第3話 接遇③ 王様の兵士
8
店長に早乙女との昼休憩の許可を取りに行くと「いいですよ。ゆっくりして下さいね」と可愛いボイスと笑顔で許可をくれた。
これはアレだな、『平川君はいつも頑張ってくれてるから身体を少しでも休めてね』とのことだろう。(脳内妄想)
俺がニヤついていると、渋い顔をした早乙女が俺を見る。
「何でニヤついてるの・・・ですか?」
まだエセ外国人が抜けないのかよ。
「いや別に、許可が下りたから嬉しかっただけだ」
流石に愛しのエリー・・・じゃなく香織ボイスを聞けたからとは言えない。
俺って繊細だから。
「それって、私とお昼休憩できてよかったってこと?」
「まぁ、そうだな。昨日みたいに別々だと話しができないからな」
早乙女は目を瞬かせ驚愕した顔をし、俯いてしまう。
「そっか・・・うん、私も話しできるのは嬉しいかな」
「そうか」
何この子ツンデレですか?
残念、香織ボイス&スマイルを受けた俺には効かんぞ!
俺と早乙女は事務室の前に設置されているタイムカードを押す。
「14時前だし竹内の所は賄い準備している頃か・・・」
どうだろう。普通はダメだけど訊いてみるか。
俺は上着からスマートフォンを取り出し竹内にLINEを送る。
『これから、そっち行くが賄い2つ頼めるか?』
暫くすると既読表示され返信がきた。
『了解!頼んでみるね』
また暫くすると竹内からのLINEがくる。
クマのキャラクターが『OK』のプラカードを持ったスタンプだ。
隣で無言で見ていた早乙女はスマートフォンを横から覗き込んできた。
「竹内って誰?」
「同僚だよ。朝の朝会でもいただろ」
スマートフォンを上着のポケットに仕舞い歩き出すと早乙女も横並びに付いてきた。
「女の人?」
「そうだけど」
淡々と言うと早乙女は不機嫌そうにそっぽを向く。
何で不機嫌になるんだよ。
待てよ。こいつ・・・俺が店長に惚れてる事を知っているな。
確かに俺は常日頃、いや毎日のように店長を観察している。
草葉の陰から見守るが如く。
死んでないけど・・・・
そして、早乙女は店長に憧れていると言っていた。
つまり、店長に惚れてるくせに他の女性社員にも気があるタラシだと勘違いをしている!
まずい、もし早乙女が店長に密告なんてされたら俺の淡い恋心は(重くないとは言ってない)砕け散る(始まってすらない)。
俺は横を歩く早乙女にちらっと視線を向ける。
早乙女はそっぽを向いてはいないものの此方に視線を寄こそうとはしない。
『人は自分の出した結論は疑わない』
ちくしょう!昨日の言葉がブーメランの如く俺に突き刺さりやがる。
正にブーメラン話法!
(ブーメラン話法は商品価値をマイナス面からプラス面に持っていく話術で、今回のブーメラン話法は無関係です)
俺は、小さく息を吐くと早乙女に視線を向ける。
「早乙女よ」
「・・・・・・・なに?」
早乙女は此方を見ずに応える。
俺は精一杯の渋い声で言う。
「俺は一途だ」
早乙女は立ち止まり俺を見る。
「・・・・・・・そうなの?」
「あたり前田の・・・じゃない、当たり前だ」
危ない!いつものようにふざけて更に早乙女の機嫌を損ねるところだった。
「お前が、思っているような事は決してない。断言する!」
俺はキメ顔でそう言った。
「なら、いい」
早乙女はふふっと笑うと俺の横に立つ。
「ほら、行こうよ」
「あぁ、うん」
何だこいつ。
情緒不安定だな、そこまで俺の香織に・・・店長に盲信しているんだな。
その内、こいつも店長に百合百合しい感情が芽生えるのではないだろうか。
アレだな、夜道に気を付けねば。
9
俺と早乙女はエスカレーターで一階に降りると『close』の札が掛かったガラス戸を開ける。
ホール社員の幾人かが、賄いの準備のため飲み物や料理を運んでいる。
「雅敏!やっと来たんだ」
竹内が準備の手を止め入口にいる俺の所まで駆け寄ってきた。
茶色の長髪を後ろで束ね、黒のパンツスーツを履き、白のワイシャツと黒のクロスタイの上にウェストコートを着ている。
「もう!賄い食べるって連絡したんなら早く来て手伝いなさいよ」
竹内はガチギレじゃなく、私怒ってますよアピールをしてくる。
「悪かったよ、何か手伝うか?」
「もう終わるからいいよ」
竹内はそう言って俺の横にいる早乙女に目を向ける。
「早乙女さん!今日の挨拶は良かったよ」
「えっと・・・・」
早乙女は、困惑気味に俺を見る。
キター!早乙女の助けてコール。
「竹内、お前が名乗らんと早乙女もわからんだろ」
「そうだね!」
竹内は、小さく咳払いをする。
「私は、フランスレストラン『Merci(メルシー)』の給仕長兼店長代理をしています竹内諒子です。リョウコさんって呼んでね!」
「諒子さん・・・・?」
「よろしくね」
竹内は右手を伸ばし強引に早乙女と握手をする。
Merciはフランス料理を主に出しているレストランだが、イタリア料理も扱っている。
昼間はリーズナブルなコースやパスタを主に出し、夜は本格的な高級感のあるレストランとなる。
早乙女は少し気圧されながらも竹内の手を握り返す。
「えっと・・・・よろしくお願いします」
早乙女は分離礼で敬礼をする。
「おっ!ちゃんとお辞儀できるんだね。同時礼じゃなくて分離礼だなんて接遇をわかってるね!」
「せつぐう?」
早乙女は首を傾げる。
可愛いなこいつ。店長には負けるが。
「うわっ、可愛い」
竹内は声に出していた。
「接遇っていうのは接客の正しい言い方だ。お客様に接するのでなく、様々な人に遇った(会った)時に接する礼儀作法だから接遇」
「そうなんだ」
早乙女は、へぇーと感心している。
だから、テンション低い1へぇはいらんて。
「あと、乙女ちゃん」
「早乙女ですけど」
「もう少し爪切ったほうがいいよ?」
竹内は、まだ握っている早乙女の手を早乙女の目線に持ち上げて言う。
「爪・・・ですか?」
「うん、見たところ身だしなみは出来てるみたいだけど爪も身だしなみだよ」
「長いですか?」
「ちょっとね」
竹内はウインクしておどける。
やべ、説明してなかったかも。
早乙女はちらりと俺を見ると竹内も俺に視線を向ける。
「雅敏、説明忘れたんでしょ?」
「どうだったかな・・・覚えてないなぁ」
これが、責任逃れという社会人に有るまじき無責任な行動である。
「ボイスレコーダー」
ぼそりと早乙女が言う。
しまった!ボイスレコーダーには俺の昨日の説明が残っているんだった!
「スマン、忘れてた」
「はぁ」
竹内と早乙女が溜息を吐く。
「給仕も爪の管理は大切だけど販売士ならもっと大切でしょ」
もうっと竹内はぼやいて早乙女の手を解く。
面目ありません。
「乙女ちゃん。爪はね料理を運ぶ給仕もだけれど商品を触る販売士にはもっと大切なの。例えば、怪我させたりする時もあるんだよ」
「えっ、怪我ですか?」
「うん、商品を渡すときに誤って引っ掻いてしまったときに長いとお客様に傷をつけてしまうでしょ」
「そんなことあるんですか?」
「普通はないよ。でも、絶対ないとは言えない。サービスマンは常にお客様の安全と安心を守り、感動と満足を提供するのが仕事なんだから。失礼な事はしてはいけないの」
「はい」
早乙女が返事をすると、にこりと笑って掌を見せるように早乙女に見せる。
「爪はね掌から見て指の先から爪が少しでも出たなら切るべき。そうすれば衛生的でしょ」
「衛生的って何ですか?」
「爪は、爪と皮膚の間にゴミが入るときもあるの。ほら、砂場で遊ぶと砂が爪にはいるでしょ?」
「そうですね」
「目に見える砂だけじゃなくて、ばい菌や脂も入るのよ。そんな爪で商品や料理を運ばれたら嫌でしょ?」
「確かにそうかも」
「だから、手を洗えば菌を落とせるように短く!お客様を傷付けないように短く!が基本だよ」
「はい」
早乙女は目を輝かせて竹内を見る。
「お客様は王様なの。そして、私達は仕える兵士。だから、お客様を何よりも大切にしないとね」
「お客様は神様ではないんですか?」
早乙女がそう言うと、優しい声音で子供を諭すように言う。
竹内が新人を育てるときに使う話し方だ。
「神様って、どんなのか想像できる?それに仕える人ってどんなのか分かる?」
「えっと、神官とか」
「うん、でもその人達は直接神様に会うことなんてない。いるだろうけど見えない触れない聞こえない。そんなのは、仕えるとは言わない。だから、私はお客様は王様って思うの。そっちの方が想像しやすいでしょ」
「そうですね」
竹内の話しを聞いて、更に目を輝かせている早乙女。
しかし、早乙女よ。その話しは俺が竹内に教えたんだぞ。
店長から教えてもらった言葉だけどな!
「さっ、賄い食べましょ」
「おう、シェフは調理場か?」
「うん」
「挨拶してくる。早乙女行くぞ」
「うん」
あれ?竹内には敬語なのに何で俺にはしないの?
男だからか!
これだから女尊男卑主義者は!
俺は、調理場とホールを繋ぐパントリーから調理場を覗く。
調理場にはまだ料理人がおり、後片付けをしている。
「シェフ!賄い頂きます!」
俺は声をあげてシェフに賄いを食べる挨拶をする。
「おう」
中から、渋い声がした。
「ほら、早乙女も」
「うん」
早乙女もパントリーから調理場を覗き込む。
「あの・・・・賄い頂きます」
「沢山食べろよ!」
何で、俺にはそれを言ってくれないのかね。
まぁ、飲食店のスタッフでもないのに賄いを食べさせてくれるのは有難いことだけどさ。
これだから女尊男卑主義者は!
挨拶を終え、俺と早乙女は手を振る竹内の座るテーブルに向かった。
俺と早乙女が席に着くと皿盛りされたカルボナーラがあった。
「大皿じゃなくて皿盛りなんだな」
俺が席に着いてぼそりと言うと向かいに座る竹内がふふんとドヤ顔をする。
「ヌーベルキュイジーヌ(皿盛り式サービス)はフランス料理では基本でしょ。大皿なんて古いわよ」
「いや、サービスの話じゃなくて賄いの話なんだが」
『ヌーベルキュイジーヌ』とは皿盛り式サービスを指すフランス料理を代表する料理の盛り付け方である。
現代では、フランス料理に限らずほぼ全ての料理が含まれている。
簡単に言えば、一つの皿で料理が完成している事である。
イギリス式サービスのサーバー(取り分け)やロシア式サービスのゲリドン(ワゴン式サービス)もあるが、約9割の料理が皿盛り式である。
「あー、今日は其処まで忙しくなかったからね」
竹内は、納得した声を出し説明した。
まぁ、確かに忙しいと大皿に盛り付けるよな。
古典ロシア式サービスの如く。
ちなみに、日本料理をヌーベルキュイジーヌに含まれると勘違いしている人もおり、日本料理は本来から大皿で盛り付ける習慣はなく主菜、副菜、小鉢、香の物と一回の食事に種類があるため分けているだけであり、完成した料理ではないためヌーベルキュイジーヌではない。
早乙女は俺の隣に座りポケットから言葉遣いの紙を出して読んでいた。
「乙女ちゃん、それなに?」
竹内が興味を示したのか早乙女に訊ねる。
「えっと、平川さんに貰いました」
「雅敏から?なに見せて」
早乙女は少し逡巡してから紙を渡す。
「あー、これ間違えやすい言葉遣いね」
竹内は紙に書かれている内容を読んで声を上げる。
「知ってるんですか?」
「もちのろん!サービスマンなら覚えているべき言葉遣いよ」
「そうなんですね。でも、私も結構間違えて覚えてました」
「これから覚えていけばいいよ!」
竹内は笑顔で言った。
「はい!」
「少しは覚えた?」
「少しですけど」
「よーし、テストしよう」
竹内はゲス顏で提案した。
「えっ」
聞いてないよ!(四回目)が出た。
いや、俺もそんな事されるとは思っていなかった。
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