二章 異貌の神

一話

「それでは行ってくるぞ」

「いってらっしゃいませ、レティーシア様」


 

 今日はメリル達との買い物の日である。何時もよりやや早めに起床し、あれこれと着替えさせられる。

 エリンシエによって今日も今日とて、何処に出しても――一般的にはどうかと思われる――恥ずかしくない格好に仕立て上げられたレティーシアは、その表情をややゲッソリとさせながら、寮の部屋から出て行く。

 それにエリンシエが深々とお辞儀で見送り、レティーシアの姿が見えなくなった後に寝室の掃除をすべく行動を開始し始めた。

 

 

 寮から出、待ち合わせ場所へと向かっていくレティーシア。

 待ち合わせ場所は校門前であり、約束の時間は午前十時である。

 なお、現在の時刻は九時四十八分であり、ここからおよそレティーシアの歩幅で十分ちょっとの距離と考えれば、丁度ぴったりの時間に到着するだろう。

 まぁ、レティーシアの場合。脳内で正確な時間を計ることなど造作もないことなのだから、当たり前と言えば実に当たり前の事ではある。



 ―――歩き始めてそろそろ十分を過ぎる頃、エンデリック学園の表門に辿り着いた。

 他にも待ち合わせをしている者がちらほらと数名、校門の周囲で待機しているのが見える。

 どうやら全員既に到着してたらしく、こちらに気づいたメリルが勢いよく手をぶんぶん振り回して、レティーシアにアピールしているのが目に映る。

 周囲の人が何事かとメリルを見ており、彼としては勘弁してくれ……と思わず溜息が漏れそうになってしまう。

 このまま近づかない訳にもいかず、仕方なくメリル達の方に向かえば、ミリアがレティーシアへと声をかけた。



「時間ピッタリですよ、レティーシアさん」



 そう言って、腕に付けた魔力を精霊石の力により電力に変換し、分針と時針のみが付けられた彼の世界で言うところの腕時計に当たる物をレティーシアに向けてくる。

 レティーシアがそこに視線を向ければ成る程、時間は確かに十時を指す瞬間であった。

 なお、精霊石とは精霊の力が込められた石の総称であり、力の度合いで名称が微妙に変化する。

 実際には精霊が魔術を記号化したものを込めた石、というのが正しいのだが、この世界ではまだ理解されていない。



「そなた等は早めに到着したのか? 待たせてしまったのなら謝罪しようではないか」

「構いませんわよ。私達が早く来たといっても、精々が数分程ですわ。そうでありましょう?」

「はい! 私もメリルさんも十分前くらいに来たばかりですから、気にしないで下さい!」



 と、三人は話あっているが。レティーシアも別段本気で謝った訳ではなく、また、メリルとミリアも分かってて答えたのは明白である。

 人と人を繋ぐコミュニケーションとでも言えばよいのか。

 つまり――――社交辞令であった。



「では、早速参りましょうか。馬車を学園から借り受けましたから、それで行きますわよ?」

「ほぉ、手回しが良い事だな。妾(わらわ)はてっきり徒歩かと思うておったのだが……」

「一に同じくです! て、え――? ば、馬車ですか!? 此処から学園外の商店通りって、歩きでも三十分程度じゃないですか!」



 レティーシアの発言はともかく。ミリアの信じられません! と言った言葉に、メリルがその整えられた眉尻をキリキリと吊り上げた。

 その表情には、はっ? 貴女馬鹿なの? 死ぬの? と如実に表現されている。



「何を言っているの! レティに外を三十分も歩かせるですって!? この真っ白な肌にシミが出来たらどうしてくれるのよ! いいえ、それ以前に倒れてしまったらどう致しますのッ!?」



 一体メリルの頭の中でレティーシアという人物がどうなっているのか、一度非常に覗いて見たくなる発言に、ミリアがうっ、と一歩後ろに下がってしまう。

 別に内容に同意した訳ではない。確かに外見だけを見ればレティーシアは、強い日差しを長時間受けて平気なのか? 倒れてしまうのでは?

 と保護欲を命一杯に掻き立てて来るのだが、如何せん。

 ミリアはレティーシアとボアの戦闘をまじかに見ているのだ、倒れる筈もないことは百も承知所か、万にも億にもあり得ないと理解している。

 


 では何故一歩後ろに下がったかというと、メリルの表情が一切の反論を許しませんわよ! と明確に表していたからだ……

 ――結局その後、ミリアの意見もあえなく撃沈され。馬車代はメリルが持つことで決着。レティーシアに至っては最初から払う気すらなかったようである。



「むぅ……暑苦しいぞメリル。唯でさえエリンシエが妙に気合をいれておったお陰で、何時にも増して動きにくいのだ。いくら妾とて、暑いものは暑いのだぞ?」



 舗装された道を行く馬車の中には三人と、メリルが侯爵家から連れてきた執事の計4人が乗っている。

 三人は御者席の後ろ、開閉式に小窓が取り付けられた壁の向こう側の、前部と後部で座る場所が分かれた場所に座っている。

 執事は馬車の御者席に座っており、巧みに馬車を操っていた。

 その分かれた席の前部にはミリアが座り、その口元には抑えきれない笑みが浮かんでいる。

 理由は後部座席に座っているメリルとレティーシアが原因であった。



 馬車に搭乗した後、あっという間にメリルがレティーシアの腕を引き、自身の膝の上に乗せてしまったのだ。

 そんなに広くない馬車内で暴れる訳にもいかず、レティーシアは現在までずっとメリルに拘束されているのである。

 レティーシアが何度文句を言っても離す気配はなく、身長差も相俟って、丁度いい感じに収まったレティーシアを抱き枕か何かのようにぎゅっと抱きしめ続けている。

 その顔には幸せ一杯の表情が張り付いており、当事者を除けば随分と安い幸せだと嘆息でもしそうな程だ。



 暫くすると、目的地である商店街の大通りに到着し、執事を残して三人は馬車から降りる事となった。

 メリルが非常に残念がっていたが、レティーシアのゲッソリした顔を見るに、あれ以上は恐らく危なかったであろうことは想像に難くない。

 吸血鬼の始祖ともあろうものが、同性の、しかも十代の少女に抱きしめられて倒れたなんてあっては、それこそ那由多の先までの恥であろう。



「中々に人が多いではないか、それに店の数もそれなりに多いのではないか?」



 レティーシアが馬車を降り、復活早々その大通りを見て感心したかのような声音で思わず、といった風に漏らした。

 それにミリアが何故かさも自分が褒められたかのような顔をし、メリルがレティーシアの疑問に答える。



「ここは学生や教師、それにやってくる冒険者の方々が一番利用する場所ですもの。それに、学園内でもある程度の品物は揃うのだけど、ここは安くて質もいいと言うことで、学生にとっても冒険者にとっても嬉しいのですわ。それに、稀に希少なアイテムや武具なんかも表に出てくることがあって、毎日通う人も居るらしいわね」

「ほえぇ……メリルさん、随分詳しいですねぇ」



 一緒に聞いていたミリアがレティーシアよりも感心したように溜息を吐く、基本興味のないものは耳から素通りなミリアらしい反応であった。

 メリルがミリアの反応に貴女と言う人は! てな感じで詰め寄り、ミリアがそれから逃げ回っている間、レティーシアは商店街に足を向ける。


 大通りの両端には様々な店が立ち並び、露店形式のものもあれば、しっかりとした店を持つ者など、多様に溢れている。

 人種も様々でざっと見渡しただけでも、精霊族(エルフ)や獣人族(ライカンスロープ)、人間(ヒューマン)、魔族等多種多様に富んでいた。



 これが他国ならこうも行かないだろう。国によっては国教として、獣人族や魔族を魔物と同類とするところや、立ち入りを禁止する場所も少なくないのだ。

 そんな中で、ディルフィリーナ帝國とここ、エンデリック学園はその歴史や創設理由で亜人にとても寛容である。

 その和気藹々わきあいあいとした雰囲気は、レティーシアの治めるヴェルクマイスターに何処か似通った所があった。

 そこに思い至ったレティーシアの表情がふっと、普段見せることのない、非常に優しげな顔(もの)となる。

 


「お嬢ちゃん! 随分良い笑顔するね。どうだい、ちょっと覗いていかないかい?」



 レティーシアの表情に目敏く反応した露店商の店主が、喧騒に紛れてしまわない程度の声量で声を掛けてくる。

 人間種だと思われる店主の表情には、孫娘を見るかのような色が宿っていて、少女(レティーシア)が吸血鬼だと、その容姿から判断するのはそう難しくはないであろうに、店主の顔に戸惑いは見えない。

 それは、この学園の保持する土地で店を出し、多くの亜人と付き合ってきた者だからこその屈託のない表情であった。

 それを見たレティーシアの心がざわつく、己が成さなければ恐らく今も迫害されていただろう亜人と、迫害してきた人間が、両者共にこんなにも笑みを零している。



 己の世界ではないとはいえ、それはやはり、何か心に響くものがあった。

 彼の思考が霞む、レティーシアとしての思考が止め処なく流れ込んでくる。止められない、止められる筈がない。

 何時の間にか流れ出た二条の雫が、きらきらと、光を反射して地面に落ちていく。

 ざわざわ、と。染み入るように溢れる出る思い。

 それは、そう……この心が沸き立ち、幸福で満たされる、その感情の名は何と言ったのであったか――――



「お、おいおじょ――――」

「レティ! もう! 私達を置いて行くなんて薄情じゃ……な…い? れ、レティ? どうか致しましたの? 何処か痛めてしまったとか!?」


 

 ミリアと追いかけっこを繰り広げた後、気づけばレティーシアの姿が消えている事に驚愕し、急いで二人で向かったであろう大通りの中まで走ってきて、追いついたレティーシアに声を掛けたのだが。

 そこで見たのはレティーシアが茫然自失と、その美しい顔を涙で濡らし、どこか幻想的にも見える面立ちで立ち竦んでいる姿であった――――



「う、うむ。何でもない。ちょっと目にゴミが入っての」



 レティーシアらしからぬ誤魔化し方に、ミリアもメリルも逆にそこに見えない壁のようなもの感じ、何時もは自重という言葉を持たないメリルですら聞き返す愚策は犯さなかった。



「と。嬢ちゃんの顔に見惚れちまってたやい! いやいや、みんな綺麗だねぇ! 学園の生徒かい?」

「あっ、はい! 三人とも今年入学したばかりですけども、エンデリック学園に通わせてもらっています」



 流石は商人と言った所か、いち早く再起動をはたした店主がにこやかな表情で話しを振ってくる。

 その内容にミリアが満更でもなさそうに答え、そこでメリルがその顔を驚きの表情に染め上げた。



「もしかして……このお店、素材店ですの?」

「お、よく分かったね! うちはちょいとそこらじゃあ、お目にかかれないような物も揃っているよ!」



 店主の言葉にメリルの表情が輝き、ミリアも釣られて露店に出された品物を検分していく。

 成る程、中身を見てみれば確かにそれは素材と呼ぶに相応しいだろう。何かの鉱物の原石らしきものや、動物か魔物と思われる毛皮や骨。

 何かの植物を干した物の束や磨かれた宝石等、その品揃えは多岐に渡る。これ程の品揃えはこの商店街でも、恐らくそうは見つからないと思われる程だ。

 


「あっ! これってもしかして、水精核ですか!?」

「へぇ……それを一発で見抜くなんて、嬢ちゃん。もしかして水の精霊魔法使いかい?」

「はっはい! 氷と水を主に専攻しているんです。そ……それで、あのこれお幾らですか?」



 ミリアが恐る恐ると言った感じで、店主に水精核と呼ばれた拳大の水色の結晶の値段を聞く。

 水精核とは、名前の通り、水の精霊の核で、水の精霊が何らかの原因により死亡した時。

 あるいは上位へと昇華した場合に、その場に落とす魔道具(マジックアイテム)である。

 魔力を吸収し水系統の魔法をサポートする力を持ち、その大きさや純度によってはかなり強力な効果を持つ言わば増幅器(ブースター)である。



「んー……共通金貨で六百二十五枚。帝國金貨でも五百枚だね。もう少しまけてあげたいんだが、これ以上は流石にこっちの首が絞まっちまう」

「て、帝國金貨五百……枚」

「そ、それは幾らなんでも高いのではなくて?」

「馬鹿言っちゃいけねぇよ。この大きさに純度、早々見つかる代物じゃないのは、魔法使いウィザード志望の嬢ちゃん達なら分かるだろ?」



 帝國金貨五百枚。彼の世界に換算すればおよそ六百三十万円近くの値段だ。

 その金額にミリアがふらり、と立ち眩みのように一歩下がる。

 無理もない、ある程度裕福な家庭であったミリアでもその金額はやはり大金なのだ。メリルでさえ即金で払うのは実家に連絡するなりしなければ、すぐには不可能だろう。

 この世界でかつ帝國での一般家庭、成人男性の平均の月収は約帝國金貨二十枚程度。



 年収でも二百枚をやや上回る程度の計算となる。

 日本円で年収二百五十万円程の計算になるだろうか。

 それも帝國と言う裕福な国であるからだ。他国であれば更に年収は下がることだろう。

 他にも一般的な料理店での一食が銅貨一枚から二枚程度。つまりは百円~二百円程度となる。

 それらを考慮すれば、どのアイテムが如何に高いのかが分かるだろう。



 しかし、ここで逃してしまっては何時売れるかもしれない。それ程の貴重品なのだ。

 顔を青くしたミリアに代わり、メリルが交渉を続けるが、そもそも帝國金貨五百枚というのが既に相当譲歩されている。

 本来なら六百枚近い値段が付いても可笑しくない代物なのだから。

 それでも交渉を続けるメリルに、店主が困った顔を見せる。



「め、メリルさん。もう良いですよ。共通金貨六百二十五枚だなんて、流石に無理ですから」

「で、でも。ここで逃したらいつ、このような機会が巡ってくるか分かりませんことよ!?」



 ミリアが諦めの言葉を告げ、メリルが何処か悔しげに反論するも、メリルも今の自分では支払えないことは分かっている。

 その言葉に、ミリアはいいんです……と力無く首を横に振った。

 その姿にメリルの心が痛む。彼女は存外友達には甘く、その心根は非常にお人好しなのだ。 

 


「店主。この金貨、価値に換算すれば如何程になる? 嘘八百を述べるでないぞ、その時はその首即刻ねてくれるゆえな」

「れ、レティーシアさん?」

「レティ……?」



 今まで静観していた筈のレティーシアが物騒な言葉と共に、店主に一枚の金貨を手渡した。

 その金貨には精緻な模様が刻まれ、金含有率も店主が魔法で調べた結果非常に高く、秤で測られた重さも帝國金貨以上である。



「見たこともねぇ金貨だが、これなら三枚で帝國金貨五枚分の価値はあると思うぜ……」

「そうか、ならばこれでよかろう」



 そう言ってレティーシアが黒のドレスの胸元に手を突っ込むと、何処から取り出したのか、一枚の皮袋を取り出し、口紐を緩めると露店にあったテーブルの上にその口を向けた。

 すると、中からジャラジャラと大量の金貨が溢れ出し、あっという間に三百枚近くに到達する。

 それを見た店主にミリアとメリルが我が目を疑わんばかりに、その目を見開いた。



「ふむ、ではこの結晶は貰って行くぞ」



 そう言うと、袋を仕舞い。呆然とする店主を尻目に同じく呆然としていた二人を引き連れ、露店を後にしたのだった――――

 

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