――――コンコン、コンコン……


 

 寝室をノックする音でレティーシアは目覚めた。ぼぉー、とする思考を血流操作を行い覚醒をさとしていく。

 ついでにエリンシエに入室の許可をすると同時に、壁に立て掛けてある魔術式壁時計に目を向ければ、何時もより三十分も遅い時刻ではないか。

 目覚めの時刻の誤差なんて、この世界に来てより特殊な場合を除いてすべて五分内ですませていたレティーシアからすれば、驚愕の事実である。

 今回は特に何かあった訳でもない。純粋に寝過ごしてしまったらしい。

 今日で長期休暇も十日目、その影響がここにきて出たのだろうか。



「失礼致します。今日はSクラスに行くご予定だと聞いています。時間短縮の為に魔術を使用致します」



 そう言うとエリンシエが何時の間に取り出したのか、自身そのものたる“原罪”を片手に、短く“重なり合う音”の羅列をまるで楽器の調べのように口ずさむ。

 複雑な発声により一度に二音以上の音を発し、詠唱の短縮化及び、相乗効果を狙った高等技法だ。

 僅か一秒未満で完成した魔術陣はレティーシアの身を包み、一瞬で赤を基調としたゴシック調のドレス――彼の世界で二十一世紀頃に流行ったタイプのゴシック――に一瞬で着替えさせてしまう。

 一緒に髪型もいつも通りにセットされており、その所要時間は十秒未満と言う今までの手ずからは一体何であったのかと問いたくなるスピードであった。



「朝食の準備が整っておりますので、準備が整いましたら席にお着きください」



 そう言ってエリンシエが一礼とともに寝室から退出していく。

 それを見届け、レティーシアが完全に脳が覚醒したのを確認した後、エリンシエの後を追うように寝室から客間兼、リビングとして使用している部屋に向かう。

 ドアを開けば既にテーブルにはクロワッサンにお手製のスープ、それにジャムの類が置かれている。

 そのクロワッサン一つとっても実は手作りであると、一体何人が気づけるだろうか。



 レティーシアが近づけばそっと椅子が引かれ、そこに座れば体重など感じないと言わんばかりに、スマートな動作で元の位置に戻される。

 レティーシアの斜め後ろ、一歩引いた位置で佇むエリンシエ。

 これも既に彼には慣れた風景だ。先程からやけに可愛らしい音を奏でる胃袋を満足させるべく、ほんのり熱をもったクロワッサンからいただく。

 丁度よいくらいに熱を持った生地は柔らかく、使用されているバターの香りがふんわりと鼻腔を満たす。



 パン生地特有の吸水性で起きる喉の渇きはスープで潤す。そのスープをクロワッサンとともに味わえば、これまた違う味が顔を覗かせる。

 オニオンやその他の野菜をふんだんに使ったスープ。それがパンと合わさるのはまた格別なのだ。

 更にジャムと合わせても良い。バターの香りを殺さないようにブレンドされた特性のジャム。

 それら全てを味わい胃袋が満たされた頃、一杯の紅茶がすっと差し出される。

 それをゆっくりと味わい、一息ついている間にエリンシエはテーブルをあっと言うまに片付けてしまう。



 結局食事そのものは何時も通りゆったりとし、衣服等でかせいだ時間の短縮と合わせれば差し引き零と言ったところだろう。

 学園に行く予定ではあるが、別に時間制限がある訳でもない為問題はない。

 ナプキンで口元を拭ったレティーシアがテーブルから立ち上がる。

 時間制限は無いとは言え、一応待ち合わせとしての時間は過ぎているのだ。今頃ボアは魔法学部Sクラスで気まずい思いをしていることだろう。

 教科書等の類を必要としないので、着の身着のままの姿で玄関へと向かう。

 いや、玄関というより寮へのドアと表現した方が正しいかもしれないが。



「それでは、いってらっしゃいませ」



 深々と頭を下げたエリンシエの姿を後ろに、レティーシアはエンデリックへと向かっていった――――







 

 ――案の定レティーシアが予想していた通り教室でボアが困った顔をしていた。

 長期休暇中とは言え、案外クラスに人は多い。

 ボア以外に居る十名程の生徒は全員このクラスの者だ。

 過去何度となくこのクラスに来ているとは言え、それでもボアは余所者である。

 周りから来る視線は決して好意的とは言えない。


 レティーシアが教室へと来た途端、明らかにボアがホッとしたのが良い証拠であった。

 軽い愚痴をボアから貰い、非は己にある為素直に軽く謝罪を口にするレティーシア。

 ボアも怒っている訳ではなかったらしく、あっさりと謝罪を受け入れた。

 そのまま昨日ボアから頼まれた内容について話し合う。



「――んじゃ暫くは無理なのか?」

「そうとも限らぬが、確実な保証は出来ぬ。取り敢えず今しばらくは基礎的な身体能力を磨くがよかろう」

「まっ仕方ねぇか」



 何の話しであるかと言うと、アルイッドの一件からボアは独自に自己の強化を計画していたのだが。

 やはりと言うか、一人ではその伸び具合はイマイチであった。

 そこでレティーシアに何かいい方法はないか、あるいは直接戦闘技術を教えてもらおうと昨日訪ねて来たのだ。

 夜分も遅い時間であったため、寮長と一悶着あったがそこは割愛しておく。

 結果的にこうして後日に持ち越され、こうして話しあっていると言う訳である。

   



「邪魔するぞ。このクラスにレティーシア・ヴェルクマイスターは居るだろうか?」


 

 突如、話し合いも終わり、他愛無い雑談にボアとレティーシアが興じていた頃、がらりとドアが開き一人の女性がレティーシアの名を呼んだ。

 すると、ボアがすっくと立ち上がるり教室の入り口へと向かっていく。

 それを見て、教室の入り口に立つ人物のキリッとした表情の、その眉が僅かに揺れるが、ボアは気にした風もなくその人物の前に立ちはだかった。

 両者の視線が絡む。ボアと身長差が僅かしかないところを見るに、百七十センチ程はあるだろうか。 



「俺はボア・クラーレ、というもんだ。アンタの名は?」



 一度交流を深めれば身内は全力で守る。というちょっとした信念を持つボアが、やや訝しげに相手にたずねる。

 他のクラスなら兎も角、他の科や学部の者が訪れることはそうそう無い。

 個人的な決闘や、名指しでの決闘場申し込み、或いは密かに行われるリンチ等の可能性の方が高いと言えるだろう。

 彼やメリルの存在はかなり特殊なのだ。この学園では、他者は等しく蹴落とすべきライバルであるのだから。

 更に言えば今は長期休暇中。目当ての人物が帰省している可能性もある中、こうしてわざわざ教室に来るとはどういうことか。



「失礼した。私の名はエレノア・フランソワ・ウィンチェスター、三年騎士学部総合科Sクラスに所属している」


 

 エレノアと名乗った人物がボアに対し、優雅な騎士式の礼を返し、自身の素性を述べたところでクラスに居た多くの人物がざわざわと騒ぎ始める。

 エレノア、その名前にはレティーシアにも覚えがあった。

 レティーシア達四人がディルザングの地竜退治後も、幾つかの簡単なクエストを受けていたとき耳にした名だ。


 曰く、エンデリック学園生徒で五指に入る実力であり、騎士学部最高実力者。その実力は既にAランクの領域である。

 曰く、その一太刀は鉄をも両断し、虎の子であると言う鍛えた聖銀(ミスリル)の剣。、それを扱えば鋼すら容易く切り裂き、魔法をも切り伏せると言う。

 曰く、受けた依頼の成功率は九十%以上であり、その数は五十を越える。

 曰く、ここ数年の迷宮最高深部到達者。現決闘場で十名しか居ないSランカーの一人であり、“烈火の騎士”の称号を帝國の国王から直々授けられた人物。

 そして何よりレティーシアが注目したのは――――



 (ほう、噂には聞いておったが本当に吸血鬼であったとはな……)



 そう。彼女、エレノア・フランソワ・ウィンチェスターは混血ではあるが、間違えようも無く“吸血鬼”であった。

 レティーシアは血族は遍く察知できるのだが、どうやらこの世界の吸血鬼は当然と言うべきか不可能なようであり、今まで接触の機会をのんびり考えていたのだが、どうやら向こうからレティーシアへと接触してくれるらしい



「レティーシア・ヴェルクマイスターは既に出てしまったのか?」



 そこで再びエレノアと名乗る吸血鬼、レティーシアの世界で言うなら半吸血鬼(ダンピール)と呼ばれる、最高学年であるエレノアが良く響く声でもう一度クラス中に向けて声を発する。

 その言葉には言霊と呼ぶべきか、力有る者特有の覇気が込められていた。

 ボアが気づかれない程度の早さでレティーシアをちらりと見る。周りの生徒もざわざわと小言で各自憶測を述べている。

 上級生、しかも学園で屈指の実力者の呼び出しだ、無理もないだろう。

 


「エレノアと、そう言ったか。妾(わらわ)がそのレティーシア・ヴェルクマイスターである、用件を話すがよい」

「貴女がそうでしたか。学園長が呼んでいる、どうか一緒に来ていただきたい」


 

 エレノアと名乗った人物の発した言葉に、思わず笑いが漏れそうになるのをこらえる。

 彼女は最初からレティーシアが件の人物であると見抜いていた。そしてその事に最初からレティーシアは気づいていたのだ。

 本人はさり気無くなのであろうが、自身にその視線が一瞬向けられたのを見逃すレティーシアではない。

 それに吸血鬼を称する者が、純血の特徴を知らない筈がないのだから。


 つまり、先程の問答は全て蛇足なのである。ただし、それは一般人に対してであり、貴婦人を尋ねる場合――特に厳格な場や吸血鬼の社交場ではそれが顕著である――例え部屋にその者が居ると知っていても、従者やその周りの人物に一度尋ねのが通例なのだ。

 この辺りはどうやら自分の世界の吸血鬼と大きな差異はないようだと、内心で一人納得するレティーシアであった。



「分かった。と、言うことだボア。何のようかは知らぬが行って来るゆえ、このまま今日は解散で構わぬ」

「まぁ、下手なことがあるとは思えねぇが。なんだか嫌な予感がしやがる」

「ふむ――留意しておこう」


 

 レティーシアの言葉にボアがそのまま教室から先に出て行く。その後レティーシアも教室をエレノアと共に出て行く。

 先程はああ言ったレティーシアだが、実は内容に関しては不明だが、その話の種類。

 方向性とも呼べきものに関しては大まかな察しはついていた。

 元より、その為にパフォーマンスを込めて入学試験、それに模擬戦闘である程度派手に演出したのだから。

 そしてアルイッドでの一件。これだけの材料があれば今回のような呼び出しがそのうち来るだろう、と言うのは予想の範疇であった。



 カツンカツンッと、前方を歩くエレノアの着込んでいる、首より上だけは防護されていない全身鎧(プレートアーマー)、その白銀色に輝くグリーブが床に軽快な音を奏でていた。

 腰元に佩いた鞘に収められたグラディウスと、背中で鞘に収められたツーハンデッドソードは歩くたびに別の音色を添えている。

 一方レティーシアは無音だ。靴が皮製であるのも原因だが、その身に染み付いた技術と淑女としての嗜みがそう言った音の一切を排除している。

 意識して音を演出する事もあるが、今はエレノアを観察している為不要な雑音は必要ない。



 後ろからレティーシアが見た限り、エレノアの実力はパッと見彼女の世界の一般的な吸血鬼、それを上回っているだろう。

 グラディウスも恐らくかなりの業物であるが、背中のツーハンデッドソードは例の虎の子と言う奴ではないかと、レティーシアは目をつけていた。

 背中のソレはレティーシアの世界で分類するなら、明らかに魔剣や聖剣と呼ばれる類のものである。

 そしてその女性にしては高めの身長と、全身鎧を着込み、更に二本の剣と左腰に固定されたバックラーの重量を物ともせぬ筋力。それから繰り出される一撃は相当なものだろうと推測できた。

 下手をすればその実力は上位吸血鬼(マスターヴァンパイア)に匹敵するかもしれない程である。

 現在でも恐らくシェシュに届くかどうかの位階相当、潜在的能力ならシェーバの域にすらあるかもしれない程だ。

 混血でこれほどの実力者は、レティーシアと言えど片手で数える程しか知らない。



 学長室に向かう両者は一切の会話を交わさない。無言である。

 やがて魔法学部棟から別の棟への渡り廊下を通過し、幾人かの学生がエレノアの姿に畏敬のまなざしを向け、後ろのレティーシアにまた幾人かが頬を染めていった。

 移動から二十分近く、中央にある中央校舎の入り口から真正面。

 両脇から半円になるようにホールなどで見られるタイプの階段を上り、丁度両方の階段の終着点、その前に存在する立派な木製の扉の前でエレノアは立ち止まった。

 その扉の真上には金属製のプレートが備え付けられており、何か文字が刻まれている。即ち――――



「ここが学園長室だ。失礼のないようにしていただきたい」



 その言葉に内心で学園長次第であるな。と答え、ギギィ――――

 と、重厚な両開き式の扉の片方をエレノアが開け、先をさとされたレティーシアがその部屋に足を踏み入れるのであった――――



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