Service Expert サービス エキスパート
河上利雄
接客五大基礎
第1話 接遇① 礼と挨拶と身嗜み
CS新三大原則を利用した新たなる対策。
1.おもてなしを強化するため女性社員及び女性アルバイトを増やし女性社員による接客を増やす
2.娯楽要素を加えるため女性社員及び女性アルバイトによるお客様との様々なコミュニケーションをとる(まずは握手から)
3.特別を意識させるためポイントが溜まると女性社員を指名して喫茶フロアでお茶ができる(ただしお客様は所帯持ちに限る)
不倫は文化だ
平川雅敏
1
「面白い事を書いているんですね」
事務室のデスクで居残りのサービス残業の腹いせに遊び半分で書いていた対策書を俺の肩口から覗き込み店長の宮本香織は笑顔で言った。
これは、ほんの遊び半分で書いただけでちゃんとした対策書は頭に入っている。
まだ書いていないが・・・
「それで、新しい対策がこれですか?」
タイトのスカートに黒のストッキング、白いワイシャツの上から店の制服(ジャケットとジャンパー)を着た店長が俺の横に立ち対策書を肩口から読んだ店長はジト目で俺を見る。
それは、言葉は丁寧なのに目は正気か?と言わんばかりの迫力で睨めつけてくる。
優しい声音なのに目が笑っていない。
しかし、ここで遊んでました何て言ったらまた居残りのサービス残業をしなければならないので、全力で誤魔化す事にする。
「はい、まぁ・・・その、こういうのもいいかなって」俺はしどろもどろに答えた。
今はほら、アイドルグループの握手会とかあるし大丈夫でしょ!
そんな俺の下心とイケメンへの嫉妬心満載の遊びの企画書を見て、香織は手を腰に当て溜め息を吐いた。
「はぁー、平川君。女性を何だと思っているのでしょう?」
「自らを盾にしてでも守るべき存在です!」
俺はキメ顔でそう言った。
「これを読む限りだと、貴方が女性を盾にしているようにしかみえないのですが」
「それは違います」
俺は即答する。
何を仰るのでしょうか、この店長様は。
「一応、聞いておきますが」とひと箔置き「これを本気で書いていたのですか?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「いえ・・・遊び半分で書きました」
「そうですか・・・・」
店長はそう言うとデスクの筆立てから赤ペンを取り出し大きくバッテンをつけた。
俺は驚愕と絶望と愛しさと切なさと心強さを持って紳士的に言う。
「そんな・・・・どうして・・・」と一言。
わりと泣きそうだった。
そして、紳士的でもなかった。
ピーチ姫にルイージが好きだと熱弁されたマリオのような悲しみがそこにはあった。
分かりづらいな。
「もう一度、やり直してください」
「そんな・・・・わかりました」
俺は反抗心を持って言おうとするも、店長の笑顔を見て撤回する。
怖いし。
俺にだって言い分はある、もう一週間もサービス残業してるし、いきなり対策書書けなんて言われてもアレだしストレスはヤバイし、ちょっとした遊び心で書いただけだし、そもそも店長に見つかるとは思っていなかったし。(脳内からの一部抜粋)
俺がグダグダと脳内で呪詛を吐いていると、顔に出ていたのか店長はふぅと溜め息を吐いて長い栗色の髪を払って言う。
「確かに、平川君が営業主義である事は存じてます。けれども、貴方がこれから先出世して本社や本店で指揮をとる事もあるでしょう。そのためにも対策を考えプレゼンをするのは大切なことなのですよ」
「ですが、香織さん・・・いえ、店長。俺は高卒ですしこういうレポート的な事は苦手で・・・」
「苦手で・・・女性を貶める対策を練るのでしょうか?」
店長の目のハイライトが消える。
「いえっ!昨今では女性へのセクハラやパワハラやモラハラが増えてるじゃないですか。だからこその、提案です」
「と、言いますと?」
店長はハイライトを消したまま訊ねる。
怖い。
「男性はこう思います。女性に触れただけでセクハラなんて横暴だと!理不尽だと!俺は男性を代表として女性と正しくコミュニケーションを取れる時代にしたいと思っているんです」
「そうですか・・・ですが、平川君の話を聞くとコミュニケーションの中に明らかにボディタッチを前提としているように聞こえるのですが?」
「・・・・・」
「・・・・・」
「違います」
俺は真顔でそう言った。
「嘘ですね」
店長は目のハイライトを消してそう言った。
「平川君、やり直し」
「はい」
「それに、平川君のことだからちゃんと考えているのでしょう?」
「まぁ・・・・はい」
「なら、書きなさい」
俺はシュレッダーの音を背に肩を落として事務室を出ることとなった。
2
平川雅敏は高校生3年生の時から、この電気器具販売店「三沢電器ショップ森下店」にアルバイトをしており、高校卒業間近で店長の宮本香織に声をかけられ就職となった。
三沢ショップ森下店はミサワ株式会社の中型電器店で一階に軽食・喫茶の三沢レストランと携帯電話とパソコン、カメラの販売スペースがあり二階が家電用品をメインとした冷蔵庫や炊飯器、掃除機の売り場となっている店舗だ。
ミサワ株式会社では主に電気器具販売や携帯電話販売代理店、飲食店、宿泊施設を関東を中心に展開している会社だ。
また、電気器具の訪問販売も行っている。
そのため、レストランフロアは職種は違うが同僚がおりランチ休憩は此処を利用している。
会社としては、そこそこ有名らしく時折CMが流れている。
しかし、俺の夢は販売員ではなく憧れていたものがあった。
本当は、俺は詐欺師になろうと思っていた。
詐欺師といっても悪い詐欺師でなくクロサギのように人を助ける詐欺師に憧れていた。
そのため、高校生の時は勉強そっちのけで話術やらマーケティングやらを勉強し言葉巧みに敵(悪い詐欺師)から一般人を救う正義の味方(良い詐欺師)になろうと努力していた。
良い詐欺師とはなんぞや?
そして、実践するために三沢電器ショップにアルバイトをして経験値を積もうと考えたのだが、予想外の出来事に出くわしてしまう。
俺が恋に落ちたのだ。
相手は、三沢電器ショップ森下店の店長の宮本香織だ。
栗色のウェーブのかかった長髪。
出るとこは出て引き締まった身体。
泣きぼくろと童顔と美貌。
優しく思いやりのある言動。
お客様に慕われ、部下からも尊敬されている人徳。
その全てに惚れた。
恋は盲目というのか、俺は勉強も努力もそっちのけで店長にアピールしまくった。
しかし、男女交際の経験のないコイキングな俺ははねる事しかできないため悩んでいた。
コイキングなのに未経験とか(笑)。
前に意を決して店長に訊ねたことがある。
『店長は、どんな男性が好きですか?』
『そうですね』
店長は腕を組んでうーんと悩んでから口を開いた。
『仕事に一生懸命で優しくて浪費癖がなくて家庭的でポジティブで借金がなくて煙草を吸わなくて酒癖も悪くなくて寝起きも良くて努力家で常にお客様やお店の事を考えてくれてサービス残業しても文句を言わなくて終電過ぎても笑顔でいてくれて私に忠実な人ですかね』
そう聞いて、驚愕と絶望と(以下略)の俺はこの人を振り向かす事が不可能ではないかと本気で悩んだ。
数日後に店長からのウチに就職しませんか?の言葉を聞いて両想いを確信したのだが、ヘタレでコイキングな俺は告白ができていなかった。
コイキングて(笑)。
しかし、何とかして一緒に居られるようにサービス残業も文句を言わず、終電をあえて逃し頑張って仕事をし続けたところ先月販売部門売り上げ1位と顧客満足度アンケート2位を獲得した。
ちなみに1位は店長である。
そして、店長から新たな仕事を頂いたのが店舗ごとの新たな売り上げ対策の企画作りだったのだ。
店長の香織さんとは長いこと一緒に仕事をしているためある程度のお遊びは許してもらえるので、バレなければいけるかな?と思ったが駄目だった。
俺は、営業派タイプで企画は今までノータッチだがマーケティングの勉強の際に幾つか覚えたことがある程度だった。
そのため、店長が腕試しということで今回の売り上げ対策企画を任せてくれたのだが・・・
結構、難産だった。
今では電器店は値段の差はあまりにも無く、差をつけるならばサービスや接客での良し悪しになるため他では実施されていない良サービスか実施されていても他社、他店より優れていなければならない。
俺はお店の企画、所謂プロデュースは下手なのかもしれない。
プロデューサーになるゲームでは、「ありがとう!プロデューサー!」といつも言われているのに・・・。
しかも、キャラの名前があるのに脳内で香織に変換しているのに!
うん、我ながらキモい。
しかし現実では、しっかりやれとの仰せだ。
やり直しショックから立ち直れず俺が、レジ周りを軽く掃除していると制服から私服に着替えた店長が事務室から出てきた。
藍色のロングスカートにライムグリーンのワイシャツとクリーム色のストールを巻いている。
「平川君、今日はもう帰りましょう」
「えっ、でも・・・」
「明日来てからやってもいいですよ。提出期限はまだ先ですし、ずっとサービス残業して貰っていましたし・・・帰りに食事でもしましょ?」
神はいた!
我と共にいた!
「はい!・・・・了解です!」
俺は、熱く感じる顔を背け言った。
店長はくすりと笑うと事務室に鍵をかけた。
「ほら、早く着替えてきて下さい!私、お腹減っちゃって大変なんです」
「マッハで着替えてきます!」
俺は更衣室に急いで向かい、制服から私服に着替えて店長の元へ向かった。
店長と合流した後、裏口から出てタクシーを拾い深夜まで空いているラーメン屋に入る。
ここは、同僚たちとよく来る店で豚骨ラーメンの美味しい店だ。
「どれにしますか?」
店長が一万円札を食券機に入れ訊ねてきた。
「えっと・・・」
俺一人ならばチャーシューメン大盛りとライス大盛りなのだが、人から奢ってもらうのにその注文は憚れる。
「豚骨ラーメンの普通でいいですよ」
「? 足りなくないですか?」
店長はキョトンとした後、俺の遠慮に気付いたのか笑顔になって言う。
「いいんですよ、遠慮しなくて。平川君はチャーシューメン大盛りでしたよね?」
そう言ってチャーシューメンと麺大盛りのボタンを押した。
何で知っているんだろう・・・
俺の視線に気付いたのか、店長は自分の味玉ラーメンのボタンを押して言う。
「田辺君が教えてくれたんです」
田辺とは同僚の男性社員販売士だ。
田辺め、明日コロス。
「でも、ありがとうございます。そうやって遠慮するのは私を気遣ってですよね?」
「まぁ・・・はい」
照れ臭くなって顔を背け言う。
「そういうのは大事ですよ。でも、足りなくて後でコンビニでお弁当買って食べて貰うのは申し訳ないので、今後は私に遠慮は無用です」
女神だ!
そう言って店長は近くのテーブル席に腰掛けたので俺も向かいに座る。
店員に食券を渡すと、店員が好みを聞いてきた。
俺は「脂多め麺固め、サービスライス大盛り」を頼んだ。
店長は「脂少なめ」を注文する。
配膳されたお冷やを飲みつつ、ラーメンが来るのを待っていると向かいの店長が笑顔で言う。
「平川君、実はお話しがあるんです」
「お話しですか?」
もしや、告白!?
ラーメン屋で告白!?新しいなそれ。
「来週に、他店から新人研修を受けた子が来るのですけど・・・その子の教育係をお願いしても良いですか?」
「教育係・・・ですか?」
俺は首を捻る。
新人研修を受けたのに教育係が必要とは不思議だからだ。
「新人研修受けたのなら、必要ないと思うのですが。他店からの異動なわけですし」
「それが・・・」
店長は言い辛そうに目を逸らして言う。
「社長の姪っ子さんなのですが、言葉遣いも立ち居振る舞いも駄目なようでして、ウチ(森下店)で再度新人研修をする事になったんです」
「え・・・・」
それって、センスとか以前に職種が合っていないのでは・・・。
「それで、もし・・・ウチで無事に研修ができたらウチで働いてもらうことになるんです」
「えっと・・・そもそも、どうして俺が?」
「平川君は、売り上げも出してくれましたし、接客もいいですし、お客様からの評判もいいですし真面目で販売も上手なので・・・駄目ですか?」
店長は上目遣いで俺を見る。
確かに俺はこの人に惚れているし、この人の為なら降りかかる火の粉の盾になろうとも思うが、社長の姪なんて地雷臭しかしない奴は少し考える余地が欲しい。
しかも他店で新人研修を受けてダメ出しをされたやる気やら常識やら礼儀やらが欠けている奴の面倒を見るのは少し嫌だ。
俺は断ろうとすっと息を吸う。
「平川君、駄目?」
店長が上目遣いでもう一度問うてきた。
いや、そんな潤んだ瞳をされても無理なものは無理だ。
いや、しかし待てよ。
もし、これで店長のポイントを稼げるなら俺はラーメン屋デート(ただの食事)だけでなく動物園やらプールやら温泉やらに行けるのでは・・・
もしかしたら・・・・そのままお付き合いできるのでは!
〈脳内言い訳の時間一秒〉
「店長の頼みなら引き受けましょう」
俺はキメ顔でそう言った。
「ありがとう!平川君!」
店長は満面の笑みで答えてくれた。
この時代に生まれて良かった。
「来週の月曜日に10時から来る予定なのでよろしくお願いしますね」
「了解です」
しばらくするとラーメンが運ばれてきたため俺たちは夢中で食べ進めラーメン屋の前で解散となった。
予定では、夜景の見えるBARで一杯やるつもりなのだが(脳内妄想)。
「平川君、お疲れ様。また明日もお願いします」
「はい、店長。お疲れ様でした」
この流れは、どう見てもBAR(脳内補正付与)
に行くことはないのだろう。
そもそも、酒弱いし俺。
店長はにこりと笑うと踵を返し、途中で振り向き手を振っていた。
俺は同じように手を振り返した。
ヤバイ!このやり取り恋人同士みたいじゃね!?
だが、解散となった・・・・。
3
翌週になり、俺は今までの知識や経験を総動員し店長からOKを貰い企画書は完成した。
俺は、まだ開店前のため、俺を含む他の店員はレジ前やサンプル機器の拭き掃除、店外の掃き掃除、トイレ掃除をしている。
すると、出入り口の自動ドアをノックしている少女がいた。
まだ開店前のため自動ドアのスイッチを切っており自動では開かなくなっている。
俺は少女と目が合い、瞬間視線を外す。
嫌な予感というのか、悪寒というのか、そのようなものが身体を巡った。
すると、少女は俺がドアを開けないことに諦めたのか自分で自動ドアを手動で開け入ってきた。
そしてまっすぐ俺の前に来る。
「店長いる?」
愛想のない娘だなと思った。
俺は、ジッと少女を見る。
顔は可愛いというより綺麗な方。
化粧っ気のない白い肌と若干吊り上がった目。
肩まである黒髪と膨らみのある胸元と痩せ型な体型。
デニムのパンツを履き黒のシャツの上から赤のパーカーを着ており、両手はパーカーのポケットに入っている。
俺がぽけっとしていたのが腹たったのか、先ほどよりも冷たく鋭く言う。
「店長はいる?ちょっと話があるんだけど」
これはクレームなのだろうか?
「お客様、申し訳ございませんが開店時間は10時からでございますので、もうしばらくお待ち頂いても宜しいでしょうか?」
先制攻撃で、開店時間を伝える。
「なんで?」
失敗・・・
店長に用件という事は、なんだろう。
一つはクレーマー。
もう一つは、先日に話が出た新人研修生。
しかし、決めつけるのはマズイ。
俺はそっと息を吐き、気合いを入れる。
クレームは顧客が増えるか減るかが大きく関わってくるためだ。
クレームは英語の「claim(要求)」からきた言葉だ。
実際は苦情よりもお客様が『こうしてほしかった』または『こうしてほしい』という要望が強い。
そしてクレームには大きく分けて二つのクレームがある。
「モノクレーム」と「ヒトクレーム」だ。
モノクレームは物=商品に対するクレームだ。
約八割〜九割がこれに該当する。
そして、クレームの中でも一番厄介なのが「ヒトクレーム」である。
ヒトクレームは人に対するクレームである。
モノクレームから派生する場合もあり、接客やサービスを疎かにした販売員だけでなく苦情を受けた販売員の教育者を引き合いに出され最悪、訴えられたりする。
そして、店を潰してしまう事もある。
俺は、少女の目を見ながら言う。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「店長に用があるんだけど」
「店長にご用があるのですね。よろしければご用件をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「はぁ?店長に会えばわかるよ。案内して」
店長、店長、店長と!俺の香織じゃなく、店長に会いたいだと!?アポは取ったのかアポは!
「畏まりました。此方でお掛けになってお待ちください」
俺は弱い・・・
俺は通常レジの隣にある携帯契約専用のレジにある椅子を手で指し頭を下げた。
少女は頷くと言われた通りに椅子に腰掛ける。
俺は、それを見届け踵を返し事務室のドアをノックする。
どうぞと声が聞こえたので俺は事務室に入る。
店長はデスクに座って事務仕事をしており、顔だけを此方に向ける。
「店長、変な女の子が来ていますが」
「変な女の子?」
店長はキョトンとする。
可愛い。
「もしかして、早乙女さんかしら」
「早乙女さん?」
店長は椅子から立ち上がると俺の横を通り抜け店内へと入った。
「早乙女さん!」
店長が早乙女さんと呼ぶのは先ほどのクレーマーだった。
早乙女さんは立ち上がるとお辞儀をする。
「ども」
俺の香織・・・じゃなくて、俺の店長に向かって何て口を聞くんじゃボケカスワレェ。
店長はそんな事を気にしておらず笑顔で続ける。
「今日から宜しくね、早乙女さん」
「はい・・・・」
店長はふふっと笑うと早乙女の頭を撫でて言う。
「女子更衣室に鍵が刺さったロッカーがあるからそこに制服が入っているので着替えてきて下さい。鍵は必ず閉めて自分で持っていて下さい」
「わかった」
「更衣室は二階にあるから、バックヤードに行って奥の階段から登れるから」
そう言って、ポンと早乙女の背を叩いた。
早乙女さんは、そのままバックヤードに入っていった。
俺は、早乙女さんを見送ったあと、店長に近寄る。
「店長、まさかあの娘が・・・」
「はい。平川君の教育担当の子です」
まじか・・・・・
4
早乙女真理。現在18歳の高卒。
社長の姪。社長の妹の娘で、就職も進学もしないニートのため更生と社会適応のため無理矢理に三沢株式会社に入社させたらしい。
真理の両親は社長の会社とは関係のない共働きの夫婦だそうで、放任主義のため自由奔放に育てたらしい。
その結果、敬語や礼儀作法もできない我が儘お嬢様になったという。
そのため、接客を通し人格矯正のため社長が引き受けたそうだ。
飲食部門や宿泊部門では付きっきりの教育ができないため販売部門になったという。
しかし、我が儘で社長の姪というポジションのため他店での新人研修では強く言われず研修らしい研修ができていなかったという。
店長から教育係の話しを聞いた後で田辺から簡単なあらましを聞いて無理だと悟っていた。
どう考えても無理だ。
やはり、店長に代わってもらおう。
「店長、やはり無理があるのではないかと」
「無理とはなんですか?」
店長は目のハイライトを消して言う。
朝からキター。
「えっと、俺に自信・・・みたいのがなくて」
「なるほど」と小さくふふっと笑い「平川君なら大丈夫ですよ」と言った。
この笑顔に何度騙されたことだろうか・・・
しかし、俺は上からの命令や惚れた相手の命令は従う主義なので「わかりました」と言うしかないのだ。
暫くするとバックヤードから出てきた早乙女は俺の前に立つが、俺は何も言えなかった。
靴はスニーカーのまま、タイトスカートは履いているがストッキングは履いてないため生足。
ワイシャツは上の二つボタンを外し、上着は着ているがボタンは全開といった接客業どころか退勤間近の俺のような出で立ちだ。
俺も店長も何も言えずに黙っていると何か違和感を感じたのか俺を睨むように見る。
「何か変?」
「すっげぇ変!」
「どこが?」
本当に分かっていないらしい。
こいつ本当に他店で研修受けたんだろうか?
「身だしなみは接客の基本だぞ」
「駄目なの?これ?」
「当然だろ」
「向こう(他店)では何も言われなかったけど」
「はぁ!?」
俺は声を上げ横にいる店長に問い質すため顔を向けた。
店長は困った笑顔をして俺を見る。
「早乙女さんの前の研修先は確か田端店なので小泉さんが店長ですね」
「小泉さんか・・・・」
その名前を聞いて肩を落とす。
小泉さんは店長と同期の男性社員で現在は田端店の店長なのだが、権力に弱く出世する事を特に意識している社員だ。
当時本社に入社した店長と販売店に入社した小泉さんだが店長が販売店に異動後に店長は販売店と飲食店も統括する責任者、小泉さんは販売店のみの責任者なので焦りを感じているとは聞いたことがあった。
そんな小泉さんが、早乙女の教育係をするならば特に早乙女から嫌われたり不機嫌になるような事をするはずがない。
早乙女は社長の姪なので、早乙女が小泉さんから何を言われただのと密告されるのを恐れたのだろう。
結果的に社長から信頼を失ったようにしか思えないが・・・・
俺は顔を上げ早乙女を見て言う。
「ちゃんと着ろ、でないと仕事を教えられん」
「わかった」
そう言って早乙女はワイシャツと上着のボタンを素直に閉める。
やけに素直なので驚いた。
こいつは、もしや不平不満は溜め込むタイプなのかもしれない。
キレたら怖いタイプだ。
「あと、靴もスニーカーでなくヒールがあっただろ履いてこい」
「・・・・・わかった」
そう言って早乙女は踵を返しバックヤードに入って言った。
それを見送ってから俺は大きく溜め息を吐く。
いいジャブ打ってくんなーあいつ。
もう少しでKOされるところだった。
しかし、横に店長がいたため倒れるわけにはいかなかった。
俺はまだ燃え尽きてない!
「大丈夫・・・・ですかね?」
俺は念のため店長に訊ねる。
「そ、そうですね。頑張りましょう!」
目を逸らして店長は言った。
予想以上の強敵だったらしい。
確かにウチではソフトバンクの代理販売もしているからって、ここまで予想外な展開は予想外です。
ヒールに履き替えてきた早乙女が戻ってくると朝のミーティングが始まる。
朝のミーティングは一階の事務室で行われる。
店長の方針で飲食フロアの社員も参加する。
何でも社員の仲間意識を高めるためらしい。
「おはようございます!」
『おはようございます!』
店長が社員たちの前に立ち高らかに挨拶をするとみんなも答えた。
「皆さんもご存知と思いますが、本日から新しいスタッフが入ります。まだ研修なので色々と教えてあげて下さい」
『はい!』
「早乙女真理さん、前へ」
店長は俺の横に立つ早乙女に視線を向け言った。
「・・・・はい」
早乙女は不機嫌そうに応えると店長の横に立つ。
「早乙女さん、自己紹介をお願いします」
「えっ」
聞いてないよ!みたいな驚きで早乙女は横の店長に顔を向ける。
「えっと・・・・」と何故か早乙女は俺に視線を向ける。
助けろと視線が言っていた。
俺は首を横に振って無理と伝えるとハァと早乙女は溜め息を吐いた。
のっけからこの態度はマズいだろ。
何も言わないのを他のスタッフもおかしいと思ったのか小さく溜め息やら吐いている。
「早乙女真理・・・・・です」
そう言ってペコリと頭を下げ、俺の横に戻る。
終わり!?
せめて「よろしくお願いします」は言えよ!?
俺はジト目で見ると目が合い、早乙女は顔を背ける。
助けなかったことを怒っているらしい。
流石に人の自己紹介で出しゃばるほど空気読めないわけでない。
店長も予想外だったのか固まっている。
俺も予想外です。(二回目)
「えっと・・・・早乙女さんは平川君が教育係をなさるので、皆さんもフォローをよろしくお願いします」
『・・・・はい!』
今の間は何だろう。
この気持ちはなんだろう。
そして、その憐れみの視線はなんだろう。
生け贄にされた気分だった。
開店10分前になりスタッフ達は持ち場へと急いだ。
俺と店長と早乙女は事務室に残り、今後の方針を決める会議を始める。
「まずは、本番の接客をする前に言葉遣いや立ち居振る舞いを覚えましょうか」
店長は困り顔でそう言った。
まぁ、あんな出落ちにもならない自己紹介されたのだから仕方がないが。
「そうですね、あとはロープレをしながら様子を見てから本番の方が安心ですね」
「ロープレって?」
聞き慣れない単語に早乙女が反応する。
「ロープレってのはロールプレイの略だよ」
「ゲーム?」
「まぁ似たようなもんだ」
「平川君、テキトーに答えないでください」
俺の雑な答えに店長が反応する。
俺は咳払いをして言う。
「ロールプレイというのは演技テストを想像した方がいいな。販売員役とお客様役に分かれて模擬接客をするんだ」
「模擬接客・・・」
「そう、それで上手くできれば本番の接客に入る」
「・・・・・・そう」
何で不機嫌?
君は接客どころか会話すらできてないじゃないの。
早乙女は俯いてボソボソと何かを言っている。
「どうした?」
さすがに俺もそうされると腹が立つので聞いた。
店長も俺がキレたときのために臨戦態勢に入った。
笑顔が怖い!
「その・・・・よろしく・・・・・お願いします」
そう言って早乙女は小さく頭を下げた。
下手すれば頷きにしか見えない会釈だが、良しとしよう。
店長も殺気を消し笑顔で「こちらこそ」と言った。
5
店長は俺の代わりに営業に出てくれたので、俺は早乙女と事務室のソファーでテーブルを挟んで向かい合って座る。
まずはこいつの田端店での情報が必要だ。
「早乙女よ、田端店では何を教わった?」
そう聞くと早乙女は表情を暗くして俯いて答える。
「何も教えしてくれなかった」
「何も?」
「これを渡されただけ」
早乙女は上着のポケットからメモ帳を取り出し挟んでいた折り畳まれたプリントを俺に渡す。
開いてみると、パソコンで作られた接客用語が書かれた紙だった。
「これを渡されて事務室で読んでいただけ」
「他に何も教えてもらってないのか?」
そう聞くと早乙女は頷いた。
これは、マズいだろ。
小泉さんとしては触らぬ神に祟りなし精神だったようだが、流石にマズい。
「その前に早乙女は、接客をしたいのか?」
「したい」
早乙女は間髪入れずに答えた。
「ちなみに何で?」
今までの早乙女を見る限り、接客をしたい奴とは思えない言動なのだが。
「私、敬語とか教えてもらったことがなくてタメ口しかできなくて・・・それに学校とかでもこんなんだったし」
「・・・・・」
「愛想もないし、あがり症だし向いてないってのは分かっているんだけど、憧れてた」
「憧れてた?」
「宮本店長がお客さんに笑顔で話したりするのを見てて私もこうなりたいって思ったの」
「それで?」
「だから、親に頼んでみたんだけど無理だって反対されて、叔父さん・・・社長にお願いして社員にさせてもらったんだけど」
「けど?」
「私、姪だからか他の社員の人は近づいてこないし邪魔者扱いするし・・・友達とかは諦めろって言うし」
「そうか・・・・」
こいつは悔しいんだ。けれど、自分で理解してしまっているんだ。
無理だと。
決定的なのが、田端店での扱いなのだろう。
諦めているのだろう。
それに広まっている早乙女の情報と違う。
まぁ、陰口とか叩かれそうだもんな。
そして、未知の世界に足を踏み入れたのが間違いだったと理解させられたのだろう。
「ごめん、私・・・・無理だよね」
涙目になって早乙女は言う。
「入って初日で弱音吐いて・・・」
「いいや、無理じゃない」
俺は即答する。
即答されたのが予想外だったのか顔を上げて俺を見る。
「いいか早乙女、そうやって悩んだり苦しんだりするのは成長している証だ」
「成長?」
「そうだ、誰にだって初めてはあるし成長すれば新たな事を覚えていく。新たな事を覚えるためには悩んで苦しんで前に進むんだ。前に進めば新たな悩みが出るし苦しみも出る。当然さ、初めてなんだから」
俺は早乙女の目を見て言う。
「だから今、早乙女は自分で克服したいって思って行動した、初めてだから何をしていいか分からなくて悩んだりしたんだろ?成長したってことだよ。昔の行動しなかった自分よりさ」
人は成長する、知識や技術という見える部分だけが成長ではない、考えや意欲、思想といった内面も成長だ。
少しずつ人は成長していく。急に変わるなんてエイリアンじゃああるまいし不可能だ。
そして、少しずつ成長するから本人にすら気付けない。
本当は成長をしているのに見えるものが証明できるものがないから成長していないと思い込む。
早乙女は、行動したら邪険にされた、だから俺の言葉は決まっている。
「そんなので無理なんて諦めるな。俺が教えてやる」
「私、無愛想だよ?」
「それがなんだ、俺なんて中学の時は自閉症だったぞ」
「本当?」
「あぁ、それが今では先月の販売部門売り上げ1位を獲得した新宿と渋谷と秋葉原を抜いてな」
「すごい・・・・」
「だろ?」
俺はドヤ顔でそう言った。
ただ単に運が良かっただけだが、それ以外の月は大体中間あたりだし。
「大丈夫だ。無愛想なお前より酷かった俺が出来ているんだ。お前なら出来るさ」
「わかった・・・わかりました?」
「まぁ、まずは言葉遣いからだな」
「よろしくお願いします」
早乙女は膝に額を付けるように頭をさげた。
こいつは本気で接客ができるようになりたいんだとわかった。
なら、俺も挫けずに教育していくしかあるまい。
大丈夫、ゲームでプロデューサーになった時は「ありがとう!プロデューサー!」って言われてたし大丈夫。
「じゃあ、手始めに言葉遣いを覚えよう」
俺は、上着から秘策を取り出した。
俺が取り出した物を向かいのソファーとの間にある机に置く。
「これって何?」
「ボイスレコーダーだ」
「ボイスレコーダー?」
早乙女はキョトンとした顔をする。
可愛いなおい。店長には負けるが。
「今日から、俺は積極的にお客様と会話をする。早乙女は後ろから俺の接客を見てついでにボイスレコーダーで俺の接客しているのを録音するんだ」
「録音するだけ?」
「あぁ、録音中はメモは取らなくていい。それがメモ帳代わりだ」
俺はボイスレコーダーを指して言う。
「そんで、空いた時間や家とかでそれを聞いてメモして覚えていけ。ある程度覚えてきたら接客用語を含めた尊敬語や謙譲語を教えていく」
「わかった・・・りました」
「よし、それでは接客の5つの基礎を教える」
「5つの基礎って?」
「接客する上で必ず守らなければならないことだ」
「うん」
早乙女は慌てた様子でボイスレコーダーの録音ボタンを押したのを見て話す。
「まずは、『挨拶』だ」
「『こんにちは』の?」
「まぁ、普通の挨拶ならそうだな。だが、接客の挨拶はそれではない」
「うん」
「『いらっしゃいませ』や『ありがとうございます』だ」
「うん」
早乙女は頷いて前のめりになった。
よし、いい感じだ。
「挨拶は特に必要だ。入店したのに挨拶がないと不安になるからな」
「そうだね」
俺は指を二本立てて言う
「挨拶で重要なのは2つだ」
「2つ?」
「そうだ、1つ目は『挨拶の前後は必ず相手の目を見る』こと」
「相手の目を見る・・・」
「2つ目は、『おもてなしの心を込めて笑顔で大きな声でハキハキと言う』こと」
「おもてなしの心・・・」
「お客様に感動と満足をして頂くことだな」
「感動と満足・・・」
早乙女は噛みしめるように言葉を紡ぐ。
俺は早乙女を真っ直ぐに見る。
少しテストしてみるか(ゲス顏)
「早乙女、人の第一印象ってどの位で決まるか分かるか?」
「第一印象・・・・?」
「そうだな、例えば早乙女が入り口でお客様に挨拶をしたとする。お客様は早乙女の第一印象をどれくらいの時間で判断すると思う?」
「えっと・・・」
早乙女は下唇に指を当てて考える姿勢をとる。
可愛い。店長には以下略。
「1分くらいかな」
不正解!
罰ゲームは俺が店長とデートをしてもらえるように協力してもらおうか!
嘘だけど。
というより脳内テンション高すぎ!
「正解は7秒だ」
「7秒!?」
「正確には7〜10秒だな。来店して早乙女の表情や身だしなみ、雰囲気で第一印象は決まってしまう」
「どうして?」
「人は目で見て判断するからだ。そして、第一印象が決まると例え挽回しようとも人は自分で出した答えを疑わない。早乙女の髪がボサボサで香水がキツかったとするだろ?そして、お客様は酷い髪で香水がキツイのに接客をしている人と判断してそれ以降は寄り付かなくなったりする。お客様にはそれだけ身だしなみは大切なんだな」
「そうなんだ・・・・」
早乙女は納得した顔で頷いた。
ちゃんと聞いてくれたから、罰ゲームは取り消しにしよう。
それにほら、俺って純情だし。
「次は身だしなみだ」
「朝に私が言われたことだね」
「まぁな。だが、それだけではないぞ」
「そうなの?」
「では、問題。間違ってもいいから答えてくれ」
「うん」
「身だしなみとは、服装以外で何がある?」
「えっと・・・香水」
「そうだ、香水は付けないのがいいな」
「あと、髪の毛・・・とか?」
「正解だ。髪が長い人は後ろで束ねたり、男ならオールバックにしたりな」
「あとは・・・・わかりません」
早乙女申し訳ないとばかりに目を伏せ頭を下げる。
いや、謝られても単なるクイズだから力を抜いてやってほしいのだが。
仕事となると真面目になりすぎる性格なのかもしれない。
「まぁ、初めてだしいきなりだからな。それでも2つ答えられたのは良かったぞ」
「香水と髪の毛は・・・さっき出たから」
「人の話を良く聞いてるってことだ。良いことだよ」
「ありがとう・・・ございます」
「では、続きだ。身だしなみだと、あとはメイクだな」
「メイク?」
「派手なメイクでなく、相手の事を考えた不快にならないメイクだな」
「どういうの?」
「ラメやらパールを使ったり、濃すぎる化粧は不快に感じるメイクだからしないこと」
「うん」
「あと、必ず口紅はつけることだ」
「口紅?」
「女性の場合は口紅は身だしなみだからだ」
「うん、わかる気がする。お母さんとか偉い人と会うときは口紅はしてたし」
「そうだな、接客業務において1番偉い人はお客様だからな」
「わかった」
「あとは清潔感だ」
「清潔感?キレイな服とか?」
「それだけじゃないぞ、シワや埃、汚れも該当する」
「うん」
「あと、派手な色は控えること」
「どういうの?」
「赤や青、緑や黄色は控えた方がいい。変に目立つしみっともないからな」
「そうなんだ」
意外だったのか驚いた顔をする。
早乙女さんは、私服のパーカー赤でしたもんね。
「あと露出は控えること。それから、靴は綺麗にするように小まめに掃除すること。
折角、服も化粧もいい感じなのに靴が汚れていたら目立つし印象が悪い」
「そうだね」
「ざっと、こんな感じだ。男なら髭を伸ばさないとかもあるけどな」
「へぇー」
テンション低い1へぇー頂きました!
「では3つ目、立ち居振る舞いだ」
「立ち居振る舞い?」
「これは、後から追加で教えていくが・・・簡単に立ち方と歩き方、礼の仕方を教える」
「うん」
俺はソファーから立ち上がりソファーに座っている早乙女に立つように手で促す。
早乙女を俺の前に立たせてから始める。
「まず、1、背筋は伸ばす。壁に背をつけてるイメージだ。2、胸を張って肩は丸めない。3、お腹は前に出さない。4、かかとに重心を置くこと。5、両足を揃えてつま先はくっつける、男なら離して広げる。6、手は前で組み右手の手首を左手で掴む。女性なら伸ばした左手に右手を添えて軽く掴む。7、横から見たときに頭からかかとまで一直線であるようにする」
「うん」
早乙女は返事をすると立ち上がり俺が言ったことを言いながら立った。
「どうかな?」
俺はぐるりと早乙女の周りを一周してから言う。
「上出来だ」
「やった!」
早乙女は両手でガッツポーズをとった。
「よし、次は歩き方だ」
「歩き方にも正しいやり方とかあるんだ?」
「あるぞ〜」
俺はにやけ顏でそう言った。
「・・・・・」
早乙女が少し引いていた。
俺は気を取り直して続ける。
「今の立った状態からスタートだ。1、中股で歩く。2、歩く時は指はくっ付けて伸ばす。3、手は後ろに大きく前に小さく振る」
「?、前に出すんじゃなくて?」
「前に出すといきなり横から来た人とぶつかったり、前にいるお客様に当たる事もある。けれど、後ろに振れば案内するときに後ろのお客様と間隔がいい感じに開くんだ」
「そうなんだ」
納得したようで早乙女は相槌を打った。
「あとは、礼の仕方を教える」
「礼?」
「お辞儀だよ」
「お辞儀って頭を下げるだけじゃないの?」
「それが違うんだな〜」
「お辞儀には8つあるんだ。その内の5つを教えようと思う」
「8つもあるの!?」
「あぁ、まず1つ目は会釈だ」
「会釈って、こういうの?」
そう言って早乙女は少し頭を下げる。
「いや、それでは頷きと変わらないな。よく、ファミレスのアルバイトがやってる間違った会釈だよ、それ」
「それじゃあ、正しい会釈って?」
「大体、15度くらい下げる、自分の胸を見る感じで下げるといい。これは例えばお客様がすれ違う時とかに使う」
「こう?」
早乙女は頭を下げて訊いてきた。
「そうだ、どんなに急いでいてもお客様を先に通すこと、またすれ違うときは立ち止まり道を譲ること。その時に会釈をするんだ。何があっても会釈を忘れたりお客様に道を譲ってもらうのはダメだからな」
「うん」
「次に敬礼」
「敬礼ってこれ?」
早乙女は伸ばした指を傾け額に当てる。
軍人ですか・・・あなたは。
まぁ、敬礼!って知らない人が聞いたらそうかもしれないな。
「違うんだな、実は接客をするための敬礼があるんだ」
「どんなの?」
早乙女は興味があるのか、食い気味に訊いてくる。
お前、絶対ランボーとか好きだろ。
「今の会釈と同じだよ。違うのは角度と使うところだな」
「うん」
「角度は30度、自分の足が視界に入る位に下げる」
俺が敬礼をして頭をあげる。
「よく使われるお辞儀だな。お客様のご来店時やお帰りになる際に使うんだ」
「こう?」
早乙女は確かめるような声を出し敬礼する。
「あぁ、上出来だ。ちなみに敬礼はゆっくり3秒でやること」
「ゆっくり3秒?」
「そうだ、いーち、にー、さーんの時間で頭を下げて元に戻すまでな」
「わかった」
「次が最敬礼だ」
「さいけいれい?」
早乙女は聞いたことがないのかキョトンとする。
可愛い。店長の足元にも及ばないがな!
「最敬礼は一番丁寧なお辞儀だ。お客様に謝罪する時に使ったりするんだが、角度は45度位だ。自分の太腿が見えればいい」
「うん、こうかな?」
早乙女は最敬礼をしながら尋ねてくる。
「おう、いいぞ」
「うん!」
早乙女は、今日来て一番目が輝いていた。
「平川さん?」
俺が固まっていると不審に思ったのか早乙女が声をかけてきた。
「あぁ・・・・悪い。じゃあテストするぞ」
「いいよ」
「敬礼!」
「はい!」
早乙女は答礼のように敬礼をする。
「よし、会釈」
「はい」
「もう少し、ゆっくりのスピードでお辞儀した方が丁寧だ。でも合ってるぞ」
「わかった」
「では最敬礼」
「はい」
早乙女は先ほどよりもゆっくりのスピードでお辞儀をする。
「よし、全問正解だ。次に言葉と共にする礼を教えよう」
「はい」
「早乙女、ありがとうございますと感謝を伝えるときはどうお辞儀する?」
「えっと・・・・ありがとうございます」
早乙女は礼を言いながら頭を下げた。
「まぁ、よく使われる間違ったやり方だな」
「えっ!?違うの!?」
「まぁ、そのお辞儀もあるんだけど接客する人はしてはいけないと俺は思う」
「でも、ファミレスとかコンビニとかだとこうだったけど」
「あそこの接客の教育がどんなのだかは知らないけれどな、言葉遣いも変だし」
「そうなんだ」
早乙女は何度目かは判らない驚いた顔をする。
何度かコンビニとかでイラッとくる接客をされたことがあった。
まぁ、そこまでの接客を求めていないのかもしれない。
「今、早乙女がしたのは同時礼というお辞儀の仕方だ。言葉と同時に頭を下げるから同時礼」
「同時礼・・・」
早乙女は、首を傾げる(可愛い)と小さく挙手をする。
「なんで、同時礼がダメなの?」
「それはな、もっと丁寧なお辞儀があるからだ」
「それって?」
「分離礼だ」
「分離礼って分離・・・分離?」
何か分離分離って呟いているんですが、新しいおまじないですか?
「分離礼ってのは、言葉とお辞儀を別々に行うんだ。言葉の後にお辞儀をする。分けて行うから分離礼」
「言葉の後にお辞儀・・・」
「こんな感じだよ。ありがとうございます!」
そう言って敬礼をする。
「あ、そっか・・・」
「どうだった?」
「今の方が、すごく丁寧というか気分がいい。綺麗だったし」
気分がいいって・・・ドSですか?
まぁ、綺麗と言われるのは嬉しいがな。
いやいや、店長には叶いませんって。
「この分離礼で全てのお辞儀をすること、感謝も謝罪も全部な」
「うん、わかった」
「それと、お辞儀する時は気持ちを込めてな。ありがとうございますって言葉だけでなく心から感謝をするんだ」
「うん」
「あと、最後の項目なんだが・・・・大丈夫か?」
「何が?」
「いや、詰め込みすぎかなってさ」
早乙女は顎に拳を当てて「うーん」と唸る。
あなた、その仕草は縦アッパー食らう1秒前のようなところを切り取ったようですね。
「大丈夫だよ。それにコレあるし」
早乙女はボイスレコーダーを指して言う。
まぁ、そのためのボイスレコーダーなんだけどね。
実際、メモだとその場の空気やら雰囲気やらは伝わらない。
新人の中には雰囲気やテンションで覚える人もいる。
なので、メモ帳に書かれた文字列だけで教えられた事を思い出すのは難しい人もいる。
それは、教え方が悪いわけでも覚え方が下手でもない。
覚えてないわけではない。人は忘れる生き物なのだ。
他の動物より脳が発達しているからこそ日々の日常で過ごした長い時間の中で必要なものと不必要なものを選別してないといけないからだ。
だから、思い出せないし慣れない。
思い出そうと慣れようと頑張ってもできない。
確かに、接客に慣れ、言葉遣いに慣れた人からすれば、不思議に思う。
『どうして?』『何故?』『なんで?』
できないのか判らない。
特にそれが現れるのが、楽しく教えている時だ。
クイズを出してみたり、雑学を混ぜてみたり、テーマパークやら映画やらと興味を引くものを引き合いに出してみたりと、楽しく分かりやすく教えようとすると、人はテンションで覚えようとする。
頭に入っているようで忘れていることが多かったりする。
メモを取っても文字列だけだとテンションが上がらずに覚えるのが嫌になる。
結局は、覚える側が努力をしないのがいけないのだが。
しかし、早乙女のようにタメ口しか使ってこなかった奴。
食事のマナーを知らない奴。
それは癖になっているから中々直せない。
そのため、癖にどう上書きすればいいのか・・・
それは、俺が何度も教えてやるしかない。
しかし、接客業となるとお客様の御伺いや説明やらと時間が取れない。
だが、教えるならば文字列だけでなく声で教えてあげたい。
目で見て耳で聞く。
それならば、早く覚えられるだろう。
そのため、考え付いたのがボイスレコーダーだ。
俺の声からテンションや雰囲気も伝わるし、ちょうど良かったのだ。
まぁ、早乙女の場合はクールというか素っ気ないからテンションの差がありすぎるのだが。
「それじゃあ、最後の項目だ」
「?・・・・最後?一個足りないけど」
「あぁ、言葉遣いがあるんだが、それは追い追いやっていこう」
「うん」
「最後の項目は、『笑顔』だ」
「笑顔・・・・」
早乙女が一瞬で引き攣った顔になる。
やばい!超嫌そう!
スーパースローモーションで見たいレベル!
「笑顔はな、何か面白いこと思い出してみるんだ」
「面白いこと?」
早乙女はうーんと唸る。
「えっと・・・・こうかな?」
何か、苦笑になってるのですが・・・・
本当に楽しいこと思い出してる?
忘年会で上司の寒いジョークを聞いてる時の俺みたいだよ!
「わかんないよ。私、自然には笑えるけど作り笑いとかしたことないし」
そうね、貴女は仏頂面だものね。
しかし、笑顔ができないと接客業は絶対にできないしな。
まぁ、苦手だろうと思って最後に回した項目なのだが・・・ここまでとは。
くすぐってみるか?
マズイ!通報されてしまう!
一発ギャグでも・・・俺のは詰まらないしな。
「なぁ、小さい子相手にする時はどうする?」
幼い子には、誰だって笑顔を向けるだろう。
しかし、早乙女は違った。
「・・・・・・・見下ろす?」
アウトー!!!
進撃の巨人かお前は。
「せめて、しゃがんで目線を合わせなさい」
「・・・・・わかった」
俺の時はどうだっただろう?
自閉症のお陰で誰も信じられず、孤独の中で過ごしてきた俺は。
どうやって、笑えるようになったのだろう。
医者から貰った薬を飲んでも笑えなかった俺が、自然に笑い接客の為の作り笑いもできるようになったのは・・・・。
このままでは、早乙女は接客業はできない。
ただのロボットになってしまう。
仕方がない。
「笑顔は、追い追い出来るようになればいいさ」
「・・・・・大丈夫なの?私?」
「なに、任せろ」
「・・・・・・うん」
早乙女は不安気に答える。
まったく、自己嫌悪する必要はないんだがな。
「まぁ、講習はそんな感じだ。実際にこれから俺がお客様と接客していくから後ろで見てろよ?」
「う・・ん・・・はい」
「それと、俺が頭を下げたら一緒に頭を下げること」
「わかっ・・・りました」
もう、日本語不自由な外国人にしか見えないのだけど。
まぁ、いいか。
明日があるさのジョージア版でも敬語ができないくらい大目に見ろとか言ってたし。
そして、俺と早乙女の戦いが始まった。
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