第3話機械の人


 五番街の只中、崩れたビルの折り重なった中に、それはあった。

 トルクと名乗った少年の案内でやってきたそこは、到底、人が住めるような場所ではなかった。

 しかし食料を必要としなくなった機械人ならば住むことはできる。

 快適ではないが。


「それじゃあんたら、ずっと旅してんだ」


 少年――トルクは目を丸くして言った。


「うん、そだね。ずっと前から、ずぅっとね」


 言って、アディは懐かしむようにディーンを見た。

 ディーンがこんな身体になってからずっと二人であちこちを周っている。

 それだけの間二人で歩いてきたのだ。

 色んな所を見てきたし、色んな人に出会ってきた。


「なぁ、お姉ちゃん」


 トルクが隣を歩くアディを見上げながら言う。

 大分懐いたように思う。それも、長くを人と接しなかったことが要因だろうと思う。


「ディーンの兄ちゃん、あれ、何なんだよ。おれの手、こんななのに」


 ぷらぷらと自身の両腕を持ち上げて、トルクは不思議そうに言った。

 そこには変わらずに機械の腕がある。

 そこには通常の人間ではありえない力が宿っているのだろう。

 簡単に重いものでも持ち上げられるし、簡単に岩だって砕ける。

 簡単に人だって殺せるのだ。


「ん」


 アディはディーンに目配せすると、ディーンは小さく頷いた。


「お兄は機械人みたいなものだよ……予想はしてたと思うけど」

「それは思ってたけどさ……」


 どこか納得のいかなそうにトルクは腕を組む。

 ディーンの在りようが、自分たちとは明らかに異なっているからだ。


「でも、ディーン兄ちゃん、普通に暮らしてる」

「そう見せてるだけだよ」


 ディーンの体の右半分は完全に機械だ。

 目を覆った眼帯も、厚手のコートも、全てが人の中にあるために必要なものだ。

 自分は人のままであると見せつけ、人の中に紛れるために。

 しばらく進むと、巨大な頑丈そうな扉が現れる。


「帰ったぞー!!」


 大きく叫びながら瓦礫を押しのけ、トルクは、扉の側に小さく開いた穴に顔を入れる。


「お兄ちゃん! 帰ったの!?」


 真っ先に幼い声が返事を返した。

 穴の向こうから響いてくるのは、舌足らずな子供の声だ。


「あ、帰ってきた」

「おせーよ」

「お帰りなさいお兄ちゃん」

「遅かったじゃん。なんかあったの?」

「トルク、お土産は?」「ある訳ねーじゃん、そこだぜ?」


 何人もの声が、その小さな穴から聞こえてくる。

 そこに共通点を挙げるならば、それは彼らの声があどけなく、まだ幼年なのだろうと思った。

 ディーンとアディは顔を見合わせる。


「うん。あ、あとお客さんも一緒に」


 穴の向こうに尻を出しながら、トルクは笑った声で返す。


「お客さん!? こんなとこに? こ、怖い人じゃないよね?」


 最初に返事を返した声が、不安に震えるように答えた。


「大丈夫だって、不安がることないよ。たぶん、いい人だ」

「そっか……うん、いま開けるよ」


 了解、と言葉を投げて、トルクは穴の中から身を引いた。

 少しだけ埃に塗れた顔が出てくる。

 がこん、と何かが外れる音がする。

 そして扉が重苦しい音を立てて開いた。

 ぱらぱらと落ちてくる破片と埃にアディは思わず口を覆う。


「お帰り! お兄ちゃん!!」

「ただいま、クラン」


 扉の向こうから駆けてくるのは、トルクよりもさらに幼い少女だった。

 その片腕はやはり機械だ。

 布を継ぎ足したような襤褸を揺らして、トルクに駆け寄った。

 ひょこひょこと扉の向こうから小さな頭が見える。

 こちらの様子を窺っているみたいだと、ディーンは思った。

 知らない人間が、こんな、隠れ家みたいな所に現れたら、きっといい気分はしないだろうな。事実、隠れ家なのだろうし。


「だ、大丈夫だったの……? 知らない人が来たって言ってたけど……」


 クランと呼ばれた少女は、不安そうに揺れる瞳でディーンを見上げる。

 じろりと、睨みつけたわけではない。

 視線があった瞬間、ひっ、と小さく悲鳴を上げて、トルクの後ろに隠れる。

 そっと、顔を覗かせて、


「……怖い人?」

「怖くないよ」


 と、トルクは苦笑した。











 通された部屋は、やはりと言うべきか、埃っぽく、また椅子や机はなかった。

 代わりにそれに該当するのは、瓦礫の破片と瓦礫の破片だ。

 それぞれ無造作に置かれていて、椅子や机の代わりにされている。

 割れた窓から入る明かりだけが、この部屋を明るく照らしている。


「ちょっと過ごし難いかもしれないけど、我慢してくれよ。すぐに呼んでくるから」


 ちょっと待ってて、とトルクが出て行くと同時に、アディは瓦礫に腰かけた。


「ふぅ……ちょっと疲れちゃったね」


 そっと脹脛を揉みながら、立ちっぱなしのディーンを見上げる。


「こんなこと言ったらなんだけど、時々、お兄の身体が羨ましくなるね」


 視線はディーンの足に。


「お前は普段鍛えていないからだろう」

「お兄だって何もやってないじゃん」


 アディは運び屋をやっていて、ディーンが鍛えている姿を欠片も見たことがなかった。


「俺には俺の役割があるからな。勝手に鍛えられるし、まあ、確かにずるいのかもな」

「うん、ずるい、それ」


 頬を膨らませて、アディはディーンを見上げる。


「お前がやると死ぬからな」 

「うん。知ってる」


 それだけは、何よりも、誰よりも。ずっと近くで見てきたから。








「あんたらかい、あたしに用があるのは」


 部屋の入り口から、ひび割れた声が響く。

 視線を投げると、杖を突いた老婆の姿があった。

 傍にクランも付き添うようにして立っている。

 老婆の姿は一見しただけでわかる。

 ああ、手遅れだ、と。

 顔面にはいくつもの亀裂が入り、そこから機械が覗いている。

 襤褸布を纏っただけの身体からは駆動音が鳴り響く。

 杖を持つ手は鋼鉄で、歩く足さえもが鋼だ。

 その身体に機械化していない箇所は欠片ほどしかなく、その視線はどこか濁っていた。

 ガラス球のような瞳で老婆――カルシアは二人を見やる。


「おばあちゃん、大丈夫?」

「ああ……ここまでで大丈夫だよ。さ、行きなさい。あっちでトルクと遊んでおいで」

「はぁい……」


 不安そうにカルシアを見上げるクラン。その頭に、駆動音を響かせる手のひらが乗せられる。慈しむように数度撫でると、小さな背中を押した。

 クランは何度も背後を振り返りながら部屋を出て行った。


「さて、どういった用件かの……?」


 訝しげにこちらを眺める老婆に対し、ディーンは一歩前に進み出る。


「カルシア・カーネットで間違いないだろうか?」

「如何にも、それはあたしのことだよ」


 カルシアは大げさに首を動かして首肯する。


「それで、この死にかけの老人に何の用ですかの?」


 皮肉っぽくカルシアは返す。


「あなたに渡すものがある。俺たちは、そのためだけにやってきた」


 そっとディーンは己のポケットに手を突っ込む。

 そこから小さな小包を取り出した。

 宛名は『カルシア・カーネット』。

 間違いがないことを確認する。


「これは遠く東、ナルの町からの届け物だ」

「ふむ……? あたしに? いったい誰からだい?」


 ますます訝しげに首を捻る。心当たりがないのか、老婆は億劫そうに首を戻した。機械の音が小さく響いた。


「依頼主は――デル。デル・カーネットからのものだ」


 ぴくり、とその名前に反応するように。カルシアは顔を上げる。


「デル……いま、デルと言ったかい?」


 確認するように、カルシアはディーンを見つめる。

 そのガラス球の瞳からは、その亀裂の入った機械の表情からは、何一つ意思を読み取れない。

 しかし、ひび割れた声が、少しだけ大きくなったのは、ディーンにもわかった。


「ああ。間違いない。デル・カーネットからの届け物だ」

「ああ……ああ……デル、デル……」


 カルシアはひび割れた声音で、ゆっくりとディーンに向かって歩を進める。

 その瞳に、小さな意思が宿ったように見えた。

 ガラス球が、生きている光を放つ。

 そっと、ディーンは前に出る。

 その身体を支え、小包を手渡した。


「デル……馬鹿息子め……生きてたんだね……ああ……」


 カルシアは泣きそうな声で。

 だけど泣けなくて。

 もはや涙など流れなくて。

 その代わり、大事そうに、小包を抱きしめた。


「……なぁ、あんた。よかったら、デルのことを聞かせておくれよ……あいつは元気だったかい?」

「元気だった。ナルの町で居酒屋をやってたさ」


 思い返すのは、この町の前に立ち寄った、小さな町だった。

 しかし、小さいながらも発展し、笑顔で人が暮らしていたのを覚えている。


「うん。おっちゃんのご飯、美味しかったよ」


 それまで成り行きを見守っていたアディが、ぴょんと瓦礫を飛び降りてディーンの隣に並ぶ。

 その言葉を引き金に、カルシアは小さく嗚咽を漏らす。

 だがやはり、その瞳から涙が流れることはない。

 機械に涙は必要ないのだ。

  






「ごめんね……恥ずかしいところを見せたよ」


 しばらくして落ち着いたカルシアは瓦礫に座ったまま、小さく頭を下げる。

 その手には、しっかりと小包が抱えられてい。


「デルはね……行方不明だったんだよ。いきなり家を飛び出してさ……そりゃそうさ。家族がこんなだったら、あたしだって出て行きたいよ」


 自分の身体を見せ付けるように襤褸布を捲くる。

 そこにあるのはやはり、機械だ。

 どこもかしこも機械化されていて、無事なところは見えやしない、輝きを持たない肌に、唯一、心臓部付近だけが明るく輝いている。

 どくん、どくんと波打たない。

 傷跡のように広がった胸元には、かたかたと回転する、光を放つ歯車だけがあった。


「真っ先にここが機械になったねぇ……それからずっと、歳を重ねるごとに機械になっていくよ……きっと、デルはそんなあたしの姿に耐え切れなかったんだねぇ……」


 機械の指が、そっと、その歯車の付近を撫でる。


「人工皮膚(スキン)はないのか?」


 と、ディーンの言葉に、カルシアは首を振る。


「あんなの、とてもじゃないが手が出せないよ。それに、あたしはもう手遅れだ。自分でもわかる」


 かたかたと動き出しそうな歯車をその枯れ木のような手が撫でる。

 知っている。

 人工皮膚は高いのだ。

 しかし、機械人には――人に紛れて生きたいのなら、絶対に必要なものなのだ。

 ディーンのように、覆ってしまうのが手っ取り早いが、それは長く滞在しないときだけだ。

 すっぽり人工皮膚(スキン)で覆ってしまえば駆動音も聞こえ辛いし、普通の人間に紛れるのだって苦じゃない。

 ここに来る直前に会った店主がいい例だろう。

 機械の身体を隠すだけで、人の世に紛れることができるのだ。


「それなのに、こんなもの今さらだよ。本当に」


 小包を指でなぞる。

 そこにどんな想いがあるのか、ただ物を運んできた運び屋にはわからない。


「そう言えば、あの子供たちは?」

「あの子たちかい?」


 ディーンは話を摩り替えるかのように言う。

 目を細めて、カルシアはクランの出て行った方を見つめた。


「あの子たちは孤児だよ。見ての通りの身体なんでな……親も耐え切れずに。こんな時代だからさ、そういうこと、珍しくないだろう?」


 その言葉の意味するものを、ディーンは知っている。この目で見てきたのだ。


「だろうと思った。でも、カルシアさん。あんたが、もしも――」


 そして、やはりカルシアはその言葉の意味する所をしっているのだ。自分の行き先は、十分に理解しているのだ。


「知ってるさ。それでもさ、放っておけないだろう? あの子たちに、一人で生きていくなんて、とてもじゃないができないさ」


 ゆっくりと、首を振る。


「ああ、知ってるよ。あたしの偽善だよ、これは。本当に犯さなくてもいい、本当の意味での偽善だよ」


 ひび割れた表情から、その心の細部まで読み取ることは難しい。

 しかし、その気持ちは理解できる。

 この老婆は、放っておくことができなかったのだ。

 想像するに難しくはない。子供が、自分と違う人間をどう扱うのか。親のいない子供をどんな目で見るのか。

 おそらく老婆は後悔している。

 もう取り返しがつかないことだったとしても。


「デルさんも、後悔してたよ」


 アディが口を挟む。


「ずっとずっと、もっとこうしたら、とか。どうやったらよかったのか、って。自分でもわからないみたいで」


 機械人が身内になったなら、それは誰もが思うことだろう。

 治したくても治せない。

 そして、もしかしたら、何時か自分もまたそうなってしまうのではないのかと不安に駆られる。

 デルは、そのよくある一人だっただけだ。

 その後悔は、やはり老婆のものと同じだろう。どちらも逃げてしまったのだから。


「そうかい……一つ、聞かせておくれ。デルは……まだ人間かい?」


 言葉に、ディーンと二人顔を見合わせた。

 その答えを知っている。

 知らせない理由は、まったくないのだ。


「ええ、彼は間違いなく、人間でした」

「そうかい……」


 カルシアは、小さく言って、小包を膝に乗せる。


「それは、よかったよ」


 その時、初めて老婆が微笑んだのを見た気がした。

 

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