アルイッド遺跡 九

 ドレイクとの遭遇から三日。一行は遂に目的の山脈にまで辿り着いていた。

 険しい山脈。その尾根を突き進み更に二日。

 一度大型のニアSランク級ドラゴンに遭遇するも、一体だけだったのが幸いした。

 レティーシアも手伝ったとは言え、見事に一行で討伐出来たのだ。

 換金部位として使えそうな部分をレティーシアが預かり、後ほど分配することになっている。

 ドラゴンの身体は色々と金になるのだ。



 木々の変わりに生えている水晶木に、一行がいい加減うんざりしてきたのも最近だ。

 急勾配な道なき道を進み、小型中型の魔物と遭遇しては戦闘し。

 それでも誰一人掛ける事無く遂に目的の山まで到着する。

 ここら辺一体の山脈でも、一等天に向かって聳える巨大な山。

 同時にレティーシアの気配察知には多くの、強力な魔物の気配が引っ掛かっている。

 現在はその標高千メートル付近を突き進んでいた。



「少しずつですけど、水晶木が変化してきました?」

「……わたくしの記憶が正しければ、確か標高が高くなるにつれ、樹木の群生が変わる筈ですわ。今みたいに、背丈くらいの樹木と言っていいのか分かりませんが。とりあえず群生している高さを潅木かんぼく帯と呼ぶ筈よ。更に上に行けば、地面を這うようなものしかなくなるわね」

「へぇっ。俺も登山なんて初めてだからよ、知らなかったぜ」


 碑文の解析で今日もやや寝不足のレティーシアが、グレンデルの上で部下に見せられないような格好を晒している中、三人の会話は盛り上がっていく。

 すると、ミリアが何やら鼻をひくひくとさせ―――


「クチュッ!」

「そろそろ防寒具を着た方がいいかしら。大分気温が下がってきましたわね」

 

 

 ミリアのくしゃみを見てメリルが言う。他の隊の者も、早い者は既に幾分厚着に着替えているのが見えた。

 麓を早朝に出発して三時間程。日は大分高くまで昇っているが、気温は下がる一方である。

 基本的に百メートル高度が増す度に、温度は零、六度下がると言われているのだ。

 麓から千と少し。この世界の温度は昼と夜の気温さが激しいが、麓は二十度くらいであった。

 つまり、ここらは既に十五度を下回っているのである。更に風速で体感温度は劇的に変わる。

 まだ着替えるのは早いと思うかもしれないが、急激な気温変化やはり肉体に悪い。



「そうか? 俺は平気だけどな」

「貴方のような筋肉と一緒にしないでいただきたいわね」

「ぁあッ!?」

「あら、事実を言って悪いかしら?」

「まぁまぁ、二人とも落ち着いてください」



 ボアのアピールにメリルが挑発をかまし、それに見事釣られてしまうのボア。

 ミリアが慌てることも無く仲裁に入る。見た感じ非常に手馴れた感じだ。

 尤も、別に本当に喧嘩している訳ではない。

 そうであるならば、もっと険悪にもなるだろうし、こうして共に冒険に出ることもないだろう。

 何時もの遊びじみた喧嘩モドキだ。これで二人は仲は悪くのないのである。

 そんな三名を他のパーティーは微笑ましそうに見守っていた………





「はぁ、はぁ……」


 荒い呼吸がメリルの口から漏れている。

 頭を軽く抑え、何か傷みを我慢しているようだ。


「あ、あの、大丈夫ですかメリルさん?」

「もしかしたらとは思いましたが……はぁ、はぁ……やはり、高山病になりましたわね――」



 言われてミリアが周囲を見渡せば、他にも数名同じ症状が出ている者が居た。

 メリルも例に漏れず立派な高山病だ。吐き気や頭痛が酷い。

 既に時刻は昼前、標高は二千を少し越えた辺りで、木々の背も更に低くなってきた。

 高山病が発祥するであろう地帯の最低基準だ。



 ボアのように鍛えている訳でも、ミリアのように魔族とのハーフで、見た目と違い内部構造が強い者達と違い、肉体的には年相応よりやや体力のある少女にすぎない。

 他の高山病に罹っている者も後衛職ばかりだ。

 どうやらフリードリヒの下にも報告が集まったらしく、行軍はストップした。

 


「よし、今日は一旦数百メートル降りる。そのままそこで一日高度での状況に身体を慣らし、その後再出発とする」



 フリードリヒ達程のベテランなら、登山の経験も多いのだろう。

 素早く的確な指示を飛ばす。高山病の時にはその場で休むのではなく、速やかにある程度下山し、慣らすのが一番なのだ。

 前衛がくるりと反転し、そのまま元来た道を一行は折り返していく。

 そのまま三百メートル程降りた位置。丁度横に平坦で拓けた場所で野営の準備を進める。

 その様子をレティーシアは黙って見守っていた。

 ふぁっと、レティーシアの口から可愛らしい欠伸が漏れる。



『そんなになるまで、あの文や呪文は興味深いのか?』

「うむ。少なくとも、精霊を介して魔術を発動するのではない。妾の世界に近い魔術によって、封印は行われたらしい。それもかなり高度な術らしいぞ」

『同じタイプの術や魔力が発生しているだけでも奇跡だが……少々匂うな』

「それは妾も思う。両世界の吸血鬼の特性が少し近いのも妙であるしな。まぁ、何れ分かる日もこよう。なんせ、妾達は悠久の時があるのだから――」



 その日は高山病に罹った者を集中的に鍛え、その日は終了した。

 体力的な意味でメリルがひぃはぁ言っていたが、気まぐれにレティーシアが応援すると、瞬く間に元気になったのはどういうマジックであったのか……





 次の日、全員が高山病を克服し、そのまま行軍が開始された。

 標高二千五百メートル。既に背の高い木々は存在しておらず、まるで地を這うような水晶木がそこら中を埋め尽くしていた。

 見晴らしがよくなった事で、全員の瞳には遥か上空に聳える巨大な“塔”が映っている。

 そう。支柱に見えたそれは馬鹿高い塔だったのだ。

 ただでさえ標高七千を超えていると言うのに、その塔の高さは優に三千メートルはあるのではないか。

 横幅も大きいだろうが、あまりに縦に長いものでその大きさが判別できない。



「まさか、あの塔に登るなんてことになりませんわよね?」



 メリルの言葉にボアとミリアが引き攣った笑みを漏らす。

 あんな高高度、一体温度はどれだけ低いのか。

 そうでなくても段々と酸素は薄くなってきているのだ。

 到底あの高さで生存出来るとは誰も思えない。

 流石に暗い空気は不味いだろうと、レティーシアが口を開く。



「安心せよ、魔力は塔の下から感じられるゆえ、登る羽目にはならぬであろうよ」

「よかったですわ……」

「流石の俺もアレを登りたいとは思えねえしな。無謀との境界線くらいは分かっているつもりだぜ?」

「そうですね。私もあんな高いのは流石にごめんです」



 レティーシアの言葉に全員がホッとした表情を見せる。

 周りの者もどうやら一部不安だったらしく、三人と同じような表情だ。

 それにフリードリヒが苦笑している。彼も流石に塔を登るのはごめんだろう。

 そうして空気が緩んでから更に二時間。遂に標高三千メートルと少しの位置まで到着

 遂に木々と呼べるような物は殆どない世界、“森林限界ティンバーライン”だ。



 時刻は現在九時前だろうか。ちらちらと溶けかけた雪などが見られるようになり、先に視線をやれば山は雪に覆われている。

 先頭を歩いていたフリードリヒが軽く山頂を目指すコースから外れる。

 全員疑問に思いつつ、その後に着いていくと。道は急勾配だがそれでも座れそうな岩が多い場所でフリードリヒが立ち止まった。

 そのまま担いでいたバッグを降ろし、振り返ると口を開く。



「よし、いったん早いが昼食にしよう。分かっていると思うが、この先はより険しい道程となるだろう。しっかりした昼食も何時とれるかわからん。下手すればとれないかもしれん」

「だから腹は減っていないだろうが、ある程度は口にしておけ。それと、ここから先でもし戦闘があっても、強い振動や音は立てるな。雪崩に飲まれた場合―――下手すれば死ぬぞ」



 全員が頷く。雪崩――それはフリードリヒにも経験のある自然の恐怖。

 過去フリードリヒはそれで仲間を数名亡くしている。

 他のチームにもその経験者は多い。だからこそもう死人は出したくなかった。

 問題なのは、高度で出現するドラゴン種。

 こちらが音を立てなくても、むこうがそれをやってしまう可能性が高い。

 行軍は今まで以上に慎重にならざるをえないだろう――――



 この時点でフリードリヒはレティーシアの力を当てにしていなかった。

 最初から当てにし、対策を怠るのと。あくまで選択肢の一つ程度に考えておくのとでは、色々な意味で差が大きい。

 人は余裕が出れば隙が生まれる。保険は大事だが、それに甘えてはいけないのだ。

 それらの経験則はメリル達にはない。

 ベテランだからこその知識と経験と言えよう。

 この異界では目立っていないように見えるが、どの人物も一流やそれ以上の冒険者なのだ。




「それにしても、景色が綺麗ですねぇ」


 三人が今朝方レティーシアに言われ用意していたおにぎりにパクついていると、ミリアがふと視線を山脈に走らせ呟く。

 それに追従してボアも眺めるが、出た言葉は――


「そうか? 俺はそう思わねぇけどなぁ」

「まったく貴方は……少しくらい感性を養っては如何ですの?」

「んだとぅ!?」

「やりますこと?」



 バチバチと火花を散らす二人をよそに、ミリアの視線は眼下に固定されていた。

 水晶の木々は光を反射して美しい。まるで七色の海だ。

 連なる山脈には雲がかかり、時折その雲を突き破るように下から光の束が空に向かっている。

 空を仰げば、どことなく星々に近づいた気がした。

 相変わらず空に大きく居座る月は巨大だ。動いているんだろうか?

 確かに位置は変わっている気がするが、どうもその動きが良く見る月とは違う気がするのだ。

 ふと、ここは何処なのだろうかとミリアは思う。



 本当に異界なのか、転移でそんな事が可能なのかと脳裏によぎる。

 レティーシアさんに聞けば分かるかなと。

 グレンデルに視線をやるも。レティーシアはその上で気持ちよさそうにまどろんでいる。

 メリルではないけれど、ミリアだってレティーシアは好きだ。

 それが恋愛としての感情かはまだ分からない。それでも好意的な感情は強い。

 だからだろうか。レティーシアの普段見せない姿に、ちょっと胸がきゅんとしてしまう。

 


(て、何を考えているのでしょうか私。メリルさんじゃないんですよっ!?)



 ぶんぶんと頭を振り、邪な思考を振り払う。

 メリル達を見れば未だにキャンキャンと二人で口喧嘩中だ。

 それを眺めつつ、残りのおにぎりを平らげる。

 保温性を保つ魔道具を使っており、氷点下でも効果は期待できる代物だ。

 おにぎりはまだ二つ程あり、残りは登山中にでも食べようと考える。

 一息吐き、それでは二人の仲裁をしますか! とミリアはボアとメリルの元へと向かっていった……





「よしっ、出発するぞ! 天候は幸いにもいいが、山の天気なんぞ何時荒れるか分からん。精々嵐に会わないよう祈りながら進もう」



 そう言ってフリードリヒを先頭に再び一行が進みだす。

 ルートを目視に頼りながら決定しつつ、出来るだけ物陰の多い道を選ぶ。

 行軍速度もややゆっくりであり、可能な限り気配を抑えて進む。

 お陰で一時間での登山速度は二百メートルと少しだろうか。

 半分近いペースにまで落ち込んだ計算である。

 更に二時間程登っていると、徐々に酸素量も少なくなってきた。



 地上を酸素濃度百パーセントと仮定するならば、現在レティーシア達が居る標高四千メートル前の酸素濃度は六十パーセント程度だ。

 かなりの減少量である。しかも高山病に新たに罹る者も現れ、幾度か下山しては登るを繰り返す。

 そうしてようやく標高四千五百メートル地点。

 周囲は厚い雪に覆われ、気温は既にマイナス五度に到達している。

 風も段々と強くなっていき、体感温度は優に氷点下十五度を突破しているだろう。

 全員厚い防寒具を身に着けているが、それがどこまで有効かは分からない。



 流石にメリル達も会話する余裕が無くなっていた。

 ただ黙々とフリードリヒの後を追い、山頂を目指していく。

 日は既に暮れ、現在は野営に適した物陰を探している。

 そうして見つけた崖に守られた位置で一同はテントを張り、野営の準備をしていく。

 日が沈むにつれて温度は更に下がっていくだろう。



 だが気づいていただろうか?

 風が強くなる、チラチラと雪が降り始める……

 つまり、嵐が近づいていた――――





  

  

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