――夢路の会合4――
言伝がしっかりとカルテットに伝わったことをエリンシエを帰還させたことで確認し、その日レティーシアは床についた。
無尽蔵にも思える体力を誇ろうとも、やはり精神的にはそれなりに疲労していたのか、肌触りの良いベットの心地も相俟って気づかないうちに深い眠りへと落ち込んでいく。
気づけばまたもや彼は彼女と対面していた。
「さて、これで何度目であったろうかの?」
「思い出したこの記憶が確かなら、都合四度目になる」
「ふむ、確か前回の最後は……」
そう言って既に馴染みになりつつある白黒のタイルが広がる世界。
空の代わりに宇宙が広がる摩訶不思議な空間、その中心とも呼べる場所で、これまた白と黒のマス目に分かれたモノトーン調の椅子と机を挟んで二人は対峙していた。
「前回は確か――――」
レティーシアの言葉を引き継ぐように彼が言葉を口にしようとして、即座に口を閉じた。
そのレティーシアと瓜二つ、いや、全く同一の顔を苦々しげに歪める。
彼に思い出せず、レティーシアに思い出せない筈がないのだ。
それはつまり、いいように誘導されたということである。
その事実に逸早く気づいただけでも成長していると言えるかもしれないが。
「ほぉ、知っておるのか? それで確か、なんであったか」
口元にそのぬらりと唾液が混じり、光り輝く真っ赤な舌で唇を一舐めして、レティーシアが嫣然と微笑み先をさとす。
白々しい! と口に出したいところであったが、前回での“行為”を鮮明に思い出してしまいそれどころではない。
男性としての経験値ですらお世辞にも豊富とは言えないのに、まさか女性として経験値を得ることになろうとは、今思っても信じられない心地であった。
それもだ。まるで淫乱な娼婦のように淫らに喘ぎ声をあげていたなど、冷静に振り返ってみれば憤死したくなってくる心地である。
「そのように百面相をしておると、また愛でたくなってきおるぞ」
赤くなったり青くなったり、眉を顰めたり、八の字にしたりと忙しく感情を変化させる彼の姿に幾分熱の篭った声音で言葉が突き刺さる。
甘い、少女特有の音域と媚の含まれた声音に背筋がぞわりと粟立ち、ギギギギッ――と、音がしそうなぎこちなさでレティーシアに振り返れば、まさに獲物を狙う狩人を彷彿させる美しい笑みを浮かべた彼女と視線が交差する。
元日本人として、お得意の曖昧な笑顔で場を取り繕うとするが、それさえ何がしかの刺激となってしまうのか、レティーシアの真紅の瞳がより一層輝きをました―――ような気がした。
「妾の幾星霜における生の中でもトップクラスの心地よさであったぞ? 恐らくは肉体的な相性は無論、精神的、ないし根源的な相性も良いのであろう。尤も、そうでなくては今もこうして妾が言葉を発するなどできはしなかったのであろうが……そなたとて気持ちが良かったのであろう?」
「そ、そんなことは――」
「ないと?」
先を断たれ、思わず口を噤んでしまう。
元々口の言い合いで勝てるなどとは思っていなかった。
それに悔しいことであったが、あの永劫とも言える一夜の出来事は確かに言い知れぬ快楽を齎したのだ。
今もこうして思い出したせいか、下腹部が仄かな熱を持って仕方がない。
流石にそれを覚られるのは不味いと、持てるかぎりの全力で表情に出さないようにしているのだが……
ふと、何か重要な事を忘れているような、そんな感覚に見舞われる。
思わずレティーシアの顔色を窺えば、何が楽しいのか男であれば幼子好きでなくとも蕩けてしまいそうな、そんな極上の笑みを浮かべていた。
「何をそんなに嬉しそうな顔をしているんだ」
思わず憮然な声音で発してしまうが、レティーシアは気にした風もなく爆弾発言を口にする。
「なに、そなたがしっかりと妾との逢瀬を楽しんでくれたようでなによりだと思っての。今も下腹部に甘い熱を孕んでおるのであろう?」
「――なっ……」
「忘れておったとは間抜けよな。妾はここでは容易にそなたの思考を覗けるのであるぞ?」
「む、ぐぅ……」
忘れていたのが事実であったので、反論もろくに出来ず唸り声のようなものだけが口元から零れていく。
何か忘れていると思えばレティーシアの言った通り、思考に関してのことであったのだ。
あの微笑も仕草も、そういった思考を誘発したり、覗いて楽しむためだったのだろう。
なんて性悪なんだと内心毒づきそうになるが、これも覗かれているかもしれないと思えば溜息しか出ない。
なんだか酷く疲れた気がして仕方がないのだが、そこでまたもや一つのことを思い出す。
微笑むレティーシアを尻目にゆっくりと周囲を見渡せば案の定、“白さ”が増していた。
何の事はない、前回に引き続き白のマスが増えているのだ。
そして机に視線をそっとやればそのマスもやはり白が増えている。
違和感。そう、それを見て感じたのは小さな違和感だ。
思わず机のマス目と周囲のマス目を見比べてしまう。
肉体がレティーシアのものでなければ気づかなかっただろう。
広大な範囲での差を認知出来る視力に脳、そのお陰で気づけた事実。
(机のマス目の状態と、この空間内のマス目の状態は連動しているんだ……)
彼が気づいたとおり、この空間内での状態は机と連動している。
そして自身の格好……前回一瞬感じたノイズ混じりの思考。
レティーシアが少しだけ語った自身は既に残滓に過ぎない、そう取れる発言。
ここまで来れば認めたくなくても、どうしても理解してしまう。
口を動かそうとするが、まるで喉がからからに渇いているかのように音がでない。
唇はかさかさに枯れ果てたようにかさ付き、認めたくない事実に眩暈がする。
しかし。確認しなければいけない、彼女の、レティーシアの口から聞かなければいけない。
そうしないといけないような、そんな強迫観念にも似た思いに駆られるのだ。
今の状態はきっと精神的な状態が顕現しているのだと、そんな冷静な己が分析を下し、それならと意思を振り絞って再度口を開く。
「れ、レティーシア。俺は……もしかして、君を――――」
『なにやら重要なシーンみたいだが。私は何時まで待ちぼうけをくらっていればよいのかね?』
言葉を遮られ、思わず声のした方に視線を向ければ、彼視点から右側。
レティーシアから見て左側に巨大な魔神が佇んでいた。
下半身が黒色の竜であり、上半身は巨人と呼べる体躯を誇る男性。
その身長は縦だけで数十メートル以上。横幅も大きい。
どこからどう見ても“プッテホトラ”であった。
どうやって侵入したかも不明だが、事実そこにプッテホトラは悠然と佇んでいる。
「ふんっ、何やら異物の気配がしておったと思えば貴様か。まさかアレを内部から破ったのか?」
どうやら彼とは違い、レティーシアは正体までは分からずとも、誰かがこの夢とも精神世界とも呼べる世界に入り込んでいるのを感知していたらしい。
不愉快だと言わんばかりに眉を顰めて吐き捨てるように述べるが、プッテホトラは気にした様子もなく口を開く。
『いやいや、アレ程見事な封印は私としても過去数度も見たことがない。内部からの抵抗は不可能に近いと言ってもいい』
「その口ぶりからすればつまり、外部の手助けで抜け出したと言う事か」
『その通り。内部から無理であれば外部から干渉してしまえばいい、至極単純なことだよ』
「ふん、場所の特定も封印解除も容易ではないと妾の基準で言えば思うのであるがな。第一、誰の手助けを借りたのだ、それに時間の流れを考えれば妾が立ち去って直ぐに封印は破られた計算になるのだぞ」
そう説明されても疑問は残る。彼にだって思い至る疑問だ。
当然レティーシアが気づかない筈も無く、興味半分、まさか封印を解除されると思っていなかった為のプライドを傷つけられた苛立ち半分、それら感情を混ぜて早口で捲くし立てる。
元より説明する気であったのか、抵抗を見せる事も無くプッテホトラがにやりと邪悪な笑みを浮かべ話し出す。
『正式な紹介がまだだったかな。私の名前は“ナイアルラトホテップ”這い寄る混沌、無貌の神、千の顔を持つ者などと呼ばれている存在だ。千の顕現体を有し、時空すら超えてあらゆる場所に現れ思うが侭に振舞い、時に偉大なる方の意思を代行するべく暗躍するのが私だよ。ナイ神父、あるいはチクタクマンなどと呼ばれたりもする。とある時空の私は機械神と呼ばれる存在を操り、同胞を打ち倒す世界で陰謀を張り巡らせ、神となったロリコンと今も追いかけっこを楽しんでいるよ。とある世界の幹、世界樹では世界樹そのものに寄生し力を吸い取り、女神の力を持った兄と妹を吸収して今も責め苦を与えてはこれまた楽しんでいる。とある世界では死に掛けた少年と契約を結び異形を狩っている……他にも様々な世界で私は活躍しているよ』
ナイアルラトホテップと改めて名乗った存在が明かした内容に、レティーシアは舌打ちを一つする。
彼も信じられない思いであった。彼はこの存在を知っていたからだ。
今更気づいたが、名前だって逆さまにしただけではないか。
それは当時では既に廃れてしまった神話だ。時折ゲームなどの題材として取り上げられる程度であった存在。
それが実在し、なおかつこうして対峙しているなどとは、頭が痛い程度ではすまない思いであった。
レティーシアはともかく、彼の反応が気に入ったのか、饒舌に続きを語りだす。
『さて、聡明な者であればこの時点でとうに答えとなったことだろうね。まぁ、答え合わせの意味で言えば、私は自身によって助け出されたのだよ。魔術や魔法、そういった力に長けた私にね。実際には主観時間では百年近くも経っているのだが、そこは時空を越えてやってきたに過ぎない。さて――』
今までおちゃらけた態度であったナイアルラトホテップだが、その雰囲気が真面目なものに切り替わる。
流石邪神と呼ばれる存在だ。その張り詰めた空気は肉体がレティーシアの身でなければ、容易に意識を手放していた程。
レティーシアも余裕の態度こそ崩さないが、水面下での警戒は怠っていない。
『おめでとう』
「はっ?」
「む?」
張り詰めた空気が霧散し、ナイアルラトホテップの口からは予想外の言葉が飛び出した。
彼はともかく、レティーシアまで思わず困惑気味な言葉が口から漏れ出す。
にやりと、悪戯が成功した子供のような、そんな笑みを浮かべて続きを話し出す。
『再度言おう、おめでとう! レティーシア、君は我々外なる神の一員として認められた。存在としての格はまだ一歩及ばずと言えるかもしれないが、その戦闘能力は素晴らしい。これは偉大な魔王の決定であり、ヨグ・ソトースが可決したことだよ。ああ、別にこちらから何を強要することはないから安心して欲しい。尤も、我々を毛嫌いする存在からは狙われることもあるかもしれないがね。それでは今日のところはこれで失礼するよ、何時の日か、君が更に成長した時に再び会おう!!』
レティーシアが「待てッ!」と叫ぼうとするが、突如襲われた違和感に顔を顰める。
それは何度も体験した感覚だ。同時に彼もがくりと膝をついてしまう。
そんな二人を嘲笑うように、ナイアルラトホテップの姿は透明化するように消えていった。
同時、目覚めによる覚醒が二人から意識を奪い去っていく……
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