アルイッド遺跡 十

 まるでレティーシア達の道行きを阻むかのように、轟々と唸りを響かせて暴風が吹き付けていた。

 昨夜、野営の準備を進めそのまま切り立った崖の影に隠れるようにテントを設営。

 全員が夜を過ごすこととなった。そしてそれから数時間後、早朝の三時間程前から突如猛吹雪が発生。

 今まで空は透けるような色を見せていたと言うのに、高度発生タイプの特殊な雲が山を包み込み、分厚い雪を風に乗せてテントを襲う。


 幸い崖のお陰で被害は最小限ですんだが。レティーシア達はこのままではテント毎埋まってしまう可能性を考慮し、素早くテントを処理。

 まだ薄暗い午前五時頃、氷点下五度以下。体感温度マイナス二十度を越える極寒の世界。

 高高度による活動高度限界バーティカルリミット世界の中、フリードリヒの指示が飛ぶ。



「クソッ、まさかこんな高度で嵐に本当に見舞われるなんて―――全員急いで集まれ! これから腰に魔物捕縛用の特殊ロープを前衛に巻き付け、それを後衛と結びタッグを作るッ! この嵐で一度でも足を滑らせてみろッ、一瞬で下まで放り投げられるぞッ!!」



 テントの処理、道具の確認を行い終えたパーティーが続々と崖の隙間に集まっていく。どの者も急な嵐に戸惑いの表情を見せている。

 既に数メートル先の視界すら確保する事が難しく、フリードリヒも内心苛立ちが募るがギリギリ押さえ込む。

 リーダーがそれでは全員の不安は増すばかりだからだ。メリル達も急いで準備を進めていくが、吹き付けていく暴風は実に風速十五メートル毎秒クラス。

 瞬間風速ではその二倍を越えることすらある。獣の毛皮を利用した厚い防寒具の隙間から零れた、メリルやミリアの髪の毛が縦横無尽に暴れ狂う。

 こんな状況ではまともに作業は進まない。気を抜けばそのまま風にさらわれてしまいそうであった。

 レティーシアの髪だけが揺れていない。自身を基点に風の流れを逸らす魔術を展開しているお陰だ。



 レティーシアを除き、三人の中でボアが唯一まだまともに動けていた。伊達に鍛えてはいない。

 メリルとミリアを庇いながらも、しっかりと地に足をつけて荷物を整理していく。

 水筒だけを取り出し、ミリアとメリルの腰に括り付けてやる。

 礼を二人が告げるが、襲う強風と瞬間的な暴風が音を掻き消してしまう。

 他にもピッケルを取り出し、全員に渡していく。鉱物採取用だが、万が一風に飛ばされた場合、地面に突き立てれば運が良ければ落下を止められるだろう。

 残りの荷物はすべてレティーシアが異空間に仕舞い込む。



「よし、早く移動しようぜ。俺たちがきっと最後の筈だ」



 全員が頷き、重心を前に傾けつつ一歩一歩進んでいく。

 殆ど寄り添うようにボアを先頭、次にミリアとメリルが並び、殿にレティーシアが続く。

 轟々と吹き荒れる猛吹雪は僅か先の視界すら不塞ぎ、防寒具の上から体温を奪っていく。

 肉体的には一般人とさほど変わらないメリルやミリアなどは、かなりの体力を消耗していた。

 酸素が不足していく領域ではまともな睡眠が取りにくく、肉体的な疲れを癒し難い。

 遅々とした歩みながらもボアに続くように進み、もう直ぐ崖の隙間と言う時――――今までで一番強烈な強風が吹いた。



「……キャアアアッ!?」


 一瞬でメリルの足が掬われ、身体がふわりと浮遊。

 ゴォッと吹き荒ぶ風に後方へと身体が吹き飛ばされる一瞬、ボアがその腕を掴み取る。

 強烈な力がボアの腕を引き千切らんと掛かるが、歯を食いしばって耐えた。


「ッ……おっ、うおっ!?」



 その瞬間またも同レベルの風が吹き荒れ、体勢を崩していたボアの足が浮きかけた時、レティーシアがグレンデルに命じて二人を支えてやる。

 ドスンッ、と横向きのグレンデルに二人が倒れこむ。

 そのままグレンデルを壁に風を遮り、なんとか体勢を整え直す。



「だ、大丈夫ですか二人とも!?」

「た、助かったぜ」

「レティ、それにボアも有り難う御座いますわ。流石に今のは心臓が止まるかと思いましたもの……」

「礼を告げている暇があれば、先に進むぞ。フリードリヒが待っておるであろうからな」

「了解しましたわ」

「了解だぜ」





 二人が頷き、再び進みだす。幸い一時的にだが、やや風が弱まりその瞬間に一気に崖の亀裂に四人共入り込む。

 レティーシアが見る限り誰も吹き飛ばされて再起不能、と言う事態には陥っていないらしい。

 全員が何やら頑丈そうなロープを取り出し、前衛の者に括り付けてその先に後衛職の者に繋げている。

 どうやら一番吹き飛ばされる可能性の高い後衛職への配慮らしい。

 それぞれボアが取り出したのと似た感じのピッケルも装備している。

 フリードリヒはどうやら他のメンバーと話し合っているようだ。

 ボアはミリアとロープを繋ぎ、メリルは他の者と結んでいる中でレティーシアの耳に、後衛職中心のパーティのリーダーとフリードリヒの会話が飛び込んだ。



「やはり厳しいか?」

「ええ……確かに仰る通り、僕達後衛職がフルで支援魔法を使えば、行軍は楽になるでしょうが――」

「魔力が持たないか……」

「はい、確かにこのパーティーには優れたウィザードも多いです。しかし支援魔法は攻撃魔法とは違い、持続性を維持するのに多くの魔力を使います」

「仮に魔法を全員に行使したとして、どれくらい持つ?」

「そうですね……持って二時間と少し。早いと二時間を切るでしょうか、せめてもう二千メートルは登らないと無理です」



 どうやらこの先の登山で魔法の支援を行うか話していたらしい。現在の標高は五千メートル近く。正確には四千五百と少し。

 先程より幾分雪の量と風速は低下したが、それでも一時間あたりの進行度合いは三百メートルを下回るだろう。

 フリードリヒは悩む。現在の高度は鍛えてきた前衛職ならそう脅威になる高さではない。

 少ない酸素も、低温化での活動も厳しいが十分対応可能なレベル。

 問題は後衛職、特に唯一Aランカーを保持していないメリルのパーティー。

 ちらりと脳裏にレティーシアの存在が浮かぶが、それを即座に振り払う。

 保険を最初から当てにしてはいけないと、自分で決めたのにこの様だ。自分も大分参っているらしいと苦い笑いが零れる。



 現状取れる対応としては大雑把に二つ。一方は今日中に頂上を目指す強行軍。

 二つ目は慎重に標高六千メートルまで進み、そこで再び一度野営。次の日に一気に登り切る作戦。

 前者は後衛職の体力が持つかが鍵となるし。後者は後者で、都合良く嵐の被害が少ない場所を見つけられるかが鍵となるだろう。即座に考えを纏めていく。

 結果は第三案、臨機応変に対応であった。上記二つを軸に、標高六千付近に到達した時の様子でその場で一日を越すか、あるいはそのまま登り切るかを判断する。

 己の判断で下手をすると死者を出しかねない。一度降りる選択肢も考えたが、食料とかだって無限ではない。それに凶悪な魔物と出会う可能性を考えれば、どちらにせよ死の危険は付き纏う。

 ――――小さく息を吐くと、フリードリヒが口を開いた。



「今より十五分後、登山を再開する。それまでは各自軽く飯と水分を補給しておけ。特に高度になればなるほど、水分は重要だ。例え渇きを感じていなくても水は摂取していけ。最悪肺に水が溜まって死ぬ」

「「了解ッ」」


 

 全員の返事にフリードリヒが頷く。詳しい原因は不明だが、高度の登山では肺に水が溜まって死亡する事がかなりある。

 これはあまり広まっていない事実なのだが、フリードリヒ達ベテランは経験からそれを知っていた。

 他にも今は雲があるが、高度で晴れた場合。陽射しが死を招くと言うのも知っている。

 この山は予想より標高が高い。七千は超えていると分かっていたが、ここまできてはっきりと理解した。恐らくは九千メートル程ある。

 フリードリヒ自身も携帯食料と水を補給しつつ、誰も死なせないと心で呟く。

 すると、レティーシアが近づいてきた。話しがあると言われ、耳を貸せば………





 ザッザッザッと、雪を踏み締める音が鳴り響く。幸運にも魔物との遭遇もなく。風速も十メートル少しで落ち着いていた。

 それでも相変わらず雪は吹き付けるような勢いであるし、風も油断はできない。傾斜角が時には四十度程にもなる場所を一向は突き進んでいく。

 基本的な陣形は変わらず、前方に前衛職がずらりと並んでいる。その腰には魔物捕縛用の強化ロープが括られ、後ろの後衛職達に繋がっていた。

 更に見れば後衛職からもロープが伸び、殿に居るグレンデルへと全てのロープが殺到している。

 四肢は動き難くなる為、主に胴体に集中しているが半分以上がロープで埋まっている様子はどことなく哀愁を漂わせている。



『なぜ私がこんなことに……』

「流石に妾も全員が飛ばされた時、瞬時に助け出すのは厳しいゆえな。グレンデルであれば、数トンクラスの重圧が掛かろうと平気であろう?」



 レティーシアの言葉にグレンデルが唸る。元より主人の命とあれば実行するのがグレンデルだ。

 それでもまるでストッパーのような。あるいは、楔のような役割とは我ながらあり得ないだろうと思っていた。

 これでもグレンデルは億を超える獣の王なのである。それがこのような扱い……レティーシアの命でなければ、温厚なグレンデルでも全員胃袋行きである。

 レティーシアがそっと瞳を閉じ気配察知を行う。とりあえずは周囲に脅威になりそうな生命反応は無いようだと判断。

 前を向けばやや視界が悪いが、メリルとミリアが寄り添うように進む姿が見えた。

 


 現在レティーシア達は真っ直ぐ進むのではなく、やや右斜めのコースで進んでいる。

 理由は出来るだけ嵐の風を受けない方向と、崖などの遮蔽物が多いからだ。

 万が一嵐がまた強くなったとしても、遮蔽物が多ければとりあえず身を潜める事が出来る。

 レティーシアが上空を眺める。するとあいも変わらず巨大な欠けることのない満月が空を見下ろしていた。

 その色は青。そして碑文を解読していく内にこの異界がどこにあるかの検討が付いていた。

 ここはそう、“月”なのだ。双子の月の片割れ、メリル達の世界“デミウルゴス”の周囲を回っている二つの赤と青の月。その赤い方の月こそ、この異界の正体であった。



 まだ完全に判明していないのは、この月そのものが“異界”として成立しているのか。それとも月を媒介として異界を成立させているのかであった。

 前者であれば、転移の応用で何時でもこの地に来ることが可能だろう。

 しかし後者であった場合は別だ。来た時の転移門を調べる必要性がある。

 恐ろしいのは後者の場合であろう。つまり、後者は立派な世界創造に等しい技術が使われているに他ならないのだ。レティーシアだってそんなこと容易に出来はしない。

 この世界の吸血鬼達が作り上げたのか、それとも封印されし者が作り上げたのか……

 どちらにせよレティーシアにとっても非常に興味深い。必要であれば、こちから吸血鬼達に接触する必要もあるかもしれないと、レティーシアは考えていた。





 ――――一行が進み始めて五時間。段々と再び風は強くなってきている。

 気温は氷点下十度を突破し、体感温度は瞬間的にマイナス三十度にすら到達していた。

 標高は既に五千八百メートル付近。斜めで進んでいる為、やや遅れている。

 しかしそれを嘲笑うように、風向きは変わり、進行方向から吹き付けていた。


 全方からだけでなく、横や斜めからも吹き付ける風は油断すればあっと言う間に肉体を吹き飛ばす。

 他にも減っていく酸素に咳きをする者が増えてきた。更にフード付きの防寒具とは言え、露出している部分はある。耳や頬は赤くなり、顔が膨れ始めた者まで。

 どの人物も後衛職ばかりだ。最悪な事に、低高度で高山病にならなかった者が重篤な高山病を引き起こし掛けていた……

 


「はぁはぁ……ごほっごほっ!」

「め、メリルさ、ごほっ、大丈夫ですか……」

「え、ええ。大丈夫ですわ、貴女こそ咳きをしているわよ」

「私はメリルさんより頑丈ですから、だいじょう……ごほっごほっ……」

「ほら見なさい! ゆっくりでいいわ、水を摂取なさい。暫く水分を取っていないのに気づいてまして?」

「えっと、そうでしたか? 喉渇いてなくて……」

「フリードリヒさんの言った事を思い出しなさい、高度では喉が渇かないことがあるのよ。さっ、ゆっくり含むように摂取して……」



 隣で荒い息を吐き、咳き込むメリルを心配するが、ミリアも人の心配をしている余裕など本来はなかった。

 実際高山病に低高度で適応したメリルと違い、現在進行形で罹っているミリアの方が酷いのだ。

 酸素不足に思考能力が低下しているのだろう。その口調からやや思慮が欠如しているのが窺えた。

 メリルがミリアの水筒を空け、そっと口元に持っていってやる。



「ごほっ! ごほっごほっ……」

「ご、ごめんなさい! 指が震えてしまって」

「い、いえ大丈夫ですメリルさん」


 

 ミリア程でなくてもメリルも体力的、体温的にはかなり厳しい。そっと運んだ水筒は震え、勢いよく喉に押し込んでしまう。結果咳き込み、大半の水を地面に撒いてしまった。

 吹き付ける暴風。視界は再び雪に閉ざされ始め、呼吸に混じって体内に雪が進入していく。

 気圧の低下により拡散している酸素を吸収しようと、忙しなく肺が呼吸を繰り返す。

 その度に冷気が体内に侵入し、その肉体から温度を少しずつ奪い取っていく。

 既に吹雪と化し、自分が前方を進んでいるかすら怪しくなってきた。まるで二人きりになってしまったかのような孤独感。

 ギリギリ精神を支えているのは、前方に続く強化用ロープ。そして後方に繋がるロープだけだ。



「はぁはぁ……一体何時まで、登り続ければいいの、かしら……」



 メリルの呟きは暴風にかき消されてしまう。山頂はまだ遠い。

 そしてこれからが本当の恐怖であると、メリルもミリアもまだ知らない。

 更に進んだ先、高度八千付近より上こそ、死の領域デス・ゾーンと呼ばれる真の恐怖領域なのだから…………





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