中身を晒していく。

 完全に開いたそれは、どうやら何かの地図らしく、一つの大陸が描かれていた。



  <i20731|1596>



 エレノアは既に事情を理解しているのだろう。特に話しに参加する様子はなく、ソファーに腰掛けて成り行きを見守っている。

 レティーシアが視線で先をさとすと、学園長が再び口を開いた。



「さて、この地図じゃが見ての通りアルバトロスを記したものなのだが、一般のものよりはかなり精緻なものじゃ。それでも禁止領域の三割も埋まっておらんのだがの……今回見てもらいたいのはこの部分じゃ」


 学園長が再び小さく呪文を唱えれば、地図上の一点が小さく赤色で光を放ち始めた。

 それとは別に大陸の中央部分、そこよりやや南西の部分、白色で埋められた地区が同じく小さな青色の光点で記される。



  <i20732|1596>



「青い点がわし等が今居るここ、エンデリック学園じゃ。そしてこっちの赤い点が今回の依頼で異変が確認された場所である」


 

 そう言って学園長が、青色の光点から更に南西で赤色に輝く光点をタクトのような杖で指し示す。

 そこは他と違い、空白で埋められている部分であった。

 この世界の文字で数字の二十七が書き込まれている。

 他にも見れば同じような空白地帯が多く、それらにも番号が振られているようだ。

 


「この地点。第二十七空白地帯で空間の揺らぎが禁止領域観測班によって確認された、昨日のことじゃ」

「空間の揺らぎだと……? 転移系統ではなく、か?」

「そうじゃ。わし等が住むこの世界、便宜上デミウルゴスと呼称されておるが。この世界では時折こういった空間の揺らぎが発生するのと同時、そこから異世界の生き物や物質が流入してくることが稀にあるのじゃ。代表的なのが珍味などとして有名な、プリニーという謎の生物であろう」



 その言葉になるほど、と一人得心する。ディルザング商業都市で観光していたとき、露店商が縄に繋いだ奇妙な生き物を売りに出していたのをレティーシアは思い出す。

 それは彼の世界でいうペンギンのような体に、棒のような二本の足。吸血鬼の羽をコンパクトにしたような小さな黒い羽根。何を考えているのか分からない闇色の瞳。

 全体的にどこか着ぐるみのような見た目をした生物で、名前をプリニーと言うらしかった。


 

 プリニーという名は、驚くべきことにその珍妙な生物自身が名乗ったのだ。

「オイラの名前はプリニーっす。プリニー三万七千七百八十六号っす」

 と言った具合にだ。これにはさしものレティーシアも酷く驚いたものである。

 しかもレティーシアだからこそ感じられた事実であったが、その生物。恐らく合成生物、あるいはゴーレムや魔法生物の一種。つまり作られた生き物であるらしい。

 何故なら、感じられる魂が“人”のものであったからだ――――



「どうやらその様子では見たことがあるようじゃな」


 ――思考の海に思わず没してたところで学園長の声が耳に届く。

 レティーシアと彼、両方に備わった悪癖とも言える癖であった。

 何か気になることなどがあると、思わず思考に耽ってしまう。

 うつむき気味であった顔を上げ、視線で先をさとす。



「ふぉっふぉっ、そう見つめられると老骨とは言え張り切ってしまいそうじゃわい!」


 そう朗らかに笑い、次の瞬間には真剣な顔つきに切り替えると、続きを話し出す。


「小規模の空間の揺らぎ程度なら、月に一回以上起こっておると言われておる。禁止領域はとくにこの揺らぎの発生率が高くてのぉ。中には異界の魔物が住み着く危険な場所も多い。今回のもその程度であればさほど問題ではなかったのじゃ……じゃが、今回観測された揺らぎは恐らく過去最大。通常の揺らぎよりおよそ数倍の大きさであるという」



 数倍という言葉にレティーシアの眉が僅かにつり上がる。

 無理も無い。説明を聞けば揺らぎの大きさは平均一・五メートル程度。それの数倍ともなれば、大型の生物ですら容易に通れる大きさだ。

 彼女の世界でも極稀に異界との接触点が発生することがあるが、“自然発生”での最大規模は精々が二メートル程度であった。

 穴さえあれば、大きさに関わらず通る術はいくらでもあるが、それでも小さな穴と大きな穴では様々な意味で違ってくる。

 一万年生きてその結果なのだ、例えこの世界がそういった揺らぎの発生率が高いのだとしても、考えられることは即ち――――



「なるほどな。つまり、“人為的”な発生だと考慮したうえで、戦闘能力に秀でた人物を調査部隊として送ろうと言う訳か」

「その通りじゃ。最悪の場合即戦闘の可能性が高いのでの、並みの冒険者やまして政治的理由で国軍を派遣するわけにいかぬ。ゆえに、世界でも最高峰のレベルの冒険者を育成していると言われるここ、エンデリック学園にお鉢が回ってきた訳じゃな」



 そう言った学園長の表情にはありありと学園に対する誇りが見て取れた。

 エンデリックの上級生のレベルは国の正規軍にも劣らないと噂されるくらいだ。

 それもAクラス以上になれば、近衛兵にも匹敵すると言われる。誇りに思うのも無理からのことであった。

 まして、ここ数年の生徒の質は過去最高レベルである。既に生徒の中にはニアAランク、あるいはAランク級の実力者が数名、数十名と見られる。

 そんな学園の最高責任者ともなれば、さぞ鼻も高いことだろう。



「危険度は推定ではあるのじゃが、ギルドランクでの換算で最低Aランク以上。報酬も例え何事もなかった場合でも、Aランク相当が支払われる予定での。最悪それ以上の危険に相当した場合、それに見合った報酬が支払われるであろう。どうじゃ、受けてもらえるじゃろうか? アルイッドの一件のようなことは流石に起こらぬと思うが、生徒レティーシアが行ってくれるのなら、わしとしてもありがたいのじゃが」



 レティーシアは瞼を一度閉じ、数十秒程思考をめぐらせる。

 依頼そのものは問題ない。例え異界の神が相手でも、相手取る実力がレティーシアには備わっているのだから。

 それは既にあの邪神を名乗る相手で証明出来ている。あれ以上の存在に出会うなど、それこそ確率的には天文学的ではないだろうか。

 慢心は禁物であるが、ある程度の余裕と自信はむしろプラスに働く。

 ゆえに、ここで考えるべきは“依頼主(クライアント)”の正体である。

 しかし、これに関しては簡単に答えが出た。恐らくは帝國上層部であろうとレティーシアは考えている。

 


 理由は幾つかあるが、揺らぎの場所がデルフィリーナから比較的近いこと。

 禁止領域の観測という役柄が、国の機関以外に考え辛いこと。

 先程学園長が言った国軍という言葉、つまりはこの手の案件は本来は国が扱うと言ったも同然である。

 次に考えるべきは報酬である。

 元より金など腐る程持っている身だ、ヴェルクマイスター召喚の計画の為にも可能ならこの任務で上層部とコネを作りたいと、そうレティーシアは考えていた。

 アルイッド一件で、実はあの冒険者達からは礼の手紙が送られており、何かあれば力になると言われている。

 ここで帝國やその他の国に貸しや、何かパイプを作れれば良い感じだろう。その為のプランを脳内で構築し、決定してから遂に瞼を開く。



「よかろう。その依頼は確かにこのレティーシア=ヴェルクマイスターが引き受けた」

「そうか。それでは――」

「ただし、条件がある。報酬に関してとメンバーに関してであるが……」



 最初渋面を見せていた学園長だが、金銭的報酬は入らないという点と、確実に成功させて見せるというレティーシアの堂々とした貫禄に負け、提示された内容を飲み込んだ。

 交渉が終わり、エレノアと共にレティーシアが学長室から退室していく。

 準備期間は一日のみ。その間にやるべきことは山のようにレティーシアには存在した――――





 


  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る