アルイッド遺跡 十二

 罅は瞬く間にその巨体を覆い、その罅の規模をどんどん増していく。

 パラパラと崩れた破片が落下し、塵のように積もっていくのと同時、例えようもない怖気が全員に襲い掛かる。

 罅の先から見えるのは生身の肉体。漏れるのは圧倒的気配。

 後衛の何名かが耐えかねたように膝をつき、荒い息を繰り返す。

 メリルとミリアは気丈にも耐えているが、顔は真っ青であり額に汗がびっしりと浮かんでいる。

 フリードリヒですら思わず一歩後ずさり、ボアいたってはその顔が苦痛に染まっていた。



 偶然なのか、それとも条件を満たしてしまったのか。

 明らかに封印が解かれようとしている。

 増していく圧迫感はSランクなんかでは到底測れない。

 ダブルSの領域にまで突入し、更に底無しに存在感を増していく。

 遂にこの不思議な空間が圧倒的な威圧に鳴動し始めた。

 ゴゴゴゴ―――と音が響く中、大半のメンバーが気絶していく。

 ばたりばたりと、また一人気絶していく中。数分が経ち、全身に罅が行き渡った瞬間、パリンッ! と言う音と共にその生々しい全身が姿を現した。



 オールバックにされた漆黒の髪は竜の下半身まで伸び、ゆらゆらと宙で獲物を求めるように揺らめいている。

 瞳は赤光を放ち、口元は酷薄な笑みを浮かべ、世界を嘲笑しているかのようだ。

 一見すらりとした両腕の先端には一メートル程もある鋭い爪が五本の指から生えている。

 黒と赤を基調とした貴族的ながら、ぴったりとフィットするような衣服。

 マントは外が黒で裏布が赤に染まり、風もないのにはためいている。

 漆黒の鱗、禍々しいトゲに覆われた竜の胴体。尾っぽは全長十数メートルに及び、まるで金属のような光沢を放つ黒の鱗でびっしり覆われている。

 禍々しい真紅の鉤爪を備えた二本の足、よくみればその人間の背中から竜と同色の翼が広げられていた。



「ぐぅっ……あ、足が震えて動かん」



 殆ど全員が気絶し、残ったほんの数名の一人。

 フリードリヒが震えた声で言う。

 既にメリル達三人は倒れ伏している。

 その巨体の上から周囲を睥睨し、その青色の唇を動かした。

 


『待っていたぞ吸血鬼よ』


 それは如何なる意味か。推定でも数千年の時を封印されている存在が、どうしてレティーシアをまるで待っていたかのように告げるのか。


「妾を知っておるのか」


 レティーシアの問いに名も知らぬ存在が喜悦を隠そうともせず笑う。

 低い、腰に直撃するような美声でありながら、背中を幾千もの蚯蚓みみずがのた打ち回るような不快感を与える。


『そう、私は待っていた。我々アウターゴッドにすら届きし者よ。いずれは中心たるお方にすら届くかもしれない存在よ。だからこそ見果てし時の彼方にて、その存在を知り歓喜した。千の一柱でありながら、役目を持たず、ただひたすらに混沌と破壊を振りまく私は戦が大好きだ。その実力が熟する時まで眠る為、この世界に飛来し、哀れな末裔どもに身を預けて幾千年―――まるでひと時のまどろみのようであったぞ』



 レティーシアの眉が怪訝に歪む。

 目の前の存在はレティーシアですら不可能に近いと言わざるをえない、遥か未来の出来事。

 あるいは異世界の事象を紐解いたと言うのだ。

 しかも目的が自身との闘争だと言われれば流石に驚く。

 その反応を気に入ったのか、冷酷な笑みを浮かべてその死者の如く冷たい色をした唇を動かす。



『困惑する必要はないぞ。ただ私と命を掛けた死闘を演じればいい。先に待つ結果など些細なことだ……数千年の時を待った機会逃さぬ――――私を満足させてくれッ!』



 そう言い放つと半人半竜の巨人が腕をグバッと広げるのと同時。

 その場に存在した、レティーシア以外の全ての人物が謎の魔術陣に包まれる。

 幾何学模様を記した光の魔術陣は膨張し、収縮した後に包み込んだ人物を消し去った。

 時間にしてほんの僅か、瞬き程度。それだけでレティーシアと、名すら知らぬ化け物だけがその場に残された。

 レティーシアが即座に気配を探るが、少なくともこの場に二人以外の生命を感知出来ない。

 グレンデルは元々魔術師ではないが、それでも抵抗させずに巻き込むのは尋常の腕ではない。



「先の魔術と言ってよいのか分からぬが。アレは転移か?」

『然り。安心せよ、遺跡の入り口に転移させたにすぎない。あの犬ころ以外は転移の影響で暫くは目覚めぬがな』



 そう言うと再び両腕で身体を欠き抱くように押さえつけるとバッ、と再び外に向けて勢いよく開く。

 瞬間吹き荒れる魔力の本流。今までが一端に過ぎないと言うように高まる存在密度。

 まるで暗黒のような魔力光がその巨体から立ち上り、蒸気のように揺らめく。

 足場が鳴動し、空間が悲鳴を上げ超音波のような高周波を発生させる。

 高まる存在感は既に第八位階のシュモネーを越え、レティーシアの存在するテーシャにまで迫っていた。

 蒸気のように立ち上っていた可視化した魔力が吹き荒れるように渦を巻き、まるで意思でも持ったかのように不定形の形をなしては揺らめき消滅していく。



 吹き荒れていた魔力が一瞬でその巨体に吸い込まれ、周囲の異常もぴたりと静止する。

 だが見よ、感じよ。その圧倒的な存在感は先程までの非ではない。

 テーシャを越え、メリオル・テーシャすら超越し。

 その存在は今、万物の王たるエーセルにまで到達していた。

 位階の低い者ならその魂すら凍らせる生物としての格の違い、それに耐えられず死滅してしまうだろう。

 この場が通常の星であったのなら、空間が存在としての格に耐えられず空間を崩壊させるかもしれない。

 さしものレティーシアも額から流れる冷や汗を止められない。



「まさか、とは思っておったが……本当にエーセルクラスの存在に出会えるとはの……ふふっ、ふふふ……ふふふふ」



 まるで気でも狂ったかのように、その口元から幼い、高音領域の楽器の如き笑いが響き渡る。

 それは徐々に勢いを増し、どんどんとエスカレートしていく。

 何が可笑しいのか。やはりエーセルクラスを前に、気が狂ったのか。

 腹を抱え爆笑するレティーシア。無音の世界にその笑いだけが響く。

 「アッハッハッハッハッ!」と、呼吸すら忘れて笑い通した後、ぴたりとその笑いが止まった。

 その口元に浮かぶは笑み。最高の獲物を見つけた狩人の笑みだ。



「よかろう……まさか格上への挑戦がこようとは思わなんだが。妾の実力がエーセルに劣らぬこと、証明してみせようではないか……原罪よッ!」 

 


 迎え撃つ側で今まであったレティーシア。それがまさかの逆転。

 それを喜ばずにして一体何を喜ぶと言うのか。

 闘争は最高の暇つぶしだ。それも実力が拮抗、ないしそれ以上の相手であれば更に最高である。

 その高らかな宣言と共に空間を超越し、一冊の魔道書が光子と共に手に現れた。

 一瞬で封印を解くと宙に浮かんだそれを放置し、一度瞳を閉じてカッと見開く。

 その瞳は眼球全てが緋色に染まり、その背中からは艶やかな黒を讃えた一対の翼が広がる。



 瞬間的に吹き荒れる魔力。まるで竜巻のように螺旋を描く赤色の奔流。

 再び大地が鳴動し、空間が悲鳴をあげる。レティーシアとて成長し続けているのだ。

 その存在感は既にテーシャからメリオル・テーシャへと王手を掛けている。

 吹き荒れる真紅の魔力を収縮し、全て体内で循環させていく。

 再び静けさに包まれる空間。その全てを黙って見下ろしていた、名を未だ告げぬ超越者とレティーシアは笑みを交わす。

 夜の覇者たる吸血鬼としての本来の姿を取り戻し、最高の魔道書を宙に携えて、最高の微笑みと共に告げる。



「ゆくぞッ!」

『――来い、我、プッテホトラが相手してやろう』



 先手を打つべくレティーシアの姿が掻き消える。

 音速を瞬時に越え、更に魔術でヒックス場に干渉。

 重力の効果範囲、向き、強さが驚異的な演算で侵食され書き換えられていく。

 その速度は時間にして秒未満。コンマの十分の一以下で音速の数十倍にまで優越。

 振動が衝撃波の波となり破壊を撒き散らしつつ。

 音の無い世界より飛来したレティーシアの拳の嵐が突き刺さる。



 秒間千を超える拳は、更に瞬間的に質量操作により壊滅的な破壊力を得る。

 一発放つ度に大気が押しのけられ、轟音が発生。摩擦熱、更には断熱圧縮によってその拳の温度は灼熱と化す。

 Sランクだろうと一瞬で挽肉と化す暴虐カリギュラはしかし、何か硬質な見えない壁にすべて衝突し、ただの一発として貫通することが出来なかった。

 そればかりか跳ね返ってきた衝撃に、レティーシアの拳が最後の一撃で砕け散る。



「結界かッ!?」


 拳を再生させながら、そう判断したのと同時、再び音の届かぬ世界へとレティーシアは掻き消え――

 背後に気配を感じ振り向いた瞬間、例えようもない衝撃と共に吹き飛ばされた。


『音を超えるなど造作もないぞ!』



 直接念話で脳髄に思考をたたきつけられる。

 一瞬で十キロ以上を吹き飛ばれ、刹那で追いついたプッテホトラがレティーシアの背後で囁く。

 直後背中に再びの壊滅的な衝撃が走り、一瞬で高度数万メートルにまで打ち上げられる。

 大気を押しのけ、摩擦と断熱圧縮により数千度の熱に肉体が侵食されていく。

 どうやら結界の端にぶつかったらしく、凄まじい衝撃が肉体を突き抜けた。



 全身の骨が粉々に砕け、所々から真っ白な骨が突き出す。

 その程度で済む方が異常と言えるだろう。

 瞬時に痛覚が遮断され、原子レベルから肉体が超速再生。

 一瞬で燃え尽きた衣服から戦闘用のドレスに転移の応用で着替え、プッテホトラが迫ってきた瞬間暴力的な力を瞬時に練り上げる。

 結界に足をつけ魔術で肉体を限界まで強化、グッと力を込め全力で蹴り上げて弾丸のように飛び出す。

 まるで天より落下する星のように、一条の箒星と化したレティーシア。

 

 

『ヌッ!?』

『返礼だ、受け取れッ!』



 刹那でその巨体の腹部に接触したのと同時、念話を叩きつけ、勢いそのままに蹴り落とす。

 まるで流星の如き速度で落下。巨体によって押しのけられた大気が熱を孕み、その肉体を高熱に包み込む。

 隕石の落下音にも似た音が送れて鳴り響く。その程度で倒せるなどとは思わない。

 遥か上空でレティーシアの腕が上がる。パチンッと指が鳴らされた瞬間、背後に直径数百メートル規模の岩が数百数千と出現。

 その腕が振り下ろされるのと同時、重力と魔術の効果により一瞬で音を突破して地面目指して降り注ぐ。

 殲滅級魔術、隕石雨メテオレインが次々と地表に突き刺さり、爆音と衝撃波を撒き散らす。



 最後の一際巨大な岩が正面を赤熱させながら大気を突き破り地表に落下。

 粉々に砕け散った多くの破片が粉塵のように舞い上がり、視界を塞ぐ。

 国どころか、使い方さえ変えれば大陸すら消し飛ばせる魔術を使い、これでダメージが無ければ結界そのものに干渉せねばなるまいかと。

 そう考えつつ一瞬で転移を発動し落下地点に現れる。

 粉塵が晴れた先に見えたのは肉体の七割を消失したプッテホトラ。

 周囲一体には紫色の液体やら、肉片やらが飛び散り、ざわざわと蠢いては本体に吸い寄せられていく。 嫌悪感を掻き立てるようなグロテスクな惨状にレティーシアが口を開いた。



「そんなに妾にこの光景を見せつけたいか?」


 まるで瞬時に再生出来るだろうと言わんばかりの台詞。

 それに答えたのは頭部を失った肉塊だ。


『クックックッ―――この程度では嫌悪感すら抱かないか……』


 台詞が終わるのと同時、まるで時間が巻き戻るように全ての肉塊が寄り集まり一瞬で再生を完了させた。

 足りない分は創造で賄われているようだ、ご丁寧に衣服まで再生している。


『さて、第二ラウンド……と、言いたいところだが、この封印の場では少々役不足だろう。ところで吸血鬼よ、宇宙空間で生存は出来るか』

「その程度造作もない」

『気づいての通り、ここは月の中心に作られた異空間だ。あまり暴れまわると月が消えかねない。次のラウンドは宇宙にしようと思うが異存は』

「構わぬ。妾としてもその方が助かるゆえな」

『それでは――』



 プッテホトラが聞き取れない言語を呟くと、メリル達を転移させたのと同じ魔術陣が二人を包み込む。

 それに抵抗せずにいると転移独特の肉体を圧縮されるような、引き伸ばされるような不思議な感覚が襲う。

 視界が暗転し、気づけば“本物の星の海”に漂っていた。

 瞬時に音ではなく思考で魔術を発動し宇宙空間から身を守り、順応させる。

 重力操作の魔術でヒックス場を侵食し、器用に宇宙空間に立つと視線を前に向ける。

 既に準備万全と言った様子でプッテホトラがレティーシアに顔を向けていた。



『待たせたかの?』

『構いはせん。それでは……』

『『ゆくぞ!!』』



 声が被った瞬間、二人の姿がその場から消失する。

 音速の百倍を超える速度で広大な宇宙空間を駆け抜け、交差するように互いの肉体と肉体がぶつかり合う。

 一撃毎に凄まじい衝撃が空間を震わせる。

 レティーシアの手刀がその竜の尾っぽを切断し、プッテホトラの巨腕がレティーシアを空間の彼方に吹き飛ばす。

 それを追おうとしたその懐に転移で潜り込み、召喚したダーインスレイブを振り下ろす。

 魔剣の効果により実体化した残像が一瞬で無数の斬り口を与える。

 


 吹き出る血潮を避け、一気に数十キロもの距離を転移で離れる。

 レティーシアの強化された瞳は数百キロだろうと相手を見通す事が可能だ。

 ダーインスレイヴの効果により、幾分治癒が遅いのを怪訝な顔をしてこちらに向かおうとするプッテホトラ。

 それより早く、レティーシアは今度はカラドボルグを召喚し、刹那の内に膨大な魔力を通し、腕が霞む速度で縦横無尽に振るう。

 摂氏一億度の死のプラズマの刃が超速度で視認すら許さず飛来。



 レティーシアの視界に数百通りに分割されたプッテホトラが映った。

 逆再生の如く復活していく姿を見つつ、これだから一定以上の存在者はと己を棚上げして舌打ちすると。

 己の認識領域を強化し数十万キロまで広げていく。

 目的の物を発見すると、高らかに念話を宇宙に響かせる。



『彗星よ、箒星よ、隕石よ。煌々と煌き君臨する者よ、どうしてお前達はそうも先を急ぐのだ』



 瞬間、遥か彼方。数十万キロもの先からそれらが現れた。

 先のメテオレイン等とは比較にもならない規模。

 本物の“流星群”が再生を終えたプッテホトラに降り注ぐ。

 最大で直径数キロもある隕石群。それがレティーシアのサイコキネシスにより、まるで重力を無視したかのように暴れ狂う。

 巨体に見えたその肉体を更なる巨大な隕石達が次々と打ち据え、磨り潰し、燃焼し消滅させていく。

 レティーシアの細い指が踊るたびに降り注いでいった隕石郡が再び舞い戻り、肉の破片となったプッテホトラを何度でも磨り潰す。



『酷い事をしてくれるではないか』

『ッ!?』



 念話がどこからか響いた瞬間、今まで制御下にあった隕石群が突如獲物をレティーシアに定め、その軌道を変え向かってきた。

 当たればミンチ確定の死の嵐、それを長距離転移で回避。

 しかし、経験からなる感覚がまだ危険から逃れていないと瞬時に判断。

 気配端に引っ掛かった、後方から迫る隕石群に振り向き一呼吸……



『砕け散れッ!!』



 言い終わるのと同時、全ての隕石がその場で爆砕した。

 衝撃波と砕けた破片が飛来するが、それを腕の一振りで灼熱を巻き起こし消滅させる。

 サイコキネシスはイメージが重要だ。言葉はそれを補助する役割を持つ。

 ふと、プッテホトラの存在が感じられない事に気づく。

 気配察知の領域を広げ、魔術をも併用して探る。

 まるで別視点を得たかのように、広大な宙域を探していくが見つからない。




『ここだ』



 足元から声が響いた時には手遅れであった。

 一瞬でレティーシアの肉体が青炎ブルーフレイムに包まれる。

 数千万度に達する超高熱と、魔術破りの術式がレティーシアの防御を突き破り、その肉体を崩壊させる。

 瞬く間に分子に還元され、更に原子にまで戻されていく。

 一秒にも満たない時間でレティーシアは宇宙から消滅した。

 





    

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