とある吸血鬼始祖の物語(サーガ)

@andersen

序章 あるいは一つのエピローグ

プロローグ

 その日、アルバトロス大陸最大の国家デルフィリーナ帝國。

 帝國のブロウシア侯爵令嬢として、先月十六を迎えたばかりのメリル=フォン=ブロウシアは、全国から種族も多種多様、国籍も様々な者達が通うエンデリック学園。

 その入学式から実家の父の自領である、ブロウシアへと帰宅を急いでいた。

 時刻は既に夜半に差し掛かり、空に浮かぶ二つの赤と青の月が地上を平等に照らしている。

 赤は破壊の精霊王が、青は癒しの精霊王が司っていると言う伝承が存在するが、真実の程は分からない。



 既に国領とはいえ、この辺りはまだ国境付近であり、安全とは言い難い。

 煉瓦で舗装された道筋の、その所々に魔除けの札が貼られているとはいえ、何時魔物や山賊の類が飛び出してくるか、分かりはしないからだ。

 貴族が乗る馬車の中でも、更にワンランク高位のそれはどういう構造なのか、ガタゴトとたてる車輪の音とは別に、一切の衝撃を内部に伝えないでいたが、孕む緊張までは誤魔化しきれない。


 ブロウシア家が所有する家紋入りの正式用馬車。

 式典等にも使われるこの馬車は外見もさることながら、内装も立派で、座席は毛足の短い赤の毛布状となっており、窓には同じ色合いで金糸の刺繍が施されたカーテンが外界とを遮断。

 向かい席との間には小さなテーブルが置かれ、紅茶のカップと茶菓子の類が用意されている。

 暗闇を照らす吊るされた二つのカンテラは優しく内部を照らし出す。

 馬車は外交時、周囲に所有者の権威を示すの役立つことを考えれば当然の装いであった。

 そんな一級品の馬車の内部でしかし、メリルの表情は暗い。


 (こんなに遅くなるなら、今日は学園の宿舎に泊まっていけばよかったわ……)


 無意識のうちに親指の爪を噛み考える。

 エンデリック学園の入学式は盛大で、終了の時刻は昼を大きく過ぎる。

 そして、入学式から一週間の準備時間が与えられる為、帰りが遠い者に対しては、一泊させる用意が学園ではされていたのだが、メリルはそれを無視して帰宅を急いだのだ。

 少しばかり浅慮に欠けた行動であったのは認めざるをえないだろう。



 その結果、魔物の勢いが強まる夜の時間になっても未だ帰宅できないでいる。

 無論、メリルとて下級の魔物程度なれば、仮にも今年から名門校として名高いエンデリック、その魔法科に通おうという生徒である、撃退は容易い。

 まして侯爵家の娘として天より授かった才能は、努力を怠らなければ将来傑物としての道を約束される程。

 かといって未だ実戦経験のない十六歳の少女が、この時間帯に焦りを覚えないという道理もなかった。



 (お父様からだって幾つか攻撃魔法を習っているし、家庭教師の方からだって基礎に応用は習っているわ。例え魔族や魔物が現れても大丈夫)



 まるで暗示のように己に言い聞かせる。魔法の発動媒体である小さな杖を握り、瞳は力強い光を宿す。

 思考の渦に囚われていると、急に馬車が停車する。

 そこでようやく意識が浮上したメリルは、馬車を操る従者に声を掛けようとしたのだが、従者が先に開閉式の小窓を開けて状況を述べてきた。


「メリルお嬢様。ひとが、人が道の真ん中で倒れていますッ!」


 それを聞いたメリルの行動は迅速であった。

 しかし、あるいは、その行動は侯爵令嬢としては失格だったのかもしれない。

 それでもメリルにはこんな時刻に倒れているという、誰かを見捨てるなどと言う選択肢は無かった。

 一瞬の迷いは生来の性格と、真っ直ぐな気質によってすぐさま払われる。


 馬車を可能な限りの速度で降り、従者が指し示す方に視線を向ける。

 すると、ぽつん、ぽつんと点在している外灯の、その一本のそばに、黒色の何かを纏った人物が倒れ伏しているのが見えた。

 従者が何かを叫ぶのを後ろに流し、先程までの不安顔は何処へやら、急いで倒れている人物の元に駆け寄っていく。



 近づくに連れ、どうやら纏っているものがドレスであり、背丈から自身より三~四歳程年下の少女であると検討をつける。

 少女の元に駆けつけた時、メリルの息は絶え絶えに切れ、その胸は激しく上下していた。

 元々魔法使い(ウィザード)志望のメリルに体力など無く、更に言うならば、走るのに適している筈もない、パーティ用の豪奢なドレスが重く動きを阻害する。

 八つ当たり気味にこんな鬱陶しいドレスを着てきた事に後悔し、歯噛みする。

 

「ちょっと、貴女? 聞こえてまして? 意識があるなら返事をお願いしますわ」


 しかし返事は返ってこない。仕方なく、うつ伏せに倒れている少女を何とか膝に抱えるように抱き起こす。

 その瞬間、メリルは雷にでも撃たれたかのような衝撃を味わった。

 抱き起こした少女、その貌(かんばせ)がこの世のものと思えぬ程に、美しかったからだ。

 まるで吸い寄せられるかのように、魅入られるかのように目が離せなくなる。

 それはそう、例えるなら魔性のように………

 倒れているせいで地面に散らばった、そのあまりに長い頭髪は絹のように滑らかで、外灯の光を反射し、きらきらと夜空に瞬く星々のように輝いている。



 瞳は閉じられ、厚い睫に覆われていても、その瞳の美しさを想像にするのは難くない。

 鼻筋も小さめながら、すっと整っており美しい。

 倒れた衝撃か、僅かに開いた口元から覗く濡れ光った舌が、その幼い容姿と反して妙に艶めかしい。

 雪花石膏アラバスターの如き肌の白さはしかし、倒れ伏した時に汚れたのか、土が付着し痛々しい。

 その小さな躯(からだ)は女の身からしても華奢で、力加減を間違えてしまえば壊してしまいそうだ。

 、メリルの少女に対する扱いは、否応も無く慎重になってしまう。



「……はぁはぁ……お嬢様、先に前に行くなんて! 万が一のことを考えて下さい!! 取り敢えず何もなくて良かったですけれど。そちらが倒れていた方ですか?」



 追いついてきた従者の言葉が耳に届く。

 そこでメリルは、はっと我に返った。


 (私は一体? こんな見ず知らずの人に……しかも同性の方に。どうして………どうして、こんなにも心臓を高鳴らせているの?)


 目前の少女の美しさが常軌を逸していても、普通ならこんな気持ちになる筈なんてないと、高鳴る心臓を無視して考える。

 これではまるで、そう……


 (恋、みたいじゃない――――)



 浮かんでしまったその思考を最後まで考えてしまう前に、振り払うように頭を振ると、従者に少女を馬車に運ぶように伝え、一足早く馬車へと戻っていく。

 遅れて従者がメリルの前の、開いている席に倒れていた少女をそっと横たえた。

 気のせいか、その何時もは冷静な表情が少女を腕に抱く間、まるで尊いものを扱うかのような、自身の信仰する神と相対したかのように見えたのは。


 従者が御者席に戻り、再び馬車は闇夜を突き進む。

 メリルは屋敷に着くまでの道中、自身の前に横たわる少女を、何故か無性にかき抱きたい衝動に幾度も襲われた。

 が、名前すら知らぬ人物にそんなことをするのは、侯爵令嬢として恥である。いや、それ以前の問題だろうか。

 そう何度も自分に言い聞かせて、その衝動を無理やりに誤魔化す。



 メリルは知らない。彼女の抱(いだ)くその感情が、目の前の少女の美しさだけのせいなどではなく、“威厳(カリスマ)”と呼ばれる吸血鬼(ヴァンパイア)の能力によるものであり、それは愛すら呼び起こす程強力な力であると。

 そして少女が気絶することにより、本来なら抑えられている筈のその力が無秩序に解放されてしまっていることに――――

 








 (――――んっ……やっとログアウトが終わったのか?)

 

 随分と長い時間意識が途絶えていたと、普通なら感じることないことを無意識に理解し、彼は目を覚ます。

 ぼやけた視線は像を曖昧化し、まるで世界が陽炎のように踊っているかのようだ。

 長い時間眠っていたかのような、寝起きの時のように意識がはっきりとせず、思考が定まらない。

 それでも、その回らない頭ですら、今現在言わなければならない言葉、それを彼の脳は心得ていた。


「知らない天井だ」


 ぼやけた輪郭は線を結びなおし、その意味合いを明確化し、視覚的情報が補完されていく。

 ようやく巡り始めた血液が脳に行き届き、その思考回転数を劇的に上昇させる。

 そして、じょじょに自身のおかれた状況を理解していく。

 常時の彼よりずっと滑らかに、思考は回転速度を上げ、次々と重要な情報を処理し続けて――――


 (ちょっとまてよ? 知らない天井だって? 俺は自室のベッドで“果て無き地平線”にログインしていた筈だ。こんな天蓋付きのベッドなんて知らないぞ!?)


 一瞬誘拐か? という考えが浮かぶが、すぐさまその思考を破棄する。

 中流家庭を地で行く彼を誘拐するメリットはないし、金銭目的だとしてもこんな豪奢なベッドに寝かせる理由がない。

 掛けられている布団やシーツだって、絹のような手触りだ。

 金銭目的の場合、大抵の原因は貧困である。例え違うとしても、まるで客人を迎えるような、それも最高のもてなしをおこなう意味がない。

 誘拐ならばこんな物を用意する筈がないのだ。


 (取り敢えず此処が何処だか調べる為にも、ベッドから降りよう)


 そう決めて、天蓋の周囲をカーテンに覆われたベッドから降りる。

 そして更に奇怪な事実に直面した。彼がベッドから降りる瞬間に合わせて、胸元の異常に長い髪が視界の端にちらついたのだ。

 それに、ベッドが例えキングサイズだとしても、この目線はおかしい、低すぎると、そう思い至る。

 彼の身長は少なくとも百七十五センチ以上はあったのだから。

 ジャックと豆の木のように、このどうやら寝室らしい部屋が、巨人の住処だというのなら話しは別だが……



 (おいおい……なんだなんだ!? 俺は人体実験でもされたっていうのか?)


 

 湧き上がる理解不能の恐怖心を確かめる為、状況を少しでも把握しようと行動する。

 まず手で視界にちらついたその髪の毛を手に取ると、少し汚れてはいるが、見事な銀髪なうえに手触りも極上であった。

 まるで重みを感じさせずにさらさらと手から零れ落ちていく。

 引っ張ってみるも、それがウィッグの類ではないと、地肌からくる痛みで思い知らされる。

 そこで自身が着ている衣服もおかしいことに気づいた。

 魔王であったレティーシアなら兎も角、彼自身は例え転地がひっくり返っても、こんな黒の豪奢なプリンセスドレスなど着ている筈はない、と。

 着ていればそれはそれで変態である。


 

 (――――まてよ……銀髪・・に、縮んだ身長・・に、黒のドレス。そして、レティーシア=ヴェルクマイスターだって?)



 理解する。先ほど意識の覚醒時に呟いた言葉が、やけに高いものであると。

 他にもその得た情報から勝手に推論が組み上げられていき、辿り着くべき解へと導かれていく。

 そして、ここまで来れば例え鏡など見なくても理解できた。

 理由など知る由もないが、その身は未だにレティーシア=ヴェルクマイスターのままなのだと……


 横に視線を向ければ化粧台なのか、そこに備え付けられた大き目の鏡が目に映った。

 かくして、そこに映っているのは内心の驚きや葛藤、そんなものは何処吹く風で、その幼げな顔を無表情で貫いている、彼が四年間の歳月を共にした、レティーシア=ヴェルクマイスターその姿であった。





あとがき


別の場所にて掲載している作品を修正しつつ投稿しています。

凍結中であった作品のため、作者自身も読み返しながら投稿しています。

とりあえず、未投稿部分までは高速更新にて。

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